過去ログ159(2002年〜5月22日)


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瀋陽の亡命者連行事件 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月22日(水)23時11分46秒

はとにかく第三国経由で出国できて良かったと思います。

残念だったのは外務省の税金泥棒ぶりがここでも発揮された事です。
また、白を黒と無理矢理言いくるめようとする中国の強引な態度もよく出ていたと思います。
これによって共通の歴史認識など出来るはずがないのが白日の下にさらされたと思います。

それにしても外務省が能力不足なのを差し引いてもあまりにも中国の姿勢からは「和」の精神を感じる事は出来ませんでした。
でも一番ひどいのは何と言っても北朝鮮ですよね。

覆面をしたあのODAの人達から日本を利用した事について一言くらいは感謝の言葉あったのでしょうか。
編集済



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食べ物 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月22日(水)23時07分17秒

に関しては全く好き嫌いがないので信じられないと思う事があります。

例えば、魚が嫌いだとか肉がダメという人を見るとこの人は一体何が楽しみで生きているのだろう??などと余計な事を考えてしまうのです、笑
特にすしのウニが嫌いなんて人の感覚は絶対に理解したくありませんね^^;;
同様にサーロインステーキがダメという人に対しても同じ気分です。
(あっ、Toshyさんが、笑)
太田さんや安部さんは好き嫌いはありますか??

私の場合あまり好みではないというのは「ふき」くらいです。
また「ぶよぶよしたなすのみそ汁」を1ヶ月連続で出されるとさすがに嫌いになります、笑

でもここに来て食べ物の安全性があまりにもお粗末だった事が分かって愕然としました。
それまでは何かにつけて焼き肉屋に行っていたのですがすっかり足が遠のいてしまいました。
焼き肉屋さんからするとこの損失補填は絶対にして欲しいと思いますよね。

話は変わりますが私のYahooのIDがkintaro22001に変わりました。
それでちょっとkintaro2で検索したところ清和源氏、陽成源氏について書いたところを見てくれている人がいるのが分かりました^^

また別のYahooトピには安部さんの尊王思想の研究を参考にされている人を見つけました^^
編集済



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チーズ 投稿者:太田守人  投稿日: 5月22日(水)18時25分36秒

日本では、醍醐味と言いますが、この醍醐は,今のコンデンスミルクでしょうか?飛鳥寺境内の土産物屋で、蘇を買ってきましたが、その味の濃くて、うまいこと。まるで、コンデンスミルクをチーズにしたような味でした。
ヨーロッパでは、色々なチーズがあるようですが、ある海戦で、チーズを砲弾の変わりに使い勝利したという話があるそうです。確か南米での話だったと思いますが、アルゼンチンとペルーだったかの艦隊が、海戦を行っていた時に、砲弾不足で負けかけた時に、足元に堅くて食べれないチーズがゴロゴロ転がっている、この軍艦の艦長が、「これを使え。」と言って,砲弾代わりにした。相手は、変なものが飛んでくると思ったのか、逃げていったそうです。帆船時代の海戦は、砲弾には火薬が詰まっていませんでした。19世紀頃までは、無垢弾といい、運動エネルギーだけで、敵の帆柱を倒したりし、相手の行動力を奪い、乗員がカットラスという刀をふるい、切り込み相手を捕獲するという方法が当たり前でした。古いイギリス海軍の内規には、この捕獲した敵艦船を査定し、査定価格の3分の2が艦長の懐に入り、残りの5分の1は国庫へ、残りは乗員で山分けしたそうです。このような、機会の多いフリゲートの艦長になると、この敵艦船を一隻捕獲すると、一財産を築けました。このため、昇進を断り退役まで、フリゲートの艦長でいた海軍士官も結構いたそうです。



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アメリカ 投稿者:太田守人  投稿日: 5月22日(水)16時44分28秒

外の国は知りませんが、アメリカは在外公館の警備は、アメリカ海兵隊の仕事だと聞きました。友好国もそうなのかは知りませんが。ソ連時代のソ連の在外公館には、KGBがいたと言います。アメリカ在外公館の海兵隊が、どの程度の装備を持っているのかは知りませんが、自動小銃くらいはあるでしょう。いくら、中国の武装警官でも、海兵隊と打ち合いするにはそれ相応の覚悟がいるでしょうね。



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マニラ経由で韓国へ行ったそうですが 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月22日(水)16時18分17秒

やはり中国が日本をコケにしたとしか思えないです。外務省の失態が次々にリークされるのもなんだかおかしいですし。中国が批判をそらすためにばらしたのではないでしょうか。

松の廊下で刀を抜いた浅野匠の上がどのような理由があろうとも,まず切腹であるように,領事館の失態とか中国と北朝鮮との特殊な関係を入れても,今回の事件で一番罪が重いのは,領事館は勝手武装警官が入ってきたことです。まずこれを正さなければならない。これこそ中国人が大好きな朱子学で言う「名分を正す」であるはずです。

