福田 明

主な活動地域磯原町(磯原、本町、豊田、大日本)、中郷町(汐見が丘、下桜井、小野矢指)、華川町(小豆畑、上小津田)、大津町(西、中、東、五浦)、平潟(浜道団地を除く全域)、関本町
事務所地図
略歴 
1956年(昭和31年)磯原町豊田生まれ。日立工業高校卒。48歳。
26歳で市議に当選(補選)。以後6期22年、市民の暮らしを守る先頭に立つ。
現在、北茨城市議会議員(建設委員)、日本共産党茨城北部地区委員長。
詳しいプロフィール
 ひとすじに「住民こそ主人公」つらぬいて


 私の両親は、私が幼い頃から地元の製材工場で共働きでした。母は私を背中に負ぶって木材の皮むきをしたといっています。物心ついた頃の私の遊び場は、いつもこの工場の周りで、休憩時間にはそこで働く人たちのお使いをするのが私の日課でした。そうした中で、懸命に働く人たちの明るさと力強さ、優しさを子どもながらも肌で感じて育ちました。私の「働く市民と苦楽をともに」の信条もこの幼年期に培われたものです。
 中学時代に当時の共産党の参院議員であった春日正一さんの「人民とともに」の本と出会いました。働く人たちが力を合わせれば世の中が変えられる、貧乏や差別のない社会をつくることができる、と知って感動し涙しました。
 高校卒業後、迷うことなく十八才で日本共産党に入党しました。そして働く人たちや弱い立場の人たちのために生涯を捧げようと決意しました。難病で希望を失いかけていた妻とは二十五才の時、「だれにでも幸せになれる権利がある」と、結婚。その一年後の二十六才の時、市議に初当選しました。
 「苦難あるところ日本共産党あり」が立党の精神です。この六期二十二年間、市民の切実な生活相談が寄せられ、解決件数は一千件を超えました。ある相談者がひっきりなしにかかってくる電話に驚き、私に「寝る時間はあるんですか」と真顔で尋ねましたが、何よりも困った人を助けて、生きる希望を持ってもらう事こそ、私の無上の喜びです。
 この不況のもと、「リストラされたが、働き口がない」「入院費が払いきれない」「保険税を滞納して保険証をもらえない」…「何とかしてほしい」等々の相談が多数寄せられています。今こそ私の出番です。ひとすじに「住民こそ主人公」の立場をつらぬいて「市民のいのちと暮らしを守る」ために、がんばる決意です。

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