戸建住宅の構法には、在来軸組構法、ツーバイフォー構法、プレファブ構法の3つに分けられます。在来軸組構法は柱という軸状の部材が特徴となるのに対し、ツーバイフォー構法やプレファブ構法は壁構造が特徴となります。
「構法」は「工法」とも表され、それぞれ建物の組み上げ方、建物の作り方に重きが置かれいるようですが、厳密な違いを表しているわけではありません。ここでは、構法で統一しています。
木造住宅は明治の濃尾地震、大正の関東大地震、昭和の福井地震と大きな被害を蒙り、耐震の研究、市街地建築法の改正、建築基準法の制定および同法の改正などによって耐震性の向上が図られてきました。その後、新潟地震、十勝沖地震、宮城県沖地震、日本海中部地震などがありましたが、木造住宅に被害が集中することなく時は過ぎていきました。
ところが、平成7年の兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)では、死者6,400人余りのうち、5,000人近くが木造住宅の下敷きで圧死する(木造建築を見直す 坂本功著 岩波新書)という木造住宅が原因となる大きな被害が発生しました。阪神・淡路大震災教訓情報資料集によると、『犠牲者のほとんどは自宅における死亡であり、戦前の木造住宅が比較的多く残存していた地域での死者が多かったとされる。』、あるいは『死因のほとんどは、家屋の倒壊や家具などの転倒による圧迫死だった』と指摘されています。
在来軸組構法の住宅は戦前の老朽化した住宅が含まれる一方、ツーバイフォーやプレハブ構法は歴史が新しくほとんどの住宅は老朽化していないという事情を考慮しても、在来軸組構法の住宅に被害が集中しました。木造住宅の被害調査により、ツーバイフォーやプレハブ構法の住宅は耐震性を示したのに対し、壁が少ないか、あっても非常に偏って配置されているような在来軸組構法は耐震性に劣ることが確かめられました。
この地震を教訓として、新たに建てられる在来軸組構法は、壁に構造用合板を挿入したり、工場で生産した木質パネルをはめ込んだり金具を多用するなどの対策を採用し、ツーバイフォーやプレハブ構法の長所を取り入れるようになりました。実際、ツーバイフォーに近い軸組構法、あるいは軸組構法の一部を利用したツーバイ構法など、構法自体の変化や構法の融合のような状況も見られています。
絵 家屋の倒壊と火災の連鎖(拡大する災害)
1995年(平成7年)の兵庫県南部地震では死亡者の80%以上は木造住宅の倒壊による圧死や圧迫窒息死でした。1923年(大正12年)の関東大震災や1927年(昭和2年)の北丹後地震などでは家屋の倒壊が出火の原因となり、延焼によって火災が猛威をふるいました。これらの震災は家屋の耐震化を向上させなければ、震災を抑え込めないことを示しています。
兵庫県南部地震で倒壊した家屋は公費で解体されました。近い将来発生すると考えられている東海地震や首都直下地震および東南海・南海地震の被害想定を通して、耐震性の劣る住宅や建築物をそのまま放置しておくことは人命を含めて国家的損失に繋がるという意識が高まりました。
住宅は個人の財産でありその耐震化は個人の問題として捉えられてきましたが、個人の住宅の倒壊が避難路を塞ぎ火災を誘発させて災害を拡大させるという認識に立つと社会問題です。そこで、震災後の公費解体に税金を投入するのなら耐震改修に税金を使い震災を軽減するべきであるとの議論が高まり、平成7年12月に「建築物の耐震改修の促進に関する法律」が施行され、耐震診断や耐震改修に補助事業を行う自治体が増えるようになりました。
昭和43年の十勝沖地震および昭和53年の宮城沖地震の教訓を踏まえ、昭和56年に建築基準法が大改正されました。この改正によって導入された耐震基準(新耐震基準)は,中規模の地震(震度5強程度)に対しては,ほとんど損傷を生じず,極めて稀にしか発生しない大規模の地震(震度6強から震度7程度)に対しては,人命に危害を及ぼすような倒壊等の被害を生じないことを目安とされています。
1995年の兵庫県南部地震では、昭和56年以前の建物に被害が集中したことが分かりました。昭和56年以前に建てられた建物は建築時に現在の耐震基準を満たしていない場合の他に、建物の経年劣化にる耐震性の減少もあります。
耐震改修とは、新旧の耐震基準で建築された建物が混在している状況において、昭和56年以前の旧耐震基準で建てられた建物を新耐震基準を満たす程度まで耐震性を引き上げようとするものです。