その真相


 名古屋○○
2004.09.05

 
 6月のはじめ頃、名古屋で一人の盗撮魔が逮捕されました。嘆かわしい事に最近では、この種の犯罪が別段珍しいものではなくなってきています。にもかかわらず、この事件は新聞種になり、しかもそれを読んだ一部の人たちの間でちょっとした話題になっていました。一見してニュースバリューに乏しそうなこの事件が、なぜ話題を呼んだのか。それは、関西出身だった犯人の男が、わざわざ勤めていた会社を辞めてまで名古屋にやって来たためでした。さらに駄目押しとなったのがアノ伝説だったことは、新聞記事に対する各方面の反応を見る限り、疑いの余地はなさそうです。アノ伝説……すなわち名古屋が不美人の一大産地であるとする「名古屋ブス」伝説です。究極的には「蓼食う虫も好き好き」という個々人の主観の問題と結論付けざるを得ないようなネタなので、これまでどこか尻込みをして特に触れずに来たのですが、色々な場面でちょくちょく話題の端に上ることがあるようですし、件の事件記事をめぐる動きを見ていると、かなり力を持った伝説であるらしいことが伝わってきます。自分の経験に基づいて伝説の正当性を喧伝する人も時折見られます。それほどのネタとあらば、そろそろ年貢の納め時かとばかりに観念し、取り上げた次第です。なお、名古屋在住の管理人としては、未来に名古屋娘と恋に落ちないとも限らないし、そう考えると何となく「ブス」という文言を口にするのが心苦しく思われます。とりあえず、今回のコラムでこの単語を出すのは、これで最後としておきます。これ以降のもって回ったような表現については、あらかじめご了承ください。

 まず最初に、いつぞや掲示板でこの話題が出たときに、「近いうちに公開する」などと言うようなことを言ったまま、今日まで陽の目を見ずに来たこの記事を紹介しておきます。

 尾張名古屋は昔から美人の産地であつた。最も古い所では日本武尊に深く慕はれた、宮簀媛という素的な美人あり、源平時代には太政大臣師長との間に一篇の哀詩を残した横江氏の女あり、池殿に嫁して後清盛の継母となった池の禅尼や、頼朝を生んだ熱田大宮司藤原季範の女のごとき人物と云い美貌と云い尾張女の鏘々たるものである。降つて戦国時代に至つては織田信秀に寵愛せられ、国色無双のお市の方を生んだ熱田商家の女あり、お市の方と越前の浅井長政との間に生れたのが、有名な淀君である。この淀君と秀吉の北政所となつた「おねゝの方」とは近世における名古屋美人系の二代表者であると伝へられる。

 また一方男子の側から見ても、尾張名古屋はなかなか美男に富んでいた。城代にはその筆蹟に似たような円満の美男子小野道風あり、戦国時代には森蘭丸、前田犬千代のような武勇に富んだ美男子あり、その後美少年の流行した時代には天下の双璧と称せられた不和万作、名古屋山三郎の二美男が出た。この二人はおそらく名古屋の美男系を代表するものであろう。

 わが中村をふくむ名古屋が昔から美女美男の産地だとは、天地自然の配剤が英雄、美人や大根、梨瓜をはじめ総ての生物をして円満な発達を遂げしめるように出来て居るからであろう。気候は温暖中和、土地は平衍膏?加之に人間の皮膚と大関係のある井水が、石灰アルカリなどの天然漂白剤を多量に含むからだ。尤も幕府時代に入つてから、四方から系統の違つた多数の美人を移入したらしいが、これがために幾分か美的要素を加へたとしても、それがために名古屋女の定型を打壊されるようなことなく、矢張り他系の美人をも中京式に同化してしまつた。今の名古屋美人が南にも北にもつかず一種独特の形式を持つてるのはその証拠だともいう。さりながら細かく詮議だてすると、同じ日本人同士であるから、南方美人も北方美人も、中央美人も或点まで似通うのは勿論である。


 1953年に名古屋市中村区制十五周年記念協賛会によって編纂された「中村区誌」の一節です。区誌のように極めて公的な文書の中でいきなり「当地が美人の産地である」とぶち上げ、さももっともらしくその理由を考察するあたりに時代を感じます。「名古屋美人」などと言う言葉が出てくると、件の伝説の信奉者からは失笑が漏れそうですが、ご当地美人(あるいはその逆)に関する議論は往々にしてこのような不毛なものとなりがちです。「何処其処は美人の産地である」であると主張するのも、「いや、そんな事はない」とむきになって否定するのも、どっこいどっこいのメンタリティだと思いますし、今回の伝説も、基本的には与太話の域を出ないものだと十分に自覚した上で語るべき内容でしょう。

 このタイプの伝説の舞台とされる土地は名古屋だけではなく、普通は「三大産地」などと言われます。ほか2箇所は、大方の場合は仙台と水戸であるとされます。もっとも、この三大産地の顔ぶれもごく稀には変動があるらしく、これ以外の候補地として、熊本、広島、岡山、松本、前橋、福島、米沢などがあるようです。今回は名古屋を中心に、仙台・水戸を含めたごくオーソドックスなセレクションについて話をすすめていきます。

