コートマネージャーとしての裁判所書記官
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● 「コートマネージャーとしての裁判所書記官」 2019年6月14日発売
新日本法規出版株式会社 書籍案内
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● 裁判所書記官の職務権限(裁判所法60条)
(1) 各裁判所に裁判所書記官を置く。
(2) 裁判所書記官は,裁判所の事件に関する記録その他の書類の作成及び保管その他他の法律において定める事務を掌る。
(3) 裁判所書記官は,前項の事務を掌る外,裁判所の事件に関し,裁判官の命を受けて,裁判官の行う法令及び判例の調査その他必要な事項の調査を補助する。
(4) 裁判所書記官は,その職務を行うについては,裁判官の命令に従う。
(5) 裁判所書記官は,口述の書取その他書類の作成又は変更に関して裁判官の命令を受けた場合において,その作成又は変更を正当でないと認めるときは,自己の意見を書き添えることができる。
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● 裁判所書記官は,コートマネージャーといわれるようになった。裁判官主宰の民事訴訟の下,訴訟進行管理事務を担い,適正・迅速な裁判の実現に向け,多様な事務処理を行っている。
これを図解法の1つ「魚の骨」の技法で,その職務内容と目的,時系列的な手順を一覧的に示せば,次のとおりである。
(コートマネージャーとしての裁判所書記官 P10参照)
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● コートマネージャーとは何か。コートはcourt(法廷)。この場の運営を適正かつ効果的に図るマネージャー(manager:支配人,監督)というほどの意味である。
その語源となるマネージメント(management)には,次のような意味がある。
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● この裁判所書記官の権限と役割は,平成10年施行の改正・新民事訴訟法により,その前とその後では,大きく違ってきた。
元々裁判所書記官は,公証官として法廷に立ち会い,裁判結果の調書を作成し,中でも証人尋問等の供述調書作成に多くの時間を費やしていた。
それが,前記の新民事訴訟法により権限が改正され,また,審理の充実,録音反訳の導入等により,供述調書作成事務は減少してきた。
現在では,コートマネージャーとしての役割の方が大きくなった。
(裁判所書記官の新旧比較 P22参照)
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● 前記の法改正により,現在の裁判所書記官の権限と役割を,その仕事の内容,性質に応じて大まかに分類すれば,次の4つに分けられる。
(コートマネージャーとしての裁判所書記官 P23参照)
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● なぜ裁判所書記官の権限と役割は,拡大されたのか。そこには,旧法下での批判と反省,新民訴法の改善の目的があった。
五月雨訴訟を廃し,訴訟関係人とも協働して,争点を明確にし,集中的に充実した審理を行い,適正・迅速な裁判の実現を図る。(1)争点中心,(2)手続の集中,(3)有効情報の活用,(4)協働運営が,改正目的の大きな柱であった。
その実現のためには,当事者(訴訟関係人)に一番身近な,裁判所の窓口的役割を担う裁判所書記官の情報収集,連絡調整(コートマネージメント)力の活用が求められた。
「困ったら,原点に帰れ」といわれる。前に進むには,過去(歴史)を振り返り,未来(明日)を考えなければならない。
(コートマネージャーとしての裁判所書記官 P18参照)
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● 裁判所書記官には,裁判官との審理充実に向けた協働態勢として,手続の進行管理,訴訟関係人との連絡調整,事件解決に有益な情報収集へのマネージメント機能の拡大が期待された。
(コートマネージャーとしての裁判所書記官 P24参照)
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● 職務の権限と役割の拡大に伴い,裁判所書記官に求められる能力,スキルも拡大した。私見によれば,次のような内容になる。
今後の裁判手続のIT化には,(1)争点中心,(2)手続の集中,(3)有効情報の活用,(4)協働運営の4条件が有機的な結合化されたシステムが求められる。これから,裁判に関与する裁判所書記官の役割は,ますます大きくなる。
(コートマネージャーとしての裁判所書記官 P24参照)
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● 裁判官1人で全てを行うことはできない。そのためのスタッフがいる。裁判が一つの組織として行われる以上,裁判官にとって最も重要な事に専念する体制が求められる。
江戸時代の奉行所では,奉行は治安等の政策判断をして多忙だったため,その下にあるスタップが手分けをして補佐業務を担い,裁判の取調べ,調書作成,前例調査等は部下の「留役」が担っていた。留役は,今でいう裁判所書記官だったともいえる。
『コートマネージャーとしての裁判所書記官』のコラム欄「江戸の裁判」(コートマネージャーとしての裁判所書記官 P58参照)に,「裁判所書記官の原型は江戸奉行所の留役であったのではないか」と書いた。
しかし,大多数の人は,「留役」がどういうものか,何をしたのか。江戸の御白州では,どのように裁判が行われたか,江戸時代の訴訟手続がどうだったのかを知らない。
テレビや映画で大岡越前や遠山金四郎の活躍は知っていても,それが作り物(フィイクション)だとは分かっていても,それ以上のことは知らない。その実情を書いた書物は少なく,また,旧時代の制度を教える公的機関もない。裁判制度や法制度については,明治以降に西欧の法制から移入され,江戸時代の裁判制度とは断絶があるとの有力説があれば,そんなものだろうと理解して,そのままになっている。
明治維新で政治や制度が変わっても,歴史の底流では,日本人の性格や心理には,変わらない部分もあったと思う。
一昨年『江戸の裁判ー花祭の里の天保騒動記ー「議定論日記」』(風媒社刊)を自費出版し,そこに「江戸の裁判」について書いた。
『議定論日記』は,三河の山奥の村で,百姓が商人と商取引で争った騒動の顛末を記した商人(造り酒屋)湯浅武八の日記である。
そこには,江戸の御白州で百姓と弁論対決した状況が,ルポ風に,詳細に書かれている。
これが「江戸の裁判」を理解する上では,非常に参考になると思うので,その抜粋を次に掲げておく。
『議定論日記 江戸の裁判』を読むページへ
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