これでは,これから先日本の領事館には現地の官憲が入ってきても良いことになってしまいます。極端なことを言えば,亡命者やテロリストを装った人間を日本の領事館へ乱入させて,それを捕らえると言う名目で,現地の官憲が日本の領事館へ入ってきてしまうことも可能なわけです。

しかし私はよく知りませんが,普通大使館とか領事館は本国から武器を持った警官だか軍人を送って守備させるものではないのでしょうか?ペルーの時もそうでしたが,日本の外務省は出先の職員や邦人をいざと言う時にどう守るつもりなのでしょう?全て現地に頼ると言うことであれば,今回のような時現地の警官が乱入するのをとめる権利は日本にはありません。自分で身を守るだけのことをして初めて,不測の事態が起こったとき現地の官権に対して「入ってくるな」と言えるわけです。何の守りもせずに,相手に頼りっぱなしでは向こうとしても責任上,不測の事態が起こったときは無理をしてでも日本の大使館や領事館を守らなければいけません。でなければ,今度は不審者が乱入しても,誰も助けてくれなくなって,全く反撃も出来ずに占拠されてしまいます.ペルーの事件で勉強しなかったのでしょうか?

一体外務省はそこらへんのところどういうつもりだったのでしょう?



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そうそう 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月22日(水)16時02分54秒

味の素を使いすぎると頭が痛くなったり,手足がしびれる人がいるそうです。
安い中華料理屋へ行くと私も口中が麻痺することがあります。

でも味の素をつかはなくても,ニョクマムを多用すればやはりチャイナレストランシンドロームになるかもしれませんね.ニョクマムは甘味でも辛味でも塩味でも苦味でも酸っぱさでもない味がしました。ものすごい淡白な味だけれど強烈でした。あれが純粋なうま味(アミノ酸の味)なのでしょう。



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チャイナレストランシンドローム 投稿者:太田守人  投稿日: 5月22日(水)12時41分40秒

ヨーロッパでは、化学調味料を余り使わないので、この化学調味料を大量に使う、中華料理を食べた、欧米人が、この化学調味料になれていないので、体がしびれる、これをチャイナレストランシンドロームと言うと聞いた事があります。今、中華料理店は、この化学調味料を親の仇のように、大量に使う所が多いとか。



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いしる 投稿者:太田守人  投稿日: 5月22日(水)10時54分38秒

奥能登に、いしる又はいしりという魚醤があります。昔、これを貰って、大根を煮て食べるとうまいと聞いたので、おふくろが煮ましたが、その生臭いこと、とても食べれたものではないということで、鍋ごとすてました。後で聞いたら、水で希釈しないと、臭くてしょうがないとのこと。能登では、醤油が高かったので、魚の内臓を発酵させ、このいしるを醤油がわりにしていたそうです。
発酵食品では、くさやも好きですが、八丈島の土産に、大量に買い込んで、家で焼きましたが、家族から顰蹙もので、全部捨てられました。あれ、うまいのに・・・。今でも食べさせてもらえません。



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私の知ってるところだと 投稿者:輔住  投稿日: 5月21日(火)23時49分49秒

新橋のある飲み屋で鯨のベーコンがメニューにありますね。
(私自身は特に鯨が好物というわけじゃないですが)
捕鯨反対国の理論はおかしいと思います。その理論を突き詰めてしまうと
人間は何も食べられなくなって飢え死にするしかありません。

頭のよさと食肉への適正も何の関係もないでしょうに!



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鯨 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月21日(火)19時36分22秒

はあれだけ大きな動物ですからずいぶん沢山の餌を必要とするのだろうと思います^^;;

日本の場合は鯨は全て活用しましたから食物連鎖の中でも特に非難されるような事はないように思いますね。
そう言えばロシアでは鮭は家畜の餌であり人間の食糧にはなっていないと聞いた事がありますが本当なのでしょうか??
また同様にカニも食べるものではないと聞いた事があります。
もしそれが本当ならロシア人は自分達にとって二束三文のものが黄金を手にする魔法のものという事になりますね。

オーストラリアかニュージーランドでもツナ缶はペットフードだと聞きましたがこれも本当なのでしょうか??
このような話を聞くにつけ何て勿体ないと思うのは私だけではないと思います。

トナカイという言葉はアイヌ語のようですね。
私はてっきりトナカイとはノルウェー辺りの言葉と思っていましたがちょっと前に大三元さんから教えてもらいました、笑



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鯨 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月21日(火)19時36分22秒

はあれだけ大きな動物ですからずいぶん沢山の餌を必要とするのだろうと思います^^;;

日本の場合は鯨は全て活用しましたから食物連鎖の中でも特に非難されるような事はないように思いますね。
そう言えばロシアでは鮭は家畜の餌であり人間の食糧にはなっていないと聞いた事がありますが本当なのでしょうか??
また同様にカニも食べるものではないと聞いた事があります。
もしそれが本当ならロシア人は自分達にとって二束三文のものが黄金を手にする魔法のものという事になりますね。

オーストラリアかニュージーランドでもツナ缶はペットフードだと聞きましたがこれも本当なのでしょうか??
このような話を聞くにつけ何て勿体ないと思うのは私だけではないと思います。

トナカイという言葉はアイヌ語のようですね。
私はてっきりトナカイとはノルウェー辺りの言葉と思っていましたがちょっと前に大三元さんから教えてもらいました、笑



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ニョクマム 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月21日(火)18時52分31秒

を買ってきました。
調味料としては役に立つのですが、匂いがすごい。あれははっきり言ってへそのゴマです(笑)
それとニョクマムをなめてみて初めて知ったのですが、アミノ酸を大量に摂取すると頭が痛くなるんですね。これがチャイナレストランシンドロームでしょうか?

