本ホームページの主題となるテーマです。地震・防災について、どのような考え方が必要であるか考えてみます。
「天災」を広辞苑で引いてみると「暴風・地震・落雷・洪水など、自然界の変化によって起こる災害」とあり、「人災」とは「人間の不注意などが原因で起こる災害」とあります。また、「災害」とは「異常な自然現象や人為的原因にって、人間の社会生活や人命の受ける被害」とあります。
天災は自然現象、人災は人為的現象を原因として発生する災害という区別があり、天災が自然災害、人災が人為的災害に相当します。火災や建築現場の労働災害など、人為的原因によって発生した場合は人災ですが、人災であっても自然界の影響を受けている場合がほとんどです。なお、単に災害といえば、天災(自然災害)を指す場合もあれば人災(人為的災害)を合わせたものを指す場合もありますが、何れも視点は社会的な被害にあります。社会との関連の薄い個人的なケガや損害まで含める言葉に「災い」があり、災害よりもさらに広い意味に使用されます。
災害を防止あるいは軽減するという立場で災害をどのように捉えるべきでしょうか。
災害に対する考え方について、「天災は忘れた頃に来るか?」と題した下記のような小論がありますので紹介します。
天災は忘れた頃に来るか? 小林芳正(京都大学名誉教授)
このような設問にはたいていイエスが答えである。しかし災害が頻発するので、「災害は忘れないうちに来る」などという評論家もこの頃はいるようだ。果たしてそだろうか?この警句は寺田寅彦のものだといわれている。大正地震火災の被服廠跡の大惨事(本所横網被服廠跡に避難した人々がここだけで3万2千人も焼死窒息死した)を前代未聞とする通説に対して、「このような大火災はすでに江戸時代に経験済みの事件である」と批判していったものとされている。寅彦の研究者である藤井陽一郎氏によると、寅彦自身の文章にそのままの言葉はないそうだが、そのような思想は明治以来の震災防止の経験から地震学者・物理学者の間に生まれたものである。当時の指導的地震学者、今村明恒も”地震”と”震災”を峻別していた。地震は自然現象だが、地震災害はそうではない。文明のないところに災害は起こらないからである。
寅彦をはじめとする先人たちは、歴史の教訓、とくに”地震火災”の恐ろしさを忘れて行われてきた都市づくりに批判的だった。このことを見れば、しょっちゅう起こるからといって、「災害は忘れないうちに来る」などというのは取り違えで、「忘れているからこそ起こる」のが災害だといっているのである。
このような意味でわれわれは来るべき”大震災”を忘れてはいないだろうか?たとえば、現在の東京はどうか?
大正12年に比べてみれば、当時なかったものがあまりにも多く、単純な比較は難しい。自動車、それに伴い無数のガソリンスタンド、地下街、網目のような地下鉄・高速道路、超高層ビル、そして何よりも超巨大化した都市圏と人口集中がある。いったい何が起こるか想像さえ困難である。唯一、当時に比べてプラスと思われる変化は、不燃構造物の増加ぐらいではないか?
東京都は随時、震災予測などを発表して、大方の注意を喚起しようとしているが、それほど効果が上がっているようにはみえない。庶民は日常生活に埋没して、日頃そんなことは考えないほうが幸せだし、為政者も厄介な問題は無視して政策を進めているように見える。人は解決できることだけを課題として意識するものだという。だから簡単に答えの見出せそうもない難題は課題ではないのかもしれない。またも「天災は忘れた頃に来る」といわれないために最大限の知恵を絞らなければならないであろう。
(セイフティエンジニアリング No.116 2001より)
警句「天災は忘れた頃に来る」の天災を更に広い意味の「災い」に置き換えても意味は通じます。個人に降りかかる災いは、家族との死別のような深刻なもの以外にも、病気やケガ・仕事の喪失・金銭や物品の喪失・損害賠償の発生・信用の失墜・人間関係の破綻など多種・多様であり、悩みの種は尽きません。「天災は忘れた頃に来る」を身近な「災い」の例で言い換えると、「鮮度の落ちた生ガキを食べているとそのうち食中毒になりますよ」、とか、「スマホを操作しながら歩いているといつか事故に遭いますよ」などの類です。しかし、多くの場合、人はこれらの災いに対して自然に身の処し方を身に着けています。大人になれば健康や交通事故および人間関係に気を遣うのは通常であり、時として保険に入ったり予防接種を受けたりあるいは思わぬ出費などに備えて貯金に心がけることも普通の行為です。更には、健康食品や健康器具が大きな市場になり、趣味やスポーツによる健康・体力管理に力を入れています。また、社会制度としても健康保険や車の自賠責保険のように個人の負担を軽減するような制度がバックアップしています。
