最近ある本を読んでいる時に、こんな一文を見かけました。
ダシにしたが売りはせず ”手首ラーメン”
(朝日新聞 昭和53年10月3日)
”手首ラーメン” 売らない線強まる
(朝日新聞夕刊 昭和53年10月9日)
「売らなかった」と結論 ”手首ラーメン”で地検
(朝日新聞 昭和53年10月10日)
この記事が載っていた本は、新聞の片隅にちょこんと掲載された『B級事件』についてのコラムを集めたものだったのですが、それにしても改めて活字にしてみるとかなり異様なネーミングです、『手首ラーメン』。
それはさておき、事件の概要はこんなかんじです。ある暴力団組員二人が、トラブルから仲間を殺し、その死体を山に埋めたのですが、この事件が特殊だったのは、なぜかこの二人組が被害者の手首だけを切り取り、それを後生大事に(?)持ち歩き、ラーメンスープのダシをとるのに使ったと言う部分でした。当時としてはかなり話題になったニュースのようで、同時期に事件が起こった地域でラーメンを食べた人たちがパニックのような状態に陥ったとか陥らなかったとか。
ご存知の方もおられるかもしれませんが、都市伝説とされる話の中にはこれとよく似たものがあります。いや、似ていると言うよりもむしろ、この事件の事を言っているとしか思えない話です。時を経て、事件を直接知らない世代が多くなってきた関係か、実際にあった事件が現実とも虚構ともつかないような都市伝説へと変貌していったのでしょうか。
暴力団同士の抗争の中で、ある男が対立する組織の組員の手首を切り落とした。その時は場が混乱していたので男はその手首を持ち去ってしまったが、しばらく時間がたって冷静になってみると、この”戦利品”が邪魔で仕方がなくなってきた。しかし、うかつに始末できるような代物ではない。どのように処分しようか思案していた矢先、男はラーメン屋台の寸胴鍋を見かけ、とっさにその中へ手首を放り込んだ。そしてそのまま何食わぬ顔でその場を去った。その後、新聞紙面などでその事件が報じられることはなかった。
一方そのラーメン屋だが、その日出したラーメンのスープは、コクがあると言われて好評だった。店主はいつもと同じように作ったつもりだったので、内心不思議だったがその理由はわからなかった。そして翌日以降、そのラーメン屋のスープは以前の味に戻ったそうである。
前出の朝日新聞の事件記事にもあるとおり、現実には手首を切り落とされたのは対立組織の人間ではなく、かつての仲間であり、手首でダシを取ったスープがお客に供される事はなかったようです。ついでに言えば、この二人組は鍋の中に手首を放り込んでそのまま逃げたのではなく、どうも屋台を曳いて『商売』をしていたようです。小さな記事とさほど情報量の多くないコラムだったので、あまり突っ込んだ部分は分からないのですが、ダシはとったものの、それを食べさせた客から変な味やにおいがすると言われて、そこから足がつくのを恐れたらしいのですが・・・・・・。一歩間違えれば恐ろしく猟奇的な事件なのですが、よくよく考えると理解不能な二人組の行動のせいで、なにやらコントじみた話のようにさえ思えます。
この二人組みの罪状はおそらく殺人、死体遺棄+死体損壊といったところでしょう。しかし新聞記事の様子を見る限り、この事件に対する人々の関心は、そういうありふれた事件報道の部分ではなく、完全に手首ラーメンに集中していたようです。やはり一瞬耳を失うような奇怪な事件というのは、話のネタとしては重宝するのでしょうか。完全に後講釈ではありますが、このウソのようなホントの事件は一時期世間の耳目を集め、後にほとぼりが冷めた頃にホントのような作り話である都市伝説へと変化する予兆を見せていたわけです。
同じ本の中には、昭和45年2月26日の読売新聞の記事として、コロッケの中から人の小指が出てきた話も載っていました。わりと最近、事故でおにぎりの中に作業員の指先の肉片が混入してしまった事件がありましたが、この種の事件は、数こそ少ないものの現実に起こる話のようです。都市伝説の場合では、指が混入するのはパン、しかもホットドッグです。形状からの連想なのでしょうが、このあたりが都市伝説らしいと言えるでしょう。
