計測には、10%ホルマリン溶液で固定した試料を70%エタノール溶液に移す作業が必要であった。また、6ケ所に仕掛けたトラップで8日分、計48個のペットボトルに固定試料が入っていた。そのため、保存用に48本分のサンプル瓶も用意する必要があった。シャーマル調査に参加したメンバー全員に手伝ってもらおうと考えたのだが、ズラさんの話では、これらの作業を基本的にタイワンと私の2人だけでやらなければならないようであった。野外調査だけが研究の全てでないことは、日本の研究者なら普通に理解できるものと思われる。しかし、彼らが、そうは思っていないことが頭の痛い問題で、そのことをまず論文の他の共著者に分からせることが、ここでの最重要課題でもあった。
7月26日(火曜日)は、まずエタノールと精製水を手に入れることから始まった。困ったことに、モンゴル教育大学では、これらを常備していないらしい。結局、薬局で量り売りをしてくれることが分かったので、とりあえず局方の96%エタノールを5リットル、精製水を2.5リットルほど購入することにした。また、サンプル瓶のような洒落たものは見当たらないので、あらゆる種類の瓶をどこからかタイワンが調達することになった。
27日(水曜日)の午前10時から、70%エタノールを入れた瓶に試料を移し替える作業を開始した。ところが、タイワンが調達して来た瓶の半数は小さすぎて使い物にならず、また探しに行かなければならなかった。午前11時43分にズラさんが来て、午後1時6分まで作業を手伝ってくれた。それから作業を中断して、内モンゴル飯店で昼食を採りながらの会議に参加した。ダルハディン湿地調査へ向けての会議で、メンバーはズラさん、タミルさん(動物生態学の先生)、中川雅博さん(近畿大学)、それと私であった。当初の予定では、この会議の時間を利用して、タイワンが残りの瓶を探しに行くことになっていたが、なぜか彼女も一緒に来て食事をしていた。
会議が終わり、午後3時12分にモンゴル教育大学に戻って作業を再開しようとすると、タイワンが「これから瓶を探しに行く」と言う。これは、私に「ひとりで作業をやってろ」ということを意味する。午後4時17分、どこからかタイワンが大きめの瓶を入手して戻って来た。それらの大部分が、ジャムの空き瓶であった。中身がこびり着いているので、彼女に洗い物をさせて、また私ひとりで試料の移し替えを続けなければならなかった。午後7時53分、41個目の瓶に試料を移し終えたところで、エタノールと精製水を使い切ってしまった。残り7つは、また明日ということになる。
28日(木曜日)の午前中はタイワンが用事があるとかで、午後2時14分から試料の移し替えをおこなった。これを1時間ほどで終えると、次はデータシートの作成である。捕獲した水棲動物をなるべく細かく分類し、だいたいの種数の見当を付けた上で、データシートを作成する必要があった。ところが、これらの作業をExcelでおこなおうとしても、モンゴル教育大学生物学部にあるPC部屋の担当者が休みとかで、肝心のPCが使えなかった(PC部屋と言っても、2台しか設置されていないのだが......)。仕様が無いので、インターネットカフェで作業をすることにした。
午後4時22分、モンゴル日本センター内に併設されているインターネットカフェで、Excelへの入力作業を開始した。タイワンは、用事があるとかで、どこかに行ってしまった。このセンターは、モンゴル国立大学の隣にある建物で、外国人のインターネット利用にはパスポートの提示が必要であった。ここに20台近く設置されているPCはDellで、システムはWindows XPであった。「今日中に終わらせよう」と意気込んでいたところ、閉館間際になって「ここは午後6時で閉館」ということが分かり、2時間分の利用料金(1,000Tg)を支払って、外へ出た。残りは、また明日である。
29日(金曜日)もタイワンと私とでモンゴル日本センターにお邪魔し、午前11時7分からデータシート作りを開始した。タイワンは、また用事があるとかで、どこかに行ってしまった。「順調に作業が進んでいる」と思ったのも束の間、午後0時25分に「昼休みで閉館します」という日本語のアナウンスが流れ、1時間ちょっとの利用で請求されたのは、またしても2時間分の利用料金であった。日本語の利用案内には、確かに「昼休み(12:30〜14:00)」と書いてあるが「この時間帯に閉館する」とは、どこにも書いてなかった。当然、私は、このまま作業を続けられるものと認識していた。日本語の分かるスタッフに問いただしたところ「このことは連れの女性に伝えてある」と言う。どうも「タイワンが、私に昼休みの閉館を伝えていない」というのが、事の真相のようであった(1)。
館外に追い出されてしまった私は、仕様が無いので、外のベンチでズラさんが来るのを待つことにした。ズラさんとは昼食の約束をしていたので、今は彼女が早く来てくれることを祈るしかなかった。午後1時10分、ズラさんが来てくれた。近くのゴアンズ(Zuulun)でズラさんと食事をして別れ、午後2時30分から再び作業開始である。こうして午後4時25分、今度は2時間、目一杯の利用時間で全ての作業を終了し、作成したデータシートのファイルをフロッピーディスクに保存した。利用料金を支払ってズラさんが来るのを待ち、このセンターで今度はデータシートの印刷とコピーをしてもらった。印刷は1枚あたり100Tg、コピーは1枚あたり20Tgなので、カエル類用に作ったデータシートと他の水棲動物用に作ったデータシートを合わせて2枚ばかり印刷し、それらを52枚分コピーした。モンゴル教育大学に戻り、午後5時16分に漸く計測開始と相成った。「カエル類や水棲動物の体の大きさや重さを私が計測し、読み上げた値をズラさんが記録する」というやり方で、計測する試料を瓶から出して並べるのがタイワンの仕事であった。結局、この日は4ケ所分しか計測できず、残りはまた明日ということになった(2)。