 三大産地の三大産地たる所以は、おおむね次のように説明されます。

 名古屋、仙台、水戸は、江戸幕府が潜在敵として想定していた大名家の本拠地だった。そのため、各地の統治者が幕府をなだめすかす目的で美人を江戸に献上したり、あるいは幕府側が強制的に美人を接収して行ったりした。その結果、これらの土地では美人の血筋が絶えてしまったのである。

 この説明ですが、まるっきり荒唐無稽のものというわけでもありません。少なくとも、江戸時代の政治的背景をある程度まで的確に反映したものだとは言えます。名古屋にあった尾張徳川家は御三家の筆頭格で、格式的には将軍家を脅かしうる存在でした。別に歴史の勉強ではないので、簡単のためには「暴れん坊将軍」などに出てくる徳川宗春をイメージすると分かりやすいかもしれません。仙台藩も、「最後の戦国大名」と呼ばれた野心家・伊達政宗以来の危険因子で、軍事的実力に関して言えば尾張徳川家とほぼ同等の物を持っていました。水戸藩は水戸黄門でおなじみの通り、こちらも御三家の一つですが、実力的には大した物ではなく、幕府にとってもさほどの脅威ではありません。問題は水戸徳川家以前の統治者・佐竹氏にあり、これが関ヶ原の頃に徳川に対して反抗的な態度を示したたのがまずかったのだ、などと言われます。

 ただ、当時の政治事情はともかく、絶海の孤島に立地しているわけではない以上、一時的に美人がいなくなったとしても、その後の各地には当然のごとく美人の因子が流入してきたでしょう。遺伝学的には、およそ信用するに足る話とは言えません。他地域人口の流入と言う点に関して言えば、今日的な意味でも、それぞれの街を闊歩している女性のみんながみんな土地っ子であると言う事もまずありえませんし、ご当地で過ごした経験に基づいて「伝説は本当だった」とする評価も、どこか空虚なものです。伝説信奉者の中でも、分別のある人たちはそのあたりの理屈が分かっているようです。そして、伝説の真偽に関する議論から、伝説をいかに解釈するかと言うような方向に話が進んで行くことがあります。どちらかというと興味深いのはむしろこちらの議論の方で、「なるほど」と思えるような意見に出会うことがあります。

 例えば名古屋の場合。「大いなる田舎」、「人の多い田舎」などと揶揄される事の多いこの街は、表層的には都会のようにも見えるが、よくよく見てみると洗練されていないという部分が多く、女性もあまり垢抜けていない、と。要するに素材ではなく、メイクやファッションなどで損をしていて、それが不名誉な評価につながっていると言うのです。こういう論理に関しては一概に否定できない部分があります。名古屋人は、大阪はそれほど意識していないのにも関わらず東京に対してはコンプレックスを抱く傾向があるようですが、これなどは東京とのレベル差を名古屋人自身が痛感していることの現れでしょう。東京人から「垢抜けていない」と指摘されればぐうの音も出ないのでしょうし、そのまま伝説認定となります。この論理で行くと、不名誉な伝説がいつまでたっても払拭できないのは、貶められる側にある名古屋人の大都会コンプレックスに原因があるのかもしれません。

 ところが私は、パッと見には名古屋人に対してデメリットしかもたらさないように見えるこの伝説も、一部の名古屋人には利するところがあり、そのことも伝説の延命に一役買っているのではないかと踏んでいます。一部の名古屋人とは、ズバリ年頃の娘を持つ親たちの事です。これ自体が都市伝説みたいなものなのかもしれませんが、一説によると娘を持つ名古屋の親の結婚観において、花婿は名古屋出身で名古屋在住、将来に渡って名古屋に住み続ける生粋の名古屋人であることが高評価につながるとの事。その「理想の花婿」と娘をくっつけるため、娘に名古屋出身以外の変な虫が寄り付かないように、あえて不名誉な伝説を利用してバリアーを張っているのではないかとさえ思います。名古屋人婿ならば、伝説が信用するに足るものかどうかを知っているはずです。彼らの場合、よしんば伝説が事実だったとしても、そのまま名古屋の女性と結婚してしまう可能性も高くなります。

 また、いわゆる名古屋嬢の方も、自分の伴侶となる人に対してかなりシビアな要求(大方の予想がついている方も多いかもしれませんが、多くの場合は経済的なものであるとされます)を突きつける傾向があるようです。名古屋は伝統的に結婚を重要視する土地柄であると言われていますが、一部ではあの名古屋嬢ファッションも、理想の伴侶を絡めとる(!)ためのものであるなどという、甲斐性無しなら確実に気後れしてしまいそうな分析も行われているようです。その分析が正しいものであるかどうかはさておき、そのような名古屋女性の「毒気」に当てられた他地方の男性が彼女たちに対して抱くネガティブなイメージが、容姿の評価へと投影され、これもまた伝説を下支えしているのかもしれません。

 今回は非常に怪しげな妄想を書き綴ってしまいました。どうも、一般によく言われる「閉鎖的で排他的」という名古屋のイメージをより後押ししただけのような気がして、果たして今回この伝説を取り上げたことが正解だったのかどうかと疑問に感じる部分もありますが、願わくば今回のコラムが徹頭徹尾、与太話の域を出ないような内容でありますように。

 なお、名古屋在住とは言え生粋の名古屋人でない管理人には、未だ名古屋の真髄を測りきれていない部分もあります。より赤裸々な名古屋の実態を知りたい方はこちらへ。
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