アンチョビーやら黒酢やら何だか最近発酵食品ばかり買っているので、私の部屋は自分でも気付かないうちにすさまじい匂いのする部屋になっているかもしれません(笑)。

これで自宅で納豆を漬けるようになればもう完璧です。



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鯨 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 5月21日(火)15時32分05秒

こちらでは、というか石巻では、わずかながらも鯨肉を食べることが出来ますよ。
捕鯨を禁止するのは、鯨やいるかなどの知能が高いことを理由に、
高等な動物を食うのは許さん!というものもあるとか。アホな話です。
太田さん同様、わしも鯨の刺身を食べた時はうまいと思いました。
その後しばらくは、においが気になったが。



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捕鯨 投稿者:太田守人  投稿日: 5月21日(火)08時39分27秒

鯨をこんなに少なくしたのは、英米の責任でしょ。この両国に、捕鯨反対なんて言う資格ないと思います。ましてや、アメリカはエスキモーに捕鯨を認めているんでしょう。いいかげんにせいという感じですね。まー政府・自民党ニャ、アメリカと喧嘩する元気なんてないでしょうがね。ノールウエイのように、もし,日本の主張認めないなら、IWCおんでればいいんです。人形浄瑠璃は、ひげ鯨のひげを使っていますし、鯨の利用は日本古来の伝統文化です。あんな可愛い動物食べるなんてというのであれば、ヨーロッパではトナカイ食べるんでしょ。日本は、トナカイを食べるとは,野蛮だーって言ってやればいいんです。
兎に角、鯨を食いたい。私が、小学生の頃は、給食は,鯨の肉と4年までは脱脂粉乳でしたがね。脱脂粉乳は、欲しいとは思いませんが、今は亡きおふくろが、「今日はビフテキよ。」といって、出してくれたのが、醤油と生姜で臭みを抜いて、油で焼いてくれた鯨の肉でした。
10年位前、土佐の高知に出張した時、鯨の刺身がありました。それのうまかったこと。



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ちょっと前に 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月21日(火)01時55分21秒

目が覚めました^^;;
この生活リズムはまずいです、自爆



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ふと思ったのですが 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月21日(火)01時11分50秒

農業は環境保全機能があると言う人もいますが、多分日本のような水が豊富な所で水田を作る分にはその機能もあるのでしょうが、あまり雨が降らないところで灌漑をしたり、家畜を飼って土を踏み固めるのは環境破壊です。

捕鯨反対の人の言い分は「野生生物を捕獲して食べるなどとんでもない」と言うことですが、農業は環境破壊なのだから、自然に影響が出ない範囲に納めれば、むしろ野生生物を捕獲して食べる方が自然保護になる、と言う理論も成り立つのではないかとふと思いました。



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もう一度鯨の竜田揚げ食べたい 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月21日(火)01時06分05秒

是非今回のIWC総会で捕鯨復活に手が付けば良いと思います。またぞろグリーンピースやらオーストラリアやらがわけのわからないことを言っていますが・・・今回捕鯨復活が全く前進しなかったら、ノルウェー同様IWCなんか脱退してしまっても良いのではないでしょうか?

ゴキブリなみに増えてしまった鯨を守るよりも、ファーストフードを何らかの形で規制する方がよっぽど自然保護になるし、こちらの方が切実だと私は思います。



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かくれ天台宗 投稿者:太田守人  投稿日: 5月20日(月)17時04分27秒

加賀の国には、かくれキリシタンならぬ、かくれ天台宗があったそうです。時は、一向一揆の時代、守護富樫を倒した一向宗徒、鼻息も荒い。富樫氏の宗旨は天台宗だったそうで、天台宗の寺院と見ると、いじわるをした。そこで、このような寺院は、ご本尊はそのままで、南無阿弥陀仏とお題目を唱えていたそうです。加賀の野々市(当時の富樫館のあった場所)から鶴来にかけては、一向宗でありながら、実はご本尊天台宗という寺院が多いそうです。



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文字 投稿者:太田守人  投稿日: 5月20日(月)12時25分08秒

私は、日本には結構古くから文字はあったのではないかと思っています。魏志倭人伝で、邪馬台国の使者は、矢張り国書を持っていったでしょうし、国家機構がある以上、なんらかの記録を残す必要があったと思います。それが、漢字でなくても、例えばインカ帝国のキープのような、紐の結び目で表す文字であっても良いとおもっています。



