私は、日曜日だけは早めに大学から帰宅し、自炊をすることにしている。また、大学へは徒歩で通っているのだが、日曜日は自炊のための買い物があるので、自家用車を運転して大学に行っている。
2002年10月27日(日曜日)の夕方、いつものように買い物を済ませ、下宿の駐車場に車を入れたところから、物語りは始まった。駐車場は幹線道路を挟んで下宿の斜め向かいにあるので、下宿に入るには道路を渡らなければならない。また、この場所には大型の夜間照明灯があり、暗くなると辺り一帯をこうこうと照らしている。私が車から降りて道路を渡ろうとすると、夕闇からヘッドライトを点けた一台の車が近づいてきたので、この車が通り過ぎるのを、道路の端に立って待つことにした。ちょうどそのとき、白い小型犬を連れた老人とおぼしき男性(2)が下宿の前を通りがかり、反対車線の道端にたたずんで買い物袋をさげている私を見とがめて、こう言ったのである。
「おい、ゴミは今日、休みだぞ」と......。下宿の隣りは、ゴミの集積所になっていた。
私は、ただ買い物袋を手に持って、下宿に入ろうとしていただけである。その男性に対して「これは買い物袋だ。いったい何を言ってるんだ」と、普段は滅多にしないのだが、何年かぶりで、つい声を荒げてしまった(3)。その男性は「そうか」と言っただけで、謝りもせず、何事もなかったかのように通り過ぎていった。その日は久しぶりに、気分が悪かった。その男性から「休みの日にゴミを捨てる不届き者」と、私が疑われたことに対してではない。普段やらない、声を荒げるという行為をしてしまったことへの後悔の念とか、声を荒げることが出来る自分を発見したことへの底知れぬ不安とかいった、私自身の感情に対してであった。
さて、冒頭の「李下の冠、瓜田の履」だが、自分自身、疑われやすい行動は何もしていないのに(4)、他人から疑われてしまったようなときは、いったいどうしたらいいんでしょうね?
[脚注]
(1) これは「スモモの木の下で冠を直すと、スモモの実を盗んでいるように疑われ、ウリ畑で履き物を直すと、ウリを盗んでいるように疑われる」という中国の故事に由来する。
(2) この日、新潟地方は大荒れの天気で、雨風が激しく、その男性がレインコートを着ていたので、顔がよく見えなかった。
(3) 私は高校・大学と体育会系のバレーボール部に所属し、ほぼ毎日、体育館で汗を流していた。代わる代わる大声を出して、全員の士気を鼓舞しなければ、やり続けるのが辛い運動が多かったので、大声を出すこと自体は不得手ではない。しかし、これは運動するときのモードに入っているからで、普段は声を出すこともはばかるような、おとなしい人間である。
(4) 私は一応、動物行動学者の端くれである。人通りの多い道端にしゃがみ込んで、草むらの奥にいるネコを呼んでいたり、道端に立って林の奥にいる野鳥を眺めていたりすることは、しょっちゅうある。それこそ、疑われやすい行動をしている、まさに「怪しい人」である。