こっくりさんについては、今更改めて説明するまでもないのかもしれません。1970年代に子供たちの間で爆発的に流行し、社会問題にまで発展した、あの占い遊びです。私が小学生時代を過ごした80年代に入ると、さすがに盛りは過ぎていたようですが、それでもその噂は時折耳にする事が出来ました。あくまでも噂だけであって、ついに自分で実行することはありませんでしたが、一世代上の方ともなると、自分自身でこっくりさんを体験したという人もかなり多くなるようです。「キューピッドさん」、「エンジェルさん」などというものもあります。私が現役の小学生時代に身近で行われたらしいという噂を聞いた事があるのは「分身さん」などという名前でしたが、これらは呼び名が違うだけで、行われる行為にさしたる違いはありません。また、こっくりさんそれ自体も「狐狗狸」などという曰くありげな漢字をあてられる事があります。
こっくりさんの起源には諸説があります。中には、「300年以上前にまで遡れる」とか「日本ではじめてこっくりさんを行ったのは織田信長である」という説もあるようですが、この種の起源説というのは、あまり深追いすると往々にして重箱の隅をつつくような内容になるので、ここではもっとも一般的だと思われる井上円了説を支持しておきます。
円了は、日本のこっくりさんのスタート地点を伊豆の下田であるとしています。明治17(1884)年、下田沖で難破したアメリカ船の船員が地元の住人にこれを伝えたのが、日本にこっくりさんが根付くきっかけであったと。当時アメリカでは、「テーブル・ターニング」と呼ばれる遊びが流行しており、下田にやってきたアメリカ人船員がこれを行っていたのも必然であったとも思われます。円了説以外の多くの説でも、当時のアメリカのテーブル・ターニングブームを受け、こっくりさんはアメリカから持ち込まれたものであるとしています。それ以前の日本に存在していた魔術の多くが中国系のものだったことを思えば、アメリカ渡りのこっくりさんはかなりの異端といえますが、それも日本で普及するにつれて、日本の魔術的風土に取り込まれていった感があります。
ただし、その頃のこっくりさんは近年のものとはまったく趣を異にしていました。現在、こっくりさんといえば大抵の人は50音の文字列が書かれた表と硬貨(あるいは筆記具)などの取り合わせを連想すると思いますが、明治のこっくりさん=テーブル・ターニングとは要するに、テーブルないしは不安定な盆様のものの上に数人が手を置き、その傾き具合から託宣を得るというスタイルのものでした。自動書記風の昭和版(70年代以降のこっくりさんを便宜上こう呼ぶことにします)と違い、YES・NOか2択程度の選択肢の中から答えを選べるような質問しか出来ず、また、あらかじめ「こういう動きをしたらこのように解釈をする」という感じの取り決めをしておかなければならない、ある意味では融通の利かない不便なものでもありました。日本で広まるにあたっては、竹などを組んで作った三叉の上に飯櫃のふたや盆を乗せ、その上に参加者が軽く手を乗せ、そのかしぎ具合を見て未来を占うスタイルが定着していったようです。参加者の誰もが力を入れていないのに勝手に盆が動く不思議は、昭和版こっくりさんと同じでした。
さて、この明治版こっくりさんは明治18年ごろになると全国的な大流行を見せ、当時の朝日新聞もそのことを伝えているほどです。しかしこの頃からすでに、「こっくりさん」という名前、そして質問者の問いに答えてくれる「こっくりさん」の正体が話題になっていたようです。
日本に入ってくるにあたって、日本の伝統的な民間信仰と習合して行った感のあるこっくりさんでしたが、元祖テーブル・ターニングが行われていたアメリカでは純粋にオカルティックなものというよりは半ばゲーム感覚で行われていた節があり、神霊・精霊の類を呼び出して質問に答えてもらうという発想は希薄だったのかもしれません。宗教上の理由もあるのでしょうし、そもそも1853年には、イギリスの科学者ファラデーがテーブル・ターニングの原理を科学的に説明していたということもあります。当時の良識的なアメリカ人はテーブル・ターニングを秘儀めいたものとは考えず、単なる遊びのつもりで下田の人にこれを伝えたのでしょう。しかし、伝えられた側はこの遊びに何やら神秘的なものの介在を感じたのではないでしょうか。詳しい理屈付けも無しに方法論としてのテーブル・ターニングだけが日本に持ち込まれ、後に理解の空白を埋めるために、こっくりさんの正体が物議を醸す結果になったのではないかと思います。
当時の日本は文明開化の時代であったとは言え、西洋ほど科学万能主義が進行してはいなかったため、多くの民衆は当然、科学的な見地からではなく超自然的な側面からこっくりさんを理解しようとしました。そして、こっくりさんは、どうでも良いような内容を答えるために各戸のお茶の間までやって来るような霊であると理解されたため、神と呼べるような位の高いものではなく、古来人を化かすとされてきたキツネやタヌキの類ではないかと考えられるようになっていきました。「狐狗狸」というような当て字も、このタイミングで発生したものだったのでしょう。
なお、「こっくりさん」という名前の由来についても諸説あるため、これにも若干の説明を要します。私が把握している範囲では三系統、「コックリコックリと傾くからコックリ」、「キツネやタヌキの霊が答えるから狐狗狸」、「道理を告げるものだから告理」というものがあります。個人的にはコックリコックリの擬態語から「狐狗狸」の当て字が発生したのではないかと思いますが、最後の「告理」だけは若干毛色が違うのでこれに関する説明を。本稿では「こっくりさん」の起源を伊豆下田に求めていますが、実は『西洋奇術狐狗狸怪談』という本の中では、理学博士の増田英作がアメリカからこっくりさんの道具を持ち帰って吉原でこれを実演し、その時に「告理」の名づけを行った、と説明しています。こっくりさんが遊里で盛んに行われたという事実はあるようです。