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お2人の意見 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月20日(月)11時28分41秒

それならば理解が出来ます。

それに、南朝を過小評価しなくてもきんたろうさんと太田さんの意見は成り立ちます。と言うことは私の目的は達成されました。南朝が北朝より強いか弱いかは2人の意見にとっては必要不可欠なことではなかったのが明確になりました。

私にとっては「倭」がどこを指しているかはどうでも良いことです。ただ、南朝よりも北朝の方が強いとか、南朝の方がごじゃっぺだったと言うのは正しくないからそれを訂正したかっただけですから。クーデタや内乱の数では北朝も南朝の引けを取っていませんからね。



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安部さん 投稿者:太田守人  投稿日: 5月20日(月)08時53分05秒

私が,言いたいのは、倭は日本の専売特許だとする人が学会を中心に、多数いるが、果たしてそうだろうか?ということです。私は、当時の倭人は、朝鮮半島の南部にもいた,また,中国南部にもいたと思います。確か、中国の史書だったと思いますが、「食料不足になったので、倭人の海人を捕らえてきて、魚を取らせて、食料不足を解消した。」この倭人と言うのは、日本人とは思えません。日本統一の以前の倭人は、中国の雲南あたりから日本、朝鮮半島の南部にいたと思っています。任那日本府は、この倭人のテリトリーを後世このように呼んだと思っています。私は、南北朝までの中国の史書の倭人は、日本の専売特許とは思えないと思います。
また,北朝の史書に、倭人の記載がない以上、倭人は朝貢していないのでしょう。そうすると、例えば、九州国が(私は磐井の乱までは、九州は独立国であった可能性は高いと思っています。)北に朝貢したので、その対抗上南朝に朝貢したとは考え難いし、ならば何故、魏志倭人伝以来お馴染みの北朝に朝貢せず南朝にしたのか?しかも、遣唐使でも大変で遠いところに朝貢したのか?ほんとうに、この倭は日本だったのか?という疑問があります。これが、朝鮮半島南部の倭人の国であれば、北部は多分北朝に朝貢していると思いますので、対抗上南朝に行かざるを得なかったと思います。又、記紀の記述ともピッタリこない、記紀の時代から、400年位前の話です。言い伝えもあっただろうし、いくら記紀が歪曲しようにも、例えば、義元が信長に桶狭間で勝ったなんてことは出来なかったでしょう。そこで、日本の話かということになると思っています。

Toshy(雪狼)さん、私も確たるものは持っていませんが、かぐや姫の話に富士山が出てきますので、平安くらいから身近な山になったのでしょう。ただ、日本の象徴になったのは、徳川家康くらいからかもしれませんね。それまでは、今のエベレストぐらいの感覚かもしれません。おっしゃるとおり、三輪山とか畿内の山の方が親しみがあったかもしれませんね。



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実は 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(日)23時55分10秒

南朝が勝手に倭王何鱈間鱈とつけたのではないかという疑問を持っています。

これは単なる疑問のレベルなのですが要するにハッタリをかけたというところではないかと思うからです。
勿論、当時の倭国が南朝に向かった可能性まで否定している訳ではないのですが...
でもそうならダイナミックな4世紀において中国に行かなかった理由がはっきりしていません。

>それに、「朝貢」という言葉が悪いのかもしれませんが、昔の東アジアにおいては朝貢というのが正式な外交関係であったわけで、つまり中国に使節を送った時点で「朝貢を求めた」と言うことになってしまうと思うのですが?別に何も教えてもらう必要がなくても中国と国交を持つ場合は朝貢になってしまうでしょう。

この場合前提条件とされるのはその王朝が中国全土を支配しているかどうかという点が問題とされると思います。
秦・漢、隋・唐と比べて南朝ごときで皇帝を自称するのは一種の詐称ではないかと考えています、笑

また、朝貢を正式な外交関係というのはあくまで中国サイドの視点ですね。
秀吉の朝鮮出兵にしても「倭乱」と記載されているようですから実情とかけ離れた認識を持つ人達なのだと思います。
まあこれは彼らの世界観ですから来た相手を「朝貢」と表現するのは仕方がないと思いますが...

