トムラウシ(とむらうし)   58座目

(2,141m、 北海道/大雪山系)


旭岳の登りから見たトムラウシ(中央奥の王冠のような山)



旭岳・白雲岳・トムラウシ縦走

旭岳から続く
1997年 7月27日(日)
白雲避難小屋430〜忠別岳〜五色岳〜化雲岳〜ヒサゴ避難小屋(泊)

 3時30分起床。薄明るくなった外のベンチでモーニングコーヒーを飲む。
 今日もいい天気だ。雲一つないさわやかな朝。遠くのトムラウシが朝日に輝いている。隣で食事をしていた横浜から来たという親子3人組は、「トムラウシへ行くんですか……、いいですね……」と盛んに言っていた。この親子は、昨日、層雲狭から登って来て、今日は旭岳を登って帰るというので漬け物や梅干しなどを分けてくれた。

 4時30分発。すっかり明るくなった高根ケ原をめざして出発する。高根ケ原の三笠新道の分岐までくると、三笠新道は「クマが出没するため通行止め」となっていた。クマが出ると思うとゾ−とする。クマには会いたくないものだ。


(高根ケ原から忠別岳方面)

(高根ケ原から大雪山を振り返る)

 この一帯は高山植物が多かった。コマクサもいっぱい咲いていた。それに本土の花と少し違うエゾ何々という、あまり見かけないような花が多かった。

 忠別岳は、すぐ近くに見えながらなかなか着かない。お花畑とハイマツ帯を繰り返しながら、アップダウンを繰り返す。

 忠別岳には「白雲避難小屋へ11、3キロ、ヒサゴ沼まで6、1キロ」と書いてあった。今日は17キロ歩かなくてはならない。あと6キロ。

(写真左は返り見た忠別岳)

 五色岳の手前で、かなりへばってしまったので、Sさんに先に行ってもらうことにした。今日の宿であるヒサゴ避難小屋は管理人がいないので、到着が遅いと寝る場所がなくなってしまうからだ。元気のいいSさんに先に行ってもらって、2人分の寝床を確保するようお願いし、私はのんびりと歩いて行った。

 化雲岳の手前にある化雲平には、雪解け水が流れていた。ゴクゴクと音をたてて飲んでいる人がいたが、私はぬるくなったポリタンの水でガマンした。沢の水が飲めないことがどれほどつらいものかを思い知らされた。それに1日分の水を背負って歩かねばならないのは本当にしんどい。

 化雲平を過ぎる頃から、ガスが湧き出して来た。化雲岳との分岐へ荷物を置いて、カメラだけを持って化雲岳を往復した。往復25分。化雲岳(写真左)は、ハイマツが生えた稜線上に、ポツンと岩を置いたような感じである。実に不思議であり、けったいな山だった。

 晴れていればここからトムラウシが目の前に見えるはずだが、先ほどから湧き出したガスのため何にも見えない。視界は50メートルぐらいだろうか。

 ヒサゴ沼との分岐には、ヒサゴ避難小屋まで40分と書いてあった。ガイドブックには20分と書いてあるのだが……。本当に40分もかかるのだろうか。

 視界が悪く、さっきまで見えた登山者の姿も見えなくなった。雪渓を下っている時、のどかカラカラだったので、たまらず雪をほじくって食べてしまった。そして、食べてしまってから、「あ−あ、私は何でこんなに意志が弱いんだろう・・」と後悔した。

 長い雪渓を下り、沢すじのドロだらけの道を下って、やっとヒサゴ沼の小屋へ着いた。小屋の庭先でSさんがコーヒーをいれて待っていてくれた。本当にうまいコーヒーで有り難かった。

 ヒサゴ沼(写真右)は、四方を高山に囲まれた池で、山の残雪も多く、とても日本の風景とは思えなかった。まるでスイスかカナダあたりの風景でも見ているようだった。ここはまさに日本の秘境中の秘境だと思った。

 小屋の宿泊者は、ほぼ定員の40人ぐらいだった。小屋泊まりの人よりも外のキャンプ場の方が多いようだ。

 我々が外で夕食の準備を始めると、すぐ近くにテントを張ったヘンなパーティ−も夕食の準備を始め出した。このパーティ−は、4、50代の男性が5、6人と、20代の若いお姉さん1人のパーティーだった。そのお姉さんがどうもリーダらしい。どういう組み合わせか分からないが、このオジさん達は福島から来たといい、北海道の山は初めてだという。それに対してお嬢さんはかなり詳しそうなので、ツアーの山岳ガイドかも知れないと思った。

