兵庫県南部地震

現代の大都市を襲った地震 1995年(平成7年)1月17日 5時46分発震

活断層と震災の帯

兵庫県南部地震は活断層が活動したマグニチュードM=7.3 の直下型地震であり、淡路島北部の野島断層が動いて地震断層が現れました。ところが神戸側では地表に多数の亀裂が発生したものの明瞭な地震断層は認められずに「震災の帯」と呼ばれる長さ約20km、幅約1kmの激震地帯が出現しました。震災の帯は、基盤の形状や地盤条件によって地震波動が異なる経路を伝播し、両波動が互いに干渉しあって増幅されたとする説が最も広く受け入られていますが、その直下に伏在している未知の活断層が活動したためとする説などの異論もあります。

「震災の帯」は、特に埋没した大断層崖などの基盤の形状によって生じたとする立場で、『都市の地震防災を考えるとき、活断層自体の把握に終わることなく、「震災の帯」や地盤の液状化などの災害を予測し、適切な対策を講じることこそが、重要な課題である。』(阪神・淡路大震災と六甲変動 藤田和夫・佐野正人 「大震災以後」 岩波書店)と指摘されているものの、現在、活断層の評価が順次なされている段階であり、大都市の詳細な地下構造はほとんど分かっていないのが現実です。

(注:兵庫県南部地震のマグニチュードは当初7.2と発表されていましたが、平成15年の「気象庁マグニチュード算出方法の改訂」により7.3に修正されました。)


被害状況

表マーク表 1 阪神・淡路大震災での被害
(消防庁・兵庫県 2000/12)
地震発生日時:1995年(平成7年)1月17日
人的被害 死者 6,432
行方不明者 3
重軽傷者 43,792
家屋被害 全壊 186,175世帯
半壊 274,180世帯
460,355世帯

兵庫県南部地震は無風状態の冬(1995年平成7年1月17日)の早朝5時46分に発生しました。都市特有の被害が発生しやすい時間帯でなかったことや無風状態であったにもかかわらず、寝込みを襲われて、表 1に示すような大被害が発生しました。死者6,432人は災害発生後の疾病による死者「震災関連死」を含んでいます。

死亡者の90%は建物の倒壊や家具などの転倒による圧死であり、ほとんどは即死状態であったとされています。

マンションのような鉄筋コンクリート造は建築年代の古いものが大きな被害(第三部 建築年代と被害 参照)を受けましたが、1981年改正された現行設計基準で設計されたものは、一部を除いて大破・倒壊といった大きな被害を受けていません。鉄筋コンクリート建物はピロティ形式および壁の配置が悪いものに被害が多く、中間層が崩壊するというこれまでにみられないような被害も発生しました。

木造住宅では、プレハブやツーバイフォーと呼ばれる構法の住宅が耐震性を示しました。その一方で、日本の伝統構法の流れをくむ軸組構法の住宅に大破・倒壊したものが集中し、老朽化した住宅の他に新しいものでも大きな被害を受けました。『死亡者のうち5,000人近くは軸組構法の住宅の下敷きによって圧死した』といわれ、『軸組構法の住宅は、構法的に古く十分な耐震性がないうえに老朽化していた、あるいは、新しくても壁が少ないか、あっても非常にかたよって配置されていたという共通する特徴があった』(坂本功著 木造建築を見直す 岩波新書)とされています。

表マーク 表 2 阪神・淡路大震災での負傷の原因(室崎益輝 大震災とは何であったのか 「大震災以後」 岩波書店) 原典は日本火災学会
打撲 骨折等 座滅等
建物の下敷き 24 15 21 60
家具の下敷き 26 17 8 51
重量物の落下 14 2 2 18
つまずき 5 1 0 6
転倒墜落 2 10 0 12
その他 16 5 9 30
小計 87 50 40 177
 『日本火災学会が震度7区の被災2,800世帯に対して実施した調査結果である。そのうち540世帯で負傷者が発生している。5世帯に1世帯の割で負傷者が発生している勘定になる。そのうち怪我の程度が判明した356人について分析した結果である。打撲以上の怪我のほか、切り傷や火傷などによって負傷した者がこのほかに179名いた。』(室崎益輝 大震災とは何であったのか 岩波書店より)
挫滅:外部からの強い衝撃によって,筋肉などの組織がつぶれること。 大辞林より

表 2は被災2,800世帯のうちの負傷の程度が一定以上の負傷者について、負傷状況が分類された表であり、建物や家具の下敷きになって打撲を受けた人の割合が多く、家具が凶器になることがわかります。

表 1と表 2によれば、圧死者、建物や家具による負傷者が多いのは、多くの人が自宅で就寝中であったことや住宅の倒壊・大破が多かったことが原因であり、この地震の被害の特徴となっています。そのため災害救急医療や膨大な避難者の発生が問題となりました。なお、消防庁地震対策本部によると、震災による負傷者は重傷約8,800人、軽傷35,010人にのぼっています。

