総合格闘技・用語集

(五十音順)


                  


アブダビコンバット
略称は「ADCC」。アラブ首長国連邦アブダビで開催されていた、打撃なしの、絞め技・関節技による組み技格闘技の大会。主催者は米国での留学中に柔術に興味を持った同国のタハヌーン王子で、柔術、柔道、レスリング、サンボ、相撲などの強豪が各国予選を経て参戦する。
勝敗はギブアップの他、テイクダウン、マウントポジション、パスガード、スイープなど体勢の優劣により決定する。
2001年の第4回大会87kg以下級のトーナメントではパンクラスの菊田早苗が優勝、日本人初の快挙。



アメリカン・トップチーム
米フロリダ州に本拠を置く総合格闘技のチーム。チームの代表はブラジリアン柔術家のヒカルド・リボーリオ。
主な所属選手はアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラ、キンボ・スライス、J.Z.カルバン、ジェフ・モンソン、セス・ペトルゼリ、チアゴ・シウバ、デニス・カーン、ヘクター・ロンバード(元吉田道場)、ボビー・ラシュリー(IGFプロレスにも参戦経験あり)マーカス・アウレリオなど。
所属選手はブラジルにある「ブラジリアン・トップチーム」とは姉妹組織であり交流も深い。



ULTIMATE CRUSH(アルティメット・クラッシュ)
2003年5月、そして同年10月に新日本プロレス東京ドーム大会の中に組み込まれた、真剣勝負の総合格闘技の試合。4本ロープ、ジャッジ、レフェリーの擁立など、プロレスとは一線を画する内容となった。
第1回のカードは、中邑真輔対ノルキヤ、LYOTO謙吾、スミヤバザル対高阪剛、バーネット対アンブリッツ、中西学対藤田和之。第2回は、渋谷修身対ハウリン・ボウルドバートル、高阪剛対ヒカルドン、ジョシュ・バーネット対高橋義生。
また2005年1月、「アルティメット・ロワイヤル」と名付けた、総合格闘技のバトルロイヤルのトーナメントを開催。いざフタを開けてみると、総合格闘技風のプロレス、そしてバトルロイヤルではなく同じリング上で1対1の試合を行う…など格闘技から全くかけ離れた大会になってしまった。



アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ
略称は「UFC」。1993年にグレイシー柔術のホリオン・グレイシーのプロデュースにより第1回が行われ、現在でも続いている総合格闘技の大会。運営会社はズッファLLC。
大会の開催当初は、禁止項目が「目潰し・噛み付き」の2点のみであったが、アメリカの各州での興行禁止の対策として、徐々に「急所攻撃禁止」「頭突き禁止」「グローブ着用」など規制を追加し現在に至る。階級はヘビー、ライトヘビー、ミドル、ウェルター、ライトの5階級、過去にスーパーヘビー級が1試合だけ、UFC28でジョシュ・バーネット対ガン・マッギーが行われている。



一撃
極真の松井章圭館長が、2001年1月11日に旗揚げした極真会館のプロ興業。極真空手の試合と違い、Kネットワークの試合は四角いリングで行われた。
第1戦のメインでは、野地竜太(極真会館)と武蔵(正道会館)がキックボクシングルールでの対戦を行い、武蔵が判定勝利。同年8月に第2回大会が行われ、フランシスコ・フィリォが大会代表就任した。2004年5月の第4回大会からはK-1のFEGに運営が移行され極真vsK-1の7対7の対抗戦が行われ、メインでフィリォ対ボンヤスキーが行われる。試合はフィリォが判定勝ち。第6回を最後に大会は行われていない。



X−1(エックス・ワン)
長州力率いるプロレス団体「WJ」が03年9月に行った、金網リングを使った総合格闘技の大会。プロレスの試合は組まず、純然たる総合格闘技の試合。
WJよりダン・ボビッシュ、佐々木健介、空手出身・弱冠15歳の中嶋勝彦、その他の選手はブライアン・ジョンストンの招聘ルートにより参戦したが、無名選手が大半をしめるこの興行では苦戦を強いられ、母体のプロレス団体も崩壊。



M−1 GLOBAL(エムワン・グローバル)
総合格闘技のプロモーション団体、エメリヤーエンコ・ヒョードル、元UFCヘビー級王者アンドレイ・アルロフスキー等が所属している。
2009年4月には、同団体主催の東京・ディファ有明大会にて青木真也対ヒョードルのエキジビジョンマッチも実現した。 2010年には日本支部主催で大会が行われ、韓国の選手が多数参戦している。



