海上詳細調査阻止行動
2005年6月20日〜23日
詳細調査について/抗議・意見表明のお願い
阻止行動の記録 6月20日/21日/22日/23日/24日以降
上関町におけるボーリング調査と許可漁業・自由漁業の法律関係について
抗議、意見表明のお願い 今回の件で祝島漁協の行動の賛否に関わらずご意見等ある方は、ぜひ下記連絡先にメールやFAXを送ってみてください より多くの場でさまざまな意見が交わされ表明されることが、問題解決の一助になることと思います (リンク先は穂田様の掲示板への書き込みを参考にさせていただきました)
カンパのお願い
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祝島漁協では6/8の臨時総会で、中国電力が海上での詳細調査を強行に実施しようとした場合、阻止・抗議行動をとることを決議しています。 祝島漁協では陸上ボーリングのときのような抜き打ちの調査開始をさせないため、早朝から漁船約50隻でボーリング用の台船が置かれている上関町の白井田地区沖に向かい、警戒に当たりました。
その後、中電から作業の開始は21日の午前9時半から行うとの発表があり、午前中は動きもなかったため、一度田ノ浦に寄って現地の様子を確認した後、明日に備えて昼前に引き上げました。
帰島後、昼過ぎに中電が作業準備を開始しようとしているという情報が入り、再び抗議のためにいっせいに出港していきました。
どうやら中電は移動に備えて台船のアンカー(錨)をはずしていたようで、祝島の船が白井田に向かったためすぐに引き上げました。本格的な作業は明日から始まるとのことで、祝島の船は10隻ほどこのまま残って翌日早朝まで警戒にあたることになりました。
残った船は船上で夕食をとりながら明日に備えます。 |
06/21
ついに中電が発表した海上詳細調査の作業開始日になりました。白井田の朝の海は、波もなく穏やかです。 祝島の漁船は、前日に泊り込んだ船に加えて朝4時半には島から応援の船が駆けつけ、約50隻の漁船が台船の沖側を遮る形で並び、中電の作業船に備えました。 陸から阻止行動を応援するために、朝、島を出た船には応援の島の人たちも乗ってきて、白井田の港に降りました。早朝から島を出たため、中電の作業船が来るまでは影に入ってゆっくり体を休めます。
前日から上関に来ていたシーカヤッカーもやってきました。彼らの中に上関周辺をフィールドにしている人もいて、祝島が海上詳細調査への阻止行動を行うことを聞き、何か協力できることはないかと阻止行動に協力を申し入れてくれました。今回来てくれたシーカヤッカーの中には兵庫県のほうから駆けつけてくれた方も。 シーカヤックやヨットは、ジェットスキーやプレジャーボートなどとは違い騒音を出さず漁の邪魔もせず、なにより乗る人のマナーもよく、地元の漁業者と共存できる関係を築きあげることができます。そのため祝島では漁協を含め、島全体でシーカヤックなどの受け入れには協力的な姿勢を持っています。
6時半過ぎには海上保安部の船が白井田沖にやってきました。通常この海域を担当している船だけでなく愛媛や大分などの周辺海域からも船がやってきており、大小合わせて16〜7隻の船が台船や祝島の漁船ををやや遠巻きにするように警備にあたっていました。
9時ごろ、中電の作業船団が沖に姿を現し、現場には緊張感が漂い始めました。 また、現場には祝島の島民だけでなく、3団体(原発に反対する上関町民の会、原水爆禁止山口県民会議、原発いらん!山口ネットワーク)や長島の自然を守る会、ニュースを聞いた近隣市町の人たちなど合計200名以上の人たちが集まり、海上の台船周辺を見下ろす場所などから事態を見守り始めました。 作業船が近づいてくるにつれ、マスコミ各社や警備の警察官なども集まり、だんだん物々しい雰囲気になってきました。
祝島の漁師たちも、近づく中電の作業船団をじっと見守ります。
中電の作業船団がついに台船を囲む祝島の漁船近くまでやってきました。作業船団は、台船を曳く曳船が2隻、人が多く乗られる作業船が2隻、そして祝島漁協を除く、組合員の多くが漁業補償金を受け取っている近辺の7漁協から出された警戒船が約10隻と、マスコミが報道船として乗っている船を含めれば、それほど広くないこの場所に80隻以上もの船がひしめき合う状況になり、現場の緊張感はいやがうえにも高まってきました。 まず中電の職員が乗る作業船が近づいてきて、作業開始の宣言と、台船周辺から移動するよう祝島の漁船に通告してきました。