震災・風水害など代表的な災害に対してはどうでしょう。
震災や風水害などの自然災害になると、健康問題などの身近な災いと比べてハードルが高くなるのが一般的です。その理由として、次の楽観的な思い込みやあきらめがあります。
上記の楽観的な思い込みとあきらめは災害と防災について深く考えたくない人の答えであり、これが防災対策を難しくしています。そこで、身近な災いと同じように自然災害についても具体的な例で示すと、「ここに住んでいると、大地震の時や大雨の時は崖崩れによって埋もれるかも知れませんよ」とか、「ここは住宅が密集しています。大地震の場合は家屋が倒壊して逃げ道が遮断されそうです。火災になれば危ないですよ。」、「大雨が降ると、最初に水に浸かるのはここですよ」、「ここは背後に谷の出口があります。土石流が発生すると恐らくだめでしょうね。」などが挙げられます。
このような具体的な例であれば、対応はなんとか可能です。行政機関と個人では対応は大きく変わりますが、個人ならば現在の住まいがどのような災害に弱いかを知り、より安全な家と場所に住もうとする意思を忘れないことです。天災はこれを忘れた頃にやって来ます。
震災を軽減するためには
が必要であると以前よりいわれてきました。最後の地震知識の啓蒙とは防災意識を持つための手段であり、防災技術が進んでも防災意識がなければその技術が活かされません。地震予知が当てにならない現在、地震学者や防災学者は防災意識の重要性を指摘しています。
石塀の倒壊(新潟県中越地震 柏崎市)
繰り返し震災を受け、そして現在次なる地震が警告されている地域に背丈を越すブロック塀がなんと多いことでしょう。ブロック塀は補強されているのでしょうか。昭和53年(1978)の宮城沖地震では死者27名のうち16名はブロック塀や石塀の倒壊によるものです。ブロック塀を例にすれば、”既に天災を忘れている”と言えます。
ブロック塀等を除去し、安全なフェンスや生垣等に補助金をだす自治体があってもそれだけでは抜本的な解決にはなっていないようです。ブロック塀が地震に弱いことは分かっており、どのように補強すればいいかも分かっています。「子供が通るが、このブロックは大丈夫であろうか」という防災意識が後押しをしてこそ、補強するとか、別のフェンスに代えるなど、より安全な対策を取る機会が巡ってきます。
大都市が被災地になるような場合は、被災者人数は百万単位となり、見舞金程度で生活基盤を再建することはかなわず、身近な人の死、財産の喪失、失業などの災いが降りかかり、精神的・経済的に追い詰められます。震災激甚地では死と生は紙一重であり、家族を失えば精神的なショックでなかなか立ち直れるものではありません。幸いにして家族が無事であっても、苦労して手に入れたマイホームが倒壊あるいは解体せざるを得ないような被害を被り、そして土地やマンションを手放してもローンが残るという誰も助けてくれない現実があります。
私たちの多くの者は家族を持ち、仕事を持ち、地域社会の中で住む家を持っています。大地震に遭遇し、最悪の場合は、家族を失い、住処を失い、仕事を失って避難所や仮設住宅に暮らすこともあり得ます。その時の精神状態は当事者にしか分からないでしょうが、将来に希望を持つどころか思考が停止し、精神的ショックから容易に立ち直れるとは思えません。被災者の多くは将来の不安と現在の不平等感に苦しめられます。
以下、住処とは住み慣れた家と家周辺の生活環境を意味するものとします。
兵庫県南部地震(1995)では、孤独死や自殺など、震災後の震災関連死が話題になりましたが、精神的に生きる力が奪われたことが大きく影響していると思われます。
何を守るかといえば、”自分自身の平穏で希望ある未来”、あるいは”生き生きと生きること”ではないかと思われます。そのために、家族を守り、住処(住み慣れた家と家周辺の生活環境)を守り、そして収入の道を守るのでしょう。社会の構成要素である家族が少なくとも一生立ち直れないような状況に陥らないためには、防災意識に裏付けられた「できること」を実行することが、防災の本質のように思います。
