研究職に就けない!?


「能力と業績があっても、研究職に就けない博士号取得者が、特に生態学の分野で急増している」という話である(これを聞いたときは、一瞬「俺のことか?」と、ドキッとしたものである)

これは、とりもなおさず「生態学者、及びそれに類する分野の研究者の受け皿が、社会に少ない」ことを意味する。「近年、需要が見込まれるバイオ関連企業の求人に、生態学的手法が合致しない」という現実が、その背景にあるらしい。

博士号取得者の中には、学会講演で研究発表するだけで、学術論文をほとんど書かず、結果的に業績の少ない人がゴロゴロしている。そのような人でも何かの間違いで、いったん研究職に就いてしまえば、生活の糧は保証され、一応の飯は食えるわけである(給料をもらっていながら学術論文を書かない人を、私は、研究者とは認めたくない)

これも確かに構造的な問題ではあるが、ここでの問題は、また別のところにある。

業績が少なくて、研究職に就けないでいる人が、それでも「自分は能力はあるんだ(1)」と豪語することを許す、世の中の仕組みである。そんなに能力があるんだったら、四の五の言わずに、学術論文を書けばいい。学術論文を書かないで「能力はある」と言っても、説得力がない。学術論文を書かないのは、その人に能力がないからである。もちろん、学術論文を当該分野の国際専門誌に載せることが、その人の研究能力を評価する指針となることは、疑いようがない。

[脚注]
(1) 本当に能力のある人がプライドを持つのは、たいへん結構なことである。しかし、能力もないのに示す高いプライドは、見苦しく、傍ら痛いだけである。まず、そのような何の役にも立たないプライドを持ち続ける人たちに、研究職を諦めさせることが、オーバードクター問題を解決する糸口である。


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