河田恵昭氏(都市防災 未来への提言 「大震災以後」 岩波書店)によると、 「この地震による倒壊した家屋などの下敷きになって自力で脱出できなかった人は、およそ3万5千人に上がると推定されている。そのうち、消防・警察・自衛隊によって救出された人は、7,900名であり、そのうち半数以上は救出の時点ですでに死亡していた。一方、近隣の住民に救出された人は約27,000人であり、生存率は80%を超えていた。木造家屋の倒壊では、初日、それも六時間が勝負といわれている。」 とし、隣人住民の救出活動の重要性を指摘しています。

 阪神・淡路大震災教訓資料集によると、 「神戸市消防局および自衛隊による救出時の生存率は、地震当日17日は約75%であるが、18日は約25%、19日は約15%と日を追って減少している。」 (「淡路大震災 被災地 ”神戸”の記録」 ぎょうせい) とあり、 「数多くの人が生き埋めになっている状況下では、生存の可能性の高い人を優先して救出する必要があった。」としています。

以上のことは、地震発生直後から数時間~1日以上は、被災地が外部と切り離された空間となる可能性があること、個人から隣人、町内といった事情に詳しい人たちの救助活動が重要であることを意味しています。この場合、火災が発生するかどうかが重要であり、初期消火に失敗し延焼した場合は、多数の生き埋め者を前にして打つ手がなくなる可能性があります。兵庫県南部地震では風がほとんどないという気象条件が幸いしたと言えそうです。


代表的な地震との被害比較

表マーク 表 3 代表的な大地震と被害の比較(理科年表 2002より)
発生年月日 地震名 マグニ
チュード
死者・
行方不明者
全壊 半壊 焼失
または全半焼
1891/10/28明治24年) 濃尾地震 8.0 7,273 14万余 8万余 ???
1923/9/1(大正12年) 関東大地震 7.9 10万5千余 25万4千余 44万7千余
1927/3/7(昭和 2年) 北丹後地震 7.3 2,925 12,584 ??? ???
1948/6/28(昭和23年) 福井地震 7.1 3,769 36,184 11,816 3,851
1995/1/17(平成7年) 兵庫県南部地震 7.3 6,435 24万以上 6千以上
記載がない項目: ??? マーク

表 3に兵庫県南部地震と他の代表的な地震被害を比較した示しました。関東大地震を除いて直下型の地震です。歴史的には死者・行方不明者7,000~8,000人以上の善光寺地震や江戸地震がありますが、被害内容が比較的よく分かっている明治以降の地震だけを示しています。

表 3によると、兵庫県南部地震の被害は、直下型地震史上最大といわれる濃尾地震と同程度です。

マグニチュードが同じである北丹後地震と比較すると、死者数では倍以上ですが、人口比率で比較すると1/12程度でしかありません。人口密度が高い地域であり、自然的条件や社会的条件が災害を拡大する方向に作用していれば、万の単位の死者が出たとしても不思議ではありません。

兵庫県南部地震は6千人以上の死者が出てもそれでも幸運であったと考えられ、将来の大都市を襲う大地震の死者が兵庫県南部地震の死者数程度で済むとは限らないことを暗に示していると受け取るべきではないでしょうか。 

(参考:兵庫県南部地震の主な被災地の人口は約290万人に対して北丹後地震では約13万人)    


避難所及び仮設住宅

兵庫県南部地震は都市型の地震であり、住宅の被害が大きく、多数のの避難者が発生しました。避難者の多くは近隣の学校施設に避難しましたが、当初は多くの避難者が殺到したため、1人当りのスペースは畳1畳分にも満たない避難場所があり、体育館や教室のほか廊下や階段の踊り場にも避難者があふれました。

避難所に入れきれなかった住民は厳しい寒さにもかかわらず公園などの野外で野宿する状況となりました。ピーク時(1月23日)は避難所数1,163箇所、避難者数316,678人に達し、過密居住が強いられました。また、避難生活が長期化したこと、火災発生を懸念して暖房器具の使用を禁止されたこと、避難所の環境が劣悪であったことが、避難所での「震災関連死」を生み出すことになりました。

避難所での生活者は地震発生から6ヶ月後の7月17日においても17,000人余であり、1年経過した後も約30ヶ所の避難所が待機所と名称を変え存続しました。なお、災害救助法では避難所設置の目安を1ヶ月程度としており、法律の想定をはるかに超えました。(神戸市、尼崎市、明石市、西宮市など人口350万人余よりなる10市10町に災害救助法が適用されました。)

 順次、避難所から仮設住宅に移ることになりますが、募集期間1月27日から2月2日の第1次募集では募集2,702戸に対して59,449件の応募がありました。高齢者、障害者、母子家庭を優先順位の第一位としたため、周囲の援助無しには自立できない状況が生じました。

仮設住宅は恒久住宅移転までの間の仮の住宅であり、隣の物音が聞こえる、冬はすきま風で寒いなど多くの問題が発生しました。仮設住宅で、孤独死が多数発生したのはコミュニティが破壊されたとともに住居環境に問題があったといわれています。  仮設住宅は震災発生時より、5年弱の平成11年12月で入居者がゼロになって解消するに至りました。