兵庫県南部地震のように、延々と続く倒壊・破壊された住宅、瓦礫の焼け野原、大破した近代的ビルやマンション、横転した高速道路や落橋した高架橋など地震のすさまじい破壊力を目前にするとともに、周辺全てが大破・倒壊している中に何事もなかったように建っている木造住宅を見るなら、地震対策として何か打つ手はなかったのであろうか、そもそも地震対策は取られていたのであろうかと疑問に感じた人々は多かったのではないかと思われます。
東北地方太平洋沖地震では多くの住宅が流され、多数の犠牲者が発生しました。大災害は明治以降も勢いを増すかのように繰り返して襲ってきています。
災害直後は災害で顕在化した都市問題、社会問題や防災問題など、膨大な報道が発信され、いやでも人々の意識に留められても、時間の経過とともに防災意識が遠のいていくのを避けることはできません。
個人としては社会の構成要素である家族の命を守り、更に生活が持続できるようにするためには、防災意識を持って可能な範囲で対策を実行していくべきものと考えます。防災意識は地震に限るものではなく、人災さえ含めて災害全般を視野に、日常生活の一環として取り入れていくことが望ましいと思います。
地震防災対策のポイントを挙げると次のようになると思います。
まず第一に、災害危険個所を避けて住処を選定することです。引っ越しや住宅の購入の際がその機会です。災害危険個所とは、地震に弱い地盤や崖地、土石流の発生しやすい谷の出口付近、木造住宅密集地、津波や高潮および堤防の決壊による水害の危険な低地、出水しやすい河川の傍、火砕流や火山泥流などの火山災害危険地、化学工場や可燃・爆発物貯蔵施設辺部などで、地震だけに限るものではありません。
住宅や土地は次の世代に受け継がれる場合が多く、あなたの代では無事過ごせたとしても、子・孫の世代で災害に遭うかもしれません。
第二は住処がどのような災害に遭いやすいか、また住宅の耐震性をを認識しておくことです。耐震性能に不安がある場合は、耐震診断を受けることをお勧めします。建築年代は耐震性能と関連しており、昭和56年の建築基準法大改正以前に建てられた建物は要注意です。
住処の環境および住宅の劣化状況の認識は重要であり、災害時の身の対処方法につながります。
より安全な住処と耐震性のある丈夫な住宅に住むことが災害から身を守る最大の対策であるものの、これらは経済的な問題が大きいために望んで実現するとは限りませんが、一生に一度や二度はあるかもしれない機会を逃さないため、日ごろから、防災に関する考え方を家族で共有しておくことが重要でしょう。
木造住宅のシロアリ対策や湿気による腐食対策、あるいはコンクリートの劣化対策。
住宅の維持管理が不適切な場合は、建設から時間の経過とともに思わぬほど劣化が進行することがあります。耐震性能が落ちないような劣化対策や補修が必要なことは木造住宅もマンションも同様です。
住宅周辺の自然環境を理解し、災害が迫った場合の行動を確認・反芻しておく。(例:津波の場合は、発震から避難開始までの間に用事を作らずにすぐ避難。 例:大雨の場合は早めの避難。外に出るのが危険と思ったら避難しない決断。土石流が懸念される地区では避難を常態化する。 → 根本的には災害危険個所を住処として選ばない。住処の状況と災害の種類によっては避難の必要がない。)
住宅屋内の落下物や移動物を固定し、危険物を隔離する。特に、小さい子供がいる家庭では、熱湯の入ったポット、針や鋏、あるいは段差さえ危険物になります。
写真1 家具の固定
家具と天井間に固定器具を取り付ける。
写真2 家具の固定
写真3 冷蔵庫などの重量物の固定 粘着テープの付いたベルトの延長部を木ねじで壁と固定する
写真4 ガラス飛散防止フィルム 食器棚、人形ケース、窓 ガラスなど、凹凸のないガラス板に貼り付ける。
写真 5-1 家具の前面部に敷き、家具をやや傾けた状態とし、家具の上端を壁に接触させる。
写真 5-2 写真5-1の設置状況。写真1の固定器具と併用すると効果が上がる。
写真 6-1 ゲル状の軟らかいマット
写真 6-2 テレビの固定状況
4隅に敷く
写真 6-3 同左 小さいながらもかなり強力で、強めの力で外そうとしても外れない。
写真7-1 扉固定用プラスチック製金具で木ネジで取り付ける。一回押すと閉じてロックされ、再び押すと開く。
