装甲戦闘団シリーズ
キャンペーンシナリオ リプレイ

紅槍の騎士 バンパー物語
  第2部 1944年編




終末の足音 1944年初頭

エピソード3.包囲網突破

 あの戦いの後、幾度かの機動防御戦を戦い敵の攻勢を押し止めた我々の戦闘団だったが、その間に戦局は大きく変化していた。 (新キャンペーン・シナリオは通常のステージに加え、歴史的事件ステージが追加されます。今回のステージはコルスン包囲戦です)
 所詮我々の得た局地的勝利程度では、戦局への影響は小さかった・・・そして後方で補給を受けていた我々に年明け早々の凶報が届いた・・・。

 ソ連軍の大攻勢により前線が突破されSS装甲師団を含む友軍の数個師団がコルスン−チェルカッシイ地区で包囲されたのだ、軍団司令部から我々に敵軍包囲網突破と友軍救出の命令が下った。

 我々は、敵軍包囲網突破の先鋒として急遽編成されたティーガーT重戦車とパンター戦車を主力とするベーケ集成重戦車戦闘団の側面援護をグロス・ドイッチュランド装甲擲弾兵師団と共同して担当し、ベーケー戦闘団の開いた突破口の拡大と味方脱出路の確保維持をはかるのである。

 この為、付近に駐屯して再編成を行っていたSSティーガー重戦車大隊と、軍団直轄のロケット砲兵大隊が急遽我が戦闘団へ編入された。

 掻き集められた軍団、師団砲兵による春雷を思わせる弾幕射撃音とロケット砲大隊の空を切り裂く悪魔の叫びに似たロケット弾飛翔音を合図に突破戦が開始された。

 我々の戦闘団は、最先頭をSS重戦車大隊から派遣のティーガーTが務め、続いてバンパー少佐直轄のパンター戦車隊、更に私のW号戦車中隊が続き、また、左右の援護はV号突撃砲とマーダ自走対戦車砲が行い、後続は、ナスホルン重対戦車自走砲とV号戦車、そして装甲擲弾兵とロケット砲兵の順で編成したパンツァーカイルを組み巨大な槍の穂先となって敵前線へ突入する。

 我々は、雪と泥の海をかきわけ、巧みに隠されたソ連軍の対戦車砲陣地と車体を土に埋めたT34/76戦車の迎撃に損害を受け、敵砲兵の阻止弾幕射撃に苦しみながらも敵陣地をロケット砲の支援射撃と勇敢な擲弾兵で、そして敵戦車をティーガーTで制圧し、阻止弾幕を強行突破して敵前線突破に成功した。

 更には、反撃してきた新鋭T34/85戦車旅団もSSティーガーT重戦車とバンパー少佐のパンター部隊の大活躍で撃退し、遂に包囲された友軍の陣地まで指呼の距離に進出したのだ。

* * * * *

エピソード4.猛襲!親衛戦車軍!!

 我々が、後一歩で友軍と握手できる位置まで進出したときその日最大の凶報が飛び込んで来た。
 それは本来突破戦の主力であるベーケー戦闘団と後続するGD装甲擲弾兵師団の前進が強力な敵軍により阻止され、友軍脱出路開通の可能性は、我が戦闘団が確保しているこの突出部が作り出す細いルートの開通と維持に全てがかかっているとの情報で有る。

 そして凶報はまだまだ続いた、この最後の脱出ルート封鎖のため敵軍が集結しており、その中にベーケー戦闘団の進撃を粉砕した強力な敵、JS−2重戦車を主力とするソビエト親衛重戦車大隊が含まれていると言うのだ。

 我々の戦闘団は、この細い脱出ルートを維持するため直ちに簡易陣地の構築を開始し、同時に包囲内の友軍も脱出準備に入った。

 我々は、どんな損害を受けても友軍の脱出が終わるまでこの細い回廊を保持しなければならないのだ・・・。
 深夜、最後の増援が到着した。積雪による悪路のため進撃の遅れていたGD師団から派遣された空軍地上部隊の88mm高射砲大隊が追い付き我が戦闘団に加わったのだ。

