荒廃した村営牧場跡と噴煙の様子を描いています。西暦2000年の噴火による降灰とその後の長期間にわたる二酸化硫黄ガスの噴出によって高標高部の樹林の多くは立ち枯れました。絵の風景は2008年の冬季であり、樹木の立ち枯れに加えて冬枯れの草木あるいはむき出しの火山灰土などによって全体が薄茶色~褐色の荒涼とした風景を呈しています。
樹木の立ち枯れの様子を描いています。2000年に噴火が始まりましたが、2003年から2005年にかけて多数の立ち枯れ木が発生しました。この現象は主に長期にわたる多量の二酸化硫黄の噴出と葉を食害する昆虫の大量発生に起因していると考えられています。枯れ木と落葉の発生により地表に日光が届くことになり、二酸化硫黄や土壌の酸性化に耐性のあるハチジョウススキ(海岸などに生え、普通のススキよりも大型)は噴火前よりも勢いを増したとされています。
八丈島-東京間フェリーは八丈島を出港して御蔵島と三宅島を経由して東京に向かいます。絵は三宅島錆ヶ浜のフェリー埠頭から東京に向けて出港するフェリーを描いています。画面右側の岩塔・岩礁群は三本岳(大野原島 絵4も参照)で、錆ヶ浜港(阿古港)の西方約9kmに位置しています。
三宅島より眺めた三本岳に沈む夕日で、イルカとヨットを加えて描きました。三本岳は釣りやダイビングのポイントですが、特にダイビングは潮流にも対応できる上級者向けのようです。三本岳という名称は大小9個の岩塔や岩礁からなる大野原島の俗称であり、子安根・蝦根・大根の3つの岩塔が三宅島から見えることに由来します。絵の右側の大きく見える先の尖った岩塔が子安根で標高は116mあります。
三宅島は東京から南下すること約180kmに位置する標高775mの火山島で、伊豆大島から孀婦岩(そうふがん)に至る南に連なる火山島(伊豆諸島:東京都)の一つです。海面上に現れた三宅島は直径約8kmのほぼ円形の火山島ですが、海底部分を含めた火山体は水深300~700m付近から立ちあがっており、その形状は北側斜面が長く伸びた円錐台状で長径は25km程度です。三宅島の西側の山体斜面は水深300m程度以下まで低下した後に三本岳に向かって海面まで再び高まるのに対し、東側は水深700m程度の海底まで落ち込んでいます。
2000年の噴火前は三宅島の中央部に標高約700mの八丁平(はっちょうだいら)カルデラがあり、その中央火口丘である雄山(おやま)が標高813.3mの最高峰でしたが、2000年の噴火で八丁平カルデラ部が中央火口丘もろともに陥没して新しい八丁平カルデラ(陥没カルデラ)が形成されました。現在の最高峰はルデラ壁の775mであり、噴煙はカルデラの南寄りの火口底から上がっています。
八丁平カルデラの外側の北西部にはこれを取り巻くように標高約350mの桑木平(くわのきだいら)カルデラ(旧カルデラ)が分布し、このカルデラ内には絵1に描いたように村営牧場跡があります。
過去の噴火の特徴としては中心噴火のほかに放射状の山腹割れ目噴火も頻発したため、スコリア列丘*や小火口列あるいはマール**などが多数存在しています。
スコリア列丘*:玄武岩質のマグマが吹き上げられ飛散冷却してできた多孔質の岩塊(岩宰、スコリア)が割れ目に沿って線状に積もった丘。
マール**:マグマ水蒸気爆発によって生じた爆裂火口であり、大路池(たいろいけ)は古澪(ふるみお)マール内の一部が池となっている例です。
伊豆諸島のうち伊豆大島と三宅島は最近数百年では最も頻繁に噴火を繰り返している火山で、玄武岩~安山岩質の噴出物を噴出しています。
三宅島の噴出物の調査によれば、7,000年前の玄武岩質溶岩や火砕岩類より成る噴出物が北部や北西部の海食崖などに分布していることから、桑木平カルデラを含む山体の大部分は約1万年前には形成されていたのではないかと考えられています。
2,500年前には大規模な八丁平噴火が発生して八丁平カルデラが形成されました。12世紀半ばまではカルデラ内の中央火口丘に相当する雄山が成長しました。15世紀以降は山頂噴火を伴うものもありましたが、スコリアを噴出する山腹割れ目噴火を主とする活動様式に変わり、近過去500年間は平均22年間隔で噴火を繰り返してきました。
ところが、西暦2000年の噴火はこれまでに知られている三宅島の活動とは異なった特異なもので、三宅島に限らずこれまでの島弧における火山の噴火活動に関する理解を超えたものになりました。新しい八丁平カルデラは深いマグマ溜りからマグマが北西の地下に割れ目を作って脱出したために形成された陥没カルデラであり、(旧)八丁平カルデラに重なるような範囲(直径1.6km)がカルデラ内の中央火口丘もろともにマグマ溜に吸い込まれるようにして陥没しました。この噴火ではカルデラが形成されながら噴出物は陥没量に比べて極めて少量であったことが特徴です。さらに二酸化硫黄の大量放出も特異でした。二酸化硫黄を主とする火山ガスの放出は2000年8月下旬以降次第に増加し、9月~10月は1日当たり2~5万トン程度と世界の活動的な火山と比較しても非常に高い値が観測されました。その後は順次減少していきますが、数年に亘る長期的な放出により、生態系に大きな影響を及ぼしました。
泥流の発生や火山ガスの放出および低温火砕流の発生という事態に対し、三宅村は島外避難指示を発令し、島民は2000年9月2~4日の3日間で一部の警戒要員を残して全員島外避難しました。
2004年12月 に「三宅村火山ガスに対する安全確保に関する条例」が村議会で可決・2005年2月1日に施行され、避難指示が解除されることによって4年5ヶ月間にわたる全島避難が終了しました。 以下、2000年6月の気象庁の火山情報の発表から全島避難終了までを列記します。
以後、現地対策本部を洋上の大型客船に移設、次いで神津島に移設、その後2001年9月に脱硫装置付き事務所と宿舎を備えた三宅島の三宅支庁に移設しながら、火山ガス等の観測および諸施設の改修や新設作業を実施
参考資料
・上條隆志 川越みなみ 宮本雅人 2011 三宅島2000年噴火後の植生変化 日本生態学会誌61 157-165
・石原肇 2006 2000年三宅火山ガス災害 -対策の変遷- 地学雑誌 115(2) 172-192
・津久井雅志 新堀賢志 川辺禎久 鈴木裕一 2001 三宅島火山の形成史 地学雑誌 110(2) 156-167
・東京地学協会 2001 地学雑誌の表紙写真およびその説明文 地学雑誌VOL.110 NO.2
・津久井雅志 鈴木裕一 1998 三宅島火山最近7000年間の噴火史 火山 第43巻第4号 149-166頁
・一色尚記 1960 5万分の1地質図幅説明書 三宅島 地質調査所
・地理院地図(電子国土Web)