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出雲国譲りの真相 10


開戦前夜

杵築の宮に舞い戻ったタカヒコは、越の国にいる大国主に早舟を送り火神子の最後と筑紫島の事の次第を伝え、自らは杵築の一軍をもって海路から筑紫島へ攻め入る準備をしている事を報告し命があり次第、ワカヒコの騎馬軍とともに先発したいと申し出た。そのころ、大国主は新羅からの渡来人勢力を追い払うため越の国にいた。今回の討伐では新羅の渡来人達が今までにない組織的な反抗を見せたため戦名人と名高い息子タケミナカタと、知謀の士アメノホヒをともなって大きな規模の戦争を遂行しようやく渡来人達を追い払う事に成功した。越の国の押さえとしてタケミナカタを残し出雲へ帰還を始めていた。同行したアメノホヒに騎馬軍を授け先に出雲へ帰し、自らは軍船の修理を待ち越の国を出る準備をしていた。


越の宮は、越前福井にありここを拠点として東国の日本海側の交易港を守備していた。守備といっても東国には大国主に逆らう大きな勢力もないため、韓半島とくに新羅からの渡来人による収奪を阻むためである。新羅にしても国という組織で攻めてくるのではなく、部族ごとに倭国に新天地を求め移住してくるものが殆どで、今回のように本格的戦争になるのは珍しい事だった。大国主に従属を誓い入植を希望するものには青銅器を授け、倭人となる事を許した。大軍を率いて戦をするのは10年以上前にツヌガアラシト率いる天之日矛(槍)の到来以来の出来事である。


アメノホヒは別れ際に「渡来人達の動きには何か裏があるはずです。瀬戸の内海に追いやった天之日矛との連係があるのかもしれません。奴らは吉備の海人を支配下にして瀬戸の内海の交易権を手にいれたと聞きます。出石には降服したタジマモリがいますが天之日矛の長ツヌガアラシトと婚姻を結んだとの疑いは晴れていません。討伐が終わったとはいえくれぐれも油断召されるな。」と言い残して越を後にした。タケミナカタはアメノホヒの心配を笑い飛ばし、「なんの、奴らがいくら姑息な手を使おうとも倭国最強の出雲八千矛の軍をもってひとたたきにたたいてやるわ。」とうそぶいていた。


タケミナカタは強気である。今回の越での戦も後発のタケミナカタ率いる八千矛軍がやってきたとたん戦況膠着を打破し勝利を手にする事ができたのである。個人技の戦闘でも、兵を率いた戦術でもタケミナカタは無類のつわものであった。さて、軍船の修理も終わり、明日の出港を待つだけの夕がたの事である。大国主は供のもの数名と越の国の海に沈む夕日を眺めていた。静かな夕暮れである。八雲が立つような見事な夕焼けは大国主の心に出雲の海を思い起こさせていた。しばらく眺めていると遠くの波間に小舟が一槽頼りなげにゆらゆらと浮かんでいた。


「あれは、舟か?何か舟にのっているようだ。誰ぞあの小船をここまで曳いてこい」と大国主は供に命じた 供の者達が諸手舟を用意している間も興味をそそられたのかじっと海に浮かぶ小船を眺めていた。供の者は諸手舟を漕ぎ出しゆっくりと波間に浮かぶ小船に近付いた。舟を小船に横付けし中を覗いてみると、ー巫女の赤装束が何かを覆うように小舟の中央あたりにかぶせられていた。赤装束は真ん中あたりが、こんもりと盛り上がっており、その下には何か大きなものがあるようだった。不審に思いその赤装束をひょいと持ち上げると若そうな女が一人、裸で舟底にうずくまっていた。供の者達は慌てて女を助け起こし、諸手舟に乗せ変え、大国主の居る海岸の方に船首をむけ、ゆっくりと漕ぎ出した。


女は宇佐出身の巫女で、火神子に仕えていたがこの度のクーデターの時に筑紫島を逃げ出したのだと言う。その時宇佐の港にいた大陸からの交易船に忍び込んだが大陸への中継港である隠岐の島で見付かり、身ぐるみ剥がされ船を降ろされたらしい。女を船に乗せると彼らの信仰する海の神様が怒るからだ。隠岐の民に乱暴をうけた後、小舟にのせられ海に流され越までたどりついたということだった。女は大国主の供の者に頼み込み、中継港因幡まで軍船に乗せて行ってもらう事になった。その夜、女は大国主に礼の言葉奏上するため、越の宮の大国主の居室を訪ねていた。


「因幡までの同行をお許し頂きありがとうございます。」と深く頭を下げたまま、礼の言葉を述べる女に目線をやった大国主は、思いついたように問い掛けた。「宇佐で生まれ、阿蘇で火神子に仕えていたと言うたな?ヤマタイの者が何を目当てに因幡へ行くのじゃ?」 女が、少しあわてぎみに返答した。「大国主様に直接話し掛けていただくとは光栄にぞんじます。実は・・」と言いかけたその時、居室の前で護衛の呼び掛ける声がとどいた。「大国主様、出雲のタカヒコ様より早舟の伝令が参りました。」「何、伝令だと?何事だ。伝令をここへ通せ」と護衛に答えた大国主は、女を下がらせ伝令の口上を聞いた。伝令を聞き終わった大国主は、「うむ、先ほどの女のいうことは真であったか。あの火神子が殺されるとは・・・。」としばし好敵手の死に嘆息した。


火神子とはヤマタイが魏との直接外交を出雲に断りなしに始めた頃から急速に関係が悪化した。それまでは火神子と五分の同盟関係にあり交易も盛んに行っていた。半島の敵対勢力と戦うときは、お互い支援関係にもあったのだ。ヤマタイは古くから半島の南端にも拠点をもち筑紫島から本土へ勢力を伸ばす事を必要としなかったからである。しかし伊都のタカミムスビが権力をにぎりはじめた頃初めて両国間で本格的な戦争が起こったのだ。魏の滅亡により、独力で半島の権益を守れなくなったヤマタイは、ついに本土への東進を始めた。交易がうまくいかなくなり農耕を主産業としたため領地を増やす必要に迫られたのだ。


この時の戦闘は出雲優勢のまま集結した。呉を後ろ盾にした日向の狗奴国がヤマタイの背後をつき北上したためヤマタイは東進をあきらめざるを得なかった。それ以降は交易上の小さないさかいは幾度かあったが狗奴国がなかなか熊本から撤退しないため出雲とヤマタイの関係も膠着していた。「出雲とアメノホヒへ伝令の早船をしたてよ!筑紫島に攻め入る。しかし我が戻ってからだ。タカヒコとワカヒコには軽挙は避けさせよ。陸路から帰ったホヒを追い掛け因幡で合流するように伝えるのだ。」と一気に命を下した大国主は、思い出したように、「ミナカタを呼べ大至急だ」と宮中に響く大声で叫んだ。ゆったりとした夕焼けにつつまれていた越の宮は、夜半に入って、夕方の風景からは想像もできないほど慌ただしくなり、夜遅くまで戦闘準備のための物音が響いていた。そして越の宮は出港の朝を向かえた。