写真7-2 写真6-1の扉を閉めた状態。表からは金具が見えない。留め金と違って、閉じるのを忘れることがない。
写真1、写真2、写真4および写真5-1は東京都葛飾福祉工場の防災・避難カタログより。
大都市では、通勤・外出時に携帯ラジオ、懐中電灯、地図と磁石の3点セットおよびお茶や水を携帯します。
大きなものは結局面倒になり、持ち歩かないので役に立ちません。カバンの底に常に入れて置ける程度の大きさが無難です。
勤務先が大都市である場合は、外出時に地図と磁石を携帯し、地図を見る習慣をつけておきましょう。大都市ではすぐ右も左もわからなくなります。
写真 8 キーホルダーと懐中電灯長さ 8cm。小さくて実用的でないように見えますが、通常の生活においても役立っています。
写真 9 ペンシル型懐中電灯 長さ 13cm(ボールペンは大きさを示すスケール用)
写真 10 携帯ラジオ AM放送が聞け、消費電力が少ないのも魅力です
写真 11 懐中電気、携帯ラジオ、地図の三点セット 地図は磁石で方向を確認しましょう
小さいものであっても常に携帯することは容易ではありません。カバンを持つ習慣を付けてカバンに入れておくと忘れることはありません。
写真12(参考)このような地図もあります 帰宅支援マップ(昭文社)
勤務先などから自宅まで歩いて帰ることを想定しておく。会社のロッカーには、1㍑の飲料水および、自宅まで歩いて帰れるように運動靴を入れておく。小さくてもリュックのように背負うものが欲しい。
20km、30kmの距離を歩けますか。たまには自分の脚力・体力を確認しましょう。固い革靴やハイヒールのような通勤スタイルのままではとても歩けません。
写真13 カセットコンロ
写真14 コンパクトな登山・ハイキング用ガスコンロセット。手前のボールペンは大きさを示すスケール。
写真15 写真14をセットした状態
図表1 地震からわがこを守る防災の本 国崎信江著 内野真(絵) (有)編集工房一生社 (2001.6)より
自宅には3~5日分の飲料水(1人1日3リットル)と食料を備蓄し、電気・ガスが供給が止まっても最低限の生活ができるように準備しておく。
大震災でも、被害は数県にまたがる程度などで、そのうち救援物資は届くことになりますので、命を守る防災対策に較べると重要度は低くなります。しかし、食料の存在、特に暖かい食べ物は安心感を生み出す大きな効果があります。
住宅が倒壊したり火災に見舞われたりした人達は当然ですが、そうでなくても食料・飲料水は不足します。阪神・淡路大震災でも地震当日口にするものがなかった人達や1個のおにぎりを2人で分けたという人達もいます。少なくとも、地震当日を含めた3日程度の食料・飲料水は備蓄しておくのが賢明であり、そうすることによって必要な人に食料が回る結果にもなります。
食料は防災・保存食用として売っていますが、少し大きなスポーツ店では、キャンプ用品としての保存食がいろいろと揃っています。一部の食糧を除いて、水と燃料が必要です。水道は断水し、電気もガスも止まっているとして準備しておくことが必要です。ガスコンロなどは防災専用のものでなく、日頃使用しているものが役立ちます。
地震保険の加入を検討する。
上記の防災対策のポイントは全て個人的な対策ですが、住処を守るためには地域社会(町内会や自治会)の防災が重要になります。災害危険度や手助けの必要度が大きければ大きいほど、地域社会の防災が大きな意味を持ってきます。
繰り返しになりますが、住宅は家族の過ごす時間が最も長いので、災害に遭遇する可能性のより少ない住処で耐震性のある住宅に住もうとするべきです。住宅が倒壊あるいは流出すれば人的被害の可能性が一気に増加するためです。阪神・淡路大震災では、死者の80%以上が木造住宅の倒壊による圧死者であり、自宅やマンションから通っていた学生に較べて、賃貸のアパートから通っていた学生の被害が大きかった事実からも分かります。
住宅問題は経済問題の占める割合がほとんどであり、裕福層は災害に会う確率が少なくなるという何ともいえない不平等?が生じています。住宅の選択は他の生活とのバランスの上に成り立つものであり、他の生活を犠牲にして無理な住宅ローン(購入、耐震補修費用など)を抱えるのがよいとは思われませんが、長期対策として可能な範囲で努力するべきであると思います。
なお、防災対策としての家具の固定や食料の備蓄は、防災対策の主体部でないことにご注意ください。