 このパーティ−とは途中で何回か会っていた。化雲岳の手前で、このパーティ−が休んでいる所を通り過ぎようとした時、このお姉さんから「コマクサが咲いていますよ」と声をかけられた。私は、素直に「ありがとう」と言えば良かったものを、疲れていたこともあって、「もういっぱい見て来たからいいや」と言って通り過ぎてしまった。
 その後、水場でも一緒になった。このオジさん達は水をガブガブ飲んでいた。

 そのオジさん達の1人が、500ミリリットルのペットボトルに満タンに入ったウイスキーを持って来て、「タバコ1箱と交換してくれないか」と言って来た。
 私はタバコの余分が無かったので、ウイスキーはいらないとことわって、タバコ3本を恵んでやった。すると、Sさんが「同郷のよしみだ、ゆずってあげよう」と、自分の最後の1箱をゆずってやった。「明日自分が困るだろうに……」と思いながら、彼の人柄を見たような気がした。


7月28日(月)

ヒサゴ避難小屋〜トムラウシ〜トムラウシ温泉(泊)

 今日はいよいよトムラウシへ登る日である。しかし、ここから稜線へ出るのにひと苦労した。池から急斜面の雪渓を一気に登る。雪渓は表面がツルツルに凍ったアイスバーンになっていた。背中の荷物が重いので、もし足を滑らせたら絶対に止まらないと思った。死ぬようなことはないだろうが雪渓を100メートルも滑って池へドボーンだ。

 ストックを2本持っているSさんは身軽に登っていくが、ストックもアイゼンもない私は、時々両手をついて四つん這いになりながら登って行った。

 やっとの思いで稜線へ出た。緊張感が解けたせいか、今日一日のスタミナを全部使い果たしてしまったような疲労を覚える。

 稜線へ出てもトムラウシは見えなかった。この辺は奇妙な形をした岩と小さな池が点在する日本庭園と呼ばれている所である。


(日本庭園を振り返る)

 あの王冠のようなトムラウシはまだ見えない。手前のボッテリした山が前衛のように立ちはだかっているからだ。

 トムラウシの前衛のような高台へやっと着いた。ここはトムラウシを眺める展望台のはずだが、急に流れ出したガスのせいでトムラウシは見えなかった。眼下の北沼が時々ガスの裂け目から見えるだけだった(写真左)。

 先に行ったSさんを待たせては悪いと思いながら、どうしてもここからトムラウシが見たいので、10分ほどガスが切れるのを待った。しかし、いっこうにガスはきれず、あきらめて北沼に向かって下り出した。

 北沼でも10分ほど待ったが、部分的にしか見えず、トムラウシの全景は見えなかった。仕方がないとあきらめてトムラウシの登りにかかった。

 トムラウシを登り出して15分もすると、ガスが時々切れて山頂が見えた。

   トムラウシの山頂は、畳一枚もあるような大きな石が幾つも積み重なっていた。その山頂に12、3人の先客がいた。Sさんは先に下ったようだ。
 晴れていれば正面に十勝岳や美瑛岳が見えるはずだが、遠望は全く利かず、足下の日本庭園が時々見えるだけだった。


(やっとガスが切れた。奥が山頂)

(山頂直下)

 山頂を後にトムラウシ温泉を目指して下った。トムラウシを下りきった所にある南沼キャンプ場で、Sさんがお茶を入れて待っていてくれた。

(写真右は前トム平付近から返り見たトムラウシ)

 ここは、山頂からトムラウシ温泉まで下り5時間のコースである。わずかではあるが登り返しがあってしんどい。

 コマドリ沢では登りの登山者が沢の水をゴクゴク飲んでいた。そして「この水を30年飲んでいる人がいるが、何でもないから大丈夫でしょう」と言った。その誘惑に負けて、私もゴクゴク飲んでしまった。

 下りの途中で、「湧き水がありますよ」と声をかけてくれた人がいた。静岡から来たという人だった。我々はやっとありつけた冷たい水をゴクゴク飲んだ。生水が飲めるということがこんなに有り難いと思ったことはなかった。

 この人はレンタカーで駐車場まで来て、トムラウシを往復して来たという。この人の車に乗せてもらって、トムラウシ温泉へ3時半ごろ着いた。私はメロメロだったので、歩いて来ればあと1時間以上もかかったに違い。

 さっそく生ビールと焼き鳥を買ってきて、車に乗せてもらったお礼とトムラウシ登頂を祝って乾杯した。

 このトムラウシ温泉は三階建てで、露天風呂まであった。ゆっくりと温泉に浸かって山旅の疲れを癒す。

 翌日は十勝岳温泉への移動日だった。中富良野でラベンダーを見てから十勝岳温泉へ向かった。



(中富良野でラベンダー見物)

(ラベンダーとオバさん)

 十勝岳へ続く