30日(土曜日)は、所用で来れないズラさんの代わりに、中川さんが来てくれることになった。午前10時50分に中川さんが来て、中国美食城というレストランでの約1時間の昼食休憩を挟んで、午後5時31分まで手伝ってくれた。途中、またタイワンが用事があるとかで、どこかに行ってしまった。「1時間で戻る」と言っていたが、戻って来たのは2時間後であった。この間、中川さんと私2人だけでの作業が延々と続いたのだが、お互いの呼吸がピッタリあって、却って作業がはかどったことは特筆に値する。
中川さんが用事で帰った後は、ズラさんからの連絡で「日本語が分かる手伝いの人が代わりに来る」という話であった。午後6時8分になって、若い女性がやって来た。なんでもズラさんの友人の妹とかで、モンゴル農業大学に在籍する若干20歳の、バヤルツェツェグ(Bayartsetseg)という名前の、可愛らしい女性であった。彼女にデータシートの説明をした後、記録を手伝ってもらうことになった。午後7時55分に作業を終え、お礼の意味を込めて、彼女が欲しがっていた携帯電話のプリペイドカード(MobiCard, 2,500Tg×2)をタイワンの分と一緒に買ってあげることにした。それから2人を伴って、インド料理の店(Hazara)で夕食をおごってあげることになった。
8月1日(月曜日)は、ズラさんの記録で午前9時45分に作業を開始し、午前11時20分には試料48本分のデータを採り終えることが出来た。それから試料の一部を、中川さんから譲ってもらったスチロール製のサンプル瓶4本に移し替え、午後1時30分には全ての作業が完了する運びとなった。こうして振り返ってみると、日本では3日間もあれば余裕で出来る作業が、モンゴルでは1週間も掛かったことになる。それにしても、モンゴルでは何故こうも、ひとつひとつに時間が掛かるのか? 「国民性だから仕様が無い」と言ってしまえばそれまでだが、はっきり言って、非効率的である感は否めない。
これらのサンプル瓶4本は日本に持ち帰り、水棲動物の同定をおこなった。なにしろモンゴルでは、種の同定に必要な図鑑類が皆無に近く「アルファ分類も確立していないような状況である」と言っても過言ではないだろう。同定には、私の長年の友人である藤塚治義さんに協力していただいた。今回のシャーマル調査では、これに陸上で捕獲した両生類4種を加え、合計31種の動物の生息が確認された。また、野外調査の主体であるキタサンショウウオのデータも、充分に価値のあるものであった。こうして出来上がったのが、11月末〆切りの英文の報告書である。
しかし、それにしても、捕獲総数4,926個体分のデータをPCに打ち込むのが、また一苦労であった。しかも、データシートの記録が4人分の筆跡なので、解読するにも骨が折れて仕様が無かった。
[脚注]
[脚注の脚注]
(1) 実は、この1週間「マスターコースの学生であるタイワンが用意した」という古びたアパートの一室に泊まったのだが、中に残されている調度品から推察するに、どうも若い女性の部屋のように思われた。一応は、私も男なので、誰だか分からない女性の部屋に泊まることには抵抗があった。そこで、タイワンに尋ねようとしたのだが、これが一苦労であった。タイワンは日本語が出来ないし、私はモンゴル語が出来ないので、彼女に英語でコミュニケーションを取ろうとすると、私に単語のスペルを聞いて、いちいち辞書を引く始末で、日常会話が全く成立しなかったのである。あるときの会話で、余りの通じなさに業を煮やして「ズラさんに電話してくれないか?」と英語で頼むと、これは何とか理解できたようであったが、言葉の代わりに何かを床に投げ付けるジェスチャーを返して来たのには、びっくりした。ジェスチャーはボディーランゲッジの一種で、言わずと知れた原始的なコミュニケーション手段である。どうも彼女は「携帯電話が壊れたので、ズラさんには連絡できない」ということを言いたかったようである。タイワンは、ズラさんから厳命を受けて私の世話をすることになったらしいのだが、ここでは「こういった日常会話の不成立状態が、1週間ずっと続いた」と思って欲しい。これは、お互いに辛すぎる。結局、最後の日になって、この部屋の持ち主がタイワンのお姉さん(ヒシト=Khishigt)であることが判明したのだが、それもタイワンと一緒に来たヒシトに英語で尋ねて初めて分かったことであった(1)。
(2) この日は夕方からウランバートルには珍しい土砂降りの雨で、まるで滝のように流れているのが印象的であった。作業終了後、午後8時11分にタクシーを呼んで韓国レストランに向かったのだが、道路は洪水状態で、タクシーの中まで水が入って来る始末であった。聞くところによると、ウランバートルでは雨がほとんど降らないので、道路には側溝などの排水設備が整ってなく、この日のように土砂降りの雨が降ると、道路は完全に水没してしまうそうである。
(1) この部屋でTVを付けて不思議に思ったのは、衛星放送受信用のパラボラアンテナが見当たらないのに、BBCやNHKといった、57チャンネルもの海外放送が入ることであった。また、これには「曇りや雨の日は受信できない」という面白い現象が見られた。7月27日の午前9時頃、NHKの「世界遺産、知床の魅力」という番組を何気なく見ていたら、本来は水の中にいるエゾサンショウウオの幼生を陸に上げて撮影している場面に遭遇した。3対の外鰓が明瞭なので、この個体が幼生であることに疑いの余地はなかった。以前、某TV番組制作会社から放送内容の相談を受けたとき「現在の日本じゃ、サンショウウオのTV番組は作れませんね」と回答したことがある。天下の(?)NHKが、このような体たらくでは、これもむべなるかな......。