翌朝、冬の遅い夜明けが訪れ、凍り付いた雪原がうっすらと明るくなり始めた頃、その日の戦闘が猛烈なソ連軍の準備砲撃で開始された。
 命中率や集中率は、お世辞にも良好とは言えないが、圧倒的な数量の重砲弾とロケット弾が降り注ぐ。
 特に集中率が悪すぎどこへ落下するかわからないカチューシャのロケット弾は逆に恐怖を煽った。
 そして永遠に続くかと思われた弾幕射撃が終わった時、雪原は、月面かと見間違える程の惨状となり、戦闘団は多くの戦力を失い、残された部隊も混乱に陥っていた。

 しかし、T34/76戦車を主力とするソ連軍の第1波の攻撃が開始された時、既に我々は、バンパー少佐の巧みな指揮によりその混乱から立ち直っていたのだ。
 敵の弾幕射撃終了から戦車部隊の突撃開始までの連携の悪さが我々に戦力回復の貴重な時間を与えてくれた。
 弾幕の効果に安心しきって前進してくるソ連軍戦車に対して我々は教本指示を遙かにこえる1200mの遠距離から射撃を開始した。

 「今日の敵は多いぞ、教本の指示距離までは待てない 射撃開始 ファイエル」バンパー少佐の命令一閃、待ち受けていた我が戦闘団のあらゆる火砲が発砲した。
 長距離射撃でも充分に威力を持つティーガー重戦車の、そしてナスホルン重対戦車自走砲や88mm高射砲が猛射を開始し、負けじとパンター戦車やW号戦車、V号突撃砲の75mm砲も発砲する。一瞬でソ連軍先鋒部隊は約20両のT34/76戦車を失い阿鼻叫喚の混乱に陥った。(遠距離射撃戦は、ソ連軍に距離による攻撃力低下のペナルティールールが有るのでドイツ軍が有利になります)

 しかしソ連軍は、混乱する第1波部隊を無視するかのように第2波部隊を投入してきた。 (手近な敵を優先して射撃しなければならないルールを利用して第1波部隊のT34が攻撃を吸収している間に第2波部隊の重戦車が距離を詰めてきました。実際のソ連軍らしい戦術なのですが・・・)
 第2波部隊はJS2重戦車、KV85重戦車、KV1重戦車、T34/85戦車を主力とする部隊である。
 赤い恐竜達は破壊された第1波の戦車の残骸を押し退け、破壊された戦車から辛うじて脱出した傷付いた兵達を踏み潰しながら前進してきた。この強力な戦車部隊が前線に到達し果敢に接近戦を挑んでくる事により彼我の損害比率が一挙に縮まった。

 JS2重戦車やKV85重戦車の重装甲は、W号戦車やV号突撃砲の75mm砲を簡単に跳ね返し、中にはティーガーT重戦車やパンター戦車の砲撃すら耐える強靱ぶりを発揮し我々を手こずらせる。

 また、敵の装備する長砲身の85mm砲や122mm砲の大威力に我々の損害が一気に増加する。それらの巨砲の前では、ティーガーT重戦車やパンター戦車もそうそう無傷では居られないのだ。

 更に、持ち前の大火力と長射程で重装甲の敵戦車相手に唯一気を吐いていたナスホルン重自走対戦車砲へ、敵第1波の生き残りのT34/76戦車10両余りが強引に防御火線を突破して殺到し、半数の損害と引き替えにナスホルンを撃破した。

 更に残余のT34/76戦車は、その余勢を駆って88mm高射砲の砲列へ突入し相打ちで高射砲部隊を壊乱させ、我が軍の傷口を一層拡大させる。

 そして乱戦を突いてT34/85戦車部隊が戦線突破寸前の位置に進出した時、それを辛うじて食い止めたのはマーダ自走対戦車砲とV号戦車の相打ち覚悟の突撃と装甲擲弾兵の損害に構わない肉薄攻撃で有った・・・。