L−1(エル・ワン)
女子プロレス団体LLPWが主催した金網バーリトゥード大会。第1回は1995年7月に行われる。トーナメント制で行われ、1回戦は遠藤美月対堀田祐美子、ミッシェル・アポロ対グンダレンコ・スベトラーナ、神取忍対リズ・アフリカーノ、フィニー・クルー対サンドラ・ユルビー。決勝は神取対グンダレンコが行われ、グンダレンコが優勝した。
98年10月にワンマッチ制で第2回が開催。ベッキー・リーバイ対テリーレポスキー、高橋洋子対三井綾、八木淳子対フローア・ホルマン、沖野小百合対リー・ウンジャ、堀田祐美子対アンジェロ・アムロッソ、ライオネス飛鳥対イルマ・ヘルホーフ、神取忍対グンダレンコ・スベトラーナ。神取はリベンジに成功。
2000年11月に第3回が開催、この回は四角形リングで行われた。カードは風間ルミ対タマラ・ルードゥー、久保田有希対マーロス・クーネン、熊谷直子対ランプーン・シイキョウ(キックルール)、高橋洋子対シルヴァナ・フルーネフェル、遠藤美月対イルマ・ヘルホーフ、神取忍対堀田祐美子の全6試合が行われる。



オープンフィンガーグローブ
バーリトゥードの試合で着用が義務付けられている、相手をつかみやすくするために、指の部分が出ているグローブのこと。
アントニオ猪木が、ボクサーのチャック・ウェップナーとプロレスの異種格闘技戦の際に使用したが、そのグローブは佐山聡が、ブルース・リーの映画に登場したグローブをヒントに、靴屋へ発注したとの逸話がある。



オモプラッタ
ブラジリアン柔術の用語で、下のポジションの選手が、相手の方に両足を絡めて肩の関節を極める技。


ガードポジション

バーリトゥードの試合で、馬乗りになろうとする相手に対し、両足を相手の腰に巻きつけて、ガードする戦法。
このガードポジションの体制をとることにより、上の相手からのパンチを防ぎやすくする効果がある。



ガチプロ
「ガチンコ風のプロレス」の略。UWF、初期のリングス、キングダム等で行われていた、真剣勝負に見せかけたプロレスのことをさす。
エンターテイメントとしてのプロレスはいいが、真剣勝負に見せかけた擬似格闘技は悪い、と「ガチプロ」を嫌う人は多く、また、格闘技雑誌でもその扱いに困ることも多い。 田村潔司が旗揚げし、数回大会が行われたプロレス団体「U−STYLE」もこのガチプロであった。



KOKルール(キング・オブ・キングスルール)
リングスが過去に行っていた「キング・オブ・キングストーナメント」のルールのこと。旗揚げ当初の、UWFルールの流れを受け継ぐ「ダウン、ロープエスケープによるロストポイント」を廃止したルール。
・オープンフィンガーグローブ着用、非着用を選手が選択できる。
・グローブ着用の場合は、顔面はパンチ可、非着用の場合は顔面は掌底のみ
・グラウンド時は、グローブの有無に関わらず、顔面打撃禁止
・ヒールホールド禁止
などである。なぜかこのルールを採用してから、旧ルールのリングスを取材しなかった某雑誌で、再び記事が載るようになった。KOKルールは前田日明氏によると「バイオレンス性を緩和することにより、バーリトゥード開催が禁止されている外国各地でも、KOKルールなら許される」という狙いがあった。
2001年より、新ルールとしてロープエスケープ、ダウンカウントが復活し飛躍が期待されていたが、団体自体の崩壊でこのルールも見納めとなった。



キング・オブ・ザ・ケージ
略称は「KOTC」。UFCと同様にアメリカで開催され、金網のリングを使用するバーリトゥードの大会名。
大会のレベル自体は、ロートル選手や無名選手が多数参戦するなどPRIDEやUFCには及ばないものの、この大会で活躍したマイク・ボーク、大山峻護選手らがPRIDEへ出場するなど、一時期大きな大会への登竜門的存在になっていた。
現在でも大会は継続中で2010年には日本大会が沖縄で開催。