当然、祝島の漁船は拒否します。すると、曳船や作業船が船の列に向かってゆっくりとですが突っ込んで来ました。並んでいる漁船はそれぞれを綱でつないであるので動けませんが、つないでいない船が曳船や作業船の前を遮り、近づかないようにけん制します。 前を遮られた作業船は何とか近づこうとしますが、祝島の船も近づけさせません。膠着すると、作業船は向きを変えて一度引き返し、しばらくしてまた突っ込んできます。
陸のほうでは3団体を中心に応援に駆けつけた人たちが、中電の作業船が近づくたびに「中電は近づくな!」、「中電は帰れ!」、「祝島がんばれ!」と声をそろえて応援しました。この声は、船の上からよく聞こえたそうです。
曳船の阻止にはシーカヤックも大活躍しました。もともと曳船はパワーはあってもスピードはそれほど出ません。海の上で自由自在に動くシーカヤックが鼻先ギリギリまで近づけて前をふさぐので、曳船はまったく近づくことができませんでした。 シーカヤックの機動性に、陸から見ていた人たちからは歓声が飛び、船上の漁師は「シーカヤックゆーのは便利なもんじゃのう」と感心していました。
11時過ぎには小中進山口県議をはじめとした議員団を乗せた船が、沖合いの中電上関調査事務所の和森康修副所長らが乗り込む作業船に近づき、船上から作業の中止を求める申し入れを行いましたが、何を言っても「安全を確保するために調査をやらせてほしい」としか答えない和森副所長とのやり取りはかみ合わず、不調に終わりました。 その後、中電の作業船は何度か近づいては祝島の船やシーカヤックに阻まれて引き返す行動を繰り返し、6度目の接近に失敗した後の午後3時10分過ぎ、時間的に田ノ浦まで台船を曳航するのが難しくなったとして、この日の作業中止を宣言し、退去していきました。 祝島の漁船は中電の作業船が完全に引き上げたのを確認した後、白井田の港で陸に来ていた人たちと簡単な集会を開いて翌日も阻止行動を行うことを宣言し、島の人たちを乗せ島に帰っていきました。 |
06/22
祝島の漁船は、22日も陸上で応援する人たちを乗せて朝4時過ぎから島を出て白井田に向かいました。この日は島で葬儀があったのですが、それを押して参加した人もいました。
そして日が昇る前に漁船は再び台船前に集合し、台船の前をふさぎ、囲むような形で船同士を繋いで一列に並べました。
海上保安部も昨日と同様、6時半に現場にやってきました。この日は海上保安官が祝島の漁船に乗り込んできて、普段はしない検査をいきなり始めました。 装備や備品、免状などがチェックされたようで、漁師の一人によると「わしらが投げる思ったんじゃろう、重たいのに釣りのオモリを全部イケマ(生簀)にしまえ言われて、せんなかったで。なんぼ投げようど、もったいなあのに(笑)」 陸には祝島の島民に加えてこの日も3団体近隣市町の人たちなどが集まっていましたが、これを見て、「島でちゃんと検査を受けちょるのに、なんで今頃そんなのをせんにゃあいけんのか」、「祝島の船を調べるんなら中電や推進(派)の船もちゃんと調べんといけんで」といった声が飛びました。
この日も中電の作業船団は9時ごろに白井田沖に姿を現し、台船前に並んだ祝島の漁船と対峙しました。心なしか、昨日よりも距離が近いように感じます。
着いて早々に作業船団は突っ込んできました。この日はシーカヤックは来れず、祝島の漁船だけで近づく作業船を遮りました。その代わり、元気な島のおばちゃんたちの中でも、特に口が元気なおばちゃんたちがいっしょに船に乗り込みました。 中電の職員が乗る作業船が近づくたびに「海は売らんよ!」、「調査なんかさしゃあせん(させないぞ)!」、「はよう帰りんさい!」と叫びます。 中電「作業を開始します!」 島のおばちゃん「せんでいい!」 中電「移動してください!」 島のおばちゃん「しません!」 中電「危ないです!」 島のおばちゃん「危ないんなら、あんたらあのほうが、はよう(早く)帰りんさい!」
