今月の特集題 魂の配慮

 

                      一言の重み       下邑裕子

 

  3月9日土曜日、私は身内の住職と終末を迎える未知の一人の女性の病床訪問をした。自力呼吸ではなかったが意識はしっかりと奇跡に近い状態で保たれていた。残された時は僅か、私を見据える様な眼差し、そっと握手をすると、ぐっと握り返して、一言「私の心にも神様は来るでしょうか」との問いに、私はためらう事なく「来て下さいますよ、素直な心で願えば」と言った。女性は静かに優しさが宿る様な目で頷いた。一瞬たりとも目を反らさず、至らぬ私の存在をかけて心の内に祈った「御心のままに」と。「有難うございました」の一言を残し、すべての力を私の手に委ねる様にすっと力が抜けた時の感触に生と死の瞬間を見届けた。この時を私は生涯かけて忘れない。会って僅か5分足らず、37歳の若さでその短い生涯を終えた。医師の御臨終ですの言葉だけが耳に残り住職の頷きが印象的だった。

女性は身内を同じ病気で亡くし一人残され、十年余の闘病生活にすべての心のケアをかたくなに拒絶し、自身のエネルギーだけを確信していたが遂に力尽き心の内に動揺を覚え、何回か神の存在の有無を問われた由。

同行の住職から神の存在有無ではクリスチャンの私が女性の意に叶うのではないかと、その日の会合の席で言われた。時間がない、聴いて欲しい、と私も考える余裕なぞなかった。もし私にも拒否されたらそれ以上の手だてはないという苦悩の決断だったと後で聞いて心が痛んだ。

死を見据えた心こそ真の強さを持っている。命と引き換えに死を迎える女性の心の内に神は宿られ、命果てる者、命ある者たちの魂への配慮、他者との和解と配慮がその女性の最期の「有難うございました」の感謝の一言に含まれていた。故マザーテレサの宗派を超越し、個人の意志と人格を尊重した言葉を実践したと思った。

10日(日曜日)の石橋先生の礼拝説教の聖書の箇所「初めに言があった。言は神と共にあった。」(ヨハネ1・1)「言の内に命があった。」(4節)の御言葉が真実を示しているので、今更私が何を書く必要があるのかと思うが、まだ余白があるので書かせていただこう。

今思えばあの女性の胸中に去来したものはどの様な事だったのか。何かを待ち続けて苦しくとも耐えていたのは神の存在か、確かなものを心にしっかり受け止めて希望を託し、平安の内に召されたと信じたい。もし私が女性の事を知る時間があったら私はきっと拒否していたと思う。

最後に、アメリカの讃美歌か聖歌か不明だが私のCS時代に教えられた「心にわが主よ入り給えイエスよ。この身に来たりて宿り給え主よ」この歌詞を私の祈りとして待ち望んでいたあの人に心から贈りたい。

(しもむら ひろこ)

 

     魂の救い       乙部栄次郎

 

「みつばさ」子から標題について書くようにと原稿用紙が週報棚に入っていたが、重いテーマに些か魂に緊張を覚えつつペンを執る。

今年は暖冬の影響で、桜の開花が例年に比べ十日も早く、気象庁観測以来初めてとのことである。

「しきしまの大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」これは江戸時代の著名な儒学者、本居宣長の詠んだ歌であるが、若かりし頃これを好んで吟唱したことを覚えている。

戦前はこの大和心こそ、世界に冠たる「大和魂」として国を挙げて鼓吹称賛し、日本人の秀逸性を誇る合言葉でもあった。

「尺余の銃(つつ)は武器ならず、寸余の剣(つるぎ)なにかせん、知らずやここに二千年鍛えきたえし大和魂(だま)」これは当時歌われた軍歌の一節である。この「魂」は日本人の精神主義を強調したものであるが、誤った精神主義が「大和魂」の過信を来たし、愚かしく無謀な戦争による惨禍を私たちは体験をさせられてきた。

だが然しその一方、最近の荒んだ世相を見聞きしていると、「朝日に匂う山桜」のように清々しい大和心を私は今も慕わしく思うのである。

「魂」とは単に精神と言うことより肉体を持つ人間の最も本質的な「核」のような存在を指し示す言葉のように私は思うのだがどうであろうか。

古代のギリシャ人は肉体は滅びても「魂」は不滅とする心身二元説を考えていたようであるが、鎌倉時代永平寺の開祖、道元和上は「魂」の不滅と言うのは外道の誤説で、「心身一如」「生死即涅槃」が仏法の正説として説かれたそうである。

讃美歌にも「魂」を歌った曲は数多くあるが「わが魂の慕いまつる」(512)「わが魂を愛するイエスよ」(273)など私は好きである。

新約聖書で聖母マリアは「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」(ルカ1・47)と「魂と霊」とで神を賛美している。

創造主である父なる神は聖霊によりイエス・キリストの十字架と復活を信ずる信仰の恵みを賜り、私たちの「肉体も魂も」共に罪赦され新しい命に生きる望みの約束を聖書に啓示して下さっている。

キリストを主と仰ぐ救いの信仰に与る者とされていることの喜びに聖名を崇めて感謝するものである。

「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」(ヤコプ1・21)

(おとべ えいじろう)

 

支えられて     K.T

 

あの時の状態を正確に伝えることはできません。ただ(これはいつもと違う)と、感じたと同時に私の記憶は途切れたのです。気がつくまで3分ほどかかったようです。乗っていた地下鉄が、6分おくれたとの駅員のアナウンスが、はっきり聞こえて、そのまま救急車で病院のCCU(心臓疾患集中治療室)に運びこまれました。

心電図などのチェックがあって、CCUでなくても、個室でいいだろうということになり、のんきに夕食を、そろそろながら始めたとき、また、気の遠くなる感じが襲って、モニター心電図を見ていたらしいドク夕−や、ナースが飛びこんできて、CCUに逆戻りしました。

(どうして、またこんな事になってしまったのか)その時の自分の状態が理解できないまま、一日目の夜を迎えました。その夜は一睡もできませんでした。

二日目の夜になりました。この夜はどうしたことか、不安を抱えながら、ぐっすりと深い眠りに入り、夜明けの四時頃、静かな穏やかな寝息が耳に入り目覚めました。部屋には誰もいません。あまりにも快さそうな寝息に、開け放たれたドアの外の廊下に誰かが倒れていて、そのまま眠りこんでしまったのかと、私はベッドの上から目を凝らしました。

人の気配はありません。結局、どこから聞こえてくるのか、わからないまま、その寝息はフッと消えたのです。十日後、どうやら退院することができました。

それから一か月もたたないとき、私は、突然、あれはイエス様のまどろみだったのだと信じたのです。

神は、まどろむことなく私たちを見守って下さると聖書に書いてあります。けれどあの時の私のイエス様は、一日目、枕元に眠ることなく、おいでになった。そして、二日目、(今夜は私がまどろもう)という囁きを、私の魂に吹きこんで下さったのです。砕けそうになった魂に、(あのとき私がいたではないか)と悟らせて下さったのです。何という慰めでしょうか。

もう孤立無援と思ったとき、主が共にいて下さるという確信は、私たちクリスチャンに与えられた恩恵ではないでしょうか。

魂の配慮という題を頂きましたが大それたことのように思えて疎んでしまいますが、でも、私は他の人に配慮をして頂いたことがある。私もできることなら、優しい心と、そして、雄々しくあれという聖書のみ言葉にしがみついて、精一杯の努力をしようと恐る恐る覚悟したのですが。

 

 

越谷教会月報みつばさ2002年4月号「魂の配慮」より

 

 

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