大学にいる知り合いの教官は大抵が年上のせいもあり、建物の廊下や道路、その他にも様々な場所で会った際には必ず、こちらから挨拶することにしている(1)。なにも難しいことはない。ちょっと首を曲げるだけで良いのである。ところが教官の中には、この会釈すら満足に返せない人が少なくない(2)。大学という特殊な世界で、自分が偉くなったような思い込みをしているのかもしれない。
典型的な例としては、道で会って挨拶しても、いつも無視する教官がいた。会釈を返すどころか、後方にふんぞり返ることを良しとするような人であった。ほとんど研究業績がなく、精神的にも追い詰められていて、人間としての基本的な精神まで失ってしまったかのような人であった。こちらからだけの一方通行の挨拶を何度か繰り返した後、とうとう私は、彼に挨拶することを諦めてしまった(だから、この段落は過去形で書いている)。現在は、もう彼に挨拶することもない。
他にも、昔からの顔見知りで、たまに道で会う教官がいる。私が会釈をしても、彼は不思議そうな顔でこちらを見つめるだけで、会釈を返そうともしない。挨拶の仕方を知らないんじゃないかと思う(3)。いくら研究業績が、超一流の国際誌に論文が載るほど素晴らしくとも、人間としての基本的なことが出来ていないのでは、どうしようもない。これから先も、彼が会釈を返さないということが続けば、私が挨拶を諦めるのは時間の問題である。
いつも考え事をしていて「道で会って挨拶をしても、こちらに気づかない」という教官もいる。ただ彼の場合は、考え事をしていないときには、自分から挨拶するような気さくな人である。彼の習性を知っているから、彼から会釈を返されなくても気にはならないし、それよりも寧ろ「また考え事をしているな」と思うだけで、妙に微笑ましいものがある。
挨拶は、日常生活の基本である。誰かに会釈されたなら、ちょっと首を曲げて会釈を返すことくらい、簡単なことではないのだろうか?
[脚注]
(1) ここ数年、生物系では新任の教官が増えているのだが、彼らには誰からも紹介されたことがないし、知り合う機会もない。知り合いでもない教官に対して、挨拶するのもどうかと思い、彼らに会っても挨拶したことはない。そのことを変に誤解して、私を中傷する輩がいるのには困ったものである。
(2) 「教えている学生は、どれだけいると思う? そいつらに、いちいち会釈を返すのは大変だからしないんだ」と豪語する教官がいる、という話を耳にする。でも最近の学生・大学院生は、教官と擦れ違っても会釈すらしないのが当たり前だから、会釈をしてくれる学生・大学院生が貴重な存在であることを自覚し、会釈を返す習慣を身に付けたほうがよいと思う。
(3) 見覚えのない人から会釈されるときがあり、それでも私は反射的に会釈を返してしまう。擦れ違ってから「あの人は誰だったかな?」と考える。それで良いのだと思う。