2001/5/7



出雲国譲りの真相28


大物主への道5

その頃タカヒコは、二上山中に居た。いや、居たというより倒れていたという方があたっている。川に流されたあと自力で岸にたどり着いたタカヒコの目にヒオミが二上山へと逃げ込むところが映りヒオミの後を追ってきたのだ。が、山中移動に慣れたヒオミの姿を途中で見失い、彼自身は、石飛礫によって受けた傷による体力消耗もあり、見失ったあたりにあった恐らく山の民たちの道しるべであろう大きな石の影で意識を失いかけていた。


(*1)巨石の下には銅矛が隠されている。またその山の麓には銅鐸が隠されている。銅鐸・銅矛による国土把握とは、小さくいうと、集落域つまり縄張りの主張でもある。土地を把握するために使用された銅鐸・銅矛は使用後、巨石などの下の地中に埋納される。道しるべとしての巨石に魂を注入するのだ。こういった道しるべのための巨石は、「塞の神」としての認識を一層強めて行く。また巨石は「鎮守の神」に代表される自然神信仰の表面上の祭祀対象となっていくのだ。塞の神としての巨石はいずれ、仏教色の強い地蔵尊にその存在意義の半分以上を奪い取られて行く。


この、銅鐸と銅矛と巨石による「塞の神」は、やがて土器祭祀によるそれにとって代わられる。それは農業技術により人口が増し集落が増加してきたことで、「岐」つまり道路やそれを表す境界線を主張する必要とその機会が増えたこともある。貴重な青銅器を使うには、『塞の神』は増えすぎたのかもしれない。


銅鐸は、国土把握の用途を知らない者達にとっては「万能の祭器」でもあった。金色に輝くその姿は、部族統合の象徴でもあり、また銅鐸に記された紋様や絵画、形式の違いによって銅鐸を通し交信したり祈りを奉げる対象つまり『神や精霊の姿』が違ってくるのだ。太陽に祈り、雲(つまり水神)に祈る。また地中に埋めることにより大地を崇める。祭器としての最初は『天・地・水』つまり万物の始源を表していた。これは、やがて『祭器』としての意匠の発達と祭祀する人々の共同体の発展により、無意識ではあったかも知れないが、天(太陽・雲)と地(大地)と人(部族統合の象徴として)の『三元』に対して祭祀に移行するのである。後、王権の伸張の影響により、部族が国家の下に統合されていくと、その中から『人』(王者)だけが突出してくるが、それと同時に『鏡』の信仰が流行し、銅鐸は『祭器』としての役目を徐々に失っていく。


なんとか気力を振り絞り、その大石に「×」印を付けた。自分が道に迷わないため、後を追ってきた仲間に自分の足跡を理解させるためである。しかし、石飛礫によって受けた傷の痛みと多少の出血は強力にタカヒコを眠りに誘った。薄ぼんやりとした意識の中で、何か大きな籠のようなものに入れられ、籠ごと誰かの背に担がれたのをなんとなく覚えている。その「誰か」は山道を歩きながら、しきりに自分に話かけているのがわかったが、彼には答える気力は残されてなかった。籠の揺れ具合はさらに眠気を誘い、ついに完全に眠りに陥ったのだ。


タカヒコが次に目を覚ましたのは床の上であった。どうやら小屋のような建物に寝かされているようだ。半身を起こし小屋の中を伺ったが誰もいない。傷ついたタカヒコの体には手当てが施されていた。当然、肩当や鎧は脱がされている。着ていた鎧や腰にしていた剣は寝床の横に置かれていた。それを身につけ剣を手に取り床の上に座りなおした。
(ここはどこだ??誰かに助けられたような気がする・・・)
記憶をたどってみたがよくわからない。すると、小屋の扉が「ぎぃ」と音をたて開け放たれた。
「おっと、目を覚まされたか。出雲の人だよな。体中傷だらけだったぞ」
と、言いながら満面の笑みを浮かべた若者が小屋へと入ってきた。かなり大柄な男で、タケミカヅチと同じくらいの背格好である。その後ろには彼の妹らしき少女が彼の衣服に縋りつき、半分だけ顔を覗かせタカヒコの様子をうかがっている。出で立ちからいうとどうやら山の民の兄妹らしいが若者の体躯はタカヒコが今まで見てきた山の民とは比べものにならないくらい大きい。