しかしこの日は中電も昨日より強引に接近を図り、祝島の漁船の列の目前までやってきました。祝島の漁船と中電の作業船、警戒船が船先がぶつかりそうになるほど近づき、昨日異常に現場は緊迫します。
その状況で、中電はひたすら作業の開始と台船前からの退避の通告を繰り返します。祝島の漁船は当然、受け入れません。
現場の上空にはヘリが飛び、マスコミを載せた船は何隻も現場海上を走り回り、その騒音が緊迫した空気に拍車をかけます。
そんな空気の中、組合員の多くが中電から漁業補償を受け取っている7漁協(上関、四代、室津、光、平生、田布施の各漁協)の組合長がなぜか現場にやってきました。はじめは現場を遠巻きに見ていたのが、近づいてきて最後には台船前まで来て船を止め、祝島の漁船と中電の作業船の様子を見物していました。 組合長の中には陸にいる人たちに向かって挑発するようなものもおり、島の人の中には「あいつらが銭が欲しゅうて海を中電に売ったせいでわしらがこんなに困っちょるのに、こんなときに遊びに来やがって。腹わたが煮え繰り返るわ!」と、怒りで体を震わせる人もいました。 後の中電の発表によると、この組合長たちは「同じ漁師として祝島の漁業者を説得する」という理由でやって来たとのことです。
中電の作業船団のうち、警戒船は上の7漁協から中電に雇われた漁船が出ています。ちなみに日当は1隻あたり4万円で、中電は警戒船のための予算として5000万円を準備していると以前発表しました。 作業船と祝島の漁船が目前でお互いの目前でにらみ合う中、その警戒船が漁船の列に突っ込んできました。ぶつかってもかまわないと言わんばかりの強引さで、祝島の漁師は手やデッキブラシで警戒船を押し返してぶつからないようにしなければなりませんでした。 そして祝島の漁船ほぼ舷側を接するほど近付いた警戒船に乗っていた中電社員は、祝島の漁師とはそれこそ手を伸ばせば届きそうなほどの距離しかないにもかかわらず、ハンドマイクを使って台船前からどくよう「要請」を何度も繰り返しました。
この警戒船の危険な行為は陸上から見ていてもはっきりとわかり、陸からの応援に駆けつけた人たち、特に船を出している漁師の奥さんたちは息を呑みました。その後すぐに陸上からは「危ないことをするな!」、「同じ漁師じゃろうが!何を考えちょるんじゃ!」、「中電はさっさと帰れ!」といった声が沸きあがりました。
この騒ぎの中、午前11時過ぎについに中電の警戒船が祝島の漁船の列を回り込んで台船に近付いてきました。
片方の台船への乗船は阻止しましたが、もう片方の台船には作業員が乗船してしまいました。次に曳船も近付いてきたため、祝島の漁船のうち何隻かがれ列から離れて動き出し、それに海上保安部の船やマスコミの船などが入り乱れ、現場は一気に混乱状態になってしまいました。
曳船が台船に接舷したため、祝島の船も曳船を動かさせないために接舷して船同士を綱で結ぼうとしましたが、作業員もさせようとしません。一方で、船に乗っていた島のおばちゃんたちが台船の上にあがろうとして作業員に止められたりもしました。騒ぎの収集を図ろうと、海上保安部のボートが間に入ってきて曳船と祝島の船を離そうとするなどもしました。
その混乱の中、隙をみて祝島の漁師が台船に上りました。まず最初に上ったのが祝島漁協の山戸貞夫組合長で、台船の上の作業員も阻止しきれませんでした。そして次に上ったのが島でただ一人の女性の正組合員の漁師(62歳)。作業員に足をつかまれるなどしましたが振り払って上りきりました。
その後、2人が台船に上り、結局台船の上には4人の祝島の人間が上りました。また、台船は台の部分を海面まで下ろさないと動かせないので、それを防ぐために小さめの漁船が何隻か台船の下にもぐりこみました。
4人の後に続こうとした漁師はさすがに中電の警備員などに止められ上ることはできませんでした。その後、曳船に海上保安官が多数乗り移ったため動きがとれず、現場はこう着状態になりました。