アメリカというかキリスト教世界では、「キツネやタヌキの霊からお告げを受ける」などという発想は神に対する挑戦にも等しいものでしょうから、これはこれで優れて日本的な考え方であったような気がします。やや余談になりますが、昭和版こっくりさんで問題になった自己催眠による精神障害は、伝統的な日本の価値観の中ではまさに「キツネ憑き」として処理されてきたものでした。ところが、キリスト教世界には動物霊が人に憑依するという考え方がありません。人に取り憑くのは専ら悪魔です。奇しくも映画「エクソシスト」の原作では、悪魔憑きの少女はヴィジャ盤占い(昭和版こっくりさんの源流)を行ったために悪魔パズスに取り憑かれたと語られており、このあたりは憑物に対する東西の認識差を表す好例のようで興味深くもあります。
それはさておき、民衆が迷信に惑わされるような風潮を好ましくないものだと考えた円了は、こっくりさん現象の追及に心血を注ぎ、これを潜在意識が無意識的に筋肉の動かした結果起こるものと結論付けています。前述のファラデーの理論も、筋肉の不随意運動がテーブル・ターニングの原動力であるというもので、円了の結論と大筋一致していますが、無意識の投影という要素がある分だけ円了のほうがより突っ込んだ原因究明を行ったと言ったところでしょうか。実際にこっくりさんは、施術者の過去に起こった出来事については抜群の的中率を見せるも、未来の予言に関しては「当るも八卦」程度の精度しかないようなので、円了説は正鵠を射ているのではないかと思います。
その後こっくりさんは、流行期ほどではないにせよちょっとした託宣とゲームの中間のような感覚で人々の中に残りつづけます。「現代民話考」などには、戦時下の内地や戦地でこっくりさんを行ったという話も収められています。日本の敗戦を予言した話、勝利を告げた話、いろいろですが、こっくりさんが潜在意識に影響された筋肉の不随意運動が引き起こす現象であるという視点から見ると、このあたりの経緯にも興味をそそられます。なお、戦地で行われたという話から、この頃のこっくりさんはまだ、準備の手間がかからない三叉に天板のテーブル・ターニングスタイルだったのではないかと思います。
この時点から70年代の流行まで、30年近い時間の経過があるのですが、今回調べた範囲では、どの時点で50音表と硬貨で占うヴィジャ盤スタイルへと転換していったのかがはっきりしませんでした。明治版から昭和版への過渡期には、三叉を50音表上に這わせる様式だったこともあるようです。こっくりさんを呼び出す呪文に関しては、伝来当初からさほどの変化が見られないので、おそらくは、いつでもどこでも呼べばすぐにやって来てくれるこっくりさんとの40年来の気安い付き合いを引き継ぎつつ、呼び出す相手はそのままでより詳細な予言を得られるスタイルへと次第に改良が進んでいったのでしょう。
さて、国民的遊びというほどではないにせよ、かなりのところまで認知度を高めていたであろうこっくりさんは、70年代に入ると再び流行の兆しを見せ始めます。この頃のこっくりさんこそが、現在イメージされる「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」というような呪文と、50音表・硬貨を使って行われるものです。同時期に、つのだじろう氏のマンガの中でこっくりさんが取り上げられるなどかなりの勢力を持っていたようですが、この流行が社会問題化しました。実はこっくりさんが、施術者の精神状態に深刻な影響を及ぼす遊びである事が表面化してきたのです。こっくりさんを行っていると、稀にまるで悪霊に取り憑かれたかのように言動に異常性を帯びる人が出てくるのですが、今日このことは、精神医学の分野では、伝統的宗教儀礼におけるシャーマンの入神状態(平たく言うとすれば強烈な暗示)と同根の現象であると見なされています。70年代の流行が成人よりも感応性の強い子供たちが主のものであったため、事態が深刻化したのでしょうか。当然、彼らの近くには精神科医(あるいは経験上この種の現象への対処法を知っている祈祷師)のような専門家はいませんから、一度入神状態に入ってしまうと大騒ぎになったようです。
ともかくも、科学的見地からある種超常的な現象の発生する可能性を認められたためか、こっくりさんをめぐる怪異な噂はブームと共に不気味に肥大化を続けていきます。前出の現代民話考の中には、こっくりさんを盛んに行っていた教室で発生した奇怪な出来事にまつわる話もありますが、これなどはすでに入神状態云々で説明できる範疇を超えており、こっくりさんへの理解不足が生んだ噂の究極ではないかと思います。あまりに荒唐無稽な内容であるため一笑に付したくなりますが、通常は怪奇現象を否定するたがとなるはずの科学が逆にこれを認めたために、人々(と言っても主に子供達だと思いますが)のイマジネーションが加速させられ、その挙句たどり着いた境地のような気がします。
そう考えると、70年代末から80年代初頭にかけての口裂け女や、それより後の人面犬などの都市伝説怪異が猛威を振るった理由が見えてくるような気がします。80年代の都市伝説怪異たちは、「怪奇現象」を身近な現実として体験した世代に支えられた強みがあってこそ、あれほどの流行を見せたのかもしれません。
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▼参考文献
一柳廣孝、1994年、『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉 日本近代と心霊学』、講談社
高橋紳吾、1993年、『きつねつきの科学 そのとき何が起こっている?』、講談社
中村希明、1993年、『霊感・霊能の心理学』、朝日新聞社
松谷みよ子、2003年、『現代民話考2・7』、筑摩書房 |
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