>冊封体制が正しいとは思いませんが、19世紀までは冊封体制が東アジアの中では正しいあるべき姿であり

これはどうなんでしょうか??
東アジアではなく中国からすれば、だと思います。
尤も朝鮮などは小中華思想にずいぶん染まっていましたからこのような発想もあったと思いますが...
ただ朝鮮の国名をどうするかとか外交や元号など基本的部分はかなり卑屈でしたね。
でも陸続きで一気に攻め滅ぼされるかも知れないと言った状況ではある程度は仕方がないような気もしますがそのストレス発散のために意味もないのに日本を差別してきたわけですからやはり正常ではなかったと思います。

基本的には相手が強ければ従い逆に相手が弱ければ侵入するというのが最もありふれた姿勢だったと思っています。
文章には「正しい姿」とあるのかもしれませんがそれはあくまで作文り中での事だと思います。

私は中国が対等の相手と認めない(例え小国であっても)という態度が分かったので距離を置くようになったのではないかと考えています。
人間は誰でも尊厳というものを持っていると思います。
いくら強力であっても自分を下位に置こうとする相手とは友達になりたくないと思うはずですよ^^
編集済



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データベース 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月19日(日)22時48分42秒

文字がなくても高度な文明を持っていた人達はかなりいたらしいですね。

日本なんかも、国家があったのではないか、つまり帳簿とか付けて税金を徴収していたのではないかと思えるほど、紀元前後の頃には発達していたらしい。

普通私たちは文字がなければ記録ができないのではないかと思ってしまいますが、案外文字などはいらないのかもしれません。

国中の戸籍とか土地台帳を暗記したデータベースのような人間がいたのかもしれません。人間の記憶力というのは実はすごいそうですから、記憶力に優れた人達が、法律、戸籍、土地の権利、歴史、あるいは都市や城塞の設計図など暗記していたのかもしれません。

人類の持つ技術は基本的に6千年前から18世紀の産業革命まで全く進歩していません。ということはあるいは文字を持ってしまったことによって人類の発展は止まってしまったのかもしれません。文字が文明を発達させると私たちは信じていますが、あるいは文字にだまされているのかもしれない。文字は人類を凍結させてきたのかもしれません。

人間は暗記した(これは大脳の暗記だけではなく小脳が覚える体の動かし方も含めて)分しか自由自在に使いこなせません。ですから暗記は大変良いことだと思います。しかし本に書かれていることを暗記するのが難しいのは当たり前です。記憶術ではありませんが、昔の人はもっと上手に大量の情報を暗記する方法を知っていたのではないでしょうか?


昔の方が今よりも未熟だったといっているのは実は「聖書」しかありません。「聖書」でもほかの民族から借りてきた部分ではバベルの塔のように昔の方が発達していたと言っています。まあ何とかの指紋とまでは行きませんが、文字がないせいで消えてしまったけれども四大大河文明並の技術を持っていた文明はもっとあったと私は思います。



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Cafeおねーさん 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(日)22時34分26秒

ウェブメールとメーラーを併用して使っています。
何と言ってもウイルスが怖いものですから...笑

ちなみにメーラーはネスケです。
ブラウザはIEとネスケ・クラシックを使っていますが、やはり使い勝手はIEの方が良いですね^
編集済



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私も 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月19日(日)22時33分53秒

当時の日本と中国の文明の差は文字があるかないかだけで、それ以外の分野ではほぼ同等だったと思っていますが、

倭がどこにあったとしても、中国と交易を求めていたか、それとも名目的な称号だけがほしかったのか、何らかの軍事的援助がほしかったのか、目的が何であるかにしても、当時としては南朝の方へ向かうのが当然ではないかと考えます。北朝の方がそれらの目的にふさわしいと考えるのは、私は後の結果から見ているのではないかと思います。

あるいは北九州の勢力だったら、朝鮮半島とのかねあいで北朝の方へ向かうのが自然かもしれません。

南朝の方へ使節を出したことを理由に、倭の五王が中国の事情に疎かった勢力だったのではないか?というのは無理があると思います。

それに、「朝貢」という言葉が悪いのかもしれませんが、昔の東アジアにおいては朝貢というのが正式な外交関係であったわけで、つまり中国に使節を送った時点で「朝貢を求めた」と言うことになってしまうと思うのですが?別に何も教えてもらう必要がなくても中国と国交を持つ場合は朝貢になってしまうでしょう。

冊封体制が正しいとは思いませんが、19世紀までは冊封体制が東アジアの中では正しいあるべき姿であり、日本のあり方の方が特殊だったのですから(勿論きんたろうさんは御存じのことですが)、朝鮮やヴェトナムが中国に朝貢していたからと言って彼等が卑屈だったわけではないし、逆に日本の方が気高かったわけでもないはずです。それしか正式な外交関係がなかったからです。

倭の五王が(あるいは地方政権だったのかもしれませんが)、南朝から称号をもらったと言うことはやはり彼等は朝貢をしたのです。それにまだ日本という概念もなかったでしょうから、状況次第で、十分力があったとしても、中国に朝貢することは別に不自然ではなかったと思います。倭が日本の半分くらいを治める勢力だったとしても便宜的に中国に朝貢して臣下になることはあり得るはずです。

私は日本人が中国に対してコンプレックスを持つようになり、「朝貢だけは絶対にしない」というような態度を持つようになったのは、向こうの学問が入ってきてからで、白村江の戦いで負けて「脅唐病」が日本中に蔓延してからだったのではないかと思います。自分に自信があるときには、案外簡単に便宜的に臣下になったりするのではないでしょうか?