台船上の4人にはしばらく中電の社員による「説得」が続きました。台船の上では概ね次のようなやり取りがあったそうです。 中電「降りてください!」 祝島「わしら祝島のもんは23年も必死でやってきたんじゃ。それをわかっちょるんか?」 中電「そんな昔のことは知らない。とにかく降りてください!」 祝島「中電の職員が知らんですむか。そんなんで祝島の気持ちがわかるわけないじゃろう。勉強してから来い!」 とにかく中電は「降りてください」の一点張りだったそうです。もちろん祝島の人間は応じません。 また、業を煮やした中電の社員が、 「海は誰のものでもない!」(だから祝島の漁師にも反対する権利はない、と言いたかったのでしょう) と言ってきたので、 「ああ、そうじゃ。誰のものでもないから、わしら祝島の漁師は海で魚を獲らせてもらう代わりに、海を大事に守ってきたんじゃ。金さえ出せば自分のもんじゃと勘違いして勝手に海を壊そうとしちょるのはおまえら中電じゃないか!」 と返すとその社員は何も言い返せなかったそうです。 台船の上にいた人たちによると特にひどかったのがMという中電の社員だそうで、上関町での23年以上も続いている原発への賛否を巡る争いの経緯について、当の中電社員であるにもかかわらず平然と「知らない」と言い、漁業補償契約に同意したことは一度もなく、勝手に振り込まれてきた5億円以上の漁業補償金の受け取りも拒否している祝島の漁師に「あんたらに漁業権はないんだ!」と言い放つなどしたそうです。そんな人間を現場に来させるということは、中電は最初から「説得」なんてする気はないんだな、と感じた人もいたそうです。 また、台船の上に上った女性の漁師は和森副所長に、 「おばあちゃん、危ないから台船から降りてください」 と言われ、ますます降りる気をなくしたそうです。後で話を聞いたら、 「あれじゃね、中電は女の扱い方を知らんね。ああいうときは80のしわしわのばあさんにでも、 『お嬢さん』とか言うもんよ」 と笑っていました。
上のような中電の「説得」を祝島の漁師が受け入れるわけもなく、それからこう着状態が長く続いたため上関周辺の市町の議員で作る議員団が中電に申し入れを行いました。
議員団の代表として、小中進県議が 「この混乱は、地元の了解を十分得られないうちに作業を強行しようとした中電の責任であり、しかも7漁協の組合長をこの場に呼んで挑発的な行為を行わせるなど、誠意に欠ける。話し合うためにも、一旦作業の中止を。」 と、当面の作業の中止を中電側に求めました。 しかし上関立地事務所の和森副所長(現在は所長)の返答は、 「安全を確保するためにも詳細調査をしたい。祝島の漁師はぜひ理解していただきたい。7漁協の組合長については中国電力は関与していないが、同じ漁業者として祝島の漁業者を説得しにきたと聞いている。」 というものでした。
その後もしばらく話し合いを続けましたが、平行線で終わりました。
こういった状況の中で祝島側は長期戦を想定していました。海の上の漁師も陸の上の人たちも、無理に日向に出ずなるべく影にいて体力の消耗を避けたり、まめに水分を補給し、食事も島で炊き出しをしてそれを船で運ぶ準備をしました。台船の上の4人にも差し入れを送るなどして、こうなった以上は腰を据えてやる覚悟を固めました。
結局日が暮れそうになってもこの状況は変わらず、中電は午後6時過ぎにこの日の作業の中止を発表、しかし台船上に祝島の4名がいるため、警備のために作業員と警備員は台船上に残していくと宣言しました。 祝島側としても中電が作業員や警備員を台船上に残していくなら台船から降りることはできないので、台船上で一夜を過ごすことを決めました。漁船も台船前に停泊したまま一晩を過ごすことにしました。 午後6時半、中電の作業船は曳船を残し、警戒船や7漁協の組合長の乗った船とともに帰って行きました。驚いたのは中電の社員が誰も現場に残らず、全員帰ってしまったことです。 台船上は祝島の人間だけでなく、中電が作業員や警備員も残したために緊迫した状況が続く中にもかかわらず、翌朝まで中電側の責任者が現場に一人もいないという状況となってしまいました。これに対しては、さすがに反対派だけでなく他の関係者からも中電の対応を疑う声が聞かれました。 その後、陸の応援隊も7時過ぎには大多数が引き上げ、海上の漁船も、大型船はともかく小型船で一晩を海上で過ごすのは辛いので、状況を見て小型船のみ11時ごろに一旦帰島しました。 |
06/23