グラバカ
パンクラスの格闘家、菊田早苗が2000年に立ち上げたパンクラスの団体内ユニット。
名前の由来は「グラップリングバカ」。その他の所属選手は大道塾出身の佐々木有生、パレストラ出身の石川英司、三崎和雄、山崎剛、パンクラスから移籍の山宮恵一郎。
2003年に道場設立、2005年にはパンクラスから独立し活動している。現在フリーの郷野聡寛も過去に所属していた。



グレイシー柔術
1900年代初頭、ブラジルに渡った講道館の柔道家「コンデ・コマ」こと前田光世が、ブラジル人、カーロス・グレイシーへ手ほどきをしたのが始まりとされる、日本の柔道をアレンジした武道。
1993年のUFCでホイスが優勝したのをきっかけに、翌1994年には、ヒクソンが初来日するなど、日本でもこのグレイシー柔術の名前が広まるようになった。
ヒクソン、ホイス、ホイラーらの父親、エリオ・グレイシーは、ブラジルでかの日本人柔道家、木村政彦と柔術ルールで対戦し、アームロックで敗れている。



骨法
堀辺正史が興した総合格闘技の流派。かつては「骨法の祭典」と称した大会を開催していたが、現在では行われていない。
総合格闘技界で、グローブ着用のルールがまだ無かった頃、手のひらによる打撃技「掌底」がよく多用されていたが、これは骨法の技である。
船木誠勝が、新日本プロレス時代骨法の道場へ通い、この「掌底」を得意技として後に多用した。
その他、アントニオ猪木や、獣神サンダー・ライガーなど、プロレス技のヒントになればと、彼の道場へ通っていた選手もいた。
骨法を興した当初、ファイトスタイルは打撃主体であったが、バーリトゥードが世の中に広まってからは、寝技中心のスタイルに移行されるようになった。現在「烏合会」を主宰している、矢野卓見選手は骨法の出身。



THE・BEST(ざ・べすと)

2002年2月に後楽園ホールで第1弾が行われた、PRIDEの登竜門ともいうべきバーリトゥードのイベント。
第1弾の参戦選手の顔ぶれは、ジャイアント落合、西田操一らPRIDE参戦経験者や、ジョー・サン、金宗王などの初期の頃の総合格闘家、プロレスラーのマンモス佐々木とバラエティーに富んだ顔ぶれだった。



サミング
総合格闘技の試合の反則で、相手へ目潰しを仕掛けること。レフェリーの死角をついて行ったり、偶然を装い故意に行ったりする悪質な反則である。
故意のサミングはあまり見られなくなったが、かつては往年の格闘家であるジェラルド・ゴルドーや、ギルバート・アイブル、ヘルマン・レンティングなど、いわゆる「ケンカ屋」と呼ばれるオランダ人選手が時折用いていた。



THE OUTSIDER(ジ・アウトサイダー)
前田日明がプロデュース、RINGS主催のプロ3戦以下、16歳〜35歳までの選手による総合格闘技大会で2008年3月に旗揚げ戦が行われる。その際の主な参戦選手は吉永啓之輔、瓜田純士、与国秀行等が出場。
相手の反則、挑発行為、判定の不服さから乱闘騒ぎがよく起こり、大会ではエンセン井上、村上和成などの格闘家が警備を務めている。
ルールはHERO'S時代のルールを引継ぎつつ、頭部に強い衝撃を与える投げ技は禁止。階級はフリーウェイト制ながら試合は体重の近い選手同士で組まれる。



修斗
元プロレスラー・初代タイガーマスクの佐山聡がUWF脱退後に考案した総合格闘技。
UFCが話題になってからは、選手も柔術の動きを取り入れ、ルール自体も初期の頃とは違い、バーリトゥードをベースとしたものに変化していった。
ヒクソン・グレイシーが初来日、試合を行ったのも修斗の興行。
首都圏での興行の他、毎年「バーリトゥードジャパン」という大会名でのビッグイベントも開催しており、若い女性などにも人気がある。
主な輩出選手は、桜井マッハ速人、佐藤ルミナ、三島☆ド根性ノ助、五味隆典など。



シュートボクシング
元キックボクサーのシーザー武志氏により考案された、キックボクシングに投げ技、スタンディングでの関節技・絞め技を加えた格闘技。
かつてのUWFで、前田日明ら各選手にキックの指導をしたりと、プロレス界との交流も多い。現在、総合格闘技でも活躍している、大阪プロレスの村浜武洋はシュートボクシング出身である。
現在活躍している主な選手は、前田辰也、緒方健一、後藤龍治など。
ブラジルのシュートボクセ・アカデミーや中国の「散打」と対抗戦を行ったりと高い注目度を集めている。