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常陸風土記 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(日)21時26分18秒

の筑波郡のところに富士山の話が出ています。
富士山の神は先祖の神が来た時にろくに接待をしなかったので雪に覆われるようになったとあります。
一方、筑波の神はよく接待したので非常に恵みを受けたとあります。



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だから 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(日)21時19分05秒

>倭が正確な情報を得ていたとしたら、やはり豊かで文化度の高い南朝に朝貢するはずです。

基本的な考えには朝貢そのものの必要性についての疑問があるわけなんです。



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しかし 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月19日(日)18時57分57秒

南朝が大したことがないというのは認識不足のような気がします。

倭が正確な情報を得ていたとしたら、やはり豊かで文化度の高い南朝に朝貢するはずです。

北朝の北魏は倭の五王の時代には、まだ華北を統一する途中でしたし、華北を統一した後も内乱が起きたりして、倭としても頼るべき相手とは考えないでしょう。つまり南朝が弱くて北朝が強いと言うことを根拠にした太田さんの意見は根底から崩れざるを得ないわけです。

北朝の政治形態がやがて唐の制度となって日本にも導入されますから、北朝は当時の世界の最先端で南朝は老いたる大国ですが、これは倭の五王の時代から200年後の話で、当時生きていた人にとっては南朝の方が超巨大な国家であり、北朝はできたばかりの海の物とも山の物ともつかない政権であり多分当時の人は北魏の方をあだ花だと思っていたでしょう。



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はは^^;; 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月19日(日)10時19分55秒

安部さん、中国の現政権は嫌いだからといって過去を捏造しようなんて考えた事はありませんよ、笑

私は後漢が滅んでから隋・唐の間には中国大陸版民族大移動がありこれによって古代社会とは大きく変質したものになったと考えています。

「願わくば後世また天王の家に生まれること勿らんことを」
これは皇族を一人残さず殺されて譲位を強要された宋の順帝の有名な言葉です。

>>南北朝時代を見てみると太田さんの言われるように南朝の諸王朝ははっきり言って全然大したことがないレベルですよね。
ところがそんな体たらくの王朝に朝貢をした記録を元にして日本の古代史を再構築しているわけですから中国大陸のレベルがいかにかけ離れていたのかよく分かります。

安部さんはこれを深読みしているのでしょうか??笑

中国は養子が後を継いだ家に似ているような気がしますね。
実際は養子によって家が存続したというよりも赤の他人が破産して夜逃げをした家に新しく住むようになったと言うべきだと思いますが...

でも例えば鎌倉時代以来続いている上杉家が全く上杉の血統を引いている者ではない事を言ってもそれは非難でも何でもなく事実だと受け取られるはずなのに中国に対してそれを言うのを自己規制する意識は何処か間違っていると思っています。

これは万世一系に対して下位に属するものだという無意識の感覚があるからではないでしょうか??
でもちょっと違うのです。
編集済



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どうも私には 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月19日(日)01時15分45秒

きんたろうさんが現在の中国の共産党政権を攻撃するための道具に中国史しているように感じられるのですが?

私は5世紀と6世紀においては南朝の方が国力があったので、日本としては朝貢相手に南朝を選ぶのは当然だと言いたかっただけです。そこで易姓革命や支配民族の交代を持ち出す必要はないと思います。南朝は結局北朝に滅ぼされてしまうわけですが、大企業がつぶれる時のように、南朝の人も回りの国々もおそらく南朝が滅びる瞬間まであれほどあっけなく南朝が滅びてしまうとは思っていなかったでしょう。つまり、北朝が強いと言うのは北朝が南朝を滅ぼして中国を統一したと言う後の結果から見ているわけです。5世紀6世紀に生きた人は南朝の方をくっつく相手と見ていたはずです。

日本史も中国史もヨーロッパ史も全く同等に見てしまえば私のような言い方になるはずだと思うのですがどうでしょうか?



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メーラー 投稿者:Cafeおねーさん  投稿日: 5月19日(日)00時48分03秒

きんたろうさんはメールソフト、何を使っていますか。
私はOE。ブラウザはIE、メーラーはOE。
もう完璧に近いくらいウィルスに狙われていますね(>_<)。

http://www9.plala.or.jp/Viennese_cafe/



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太田さん 投稿者:Toshy(雪狼)  投稿日: 5月19日(日)00時00分24秒

富士山が日本の象徴的存在になったのって、いつごろでしょう。
わしは江戸時代の、徳川家康による「一富士・二鷹・三茄子」が大きいかと。
源頼朝と富士山の関係といえば曽我の仇討ちで有名な巻狩りのエピソードはあるけど、
その前後この山が天下に関わる話ってあるかな。。。
藤原氏・平氏・北条氏・足利氏・織豊などと富士山が関わっているエピソードって、
全然思いつかないのですよ。。。。

記紀に富士がないのは、その地方まで勢力が及んでいなかったという説には賛成だけど、
たとえ見えても遠くの山には親しみは持てんでしょう。遠征先の山にも、です。
葛城とか畿内の山のほうに大和朝廷の人は畏敬と親しみを持っていたと思われます。



