「〜における」と「〜において」


「〜における」と「〜において」という言葉を、私は使わないことにしている(1)。

どのような自主規制が掛かっているのか知らないが、これらの言葉を新聞などのメディアで目にする機会は滅多にない。たまに目にするのは、外部に依頼して書かせた記事である場合がほとんどである。ところが、ちまたに溢れている論文や報告書の類では、依然として「〜における」と「〜において」という意味不明の言葉が、数多く使用されている。どうも、学生や大学院生に和文で論文を書かせるときに、そのような指導を大学の教員がおこなっているようである(2)。

これらの観点からすれば、どの文章を例にとっても、後世に禍根を残すことになるだろう。また「〜における」と「〜において」という言葉を使う思考回路が、私の頭の中に存在しないので「適当な例文を作成できない」という事情もある。そこで「平成13年度湿原環境保全推進評価手法開発検討業務報告書(北海道開発局)」に掲載された「専門家へのヒアリング意見書」で、草稿段階の私への確認メールから抜粋した、以下の文章を例にとることにする。

釧路湿原では、池底はどの年においても5月中旬頃まで凍結している。エゾアカガエルの繁殖シーズンは4月中旬頃から始まるので、釧路湿原においては池底は越冬場所にはなり得ない。冬季において凍っていない場所は湧水池であり、釧路湿原においてもっとも重要なエゾアカガエルの越冬場所であると言える

この文章は、以下のように書き換えることが出来る。

(一般にエゾアカガエルは、池底で越冬すると言われている。しかし)釧路湿原では、池底はどの年5月中旬頃まで凍結している。エゾアカガエルの繁殖シーズンは4月中旬頃から始まるので、釧路湿原では池底は越冬場所にはなり得ない。冬季凍っていない場所は湧水池であり、釧路湿原もっとも重要なエゾアカガエルの越冬場所であると言える

以上のように「〜における」と「〜において」という言葉を多用する人は少なくない。しかし、これでは文章が長くなるだけで、読み難く、好んで使用するメリットはないと思う。それに、こういった普通の文章を「〜における」と「〜において」とすることで、なんとなく格調高い文章であるかのような、錯覚を生じさせてしまう。そのような欺瞞が、見え隠れする。

分かるようで、分からない文章を書いて、分かったような気になっている(させている)行為は、まったくの自己満足の世界ではなかろうか?

[脚注]
(1) 私のホームページで、出版物個人の履歴の2ヶ所(実質的には1ヶ所)にみられる「〜における」という言葉は、共同研究者の神田房行さんには悪いが、私が使用したものではない。
(2) これは、英語で学術論文を書く場合、決して起こり得ない問題である。自然科学の分野では、特に農学系や工学系の和文誌で「〜における」と「〜において」という言葉が、多用されているようである。


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