シュートボクセ・アカデミー
ブラジル・クチリーバに拠点を置く格闘技のジム。この「シュートボクセ」という言葉はキックボクシングという意味であるが、主に指導しているのは、キックボクシングと柔術。それゆえ、打撃主体の戦い方ながらも、グラウンドの攻防に長けた選手が多い。
代表格の選手はエヴァンゲリスタ・サイボーグ、ルイス・アゼレード、ダニエル・アカーシオ、ペレなど。過去の所属選手にはヴァンダレイ・シウバ、アスエリオ・シウバ、アンデウソン・シウバ、ムリーロ・ニンジャなど。



スイープ
下のポジションの選手が、上のポジションになること。


ストライクフォース
米カリフォルニア州に本拠を置く総合格闘技の大会、かつてはキックボクシングの大会を開催していたが、2006年から総合格闘技大会に転向。試合は六角形金網リングを使用している。
2009年に日本のDREAMと提携し、互いの大会に選手を派遣し合う関係にある。



掣圏真陰流(せいけんしんかげりゅう)
佐山聡が以前から提唱してきた市街地型実戦格闘技で、かつては掣拳道(せいけんどう)という名称だった。2000年に初代タイガーマスクの佐山聡が旗揚げした格闘技の団体。
ここで佐山は「アルティメット・ボクシング」という新格闘技を考案し興業を行っていた。
・ボクシンググローブ着用  ・キック、パンチ、投げあり
・絞め、関節技は不可  ・グラウンドでは打撃のみ可
過去に同団体所属の格闘家ボリソフ・イゴリ、ソボロフ・デニス(ともにロシア)がPRIDEに参戦しているが、両者とも掣拳道にはない絞め技、関節技で敗れている。
所属している格闘家はロシア人のキックボクサー、サンボの選手が主であるが、2000年の興業では、プロレスファンにも名の知られている、佐竹雅昭、ジャイアント落合、大刀光、ディック・フライ、エベンゼール・フォンテス・ブラガらが参戦した。
掣圏真陰流に名称を変更してからは本部道場「興義館」を設立、プロレス団体「リアルジャパンプロレス」の大会内で試合を行っている。アルティメットボクシング時代とは異なり絞め技・関節技も認められており、試合は合気道型の胴着を着用して戦う。



ZST(ゼスト)
2002年11月に旗揚げ戦が行われた総合格闘技格闘技イベント。基本ルールはかつてのリングス「KOKルール」にヒールホールド解禁をプラスしたものであり、スタッフも元リングスのメンバーが中心となっている。ZSTルールの他、組み技ルール、総合格闘技には珍しいタッグマッチなども行われた事がある。主な選手は「ZST四兄弟」と呼ばれた矢野卓見、今成正和、所英男、小谷直之や、勝村周一朗、レミギウス・モリカビュチスなど。現在も首都圏を中心に興業を継続中。


SRC
「センゴク・ライデン・チャンピオンシップ」の略称である。「ライデン」とは江戸時代最強とされた力士、雷電為右衛門に由来している。運営会社はワールドビクトリーロード。かつての大会名は「戦極」と言い、2008年3月に旗揚げ大会を開催した。
選手はかつてPRIDEを主戦場として来た吉田秀彦ら吉田道場勢や五味隆典、パンクラス、GRABAKAなどから選手派遣を受けている、その他キング・モー、ケビン・ランデルマン、ジョシュ・バーネット、ジェフ・モンソンなどが参戦。
2009年に日本レスリング協会の傘下団体「日本格闘競技連盟」の創設に強力・参加している。



禅道会
大道塾から独立した空手の流派のひとつ。同団体の特徴は、極真空手に代表される立ち技のみのルールではなく、バーリトゥードをもとにしたルールで試合を行うのが特徴である。それゆえ、禅道会所属の選手は、グラウンドの攻防も得意な選手が多い。
代表的な選手は、パンクラスで美濃輪育久との試合で惜敗した秋山賢治、女子総合格闘技界で活躍する石原美和子選手などである。