食べ物に関する都市伝説の中には、異物混入の話が多いのですが、その『異物』の中でもかなり頻繁に混入してしまうのが、人の体の一部です。混入とは違うのかもしれませんが、こんな話もあります。
カップ麺のスープのだしには、解剖された人間の内臓が使われている。人それぞれ味に微妙な違いがあり、自分の指をなめてみたりすると、カップ麺の味に良く似ていることがある。
これはあまり広く知られた話ではないようです。
あるところに夫婦でやっているうまいと評判のソーセージ屋があった。あるときこの夫婦が言い争っているのを聞いた人がいた。その翌日、店頭に2mのソーセージが並べられ、夫が姿を消した。
この話では、夫はソーセージになって店頭に並べられてしまったのでしょう。このソーセージを食べた人がいるのかどうかは不明ですが、B級ホラー映画か推理小説などで実際にこういう話がありそうな気がします。
ある宴会の席で、うまそうなイカの刺身が振舞われたのだが、参加者の1人は決してそれを食べようとしなかった。何故なのかたずねると、イカというのは海で死に、発見されずに海底に沈んでしまった人間の肉を食うからだという。
この話は都市伝説というよりも俗信のカラーが強い話ですが、水棲生物が水死体などを食べるのは十分にありうる話です。私個人は、マンガ『はだしのゲン』のなかで、主人公が大田川に沈んだ被爆者の死体を食ったであろうエビを捕まえて食べるくだりを思い出しました。まるっきり余談ですが。それはさておいて、おそらく上の話のような考え方をする人というのも実際にいるでしょう。むしろこの話のキモは『うまそうなイカの刺身』という描写でしょうか。先ほどのラーメンの話もそうですが、人肉やそれに由来する食べ物と言うのは、なぜか美味だとされることが多いようです。
以前私が大学の講義で聞いた話の中で、食にまつわるタブーの話がありました。一つの例として示されたのが中国にやって来たイギリス人の話です。彼らは中国人と会食した時に出されたある肉の事が気になったそうです。美味しい肉だったのですが、これまでに食べたことのない肉だったため、そのことが気にかかっていたのです。果たして、その肉は犬の肉でした。このことを聞いたイギリス人たちは、その肉を戻してしまったのだそうです。かたや中国人は、俗に『机と椅子以外の四本足は何でも食べる』といわれているのに対し、イギリスでは犬は決して食用の動物ではないのです。イギリス人の犬に対する認識がどのようなものかはよくわかりませんが、世の中には犬を家族の一員として人間同様に扱う愛犬家がいることを考えれば、人間の肉を食べさせられたような感覚を憶えたのかもしれません。
色々な人種や民族ごとに食のタブー(食べてはならないものなど)がありますが、人肉食が是とされるのは極めて希な例です。食人葬や敵対部族の人間を捕えて食べたりする儀礼的な食人、全く別次元の話ではありますが遭難時などに生き延びるためにやむなく、という場合程度でしょうか。
太平洋戦争中、兵站を断ち切られた南洋の島々の飢餓状態は悲惨で、まさに酸鼻を極める状態だったようで、その時を体験した人の記録によると、人間は飢えにより今日を生き抜くのが精一杯の状態になると、全てのエネルギーを生き抜くことにだけ使うようになり、人肉食を厭うことなど思いもよらなくなるようです。また、古代中国では飢饉の時などには、夫が妻を、親が子を肉屋に売り飛ばし、肉屋はそれらの人を平然と解体して『二本足の羊』の肉として売り出したという話も残っています。都市伝説の世界では偏見に満ちた扱いを受けることが多い中国の話ですが、殊この話に関しては都市伝説ではないようです。
