ご あ い さ つ 


福田明議員勤続15年表彰祝賀会でのあいさつ
(1999年6月25日)

北茨城市議会議員 福田 明

 私が、最初に選挙にでたのは今から16年前の1983年(昭和58年)の年で、私はその時、まだ弱冠26才で、前の年に結婚をして、妻は3週間後には出産を控えているという時期でした。しかも、出産を控えている妻が、重症筋無力症という難病患者で、当時としてはそうした難病患者が出産をしたという経験がほとんどない状況でしたので、この周辺の病院ではどこでも責任が持てないといわれ、水戸の国立病院で危険ではあるが、「自分のいのちと引換えにしてもいいから」産むという、妻としては重大な決心をしていた時期でした。
 
 ですから、私が党の要請を受けて、突然「立候補する」と、妻に言いましたら、当然、泣いて猛烈に反対されました。勿論、両方の親、兄弟も反対しました。
  しかし、その時期、市議会の中には、前回の選挙で共産党が議席を失っていて、議会の中は「オール与党のなれあい議会」と言われる状況で、「なんとしても革新をつらぬく日本共産党の一議席がほしい」という声が、党の側にも、そして大衆の側にもあり、どうしてもその期待に応えようという想いで、家庭的には大変な困難な時期でしたが先輩の党員の方や支持者の方々に支えられながら立候補し、当選を果たすことができたわけであります。
 
 そして、当選して3週間後に無事子どもが産まれましたが、ちょうど出産の時期と、最初の初議会の時期が重なりまして、出産の前日は徹夜でしたので出産当日、水戸の病院に駆けつけましたが、眠気が襲ってきてどうにもならず、産声をあげた時には、病院のロビーの椅子で眠っていたという失態も演じましたが、今ではいい思い出になっています。それ以来、五回の選挙をたたかわせていただきまして、みなさんの熱いご支援によりまして、連続当選を果たすことができております。この機会に厚く御礼申し上げます。
 
 15年間の議員生活の中には、様々な思い出があります。そして、私の活動の原点は何かと言われれば「働く市民と苦楽を共に」これこそ私の政治信条であります。私は、小さい頃から製材工場で懸命に働く両親の姿を見て育ちました。「こうした人たちこそが幸せになれる社会こそが、本当の社会だ」という思いで活動してきました。議員になりかけの頃、今日お見えになっている日立の大和田正輝(元日立市議)さんから「議会で迷う時があったら、懸命に汗して働く人の顔を想い出せ、そうすれば、間違うことはないよ」と、言われ、その立場で頑張ることができました。
 今後は、鈴木やす子さんの当選で二名になった力をふるに生かして、「住民こそ主人公」の市政を実現するために全力でがんばる決意です。

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