下宿は帰って寝るだけの場所で、当時はTVも視なかった。下宿に帰らないで、大学に泊まり込むことも少なくなかった。泊まり込むといっても、椅子に座り、机の上に頭を乗せただけの仮眠である。洗濯も一月半に一度くらいしか、する時間がなかった。下着と靴下は50着(足)近く揃えていたので、下宿に帰ったときは毎朝、交換していたが、シャツやスラックスは同じものを一週間近く着ていたこともあった。洗濯をまとめてするのが大変で、実家に帰省する度に、洗濯物を持ち込んでいた。風呂には、三日に一度でも入ればいいほうだったと思う。今となっては、全て過去のことである(1)。
考えてみれば、随分と無理をしてきたような気がする。しかし、こうして多くの実働時間を確保することで「それなりの研究業績を上げてきた」という自負がある。
40代になった現在、体力は、当時より衰えたとはいえ、同年代の研究者と比べて勝っていることは、火をみるより明らかである。気力に至っては、ますます充実の一途をたどっている。デスクワークが増え、PCに向かう時間も多くなった。自分が他人のために思っているほど、他人は動かないことも知った。「どこに力を入れ、どこで手を抜くか」といった、良い意味での「いい加減さ」も分かるようになったし、研究のやり方も分かってきた。そのおかげで、以前より睡眠時間が増え、TVを視る機会も多くなった。この歳になって、漸く「人並みの生活」が送れるようになったような気がしている(2)。
その私の目に、現在の若い20代の大学院生は、どう映っているのだろう(3)?
[脚注]
[脚注の脚注]
(1) 当時は、部屋で「消臭スプレー」をまかれたり、机の上に置かれたりする嫌がらせがあった(1)。現在でこそ、部屋に消臭スプレーをまくのは当たり前のようになってしまったが、10数年前はそうではなかった。この反省を踏まえ、それからは毎日、出掛ける前に風呂にも入るし、シャンプーもするようになった。二週間に一度は必ず自分で洗濯するし、シャツやスラックスも三日に一度は着替えるようになった。現在では、どこに出しても恥ずかしくない男前である。
(2) 私は、独身主義者ではない。この歳になっても結婚しないのは、研究職に就けないでいるからである。一般家庭のように、子供も欲しいし、色々な電化製品も欲しい。でも、それに先立つ「お金」がない。ということは、やはり「人並みの生活」は、送れていないのかもしれないね。
(3) 研究は、なにも「時間をかければいい」という代物ではない。そのことは重々承知している。ただ青春の一時期、闇雲に突っ走って得るものも多いのではないか? そういった経験の積み重ねがないままに、社会に出る前の若いうちから、仕事の量をセーブしようなんて考えるものではない。
(1) こんな嫌がらせは、可愛いほうである。もっとひどい、人間の精神をずたずたにするような嫌がらせ(というよりイジメに近いもの)は日常茶飯事で、毎日が地獄であった。私が現在ここにいられるのは、それに耐え抜くことができたおかげである。書く気になれば、私が大学院生の頃に体験した嫌がらせだけで、独り言が優に100回分は書けるだろう。私は、嫌がらせを受ける辛さを嫌というほど知っている。だから、たとえ部屋に悪臭を放つ人がいたとしても「このような子供じみた嫌がらせは絶対にしない」と誓える。