タカヒコがようやく口を開こうとすると若者はそれを遮るように話を続けた。
「よく眠ってらっしゃったな。夜になる前に目覚めてよかった。暗くなって山を降りるのは大変だからね。見たところ相当高貴なお人のようだな。大和川の方で争いがあったようだが、巻き込まれなさったのか?あ、オレはタカマ、こいつはカヤナルミっていう。三輪や橿原の南、葛城・飛鳥あたりを縄張りにしている山人の 一族だ。」
「えっ!葛城??」
「どうした?葛城だとまずいのかい?」
「いや、そんなことはない。でも確か私は二上に居たはず。そこから運んでくれたのか?」
「おうさ、今日はたまたま当麻に食べ物を仕入れに行ったんだ。そこで、橿原の奴ら戦いが起こったって大騒ぎしてるのをきいて見物に行ってたんだよ、その帰りに倒れているあんたを見つけたんだ。ところで、あんたの名前は?」
「これは、申し遅れた。私は出雲大国主の子、アジスキタカヒコと申すもの。どうやら助けていただいたようで・・・・」
「ええ!?あんたいや貴方様かい??次の大物主様っていうのは!!!」
と、慌てて妹の頭を抑えつけ礼をとらせ自らは地べたにへたりこんだ。
「タカマどのと申されたな、頭を上げなさい。貴方は私の命を助けてくれたのだから・・」
「はっ」
と答えたものの頭を上げようとしないタカマの隣に、同じように座り込んだタカヒコは、助けてもらった礼を述べた。


ようやく、緊張の解けたタカマにタカヒコはいろいろと問いただした。今は亡きタカマの曽祖父は筑紫の邪馬台国から、初代火御子の死の直後、何かの事件に巻き込まれ、まだ子供だったタカマの父を連れて、先に橿原に移住していた一族を頼ってやってきたらしい。祖父の亡き後長じて橿原と諍いを起こしたタカマの父は、葛城の山人の娘だった母のところへ婿入りしてタカマ兄妹をもうけた。父母は橿原の者に遺恨があったらしく、橿原一族の誰かに殺されてしまったらしい。タカマ兄妹は母方である葛城の一族として養われる事となり、今は葛城山の中腹に小屋を建て妹と二人で暮らしている。ということだった。タカマは何が原因で自分の祖父や父が疎まれたのか全く心あたりもないし、何も知らないらしい。


そんなこんなで、タカマは橿原に対してはいい印象は持っていない。だから本来なら橿原の市でするべき商売(山で採れたものと他の産物、衣服などとの交換だが・・)をその手前の当麻に運び、代わりに橿原の市に持っていってもらっているのだ。そのため二上山から葛城山辺りまではタカマにとっては庭みたいなものだ。


「葛城族」とよく一くくりにされるが、葛城山系に点在する各部族はヤソタケルら河内の諸部族とは違って、それぞれ縄張り意識が強く、通常交換経済つまり商事に関する事以外ではあまり付き合いを持たない。二上山、葛城山に多く存在する巨石はその縄張りの目印でもあるのだ。血統が混じりにくいのである。したがって他部族との交わりを表す証拠となる「系譜」に対して無頓着な気質を生んでいる。またそれは一方で邪馬台国が開いた国際貿易による利益拡充や文明の発展にやや遅れを持つことにつながって行く。余談ではあるが系譜に無頓着であった彼らは、我々現代人にとって、非常に理解しにくい系統の勢力の一つでもある。だが、葛城系氏族は系譜を紡ぎ出したのが遅かったがゆえに、一つの大きな遺産を残してくれている。ニギハヤヒの系譜と交わった葛城系氏族の一つ『海部氏系図』がそれである。何故二ギハヤヒの系譜と交わることとなったか?これはまた、このお話の展開を待って述べたいと思う。