3日目の朝。 昨晩、多くの祝島の漁船は台船前で一夜を過ごしました。台船上の4人も、もちろん一晩中台船の上。「人道上の配慮」から食べ物や飲み物などは警備員などを経由して渡すことはできましたが、この季節はいくら昼間は暑くても夜はそれなりに気温は下がります。ましてや現場は海の上。中電の警備員や作業員と違って交代などできない漁船の漁師、台船上の4人にとっては厳しい環境でした。 結局、22日の夜から23日の早朝にかけて強制排除などは行われませんでした。体調面を考慮して昨晩遅くに一度島に戻った漁船も、朝4時半には島の人たちを乗せてまた現場に戻ってきました。 実は前日に以前祝島漁協の役員をしていた漁師さんが亡くなっており、この日はその葬儀が行われることになっていました。今回の阻止行動に参加している漁師の多くは、本来ならその葬儀に参列しなければなりません。しかし今回の騒動、そして喪主の息子さん(この人も祝島で漁師をしています)の意向もあり、祝島の漁師としては、中電が詳細調査を強行しようとする以上は阻止行動を優先することにしました。
陸上の応援は、この日も3団体を中心として7時ごろ現場に駆けつけました。 スピードの遅い曳船はすでに前日に台船に横付けしたこともあって、中電は前日、前々日よりも早い時間に現場海上に。海上保安部の船はこれまでどおり6時半過ぎに現場に到着しており、まずは祝島の漁船のチェックを開始しました。 昨日は祝島の漁船のみが検査の対象となったため、「島でちゃんと検査を受けちょるのに、なんで今頃そんなのをせんにゃあいけんのか」、「祝島の船を調べるんなら中電や推進(派)の船もちゃんと調べんといけんで」といった声が陸から飛びましたが、さすがにこの日は中電の作業船や警戒船のチェックも沖合いで行われていました。
台船に横付けされた曳船は、当初は海上保安官が10人以上で警備をして祝島の漁師が台船上に行き来できない状況でしたが、船の検査の終了後、中電の社員や警備員を乗せた作業船が曳船に横付けし、中電社員らが曳船に乗り移ってきました。
まず、中電側は曳船の上から台船上の4人に向かって拡声器を使い「説得」を始めました。説得といっても「降りてください」を繰り返すだけです。上関立地事務所の和森副所長(現在は所長)は幾度か「冷静に、話し合いましょう!」と呼びかけてきましたが、祝島漁協の山戸組合長は台船の上から「23年間も祝島の事を無視し続けておいて、こういう事態になって初めて『話し合いを』と言われて、『はい、そうですか』と言える訳がないでしょう。私たちはそちらが調査を中止するまで台船からは降りません。」と答えを返しました。 今回の阻止行動についても中電の広報は「冷静な話し合いなら応じる」などといったコメントを出していますが、そもそも中国電力はこの23年間は言うに及ばず、今回の詳細調査についても地元に根強い反対の声があることをわかっていながら「話し合い」の場を設けることなどを一切していません。 中電が詳細調査開始前に町内各地で行ったとする詳細調査の説明会に出席することができたのは、町内推進団体の関係者のみ。また、今回の海上での詳細調査は漁業権の関係から祝島漁協にも共同漁業権管理委員会を通して調査開始の前日に通知せざるを得ませんでしたが、4月に始めた陸上の詳細調査の場合などは調査開始を通知したのは県や上関町長に対してだけ、それも調査開始当日の午前7時前という常識では考えられない時間で、結局上関町の住民全体に対する詳細調査についての説明は未だに行っていません。 また、以前、通産省が上関町内で第一次公開ヒアリングを開催したときにも、通産省の担当役人が地元住民の抗議行動の激しさ・参加人数の多さに驚きを隠せず、中電が地元の反対の声を過小に国に伝えていたことが明らかになったことなどもありました。 そもそも祝島漁協は原発問題が持ち上がった当初から原発建設に反対しており、中電が漁業補償金の半額として支払った5億円の受け取りも拒否し、共107号管理委員会が勝手に結んだ漁業補償契約は無効であることを訴え訴訟を行っています。(中電・管理委員会側も返却を拒んだため、5億円は供託金として法務省の預かりとなっています) この裁判はすでに4年近く続いており近く地裁で結審する予定です。祝島漁協や地元の反対派としては、せめて地裁の判決が出るまでは漁場破壊を伴う詳細調査を行うべきではないと中電に申し入れを幾度も繰り返してきました。しかし中電は木で鼻をくくったような対応を繰り返すばかりで、結局調査を強行してきました。 こういった経緯がこれまでにあり、その中での今回のような状況で「話し合いを」という中電からの呼びかけに、祝島の漁師は誠意や説得力といったものを全く感じ得ませんでした。
