そこまで言わなくても......


「そこまで言わなくても分かるよ」と、注意してくれる人がいる。彼は、どうも文章の行間を読むことに長けた人らしい。世の中、彼のような人だけだったら、どんなにか楽だろう。

ある文章を読んだとき「そこまで言わなくても分かる」か、或いは「そこまで言えば分かる」か、はたまた「そこまで言っても分からない」かは、人それぞれである。「言っても分からない人が多いから、そのような人にも理解してもらえるような文章を書く必要がある」と、私は考えている(1)。

これは研究者が、英語で学術論文を書くときの手法、そのものである。学術論文では、そこに書いてあることが全てで、文学作品のように文章の行間を読んだり、言外に意味を持たせたりすることはしない。そのため必然的に文章は、くどくなってしまう。

いや、この「くどい」という表現には語弊があり、ここは「正確な」という表現が適切かもしれない。正確な文章は「読者に誤解を与えない」という学術論文を書く際の配慮であり、そこには「曖昧な書き方を許さない」という研究者の姿勢を垣間みることができる。

文章を書いたり、学術論文を書いたり、意見を述べたりすることは、ひとえに「自分さえ分かればいい」という問題ではない。相手に理解してもらうための、それなりの方法論が大切である。

[脚注]
(1) 日本人が「そこまで言わなくても分かる民族である」ことは、私も充分に承知している。あっ、そうか!! だから、日本人は論文を書くのが苦手なのかも......。


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