 こうした長時間にわたる乱戦の末、やっとの事でソ連軍を撃退したものの、我が戦闘団の受けた損害は膨大なものとなっていた。
 そして戦場を闇が覆い尽くし昼間の激戦の名残りの如く未だに燃え続ける戦車の炎だけが点々と紅く揺らめく頃、包囲を脱出してきた友軍部隊が数両の草臥れたW号戦車を先頭に幽鬼の如く東方から現れた。

 我々の命と血と肉で確保した脱出ルートを、その装備の殆どを失い消耗しきったドイツ第三帝国の戦士達が友軍前線目指して通過して行く。無惨な戦車の残骸の脇をまるでヴァルハラへ向かう戦死者の行進のように・・・。

 この救出作戦で我々の払った代償は大きなものであった。しかし、救出された兵達は、休息し再び装備を得て祖国を護る偉大な戦士として戦線に復活するであろう。
 この時、バンパー少佐が私に語った言葉が忘れられない。「どのような状況下でも戦友を見捨てない事が我らゲルマン戦士の義務なのだ!」

 我が戦闘団は友軍の後衛として敵の追撃を払い除けつつ友軍前線を目指した。


東部戦線の崩壊 1944年 春−冬

エピソード5.再編成

 ボロボロに傷付いた我々の戦闘団は友軍の後衛として追撃してくるソ連軍を払い除けつつ後退し、辛うじて友軍前線へ辿り着いた。

 この一連の戦いで我が戦闘団は兵員の3割と装備兵器の半数を失った・・・特に戦車駆逐隊のナスホルン重自走対戦車砲やマーダ自走対戦車砲は全損し、W号戦車やV号突撃砲、そして装甲擲弾兵にも大損害を受けた。

 本来なら回収すれば前線復帰が簡単に可能な程度の損害を受けた車両でも後退戦では敵に捕獲される事を避けるため爆破処理するしかなかったため損害が瞬く間に拡大したのだ。

 しかも、後退戦で常に部隊の最後尾で敵の追撃を迎え撃っていたバンパー大尉が負傷し後送されてしまった。(イベントです)

 また、辛うじて生き残った少数の空軍88mm高射砲部隊とティーガーT重戦車は原隊へ復帰した・・・部隊に残った頼もしい戦友のロケット砲兵と迫撃砲中隊も、弾薬を撃ち尽くし戦力を喪失している。

 戦闘継続が不可能となった我が戦闘団は憂鬱な思いで再編成のため後方へ移動を開始したが、その途中で再び大損害を受けた。

 空の黒死病シュトルモビック襲撃機の空襲を受け、残り少ないW号戦車と輸送部隊のトラックを破壊されてしまったのだ。(これもイベントです)
 相次ぐ不幸に後方で再編成を開始した我が戦闘団を重く暗い空気が支配した・・・。

 だがしかし、紅槍の騎士は復活したのだ。
 彼は階級を1つ上げ、そしてどこで手に入れたのか約10両のティーガーT重戦車を載せた列車の先頭車に乗って再編成中の戦闘団集結地へ還って来た。
 「みんな待たせたな。軍団司令部から失った片目の代わりに土産をもらってきた。さあ、これでロスケに一泡噴かしてやろう」
 バンパー少佐の復帰第一声に我々は絶大な歓声を持って答えた。(これもイベントでティーガーT部隊と指揮官が増援されました)

* * * * *

エピソード6.鉄十字章受賞

 ティーガーT重戦車とパンター戦車を主力として再編成された我々の戦闘団はバンパー少佐の見事な指揮の下でルーマニアまでの壮絶な後退戦を戦い抜き、崩壊する東部戦線南方軍集団の機動予備部隊として伝説的な戦果を挙げ続けた・・・前線を突破した敵戦車隊を叩き潰し、包囲された友軍を救うため敵の対戦車砲を蹂躙し、時には友軍の後退時間を稼ぐため決死の逆襲までを行い獅子奮迅の戦いを続けたのだ。(1944年前半は通常のキャンペーン・ステージが進行しました)

