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2000/3/5訂正
茨城県水戸市から約20キロメートルほど北に常陸太田市という人口4万人ほどの市があります。何の変哲もない小さな地方の町ですが、ここは茨城県の歴史に於いてかなり重要な場所でした。
6世紀頃、大田部と呼ばれた開墾集団が岐阜県から移住してきたと言われています。彼らは朝廷から派遣されて来ました。当時における一種のテクノクラートのようだったのでしょうか。
彼らはアメリカ西部の開拓民と言うよりは明治の屯田兵に近い存在だったように思っています。いずれにせよ渡来人そのものであったかどうかは別にしても当時としては最先端の技術を所有していたに違いありません。
彼らが水田の開墾、水利、治水工事、稲作の耕作を行いました。こうして出来た水田は屯田(みた)と称されて朝廷の直轄領にされて行きました。この大田部を管理する役人を大田臣といい、その事務所(役場)を現在の常陸太田市に設けたのです。
これによって大田(太田)と言う地名が生まれました。群馬県や島根県にも大田(太田)がありますが、おそらく同じようにして開墾された土地ではないかと思われます。
ただし、秋田における太田とは佐竹氏が移封されて以来特別の意味を持ったようです。
太田とはまさしく字とおり田を広くするとか、田を太らすという意味ですから開墾された土地と言う事に他なりません。韓国の太田も同じような意味が当然あると思います。あるいは本当に韓国の太田の出身者が大田部と呼ばれた部民の故郷なのかもしれません。
そしてこの地域は「大化改新」の功により天智天皇から藤原鎌足に与えられています。