当時の一大交易基地であった河内から、磯城纒向よりも近い葛城山系の大和側の発展が遅れたことは、地形的なものもあるが、この閉鎖性も関連している。この閉鎖性を打ち破る事になるのが、この二人の出会いなのである。やがて、葛城の地には三輪山の勢力に勝るとも劣らない勢力が誕生することになる。それが後の賀茂氏族、葛城氏族のルーツでもあるわけだ。彼らは、後に「古墳」が各地で精力的に作られることにより一気に交換経済の主役に踊り出る。葛城山系の巨石や良質な玉石が古墳の築造のために大量に必要となったからである。三輪を中心とする原大和国家は、彼らの持つ石と自分たちがもつ中華文明の文物を交換することになる。原大和国家の成長つまり古墳数の増加がそのまま葛城山系氏族の成長につながり、それは葛城古道の整備など、大和という地域が都城化していくのに必要不可欠な要素の一つとなっていくのだ。


やがてその勢力の伸張は、全国各地の石山へ及ぶ。そうなってくると石そのものよりも「運搬とその事業の管理」というものが重要視されてくる。この管理事業はそのまま地方支配のルートともなるのであり、軍事的側面も強く帯びてくるようになる。各地を結ぶ海運事業つまり現地の実効支配権を最初に握るのは、シイネツヒコや、またはニギハヤヒの眷属の一流である物部氏系の海人勢力であり、各地の石山の支配も彼らに委ねられることになるのだが、その利権は一旦まとまった海人勢力を経済的に分離独立させるきっかけともなる。その中からやがて、「葛城氏」後に「物部氏(石上)」「蘇我氏」という大立者が登場してくることになる。もちろんこれだけの単純な理由ではないのだが・・・・・、というのはまた別のお話。


「ここは、葛城だといったね?」
タカヒコは暫くの間続いたタカマへの身上調査を打ち切り、口調を変えて尋ねた。
「はい、そうです」
「ここから、三輪山まで行くには?」
「この山を真っ直ぐ東に出れば、橿原の南にでます。そこから北をむけば・・・」
「橿原の南!」
タカヒコは驚きと喜びを隠せなかった。橿原勢がタカヒコを抹殺しようとしているのは理解できた。が橿原の北を通らないと三輪山に近づけない。これが三輪山に向かわねば成らないタカヒコにとって難関であったからだ。橿原勢が大和川の出口にあたる橿原北部から当麻あたりに網を張って待っているのは解かっている。だが南まで注意しているだろうか?
「タカマよ、悪いが今から三輪山まで案内してくれるか?」
「はぁ・・・・、今からですか・・・・」
「何か、問題があるのか?」
「まもなく夜がやってきますので妹を連れて行かなくてはなりません」
「うーむ、誰か葛城の親類は預かってくれぬのか?」
「オレら兄妹は厄介払いみたいに独立させられたんで・・・」
「なるほど、ではこれをその親類にやるといったらどうだ??」
と、タカヒコは出雲産のメノウで装飾された鉄剣の鞘を差し出した。


「すごく綺麗!」
と、カヤナルミは鞘の装飾見て無邪気に喜んだ
「どうだ?」
「・・・・、あの叔父さんたちならそんな宝物をくれるというなら預かってくれると思う。でも・・・」
「でも?」
「カヤナルミは、叔父さんらを嫌ってる。叔父さんたちもオレらには構いたくないらしい。橿原に睨まれるからね・・・。」
「ふーっ」
と大きくため息をつきタカヒコは天を仰いだ。タカヒコには妹も弟もいる。それを思いだし、この幼いカヤナルミにそんなかわいそうなことはさせられない。と思ったのだ。するとじっと後ろできいていたカヤナルミが言った。
「いいよ、叔父さんのところへいっても」
「!!!、それは駄目だ、おまえのような幼子がそんな我慢をすることはないんだよ」
と、タカヒコはカヤナルミの頭をなでながら答えた。
「よし!」
タカマは何か決心したように呟いた。