 そして東欧の大地に遅い春が訪れ、疲れと泥濘によりソ連軍の攻勢が一段落したかに見えた頃、我々は前線を離れ本国で長期休養と再編成に入る事を命じられた。
 我々の帰国を前に乱戦の中で滞っていた我々の昇進とバンバー少佐の鉄十字章受賞が行われた・・・。

 その日、我々の戦闘団の兵士は戦車を磨き上げ、着古し痛んだ軍服を整え、そして髭を剃った、何しろ軍司令官と野戦撮影部隊が我々の部隊を訪れるのだ・・・式典後、軍司令官差し入れのシャンパンとワインの栓が抜かれ、軍楽隊が演奏をサービスし、その日は我々に忘れられない日となった・・・。

 ところで軍司令官が別れ際にバンパー少佐と敬礼ではなく握手で挨拶していたのが驚きだった。そういえば、軍司令官の姓もバンパーだったのだ・・・。

 帰国準備に奔走する我々の下に米英軍を主力とする西側連合軍がノルマンデイーへ上陸したと言う情報が飛び込んできた。そして程なく敵の物量と航空攻撃に我が軍機甲部隊が苦戦していると言う噂も聞こえてきた・・・。

 本国への移動開始を翌日に控えた日の夕刻、朝から軍司令部へ呼び出されていたバンパー少佐がしけた顔で戻ってきて我々に言い渡した。
 「喜べ、我々の行き先は本国を通り越してフランスになった。ここより少しは美女と敵機が多いそうだ」
 こうして我々は翌日フランスへ行き先を変更した列車へ乗り込んだ・・・。

* * * * *

エビソード7.ソ連軍夏期攻勢
 私の乗ったフランス移動の為の第1便列車がドイツ・ポーランド国境へ差し掛かった時、総統からの特命がもたらされた。去る6月22日にソ連軍の夏期攻勢が開始され中央軍集団が危機的状態に瀕していると言う。
 ソ連軍の夏季攻勢バグラチオン作戦が開始されたのだ。
 こうして我々の行き先はフランスから再び憂鬱なロシアの大地へと変更された・・・。 (近衛戦車旅団を使用して西部戦線キャンペーンへの移動も考えましたが、今回は東部戦線キャンペーンのテストプレイと言う事でロシアの大地へ逆戻りです)

 しかし、何もかもが憂鬱だったわけでは無かった、総統の特命には頼もしい付録が付属していたのだ、それは約1個戦車駆逐中隊分の新型W号駆逐戦車ラング長砲身型=パンテル・カノンである。総統は敵の物量とヤーボの力押しに悲鳴を上げ続ける西部戦線の友軍部隊を後回しにして我々にパンテル・カノンを配備してくれたのだ、低姿勢、重装甲の車体へパンターと同じ70口径75mm砲を装備したこの強力な駆逐戦車は我々の生存率を高めてくれるであろう・・・。

 旧ドイツ・ポーランド国境から大急ぎでUターンしてきた我々の戦闘団は、中央軍集団崩壊を食い止めるのに辛うじて間に合った。

 再び転戦の日々が続く・・・そしてその転戦の中で我々の戦闘団は、W号戦車を消耗し尽くし、パンター戦車や総統よりプレゼントされたパンテル・カノンもその数を減らし、さらには、戦線後退の混乱の為に発生した急速な補給悪化により、数両のティーガーT重戦車までも放棄爆破した。

 こうして、中央軍集団の戦線が大きく後退しポーランドの首都ワルシャワの東方で辛うじて戦線を整理した時、我々の戦闘団の戦力は激減していた・・・東部戦線は、名指揮官バンパー少佐の力を持ってすら大損害を押さえられない地獄の修羅場と化していたのだ。

