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イザナギ、イザナミは国生みを終えた後も次々と神を生み続けます。そしてイザナミは「火の神」を産んだ後病を得て、イザナギを残し黄泉国に先立ちます。
イザナギは死んだイザナミを追いかけて生きたまま黄泉の国へとたどりつきますが、そこでみたのは変わり果てた妻の姿でした。全身に雷を纏い蛆をはわせたその姿は「死者の穢れ」というものをうあらわしています。
ここで二人はけんか別れをしますがこの場面は類型神話によくあるパターンです。
黄泉の国から戻ったイザナギは筑紫の国に降り立ちそこで禊を行います。この時右目を洗うとアマテラスが、左目からツクヨミが、そして鼻を洗うとスサノオが生まれ落ちます。この三柱の御子神を三貴子と呼びます。
イザナギはアマテラスに高天が原を、ツクヨミに夜の国を、そしてスサノオには海原をそれぞれ治めるように命じます。
この部分も類型神話なのですが、他の神話とは性別の逆転が起こっています。アマテラス=太陽神は男であるはずなのです。そしてツクヨミ=月神は女性は女性というパターンが最も一般的なパターンなのですが日本神話ではこの太陽と月の神の性が逆転してしまっているのです。
これはアマテラスが女性でなくてはいけない理由というものがあるのです。ツクヨミはおまけで男性にされたようです。その理由は「魏志倭人伝」なのです。
魏志倭人伝には卑弥呼という女王の存在が記されています。この卑弥呼にあわせてアマテラスは女神にされたのです。
古事記の編纂は西暦700年以降なのですが、この頃大和朝廷は中国の唐と国交を結んでいます。日本の歴史が記されている魏志倭人伝の内容も知っていたはずです。大和朝廷は女王によって治められていた邪馬台国をモデルににしたのではないかと推測しています。そのため女神アマテラスが必要だったのです。
しかし、日本を中国に負けない歴史のある国とするため神武東征を紀元前660年としました。ここで年代のずれが起こりました。
魏の時代は220年以降ですので神武以前のはずのアマテラスが神武以後になってしまいます。そこで神功皇后の三韓征伐の神話を挿入して、卑弥呼=神功皇后というのを示唆したのです。
大和朝廷は邪馬台国の存在を魏志倭人伝で初めて知ったのではないでしょうか?
大和朝廷の前身が本当に邪馬台国ならば、その事に触れても良いはずです。しかし大和朝廷自体が邪馬台国の存在を知らなかったためこのようにぼかす事となったのではないかと考えています。
ツクヨミは漢字で月読と書きます。つまり月齢を読む神であり暦の象徴でもあります。しかし古事記において登場場面はアマテラスとスサノオにくらべてほとんどないといってもいいでしょう。日本神話には天空神話がありません。本来ならアマテラスと並んで天空の物語をくり広げるはずなのですが、ツクヨミは男神とされてしまったため月の物語(かぐや姫のような)を演じられなかったのでしょう。
その代わりに、アマテラスと数々の物語をくり広げる事になったのがスサノオです。神が鼻から生まれるというタイプの神話は類型神話の中では、日本とインドにしかないようです。両目からそれぞれ神が生まれ出る話は世界中
にありますが、鼻からというのは珍しいタイプらしいです。
スサノオは出雲の祖神という側面ももつ非常に魅力的な神でもあります。高天が原におけるアマテラスとの確執や、泣き出すと台風をも巻き起こすほどの荒ぶる神としての側面など、その神格は桁外れに広く、大きいのです。
一部の教派神道では、スサノオこそが日本全体の創造神で、最も高い神格をもってい
るとさえいっています。キリストや釈迦などはスサノオの一部でしかないという奇想天外な教義なのですが、それほど魅力的な神であるという事なのでしょう。
ヤマタノオロチの成敗など他の神神の活躍にくらべて異彩をはなっているのも事実です。オロチ退治から後のスサノオはそれまでの乱暴な印象から出雲の救世主となり、稲田姫との結婚は稲作を広めたのはスサノオであるという暗示をしているのだと思います。