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歴史の特徴 投稿者:きんたろう  投稿日: 5月18日(土)22時37分13秒

うーん^^;;
ちょっと捉え方が違うようですね。
>南朝の方が数倍国力があります
これは南朝の土地的環境が北よりも恵まれたものであるという事であり南朝の政治システムが(人材を含めて)北朝に勝っていたというものではないと思います。
要するに揚子江付近の肥沃さの方が勝っていたという事だと思います。

>南朝はクーデタが頻発しますが、王朝が代わると言っても全員親戚で、その中での政権のたらい回しです
これこそが中国で言うところの易姓革命だと思うのですが^^;;

東晋が南渡してから隋の統一までの270年以上にわたる南北朝の分裂は、実質的には後漢末からの連続とみなされるますから4世紀にも及ぶものです。
秦・漢の統一帝国崩壊の後にいわゆる中原地方は集団的に移住してきた異民族に奪われました。
中国民族は歴史時代に入って初めて華北の中原において他民族による祉征服の運命を味ったのです。

異民族に征服させられた経験が中国の社会に今日から測り知ることができないほど激烈な衝撃を与えたのは想像に難くありません。
中国の歴史を見ると遼・全・元・清によって4回同じ経験を繰り返していますから異民族の侵入の矢表に立った華北の住民の場合は慣れているために特別には表面上は深刻な表情をみせなくなったようです。

このためこの最初に受けた衝撃の深刻さを過小評価する傾向が見られますが、これは誤りであると貝塚先生が言ってましたが私も全く同感です。

何故ならばこの痛手から立ち上がるには北方からの多くの異民族と融合して安定した社会を作って行く訳ですが、そのためには五胡十六国から南北朝の3世紀もの中国歴史上もっとも長く激しい過度期を経なければならなかったからです。
この重大な意義を見失ってはならないと思います。

この観点の延長線上にあるのが「ハイブリッド漢民族」という意見なのです。

>しかし、日本人だって縄文人の文化をそのまま自分たちの物と考えるのも同じくらい正確ではないと私は思います。

表現が難しいのですが...
当たり前の事ですが人類は誰でも全て混血です。
そして現代人の全ての人の先祖は人類の最初の先祖に辿り着ける筈ですよね。
ですからこのような血統的な意味合いだけをみて民族を論ずるのは結論がずれていく可能性が大きいですよね。

この場合の論点とは要するに歴史を共有しているかという視点で考えるべきだという事なのです。
>西日本と東海の人間は血統的には中国や朝鮮半島から来た渡来系です。
こんなに一言で言い切れるものではないと思いますが...^^;;
要するに日本の歴史の支配的部分を構成する人がダイナミックに変わったという歴史を日本では持っていないという点が中国大陸の王朝興亡史とは決定的に違っている点だと思っています。



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CONSERVATIVE = 保守? 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月18日(土)18時47分34秒

これは訳語が悪いですよね、英語のCONSERVATIVEの意味は「少しづつ現状を変えていく」であって、保守ではありません。だからイギリスの「保守党」は実は「漸進党」なのです。まあ革新の方はドラスティクに社会を変えていくことを目指しているわけですから名前はそのままでも良いですね。

社会を絶対変えない、あるいは昔の状態に戻したい、というのは「保守」ではなくて「反動」です。ですから保守的と言うのが悪口になるのはおかしいですよね。保守は良い言葉です。反動と言って罵るのなら悪口としては意味があると言えます。

戦前に軍部は「革新勢力」と呼ばれていました(笑)

領事館は必要でしょう。日本と中国はもう経済的には離れられないくらい密着していますからね。ちょっとけんかしたくらいで国交断絶まで言うこともないと思います。珍しく中国政府のスポークマンの歯切れが悪いですから,向こうとしてもここまで日本が強硬になるとは予測していなかったみたいです。交渉は良い方向に進んでいるのではないでしょうか。茨城県の上海事務所は不用だと思いますが。

私はパレスチナやアフガニスタンやインドシナの難民に対しては責任は欧米にありますから、日本は全く受け入れる必要はないと考えています。しかし、北朝鮮や中国の難民には日本は責任があります。これは日本が悪いと言うのではなくて、隣の国であるがゆえに責任が生じるのです。今の北朝鮮は80年代後半の東欧に似てきました。もう少しで崩壊するかもしれません。その場合日本にもっと難民が流れて来るでしょう。またいつになるか分かりませんが、中国の共産党の支配はいずれ崩壊して中国が混乱して難民が押し寄せることも予想されます。その難民に対しても日本は責任があります。受け入れなければなりません。その覚悟を日本人はしておかなければなりません。



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少し違ったかな 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月18日(土)15時41分34秒