 我々は初夏に列車で移動した距離を戦いながら後退し、秋の気配が色濃くなってきた頃、SS第3装甲師団ダスライヒと共同して前線を大きく突破してきたソ連軍1個戦車軍を迎撃し壊滅させたのを最後の戦闘として本国への帰還命令を受けた。 (ソ連軍による大反攻戦バグラチオン作戦はもともとシナリオへ盛り込まれているため1944年後半は通常のキャンペーン・ステージで進行しますが、T34/85やJS2が登場しプレイヤの苦戦が多くなりました)

 この時点でのバンパー戦闘団の残存兵力は戦車約20両、その他装甲車両10両、擲弾兵約300名余り・・・。

 我々は、使用可能な残余の全戦闘車両を前線に残留する他部隊へ引き渡すと、再編成のため今度こそ帰国の途に付いた・・・。

* * * * *

エピソード.8 帰国
 東部戦線に初冬の泥土の季節が訪れようとしていた頃、予定より半年近く遅れ、人数も1/3に減ってしまった我々はやっと帰国の途に付くことができた。
 帰り着いた本国では、帝都ベルリンですら連日の空襲に曝される末期的で困難な状況の中、我が戦闘団の再編成だけは、不思議な事に急速に進んだ・・・何でもヒトラー総統の特命だと言う。

 我々の駐屯地に新品の戦闘車両が続々と運び込まれ、前線で壊滅し再編成を待っていた部隊から選抜された草臥れた古参兵達と、未だ子供にしか見えないが士気と戦意だけは旺盛な若年の新兵達も相次いで着任してきた。

 そして総統の意向で我々には昇格と受勲と何よりも嬉しい短い休暇が与えられ、バンパー少佐は、中佐に昇格し騎士十字賞の受勲の為、総統官邸に招待された。
 そこでバンパー中佐は、武勲を褒め称えるヒトラー総統に勲章より1両でも多くの戦車を要求し、何故か機嫌の良かったヒトラー総統は、その場でバンパー中佐に勝利と戦車を約束したと言う。

 もちろん、本国で再編成を行う我々の日常が完全に安全だったわけではない。
 既に本国の空は、米英軍が制空権を支配し、戦略爆撃機だけではなく、軽爆や護衛の戦闘機までが乱舞していたのだ。
 米英軍の航空機による空襲が我々の駐屯地付近でも度々行われた。しかし、ロシアの地獄になれた我々は、夜間空襲など気にもせず防空壕で熟睡する事ができた。

 そして我々の戦闘団が、再編成をしながら、昔なら基礎訓練にも足らない程の少ない物資と時間で訓練を行っている頃、巷は、西部戦線での大反撃開始の国防軍ニュースに浮かれていた・・・。
 しかし、それも年が明けて程なく反撃失敗の噂にかわった・・・そして、西からだけでなく東からも悲報がやってきた。遂にソ連軍冬季大攻勢開始の報が届いたのだ。

 この時、我々のバンパー戦闘団は、第1、第2中隊をパンター戦車で、第3中隊をパンテル・カノン駆逐戦車で、第4中隊をヤークトパンター駆逐戦車とヘッツァー軽駆逐戦車で、そして総統命令により独立重戦車大隊から派遣されたティーガーU重戦車で第5中隊を編成し、装甲擲弾兵とロケット砲兵、迫撃砲兵、対空自走高射機関砲も戦闘準備を完了していた。

 総統は、勝利の約束を守れなかったが、戦車の約束は果たしてくれたのだ。「実戦の一週間は訓練の半年に匹敵すると聞く 我々も戦闘開始だ」我々は東に向かった。 (ここでイベントによる特別増援を受け取り、加えて2回続けて再編成を行いました)

<<<<<<<<<<戻◆次>>>>>>>>>>



トップに戻る