北茨城市議 福田明
ギンが消え、コロが逝き・・・そして春が来る
我が家には、犬と猫が一匹づついたが、昨年の暮れに猫のギンが姿を消し、今年の二月には犬のコロが亡くなってしまった。猫のギンは12歳、犬のコロは14歳であるから共に長生きした方である。それだけに想いでも多い。
猫のギンは娘が小学二年の時に、十王町の知人からいただいた、黒と白のオス猫である。家に来た時には生後十数日で、玄関へのわずかな高さも降りられず、ミルクをスプーンで飲ませた。猫は元来、飼主の家族の序列を付ける習性があるらしく、それによって自分の付き合い方を決めるらしい。妻と娘の三人家族の私は、猫から見ると残念ながら序列順位は最下位で、しかも猫自身よりも下に写ったらしい。当然、他の家族と私に対する付合いも違ってくる。妻と娘にはおとなしいが、私に対しては足を噛んだり、時には威嚇したりした。そして、決まって夜中の三時過ぎに私の寝床にきて「ニャオー」と鳴き、玄関を開けさせ散歩するのである。特に、冬の寒い時にはまいったが、私がなかなか起きないと、私の顔を前足で撫でるのである。
若いころは、毛並みも黒光りし精悍そうであったが、最近はめっきり衰えて白髪が目立ち、家族に甘えていた。猫は昔から「人に死に顔を見せない」といわれるが、死期を予感したギンは、私達に迷惑をかけまいと、自ら旅立ったのかもしれない。
犬のコロは猫のギンより二年先輩で娘が幼稚園の時に関本町の富士ヶ丘の「赤旗読者」からいただいた。テリアと柴犬の雑種のオスで生後わずかであった。最初の日はさすがにコロも泣き、かわいそうで家に入れてやった。しかし、次の日から亡くなる前日までの14年間は、不器用な私の作った犬小屋で過ごした。
コロとの想い出は多い。なにしろ私の選挙を四回も共にたたかった気がする。朝夕の散歩は私の日課であった。時間はコロには申し訳ないが10分程度で短かった。しかし、雨だろうと、会議で疲れて帰ってきた夜中だろうとコロの散歩を欠かさなかった。勿論、自分の選挙中でも行った。朝、散歩中に他候補の宣伝カーの音が聞こえると、さすがにあせったが、それでもコロの散歩をやった。遊説から帰った夜はタスキをかけながら散歩した。無我夢中で頑張る支持者にとっては、「何を考えているのか」と、歯がゆい限りだろうが、今になっては私の自慢話の一つである。
散歩コースは大北川の土手である。コロとの14年間、この土手を何回歩いただろう。悲しい時、コロと共に何回、夕陽を見ながら泣いただろうか。そして、土手の雑草を見ながら季節感と生命力のつよさを幾度となく感じたと思う。
人生を共に歩んだコロもギンも、もういない。妻や娘にとっては、私以上に想い出が多いと思う。
しかし、市内でもすでに梅がほころびはじめ、四月には桜も咲き誇るであろう。「ギンが消え、コロが逝き・・そして春が確かな足どりでやって来る。」
(2002年2月10日記)