大道塾

極真空手の第9回全日本大会で優勝した東孝氏が、極真空手より独立して設立した空手の流派。
同団体の「北斗旗」という大会では、「スーパーセーフ」とよばれる顔面防具を装着し、突き、蹴りはもとより、投げ、関節技、絞め技も認めたルールを採用。
古くは、第2回UFCに大道塾所属の市原海樹選手がホイス・グレイシーと対戦(片羽絞めで敗れる)、また、団体主催の「北斗旗」にはテコンドー、サンボなど他ジャンルの選手が参戦するなど空手の枠に止まらず、総合格闘技志向の選手が多数集う流派である。



Dynamite!!(ダイナマイト)
正道会館の石井和義館長プロデュースにより、2002年8月に国立競技場において第1回興行を行う格闘技のイベント。桜庭和志×ミルコ・クロコップや、元柔道金メダリストの吉田秀彦×ホイス・グレイシー戦、ボブ・サップ対アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦などで話題を呼ぶ。
現在は「K-1 Dynamite!」という大会名で大晦日に開催、K-1ルール、総合格闘技ルールの試合を行う。03年には曙、08年にはキン肉万太郎、09年には柔道出身の石井慧の格闘家デビュー戦、魔裟斗の引退試合が行われた。



高田道場
1998年、高田延彦や桜庭和志が所属するプロレス団体「キングダム」の解散後、高田が興した道場。かつては桜庭和志、松井大二郎、西島洋介、山本宜久、パウエル・ナツラなどが所属していた。
プロの選手の育成はもとより、一般、児童などのジム生を募集し、レスリング、キックボクシング、総合格闘技の指導も行われている。独自に興業は行わず、所属選手を各団体、大会に派遣する方式をとっている。



チョークスリーパー
柔道でいうところの「裸絞め」に当たるバーリトゥードの技のひとつ。略して「チョーク」とも呼ばれる。
相手の頚動脈を絞め、ギブアップ、または失神KOを狙う大変危険な技である。
この技も、マウントポジション同様、グレイシー柔術の出現で総合格闘技においてはポピュラーになった。



TKシザース(ティーケーシザース)
マウントポジションを取った相手が関節技を仕掛けようと、自分の胸部へ馬乗りになった際、腰を浮かせ自分の両足を相手の腋の下にかけて後ろに倒す技術。この技を得意とし、98年のUFC16(キモ戦)で初公開した高阪剛のイニシャルからキックボクサーのモーリス・スミスが命名。


DEEP(ディープ)
2001年1月に産声をあげたバーリトゥードのイベント。興業第1弾のメインを飾ったのは、シュートボクシング出身の大阪プロレス所属レスラー、村浜武洋VSホイラー・グレイシーだった。(結果は引き分け)
この大会の特徴としては、軽量級、中量級の選手を中心とする試合、また、バーリトゥードとは縁遠いメキシコ流プロレスルチャリブレの選手や、格闘技レフェリー・和田良覚を参戦させるなどの色物的カードを組むのが特徴である。



道場破り
バーリトゥードに関する道場破りのエピソードは、1994年に当時UWFインターナショナルに所属していた安生洋二選手が、飲み会の翌日、米ロサンゼルスにあるヒクソン・グレイシーの道場へマスコミ関係者や団体スタッフを引き連れ、道場破りを敢行。本来の目的は試合の交渉のためだったと安生本人は後に語ったが…
道場内で行われた戦いは約6分にわたって行われ、安生がマウントパンチで顔面を殴打された後、チョークスリーパーで敗北した。
その他、パンクラスに参戦していたジェイソン・デルーシアがホイス・グレイシー(柔術)の道場へ、また、タンク・アボット(ピットファイティング)がアラン・ゴエス(柔術)の道場へ道場破りを行い共に失敗している。



DREAM
TBSとFEG主催する総合格闘技イベント。かつての「PRIDE」の運営スタッフらを雇用しているため、PRIDEの後継イベントという見方も強い。2008年に第1戦が行われUFC離脱後のミルコ・クロコップが水野竜也と対戦し勝利した。階級はヘビー、ライトヘビー、ミドル、ウェルター、ライト、フェザーの6つで、それ以外にも2009年に無差別級トーナメント「スーパーハルクトーナメント」を開催。元大リーガーのホセ・カンセコの参戦が話題になり、トーナメントはミノワマンが優勝。同年に米ストライクフォースとの提携も始まる。
「DREAM−12」では通常のリングではなく、六角形金網リングを使用した大会を開催。



