2001/10/07



尊王思想の研究13−志士の聖書


幕末には綺羅星の如くに多くの志士が現れて散っていきました。彼らに共通する死を恐れない強烈な意思、潔さ、理想への強力な信仰はどこからきたのでしょう。志士の間で生きるべきモデルとなったのが、浅見絅斎の「靖献遺言」でした。「靖献遺言」には、中国史上尊王思想に準じた8人の尊王家の生涯が描かれています。


● 靖献遺言
浅見絅斎が「靖献遺言」を書いた意図は何だったのでしょうか?


そもそも本家中国において尊王思想とは何を意味していたのか?その根本にあるのは「徳のある聖人君子が天子となれば、全てはうまく行き、人々は幸せな生活が送れる」と言う信仰です。理想の国が実現するという信仰があるからこそ、中国人の尊王家として名を残してきた人々は皇帝への忠義や、僭称者(偽者の皇帝)との戦い、夷狄(異民族)との戦いに命を捧げることができたのでした。


しかし、浅見絅斎が生きた元禄の日本は、聖人の到来が望まれるような乱れた世であったのでしょうか?


そうではありません、世は繁栄し、ほとんどの人は満足していました。では絅斎は、徳川氏への反乱を促すような書物を記したのでしょうか。正統論では、前王朝が滅びない限り新王朝は僭称者です。しかし、前王朝が滅んでしまえば、新王朝が正統となります。天皇が日本の天子であるならば、天皇家が存続している限り、正統な主権者は天皇家であり、政治の実権を握る徳川氏は簒臣(不当に権力を握っている家臣)になってしまいます。


この際徳川氏が天皇家を滅ぼしてしまえば、話は簡単で、士大夫は徳川皇帝に忠誠を誓えば話は済みます。そうでない以上、真の士大夫であろうとすれば、「靖献遺言」に挙げた8人のように、徳川氏の世で生きることを恥じて自殺するか(屈原)、徳川氏を討伐するか(孔明)、徳川氏の世との交わりを断って世捨て人になるか(劉因)、天皇に政権を返すように徳川将軍に抗議するか(方孝孺)、しなければなりません。


しかし、ここで変だと思うのは、中国人の尊王思想には、世の中を良くしたいと言う理想があるのに対して、絅斎の尊王思想は朱子学を理論的に突き詰めていった結果であって現実との接点を失っている点です。まるでマルクスにかぶれて革命を唱える人達のようです。従って世の中の矛盾が高まって政権交代が望まれるようになった幕末まで、尊王思想が効力を持たなかったのは当然でしょう。また、世の中の矛盾が高まるたびに、日本では「靖献遺言」的心情が高揚する可能性があるのです。


● 「日本外史」


現在研究中