ある言語を日本語に翻訳するとき、翻訳家が口をそろえて言うのが「翻訳しようとする言語より、日本語の文章力のほうが重要だ」という言葉である。確かに、その通りだと思う。この言葉を当てはめると、私たち日本人にとって、英文和訳をするのは比較的簡単なことなのかもしれない。しかし、和文英訳をするのは困難で、それには日本語以上の英語能力が要求されることになる。私のような純粋な日本人に、日本語以上の英語能力なんて期待できるわけがない。これが、ホームページ制作の過程で、私が英文を先に書く理由である。
このように書くと「それじゃ英文は、どうやって書いているの?」という疑問が、沸々と湧いてくるに違いない。「英語で考えて、英語で書く」というのが、その答えである。そのためには、英文を和訳することなく、英文のまま理解することが必要である。私はずっと独力で、そういった訓練を続けてきた。そのひとつが、英語で学術論文を書くという作業である。
大学の研究室に所属して、ある程度の研究成果が出揃うと、教授からは英語で学術論文を書くことを要求された。ところが研究室の方針(教授の指導方法)というのが変わっていて「まず日本語で論文(の原稿)を書き、それを完璧なものにしてから英語に翻訳する」というものであった(1)。私はこれに反発し、端から英語で論文の原稿を書いて、教授に提出した。「こんな人、初めてですよ」と嫌みを言われながらも、当時から私には「英語で学術論文を書くには、日本語を排除して、英語で考えることが必要」という確固たる信念があった。それは現在でも変わっていない。
ちなみに私のホームページのインデックスでは唯一、英語に対応していない日本語のページが存在する。この「独り言」が、そうである。しかし、このページは最初から日本語で書いているので、英語に翻訳する気はないし、そもそも私には出来ない相談である(2)。
[脚注]
(1) この方法で英語の学術論文が書けるのは、最初のうちだけである。伊藤(1986)も「日本語のくわしいメモを作って英文論文を書け」の項で「『和文を書いて英訳せよ』とは書かなかった」と、わざわざ注釈まで付けている。
(2) 例えば「まあ、あんたの場合は昔からの腐れ縁ですからねえ」なんて日本語は、どのように英訳すればいいのだろう?
伊藤嘉昭. 1986. 大学院生・卒研生のための研究法雑稿. 生物科学 38(3): 154-159.