ドリームステージエンタテイメント
1998年まで「KRS」という組織が運営していたPRIDEを、翌99年から受け継いだのがこのドリームステージエンタテイメントである。誌上ではよく「DSE」、または「ドリームステージ」などと略されることが多い。2003年に森下直人社長が死去してから、榊原信行氏が社長に就任。PRIDE、PRIDE武士道、プロレスのハッスルを運営してきたが、暴力団との関係疑惑に端を発するフジテレビの放送打切り、UFCへの身売りを経て同社は解散。



ニー・オン・ザ・ベリー

横から相手の腹にヒザを乗せて、抑え込むこと。



パンクラス

1993年に船木誠勝、鈴木みのる等によって旗揚げされた総合格闘技団体。「プロレス団体」を名乗りながらも、完全実力主義をコンセプトにする団体はパンクラスが最初である。
初期の頃の同団体のルールは、ダウン、ロープエスケープによるロストポイント制、顔面攻撃は素手による掌底…など、UWF時代と似通ったルールであったが、2000年からバーリトゥードの影響を受け、グローブ着用によるパンチ有りのルールとなった。



ビバリーヒルズ柔術クラブ
その名の通り、米ビバリーヒルズにある柔術・総合格闘技の道場。初期の総合格闘技界で活躍した、バス・ルッテン、マルコ・ファス、オレッグ・タクタロフらが講師を務めている。
高田延彦がヒクソンとの初戦に敗れた後、桜庭和志と共に、この道場でバーリトゥード特訓に取り組んだ。
元格闘家の須藤元気選手は、サンタモニカ大学で絵の勉強に励む傍ら、この道場で総合格闘技のトレーニングに励み、逆輸入ファイターとして日本デビューを果たしたのは有名な話である。



HERO'S
K-1の興業会社FEGが運営強力を行い、前田日明がスーパーバイザーを務めていた総合格闘技イベント。2005年3月にさいたまスーパーアリーナで旗揚げ戦が行われた。K-1との連携から、ゲーリー・グッドリッジ、サム・グレコ、ボブ・サップ、ピーター・アーツ、ジェロム・レ・バンナ、山本KID徳郁、須藤元気なども参戦。
その他中量級の主な選手として宇野薫、宮田和幸、イアン・シャファー、フリーのプロレスラー村浜武洋、修斗のアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラなどが参戦していた。2008年のDREAMの立上げに伴い大会は休止。



フェイク
日本語に直訳すると「偽物」という意味になるが、格闘技においては「八百長」という意味で使われる。


PRIDE(プライド)
1997年10月に第1弾が開催された総合格闘技イベント。初期の頃は「KRS」という組織が運営していたが、99年より森下直人氏が社長を務めるドリームステージエンタテイメントが受け継ぐ。
ルールは「PRIDE−13」から両手・両足をマットについた相手への顔面蹴りも許されるようになるなど、本家UFCよりも危険なルールになっている。
元々は高田延彦とヒクソン・グレイシーを対決させるのが目的だったこのPRIDEだが、黄金期には最も有名なバーリトゥードのイベントと化してしまった。
2003年からはミドル級トーナメント、2004年からはヘビー級トーナメント、2005年からはライト級トーナメントを開催。
2006年に暴力団との関係疑惑に端を発するフジテレビの放送打切り、UFCへの身売りを経て「PRIDE−34」をもって大会は終了。



PRIDE武士道(プライドぶしどう)
「PRIDE」同様、ドリームステージエンタテイメントが主催していた格闘技イベント。
2003年10月に第1回が行われ「日本VSグレイシー 5対5マッチ」、メインにミルコ・クロコップVSドス・カラスJrの対戦が行われた。
ヘビー級の試合もありながら、この大会ではライト級(初代王者:五味隆典)、ウェルター級(初代王者:ダン・ヘンダーソン)に特化していた。本家PRIDEの終了に伴い同イベントも終了。



ブラジリアン・トップチーム
ブラジル・リオデジャネイロにジムを構える柔術の強豪が集うユニット。グレイシー柔術から独立したマリオ・スペーヒー、ムリーロ・ブスタマンチ、ヒカルド・リボーリオらが中心となって結成。
以上のメンバーのほか、元PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ヒカルド・アローナ、パウロ・フィリョなど、その活躍ぶりはグレイシー一族を上回る勢いであった。現在はスペーヒー、ノゲイラ兄弟、フィリョは脱退。