北魏が華北を統一するのは439年でした。しかし、太武帝は宦官の宗愛によって殺され、北魏の王朝は30年くらいクーデタで不安定になります。ただし中国の場合王朝が不安定なのと国の力は別物であることが多く、この時期に北魏は文明太后のもとで漢人の官僚が活躍して、遊牧民の漢化が進みます。そして孝文帝の親政期(590〜599)にさらなる漢化政策が進められます。しかし中国式の皇帝専制を進めようとする皇帝および漢人官僚側と、遊牧民が対立し、六鎮の乱が起こって(524〜530)、ついでクーデタが頻発し、官僚が虐殺されるなどの事件が起き(河陰の変)内乱状態となって実権は貴族の方へ移ります。

まあ、中国から知識を導入して国を強くしようとしていた日本としては、文化度が高い南朝に朝貢するのが自然でしょう。倭の五王の頃の北朝は華北統一のための戦いと国造りそして内乱に追われて、とても遠方の使節に応対している暇はありません。高句麗との関連で、政治的になら北朝と関係を持つことに意味はありそうですが、当時の日本はまだそういう状態ではなかったようです。あるいは北朝を脅かす力があるというようにで日本は自分を南朝に売り込んだことも考えられます。

このとき実権を得たのが隴西(甘粛)に本貫を持つ名族(武川軍閥)です。宇氏(北周皇帝)独孤氏、李氏(唐皇帝)、楊氏(随皇帝)などです。彼等は唐の時代を通して名族として扱われます。

中国では李姓を持った人が一番多いそうです。これは唐が姓を持たない遊牧民出身の人たちに大量に自分の姓を賜ったからだとも言われています。

唐の文化は北方から来た遊牧民と漢人の文化が合体してできたといえます。しかし、唐の時代を通じて南の方の文化がどんどん強くなります。宋は完全に文化的には南(亡命漢人の子孫)中心の国です。私は古代の中国と現在の中国がきんたろうさんがおっしゃるようにギリシャやエジプトほどには断絶しているとは考えていません。私は担い手が入れ替わったと言うよりは新しい要素がプラスされていったと考えています。どちらにしろ、古代の中国と現在の中国が同じ物だというのは正確ではないと私も思います。

私は漢と唐の間にはそれほど断絶を認めていないんです。

ただし白川静先生の著作を読むと、古代といってももっと古い周よりも前の、中国文明の基礎といわれるものを作った人達と、現在の漢人はかなり違った文化を持っていたらしい。もちろん血統的には彼らの子孫は今の漢人の中に残っているのでしょうが、殷や夏、苗、羌、などの漢字を作ったり黒陶や彩陶などの遺物を残した人達の文化は、中国の少数民族や日本の方に残っているそうです。周ができたときに、それまでの文化がかなり消えてしまったとらしいです。私は殷と周の時にかなり断絶があると考えています。現在の中国の人達が殷の文化をそのまま自分たちの物と考えるのは少し正確ではないかもしれません。

しかし、日本人だって縄文人の文化をそのまま自分たちの物と考えるのも同じくらい正確ではないと私は思います。西日本と東海の人間は血統的には中国や朝鮮半島から来た渡来系です。まあ縄文人の子孫だと堂々といえるのは東北と南九州くらいでしょうか?最近は自分を縄文の子孫だと言い張るのが流行のようですが、日本人というのはかなりいろいろな民族が混じってできていますから、現在の漢人が殷の文明を自分の物だと言い張るのと同じくらいそれは意味のないことです。



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南朝は大したことない? 投稿者:安部奈亮  投稿日: 5月18日(土)14時34分45秒

それは違いますよ、きんたろうさんに太田さん。
南朝と北朝は国力では比べ物になりません。南朝の方が数倍国力があります。領土も3倍くらいありますし、文化も高い。弱いけれど兵力も大きい。

確かに南朝は暗君が出てきますが、これは暗君でも大丈夫なように国家の組織ができていたからです。南朝はクーデタが頻発しますが、王朝が代わると言っても全員親戚で、その中での政権のたらい回しです。だから王朝が代わっても国の中身は代わらない。不安定な国ではありません。安定していました。むしろ北朝の方が戦争を続けて不安定で国力は下がっています。北朝が南朝と対抗できるようになるのは最後の北周になって初めてです。これはもう6世紀も後半になってのことです。欽明天皇の頃です。

倭の五王の頃は中国の北半分は、北魏が弱小政権としのぎを削っていた時期です。まだ北魏も遊牧民の気質が抜けていないですし、とても遠くの国の使節を受け入れられる状態ではありません。

何にしろ、当時の日本の豪族が南朝の方に朝貢したのは当然ですよ。

太田さんは5世紀と6世紀がごちゃ混ぜになっています。太田さんが言われる仏教にのめり込んだ梁の武帝は6世紀の前期で継体天皇の同時代人。そのころ北魏は華北を統一してやっと南朝と対等な力を持ちますが、6世紀の中頃の欽明天皇の頃には北魏は分裂してしまいます。その片割れの北周によって華北が再び統一されるのは6世紀の末期、蘇我と物部が政権争いをしている頃です。そして北周から政権を奪った隋が中国を統一するのが589年。そして聖徳太子が摂政となるのが593年です。



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