このページは鵜飼康子著「津波 〜ASIAN TSUNAMI〜」の紹介です。 |
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2004年12月26日、タイのピピ島 年始年末を前にしたタイのピピ島では休暇を過ごす多くの人が訪れていました。 その朝、ダイビングインストラクターの日本人女性がピピ島のロ・ダム湾に面するビーチにいました。 彼女は迫る津波から逃れようと駆けに駆けますが逃れきれずに津波に呑まれてしまいます。彼女は重傷を負いながらも助かりました。 そのときから4年になる2008年の年12月、手記として「津波 〜ASIAN TSUNAMI〜」が出版されました。
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被災位置 タイ国ピピ島 ロ・ダラム湾 地震発生日時 2004年12月26日午前7時58分 日本時間 同日午前9時58分 被災日時 現地時間 午前10時過ぎ |
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沖合いの津波(津波 〜ASIAN TSUNAMI〜 絵は裏表紙) 「そのとき」より この湾は、ロ・ダラム・ベイという。プーケット、クラビからのフェリーが着くトンサイ・ベイとは反対側の湾だ。私たちはロ・ダラム・ベイの真ん中より少し東側、パビリオン。バンガローの前あたりに腰を下ろしていた。ビーチには、のんびりとクリスマス明けの朝を楽しむ人でそこそこ賑わっていた。 特に注意していたわけではない。ただ、ビーチが妙に引き潮なのが少し気になった。夕方大きく潮が引くときには、地元の男の子たちがチームを組んでサッカーをしている。そのくらい遠浅の、広く干潟になる湾だ。それにしても引いている。私の記憶よりも随分大きな干潟だ。今日は満月だっけ? ・・・中略・・・ ついさっき、沖に向かって勢いよく走っていったタイ人の男の子が転がるようにビーチに向かって走っているのが見える。私たちはそれを見て、なんだかこれは、やっぱり、おかしいんじゃないかと、それでも少しだけ、思った。白い泡の層がどんどん近づいてくる。 |
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迫る津波(津波 〜ASIAN TSUNAMI〜 絵は中表紙) 「そのとき」より 私達はゆっくり歩き出す。後ろを振り向きながら。やがて少しずつ早足に。そしてついに走り出す。 何かおかしい。あのねずみ色の固まりは少しも止まる気配がない。 ・・・中略・・・ いや、初めてだ。私は、こんなに速く走ったのは生まれて初めてだった。いや、こう言おう。こんなに無我夢中で走ったのは、生まれて初めてだ。 もともと遅いと自覚している速力。もどかしかった。頭の隅では、どうやっても追いかけてくるものから逃げられないことはわかっていたように思う。でも私は走るのをやめられなかった。追いつかれるその瞬間を、できるだけ先に延ばしたかった。追いつかれてしまったら、何が起こるのか想像できなかった。それが怖かったのかもしれない。 |
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津波の後(津波 〜ASIAN TSUNAMI〜 絵は表紙) 【被災当日の夕方〜夜の状況】 やすこは助かり、丘の斜面のバンガローに避難した。出血のためであろう、朦朧としていた。周りの人はやすこが助からないのではないかという気持ちを深めていた。頭蓋骨が見えるような傷を負っていたからである。 日が西に傾く頃、やすこはカーテンで作った担架に載せられ、ペリコプターが発着しているビーチに向かう。ヘリコプターに乗る順番を待つが、今日最後のヘリコプターは日没のため着陸できない。 スピードボートが1艘出るというニュースが入ってきた。今夜ピピ島を出る最終便になるという話であった。多くの人々の協力により、ピピ島を離れ、病院のある街に向かった。 |
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