マウントポジション

バーリトゥードの基本技で、タックルや投げ技などを仕掛けた後、相手へ馬乗りになること。ここから腕への関節技、顔面パンチなどの極め技へ派生する。


UFO LEGEND(ユーエフオー・レジェンド)

2002年8月、東京ドームにおいて第1回の興行を行った総合格闘技のイベント。前身はアントニオ猪木が総帥を務めるプロレス団体「UFO」。
2003年春に小川×ヒクソン戦の開催を計画するなど、大会継続の可能性を訴えはしたものの1回限りで消滅。



UWF(ユーダブルエフ)
新日本プロレスを脱退した佐山聡、前田日明、高田延彦、藤原喜明らが1984年に結成したプロレス団体。後に彼らは佐山聡の脱退、新日本復帰などの紆余曲折をへて、1988年に再結成する。
既存のプロレス団体とは一線を画した「格闘プロレス」スタイルを売りにし、一時は格闘技雑誌にも取り上げられるほどの人気があった。



吉田道場
元格闘家の吉田秀彦が、総合格闘技転向時の現役時(2002年)に設立した柔道道場。所属選手は中村和裕、小見川道大、村田龍一、真騎士など。運営とマネジメントはJ-ROCKが行う。
一般道場生に選手が柔道を指導したり「VIVA JUDO!」という子供向けのの無料柔道教室を開催している。



4点キック
PRIDEのルールで、両手・両足がマットについている相手に、顔面へのキックを認めるルールのこと。「PRIDE−13」より採用。
ただ、対戦する者同士の体重差が10s以上ある場合、体重の少ない側の選手がこの「4点キック」の有無を選択する権利がある。
かつて桜庭和志がヴァンダレイ・シウバとの初戦での敗因がこの4点キック有りのルールに対応できていなかったという声も多い。



Laughter7(ラフターセブン)

桜庭和志が高田道場の離脱を経て2008年に開いた道場。DREAMやDEEPなどの大会に派遣している。所属選手は浜中和宏、柴田勝頼、高橋渉、佐藤豪則。


RINGS(リングス)
UWF解散後、1991年に前田日明が旗揚げした格闘技団体。初期には正道会館の佐竹雅昭、角田信朗、ロシアからはヴォルク・ハン、アンドレイ・コピィロフのサンボ勢、オランダからは、クリス・ドールマンの協力により、ロブ・カーマン、ジェラルド・ゴルドー、ディック・フライらが参戦していた。
K−1のピーター・アーツの日本デビューはリングス(キックボクシングルール)である。
UWF時代同様「擬似格闘技」といわれる試合も大会にあったこと、1999年からはルールを大幅に改正した「KOKルール」を採用するも、台頭著しいPRIDEから、アイブル、ヘンダーソン、オーフレイム、ノゲイラなどの中心選手の移籍などもあり、2002年に興業休止となる。


ルタ・リーブリ
ブラジルの総合格闘技の流派のひとつ。グレイシー柔術と対立していることでも有名。1900年代初頭、マスター・タトゥーなる人物によって創始された。
かつては、マルコ・ファス、ウゴ・デュアルチ、ペドロ・オタービオなどが様々なリングで猛威を振るっていた。
グレイシー柔術とのトラブルは、ウゴとヒクソンがストリートファイトを繰り広げたり、柔術の試合会場でグレイシーとルタ・リーブリの選手同士が揉め事を起こしたりなど、その仲はかなり険悪な模様。
ルタ・リーブリは「フリーファイト」という意味だが、語源はメキシコ流プロレスの「ルチャ・リブレ」と同じ。



ワールド・エクストリーム・ケイジファイティング

略称は「WEC」。UFCと同様ズッファLLCが運営する総合格闘技大会。UFCが設置していないフェザー級など軽量級のマッチメイクが主である。UFCより小さめの八角形金網リングを使用した大会である。


和術慧舟會(わじゅつ けいしゅうかい)
「北斗の覇王」の異名をとった、総合格闘家・西良典が興した総合格闘技の流派。現在では行われていないが、胴着を着用した総合格闘技大会「トーナメント・オブ・J」を開催していた。同大会には、イーゲン井上、高阪剛、菊田早苗、郷野聡寛らの総合格闘家のほか、小野武志、アレクサンダー大塚などのプロレスラーも参戦していた。 フリーの格闘家・小路晃、宇野薫、高瀬大樹、プロレスラー・村上一成、も、慧舟會の出身である。




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