「タカヒコさま、貴方様は叔父さんや橿原の奴らに比べてやさしいなぁ・・・・。オレがカヤナルミを籠に入れて担いで行くよ!その代わり条件がある」
「条件とは何だ?」
「あなたさまが、大物主になったらオレを葛城の大将にしてくれ。それとその鞘の中身も欲しい。剣は大物主になった後でいいから・・・・。」
「そうか!葛城の大将になりたいのか!!」
「叔父さんらを見返したいんだ」
「わかった。約束する。では、約束を守るためにお前に新しい名前を授けよう。これを受ければお前と私は兄弟も同然だ。」
「はい、ありがとうございます」


「カツラギタカマヒコ」とタカマは名乗ることになった。「ヒコ」という当時は貴族かそれに類するものしかつけない名前をつけてもらうということは、君臣の契り、家族の契りを結ぶことと同意である。以来タカマヒコの子孫や関係者は、高尾張・葛城・加茂などの勢力へと発展し大和朝廷による大和支配が始まった後も、出雲に近い存在として位置付けられて行くのである。そしてこの出会いは葛城の地に系譜が持ち込まれるきっかけでもあった。


タカマヒコはタカヒコを運んできた大籠に今度はカヤナルミを乗せもくもくと山道を降りて行った。タカヒコの足取りも出雲からの長旅の疲労を、タカマヒコの小屋でのほんの少しの間の眠りで回復させたかのように軽やかだった。大岩の目印にタカヒは×印をつけていくのを忘れなかった。タカマヒコが三輪山へのルートとして選んだのは巨勢から飛鳥を周り笠置山系の多武嶺、鳥見山の麓を通るコースだった。イワレヒコらに見つからないのを前提としているが、鳥見山の麓近くにはイワレヒコが大和入り後、最初に暮らしたイワレの村がある。もちろん人目につかない山中を行くつもりだが、ここがこのコースの難関になるだろう。通常なら半日、のんびり歩けば丸1日はかかる距離だ。しかし何があっても今夜中には到着したいというのがタカヒコの本音でもある。途中はぐれた伊和大神らのことも気になるし、大物主がタカヒコを待ちかねているのも理解していた。


葛城山を下りたところにある巨勢の集落で橿原勢が南部にも探索を行っていることが解かった。タカマヒコの旧知の者からの情報である。ごく少数の騎馬での見まわりらしく、馬が走れない山中を行けばかち合うことはないと思われた。巨勢から飛鳥までの道程は馬の通れるなだらかな地域であり、ここさえ抜ければあとは三輪山まで山中を進めるのだ。


タカマヒコは少し不安だった。自分一人なら飛鳥までの距離ならどうって事はないが妹を背負い、タカヒコを連れての歩きでは、騎馬に出くわすとそれまてでである。その不安が彼らの足を急がせた。次の斜面を下れば、まもなく吉野川の支流、曽我川が見えてくるはずだ。


「あれは?何??」
背負い籠から顔を出したカヤナルミが飛鳥(曽我川)の方角を指差した。指差す方には二騎の見まわり兵らしき影がいた。辺りは薄暮である。向こうの二人がこちらに気が付いているかどうかさえよく解からないがニ騎は少しづつこちらに近づいている。タカヒコは茂みに隠れるようタカマヒコに指示した。タカヒコもすぐ隣の茂みに身を潜めやり過ごそうとした。


二騎の見回り兵は、闇に覆われるのを恐れたのか、馬首を返し飛鳥の方へと戻って行った。なんとかここで見つかってしまうことは避けられたが、飛鳥方面へ近づくことに不安感は否めない。そのまま飛鳥から橿原を目指していったかどうか皆目見当もつかないのだ。
「まずいな」
「うん、飛鳥の村へは入らない方がいいかもしれない・・・」
と、二人は顔を見合わせて呟いた。
「せっかくここまで下りてきたけど、また山道へもどるしかしょうがないよ。山の中を東へいきましょうよタカヒコ様」
「そうだな、飛鳥の手前の曽我川に兵が配置されてるかもしれないし・・。」


3人は、道を外れまた山道を進むことにした。曽我川をなんとか越え、飛鳥の方角を目指して歩いていると飛鳥方面からこちらへ向かって歩いてくる山の民らしき4・5人の男たちに出くわした。彼らはタカヒコ達を視野に入れるや否や、ぱっと両脇の茂みに散った。


