これは、私が昔から、部屋への来訪者に必ずと言っていいほど掛ける言葉である(もちろん、タイミングの問題もある)。無理に、勧めているわけではない。コーヒーを飲むかどうか、尋ねているだけである。その証拠に、相手が「飲まない」という意思表示をすれば、コーヒーを入れないこともあるし、自分の分だけコーヒーを入れて飲んでいることもある(抽出はペーパードリップ方式である)。
相手の分も入れるときは「コーヒー豆の種類(1)」や「抽出の濃さ」をその人の好みに合わせることが多く、コーヒーサーバからカップに注ぐコーヒーの分量も、注ぎながら「こんなもんかな?」とか「『いい』と言ってね。『いい』と言ったら、止めるから......」という風に声をかけて、飲みたい分量を相手に選ばせている。また、わざわざ遠くから私を訪ねて来てくれた相手には、どれくらい時間があるかを尋ねてから「じゃ、コーヒーでも......」ということになる(長居をして欲しくないときは、親しい友だちでもコーヒーは勧めないことにしている)。
だから「本当は飲みたくないんだけど、取材先で出されると、飲まないと悪い気がして......」という泣き言を後になってから平気で口にし、文章にする新聞記者がいると、私なんかは「じゃ、お茶を出す前に『要らない』と断わればいいのに......」と思ってしまう(人の勧めに断わるときは「遠慮しているわけではない」ということを伝えれば、何の問題も生じないのではないのか?)。
先日は、普段は絶対にコーヒーを勧めることのない知り合いが、私がコーヒーを入れた直後に、たまたま部屋を訪ねて来たので「○○さんも飲みますか?」と尋ねてみた。その人と知り合ってから丸6年になるが、これは、おそらく初めてのことだろうと思う。その人が「いただきます」と言ったので、いつもコーヒーサーバで多めに入れている自分の分のコーヒーを分けてあげることにした。ところが、彼の目の前にあるコーヒーの、豆の種類や抽出の濃さの説明をして、ちゃんと本人の了解を取り、更に飲みたい分量を選ばせているはずなのに、その人は、カップに3分の1ほど飲み残したコーヒーを、いきなり私の目の前で、流し台のシンクに捨ててしまったのである。慌てて「なんで、捨てるの?」と聞くと、その人の返答は「ちゃんと飲みましたから......」という、全く要領を得ないものであった(2)。
普通の人だったら、自分で納得して選んだ分量なのだから「もう飲めなくて、悪いんだけど......」というように、私に断わってから、残すなり、捨てるなりするものである。そうすれば、私だって「飲めないんだったら、捨てていいよ」と、快く承諾したはずである。それなのに、何も、いきなり捨てることはないだろう。そのときは「どうも彼は、普通じゃないな」と薄々と感じていた頃だったので、そのまま丁重に、お引き取り願うことにした。
「たかがコーヒー」と言うなかれ。私が他人に勧めるコーヒーには、私の相手への思い遣り、気配りがたくさん詰まっている。そのコーヒーをいきなり捨てるのは、人の心を踏みにじる、許し難い行為である(と、息巻くほどのものでもないんだけどねえ......)。
[脚注]
(1) 私が常備しているコーヒー豆の種類は、キリマンジャロ、グァテマラ、ケニア、トラジャ、マヤポック、モカ、モカマタリ、等々である。
(2) ちゃんと飲まないで、捨てているから、聞いているんだろう? 飲めないんだったら、最初から「いただきます」なんて言わなければ、彼の分のコーヒーは私が飲んでいる。そのとき「もう、こいつには絶対コーヒーなんか入れてやるもんか!!」と、心の中で堅く誓ったことを覚えている。