断続的な「説得」を続けながらも一方で中電は周辺の祝島の漁船を押しのけるようにしながら排除を続け、しばらくすると台船の周りはほとんど中電の作業船、警戒船ばかりになってしまいました。
台船にはしごは1つしかついていません。それを最初に上がってきたのは、警備員(服装が上:青、下:濃紺)でした。台船上の漁師は、はしごの上に陣取り上がらせません。しばらくにらみ合った後、警備員は降りていきましたが、次に中電の社員(服が上下:緑)が上がってきました。
陸からはこの日も島の人たちや3団体をはじめとした応援団が駆けつけ海上へ声を飛ばしていますが、さすがに炎天下の中での3日目ともなると高齢者も多い島の人たちの中には陰に入ったり座り込んだりする人も多くいました。声も初日に比べ小さくなってしまっています。しかし、視線だけは現場の海上からはずしません。
上ろうとした中電社員も、諦めて降りました。しかしすぐに次の社員がはしごを上ってきます。
下から上ってくる中電社員は止めますが、もちろん台船の上にいる警備員や作業員が交代することに関しては邪魔をしません。交代が終わった後は再びはしごの上に戻ります。
中電社員が台船に上ろうと三度はしごを上ってきました。今度は多少強引に、はしごの上の漁師と体が重なるまで上ってきましたが台船上に上がることはできませんでした。
この日の攻防が始まってから2時間以上が経過し、昼が近くなってきました。幸いにも、と言うべきかどうかは分かりませんが、3日目のこの日も海は波もほとんどなく穏やかな様子です。しかしこの頃には台船の周りは中電の作業船と警戒船で固められ、 「そろそろ動く」という雰囲気が漂い出したのが陸にいる人たちにもはっきり分かりました。 昨日の昼からほぼ丸一日にわたって台船の上にいる4人を見兼ねて祝島の漁師も幾度か台船に近づこうとしますが、中電の警備員に止められてしまいます。
中電が台船上にいる4人に対して「不法占拠はやめなさい!」と繰り返すことに対し、陸からは「海を不法占拠しているのは中電じゃないか!」、「祝島はお前らの補償金なんか受け取っちょらんぞ!」という声が飛び始めました。 そして島のじいちゃんの一人が「海はうっちゃあおらんぞ!」(海は売ってないぞ!)と叫びだしたのを皮切りに、いっせいに「祝島は海を売ってないぞ!」の声が続き、海上に響き渡りました。
陸から「祝島は海を売ってないぞ!」のコールが繰り返される中、11時半頃、また中電社員がはしごを上ってきました。今度ははしごの上の漁師の足を掴むなどして今まで異常に強引に上ろうとしてきます。そして後から警備員も加わり、ついに力づくでの強行突破を図ってきました。
はしごの上での中電の強行突破を防いでいる中、別の場所にはしごがかけられそこから中電社員が上がってきました。それに気づいた漁師のおばちゃんが体をはって止めようとしましたが、警備員たちに3人がかりで押さえつけられてしまいます。そこから警備員が何人も上がってきたため初めのはしごのほうも防ぎきれなくなり、台船の上には中電社員や作業員、警備員が大勢上がってきました。 2人は警備員に押さえつけられてしまいましたが、残りの二人、まず山戸組合長が強制排除されないよう台船の柱の上に上りました。
そして上関町の町会議員でもある清水町議は、台船のやぐらに登りました。やぐらの高さは15mで、一度警備員に足を掴まれそうになりましたが振り切り、台船上のほとんどの人間があっけにとられる中、するするとやぐらの天辺まで登ってしまいました。 この2人のとっさの行動に、陸では大きな喝采と、それと同じほどの2人を心配するため息やささやきが飛び交いました。
この様子を見て海上保安官も台船上に上ってきました。山戸組合長は柱から海に落ちないように綱でくくられ、清水町議にはヘルメットなどが渡され、やぐらの周りには万が一のときのために毛布が敷かれます。