「あれは??」
タカヒコは突然の出来事に立ち尽くしてたが、慌ててタカマヒコの方を振り向いた。
「ああ、心配することないよ」
「えっ?知った顔なのか?」
「いや、そういうわけじゃないが、あのカッコは橿原や磯城のもんじゃねぇ」
「では、葛城の?」
「うん、多分、大方飛鳥の方へ出かけた帰りだろう」


しばらくすると、タカヒコたちの真横の茂みの中から声がかかった。
「おい、そこを行くのは葛城のタカマではないか?」
「おっ、当麻のじぃ!!どうされた?こんなところで?」
男たちは、タカマと同じ葛城山系の山の民で、二上山の麓、当麻辺りを縄張りにしている。主に、石切と運搬を仕事にしている部族の者達だった。市を代行してもらってる関係もあるので、お互い顔と名前は知っている。
「それはこちらの聞きたいことじゃ、お主こそ今頃からどこへ行く?」
「ちょっと道に迷った人がいて、案内をしているところ・・・」
「案内??」
と当麻のじいと呼ばれたその男は茂みから出てきて、タカヒコをじろっと眺めた。
「うん?出雲のお人か?」
「違うよ、じい。三輪山のお人だけれど、巨勢のあたりで迷ったらしい」
と、タカマヒコは誤魔化した。
「そうか、ならいいんだが・・。橿原の者が出雲人を見かけたら通報しろとあちこちを周っているからな。巻き込まれたら偉いことだ。」
「で、じいはどこからの帰りだ?」
「そうそう、そろそろ大物主さまがお隠れになるやもしれぬというので、お隠れ所(石室、前方後円墳)の石の段取りをしたいと、ニギハヤヒ様から呼び出されてのう大市のある海柘榴市(つばいち)まで行っておったのだ。その帰り橿原を横切ろうと思ったらこの騒ぎで通りぬけできんかった。おかげで鳥見山まで逆戻りせねばならんようになってこんな遅い時間になってしもうた。」
と、言いながらもう一度タカヒコを嘗め回すように視線を這わせた。


「そうか、やっぱり橿原は厳戒態勢か・・。な、三輪のお人こちらを回ってよかったろう??」
タカマヒコは、怪しまれないようにとぼけた言葉をタカヒコに向けた。三輪山の人ということを強調したつもりである。
「ああ、ありがとう」
タカヒコは出雲なまりを覚られないよう短く答えた。しかしそれがかえって当麻の者達に不信感をいだかせたのである。何しろタカヒコは出雲人でないと持ってないような剣と鎧を身に着けているのだ。


当麻のじいと呼ばれる男は、タカヒコに感じた不審を敢えて隠し、道中気をつけるようにと、タカマヒコに言いつけ、葛城の方へと去って行った。しかし当麻の長である彼は、当麻の村が騒動に巻き込まれないように手を打っていた。自分がタカマヒコらを足止めしている間に、出雲人らしき者が飛鳥山中にいることを、ニギハヤヒへ伝えさせるため、仲間の一人を三輪へ戻らせていたのである。それを知らない、タカヒコらは何とかやり過ごせたと思い先を急いだ。


その後、順調に歩みを進めたタカヒコたちは、鳥見山の南までやってきた。木々が騒がしい。どうやら大勢の人間が潜んでいるらしく、いやな感じが伝わってきた。西に見えるイワレの村では、火が焚かれ如何にも臨戦態勢という雰囲気が醸し出されている。


いやな感じがしながらも進んで行くと、鳥見山のくねった蛇のような細い道が少し広けた。タカヒコ達がそこへと出た瞬間、あっという間に数十人の男たちに囲まれてしまった。男たちは何も言わずじりじりと包囲を狭めてきた。みんな山の民らしい装束をしていたが手には石斧や小刀みたいなものなど様々な武器を携えているのが解かる。