また、『ウミガメのスープ』と言う話もあります。ある男が昔を懐かしんでウミガメのスープを食べ、それから程なくして謎の自殺を遂げる話です。『ブレイク・ジ・アイス(氷が溶けるまで)』という、先に物語の顛末を話しておいて、そこに至るまでの経過を推測するゲームの題材とされることも多い話なので、ネタバレを避ける為にここでは詳細を省きますが、以前に男が食べたスープの肉と言うのは実は人の肉で、そのことを悟った男は自殺をしたのでした(ここが本来隠すべき核心部分?)。場合によってはこのタブーを犯すことが、死につながることもあるということなのかもしれません。
それだけ普遍的なタブーである人肉食の話ですが、その禁じられた肉が美味であるのは、真実がわかった時のインパクトをより強烈にするためにつけ加えられた部分でしょうか。なお、本当かどうかは不明ですが、人の肉はざくろか赤身の魚のような味がすると聞いたことがあります。なんだか気持ちの悪い話ですみません。
食品に人の体の一部が混入する話が流布する背景には、それだけ深刻かつ重大なタブーを、無自覚のうちに破ってしまうことに対する恐怖があるのかもしれません。それでなくても食べると言う行為は、生きるために必要不可欠でありながら、うかつなものを口にすれば体に不調を来たし、下手をすれば命すら落としかねないというアンビバレントな性格を持つ行為です。食べ物に関する都市伝説は、言ってみれば生きていくうえで避けられない恐怖を暗示したものなのかもしれません。
人肉食に対する恐れを表現したものとも思われる上のような話のほかにも、得体の知れないものを食べさせられる不安を語った都市伝説は多く存在します。
あるハンバーガーショップのハンバーガーには食用ミミズの肉が使われている。あるとき、このハンバーガーを食べていた人が、ハンバーグの中にミミズが元の形そのままで入っているのに気づいた。そのことで店員にクレームをつけると、奥まった部屋に案内され、そこで店長から口止め料としてかなりの額のお金を渡された。
その話を聞いた別の人が同じことをしようとしたのだが、その人は逆にボコボコに殴られてしまったと言う。
あるファーストフードのチェーン店では、フライドチキンを安く上げるために、一羽の鳥から効率よく肉がとれるようにと4本足(あるいは3本足)の鶏を作り、その肉でフライドチキンを作っている。
フライドチキンとして売られている肉は、実は食用ネズミの肉で、正しくはフライドラットである。
いずれもファーストフードがらみの都市伝説です。ファーストフードと言うのは概して安価ですが、その安さゆえに食材に対する不信感が生じ、このような話が生まれたのでしょうか。ミミズやネズミ、たまに猫の肉の話も聞きますが、その辺にいそうな動物の肉だから安いだろうと言う発想なのでしょう。狩猟・採集から牧畜・農耕の生活へと移り変わっていった人間の歴史を考えれば、いくら勝手に生きているとは言え、ミミズなどをつかまえてくる手間の方が高くつきそうなのは自明です。大抵のものは養殖物より天然物の方が高いのと同じです。
また、よりにもよってゲテモノばかりを材料にしていますが、これは前出のイギリス人にとっての犬の肉と同じでしょう。普通なら絶対口にしないものを(無意識のうちに)食べてしまうからこそ、この話には意味があるのです。ハンバーグに牛肉ではなく豚肉を使っていると言われても、「ああ、そうか」で終わってしまいます。
ミミズバーガーやフライドラットの話は、普通に考えれば実際にはありえそうにない話ですが、そんな話が未だに酒席などでまことしやかに語られるのは、やはり「食」というものに対する人間の関心の高さを表しているのでしょうか。
ここ最近、食品偽装事件が続発し、それに関連してか食品の安全性への関心も高まっています。食べ物にまつわる都市伝説の息が長いのも、こうした流れも、コインの裏表のように切り離すことの出来ない、もともとは同じところに端を発しているような気がします。 |
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