そして今度は海上保安官が2人に向かって説得を始めました。2人は「中電が台船から降りればこちらも降りる」と伝えますが、中電は受け入れを渋り、そのまま対峙が続きます。 きつい日差しの中、時間もちょうど真昼。後で本人たちから聞いたところでは、「確かに暑かったが、けっこう平気だった」とのことでしたが、陸にいる人たちにはやけに長い時間に感じられました。
午後1時、台船から中電側の人間が全て降りることと、この日の作業を中止する事が海上保安官から伝えられたため、2人はそれぞれ台船の柱、やぐらから降りました。
順番に台船から降りていく4人の姿を見て、陸から見守っていた人たちの間にも、ほっとした空気が流れました。
一時、中電の作業員がなかなか降りようとしなかったため山戸組合長も台船から降りない場面もありましたが、最終的には双方の関係者全員が台船から降りました。 台船周辺を封鎖していた祝島の漁船も封鎖を解き、近くの白井田港へ入っていきます。そして中電の作業船も、順次台船から離れていきました。
白井田港では祝島の漁師や陸の応援に駆けつけてきた人たちで集会を開き、まず陸からではわかりにくかった台船の上での経緯や中電とのやりとりなどが報告されました。 次いで、中電が作業開始期間と予定していたこの3日間、調査開始を完全に阻止したことや、これまで全国的に取り上げられることが少なかった上関原発問題がマスコミ等を通じて全国に報道されたことを成果とし、今回の阻止行動の参加者、特に祝島には高齢者が多いため気力はともかく体力的に限界が近く、今回の阻止行動はこの日で終えることが報告されました。 そして最後に、祝島漁協としてはこれまでの漁業補償契約無効確認訴訟に加えて詳細調査差し止めの仮処分申請を行うなど司法の場でも闘っていくと同時に、これからは祝島側の土俵で阻止行動を断続的に、粘り強く行っていくことを報告しました。
比較的高齢者が多かった陸で応援を続けた島の人たちはもちろん、22日から船に乗り、船上に泊り込んで、中電の社員たちに詳細調査に反対する祝島の想いを訴え続けたおばちゃんたちも疲れは隠せません。3日間の阻止行動を成功させた喜びから笑顔を見せますが、少し日に焼けた顔には時折の疲れがのぞき、笑う声も少しかすれています。 疲れているのは漁師たちも同じです。人によってはすでに2晩を海上で過ごした人もおり、若手はともかく、70代、80代の漁師の中には疲労を隠せない人もいます。同時に、特に漁師の人たちの中には阻止行動を3日間やりとげた喜びよりも、詳細調査を、原発計画を永遠にストップさせることのできない悔しさを、長年の漁師生活でこれ以上焼けないというほど潮で赤く焼けた顔に滲ませる人もいました。 ただ、島での生活を守るための原発反対運動で島での生活の基盤を完全に壊してしまっては元も子もありません。特に高齢者の健康面には留意しつつ、自分たちがやれることをとにかく粘り強く、中電が諦めるまでやり続けていくのが祝島のやり方です。
集会後、島に帰るために船に乗るおばちゃんたちを取材のカメラが追います。「反対派が3日間、詳細調査を阻止した」と見るか、「中電が4日目から詳細調査を始める」と見るかは人によって違いますが、全国に報道されることでこの上関の原発問題が多くの人の目に触れる機会を得たことは、決してマイナスにはならないはずです。 船に乗るお年寄りを手伝っているのは台船の上に泊り込んだ紅一点、あの漁師の『お嬢さん』(※参照)。船が出る前にテレビのカメラに向かってこう言いました。 「まーだまだ。これからいね」(これからだよ)
中電の作業船はすでに引き上げ、海上保安部の船も沖合いに出て、台船の周りに船影は見えません。その台船を背にして島に帰っていく漁船の中からおばちゃんたちが岸に残った人たちに向かって手を振ります。 最後は笑顔で終えるのも、祝島のやり方です。 |
上関町におけるボーリング調査と許可漁業・自由漁業の法律関係について
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漁業権に詳しく、沖縄県石垣島白保や熊本県の川辺川ダム問題、大分県の大入島の埋め立て問題にもかかわった熊本一規先生から、
今回の件について法律的な観点からの見解を示していただきました
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