タカヒコは暗闇からの襲撃に一瞬ひるんだが、気を立てなおし、腰の剣をスラリと引きぬき片手上段に構え名乗りをあげた。
「我こそは、出雲大国主の子、アジスキタカヒコネなるぞ!」
男たちはタカヒコの大音声の名乗りに少しひるんだ。それを感じたタカヒコは、タカマヒコとカヤナルミに心配するような視線を送った後、尚も大きな声で叫んだ。
「我は今、三輪山への道を急いでいる。悪いがお主たちの相手をしておる暇はない!!」
というや否や、真正面にいる小男めがけて飛びかかり頭上に剣を振り落とした。
が、その男の背後から突然飛び出した大男がタカヒコ振り下ろした剣を、長大で金色に輝く銅剣で受け止めた。
『ゴン』
と鈍い衝撃音があたりに響いた。タカヒコは、慌てて剣を手元に戻そうとしたが、彼の鉄剣は銅剣に食い込んだらしく、容易には引き戻せなかった。


「お待ちなされ!」
銅剣でタカヒコの鉄剣を受け止めた大男は叫んだ。そしてもう一方の手で持っていた銅鐸を、タカヒコにじっくり見せるように顔の正面に掲げた。
「アジスキタカヒコネ様、お待ちしておりましたよ」
と、大男は笑みを浮かべ言葉を続けた。

男の名はトミビコ。ナガスネヒコの兄である。ナガスネヒコが三輪山の勤めに出ている間、鳥見山のナガスネ一族をまとめる立場にあった。彼は、船倉にもぐり込み三輪山に潜入したナガスネヒコから連絡をうけ、鳥見山周辺に網を張っていた。タカヒコを保護し、無事に磯城纒向の三輪山に連れて行くためである。


トミビコの持っている金色の銅剣は異名を(*2)「金鵄の剣」という。大和の開祖加茂武角身の持っていた剣と同名であるが、勿論レプリカである。本物は三輪山の北麓に位置する穴師の里の神域に埋納されている。加茂武角身の遺体とともに・・・・。現在、(*3)『穴師坐兵主神社』が建つ山がその場所である。


「さあ、この『金鵄の剣』を閃かせ、共に三輪山へと乗り込みましょうぞ!」
と、両者の挨拶の儀式が済み、タカヒコらに合流することを誓ったトミビコと鳥見山の面々は勢いづきタカヒコに進言した。だがタカヒコは彼らを押し留めた。このままなだれ込んでは、三輪山に対して戦いを挑む形になるからだ。
「トミビコ殿、私を穴師の加茂武角身様の眠る場所へと、案内してほしい」
「???」
「ひとつ、考えがあるのだ」
「考えとは???」


タカヒコたちは、謀議をした後二手に別れた。トミビコが率いる本隊は磯城を目指し、タカヒコとタカマヒコとカヤナルミ、それに案内のための数名は穴師の里へ向かったのである。


タカヒコが、遠く出雲から歩んできた大物主への道もあとわずかである。



(*1)
江戸時代の出雲大社の造営時、境内に巨石があった。その巨石を除いて現在の命主社を建てる工事が施されたのだが、その巨石の下から銅矛、銅戈が発掘されている。出雲大社近くにも銅鐸が埋められていると筆者は思っているのだが、それが境内(素鵞社の奥あたり)なら言う事無しである。


(*2)
『神武東征神話』と呼ばれる神話には、『金鵄の導き』により大和入りが果たされた事が記されている。金色に輝く銅剣を大きな羽を広げて飛ぶ鳥に見たてたのではないだろうか?


(*3)
「兵主社」といえば、通常、スサノオや大国主をはじめとする出雲系といわれる神々が奉られることが多いが、この『穴師兵主坐兵主神社』には、一説には『天日槍命』が祭られているとも言われている。しかしこの神社の建つ位置は、三輪山の北麓に広がる纒向遺跡を見下ろす山中にある。これは北方から寄せくる敵から纒向を守ることを意識して祭祀されるようになった「塞の神」の祭祀の場ではなかったか?と筆者は思っている。また、この神社の最初の御神体は『鏡が三面と鈴』であると伝えられている。三元に音を響かす『銅鐸』をその背後に感じるのは筆者だけであろうか?