三遊亭兼好の動静
徒然なるままにつづる絵日記
2020年1月1日
近頃、僕、人気、落ちた。
口惜しい。昔、僕たち、とても人気あった。
人間となかよしだった。
今、猫に負けてる。悲しい。
パンダ、人気だ。うらやましい。
あいつ程じゃなくても、人気、回復したい。
あけまして、おめでと。
今年、戌年。
僕がんばる。
兼好も戌年生まれ。
あいつも、がんばる。
僕と兼好、応援、たのむ。
2018年1月1日
あけましておめでとうございます。
年に一度の絵日記更新です。
今年もよろしくお願い申し上げます。
あ、そういえば本HP管理者さんのおうちに
お子さんが生まれました。おめでとう!!
このニワトリ一家、管理者さんご一家に
どことなく似ているような、、、。(2017年1月1日)
あけましておめでとうございます!
なんとこの日記も年一度の更新になってしまいました。もはや「日記」ではありません。本当に申し訳ありません。
でも、今年こそ、見ていて下さい。
「え!?どうした、兼好、なぜそんなにやる気を出しているんだ!」というくらいに更新していきたいと思っています。
どうぞ本年もよろしくお願いします!!
二〇一五年さん、こんにちは。
「もう二〇〇〇年代なんだねェ」などと言っていたら
早くも二〇一五年です。
私も四十五才です
子どもの頃は、自分が四十五才になるとは
思ってもいませんでした。
四十五才はおじさん達のもので、自分には
関係ないと思っていたのです。
体力、知力はもともとそれ程なかったので
衰えを感じませんが(しかし、確実に、なわとび、
跳び箱、マット運動などが出来なくなっており、
新しいことが覚えられず、古いことを忘れるように
なっています)、集中力が低下してきました。
これではいけません。
今年は「何事も集中力をもってやる」これが目標です。
とり急ぎ、この文章を書くのもあきて来たので
昼寝に集中しようと思います。
本年もよろしくお願いします。
………羊が一匹…羊が二匹… 兼好
二〇一四年よ、さようなら。
今年も皆様には大変お世話になりました。
「結局一度も絵日記を更新しなかったわね」と
お怒りの方もあるでしょうが、
おゆるし下さい。
現在「東京かわら版」という小冊子に
ほぼ絵日記と変わらない文章(残念ながら、
今年の「このミステリーがすごい!」大賞からは
もれた)が載っているので参照下さい。
さ、今年あった嫌なこと(妻の手料理など)は忘れて
新しい年に向けて心入れ替えましょう!
今年もどうもありがとう!
来年もよろしくお願いします! 兼好
寒中お見舞い申し上げます。
2014年1月13日配信
来年も元気な姿を
今年も、まさに終わらんとしている。
さようなら、平成24年。
まさか、一年間、まるで絵日記を書かないとは思わなかった。
「ちょっと忙しかった」「東京かわら版に連載しているからいいじゃないか」
「しっくりくるペンが見つからなかった」「医者に止められた」等、
さまざまな理由で絵日記が書けなかった。
「東京かわら版はギャラがもらえて、ホームページは無料だから力が入らないんですか?」
という意見があった。
この人はプロの女流漫画家だから、痛いところを平気でついてくる。
でもそれは違う。力が入らないんじゃない、力を抜いているんです。
決して、ホームページの絵日記を忘れた訳じゃない。
いつも心の奥底にあって、意識的に表面へ出てこないように努力しているのだ。
第一、東京かわら版に加えて、ホームページも頑張って書いたとする。
と、どうだろう、妻の悪口を2倍書くことになる。
そんなことをすれば、独裁政権に対する人道家並みにこの身に危険が迫るではないか。
無料で悪口を言われるよりギャラをもらって悪口を言われた方が、
妻の怒りも少しはおさまるというものだ。
そうだ、この際だから東京かわら版の方に言っておこう。
あなた方の決めたギャラでは妻の怒りはおさえ切れません。
連載3回分で家が建つくらいのギャラを下さい。
そうでないと、私が危険です。
さようなら平成24年。来年も元気な姿で会えることを切に望みます。
(2012年12月30日配信)
近ごろ存在感が増してきた
2011年12月21日配信
次女が修学旅行でタクシー
運転手さんと交流
日記を書きたい
2010年12月28日配信
2010年9月5日配信
夏バテしないように
2010年7月8日
中学生から質問攻め
私が絵日記を更新しない間に悪口や賞賛や賛同や同情の言葉をかける間もなく鳩山首相が辞め、菅首相が誕生した。それだけ更新しない期間が長かったのか、首相の在任期間が短かったのか、識者で意見の分かれるところである。
鳩山元首相がさて辞めようか続けようかシルクのパジャマを着て羽毛布団の中で考えている時、私も別にただ遊んでいた訳ではない。仕事をしながら遊んでいたのだ。
特に六代目円楽の襲名披露公演では全国あちこちに連れて行ってもらえる。最近ではめずらしい泊まりの仕事も何度かあった。
中でも嬉しかったのは熊本で仕事をした時だ。
前日宮崎で公演があり翌日熊本入りしたのだが、六代目円楽師匠はじめ各師匠方は色々と用があり、私一人、昼間「自由に行動して下さい」ということになった。嬉しい。広い原っぱに首輪をとかれて「行け!」と声をかけられた犬のような気持ちになった。
さて何をしよう。人間あんまり嬉しいと頭が上手に回転しない。この自由な時間をなんとか有効に使いたい。無駄なく、楽しく、しかもあまりお金のかからない方法はないか。一生懸命考えるがうまくまとまらない。ただでさえ、旅の仕事で妻から解放されているという喜びがあるのに、その上自由行動時間だ。脳が冷静に機能しないのも無理はない。
とにかくやりたいことをメモ用紙に箇条書きにしてみる。
@あやしげな街をひやかして歩く。
A馬刺しを腹一杯食べる。
B脂ギトギトの熊本ラーメンを腹一杯食べる。
C熊本弁をマスターする。
箇条書きにしてみて、自分の熊本に対する無知と想像のなさに愕然とする。
まず「あやしげな街をひやかして歩く」には、昼間は不向きだ。夜になってネオンがチラチラ光るようになってはじめてそこが妖しげな街だと認識できるのであって、昼間はダメだ。
馬刺しを昼間から腹一杯食べるのはどうだろう。食って食えないことはないだろうが、馬刺しだのうるめいわしだのというのは、陽の高いうちに酒も飲まず一人で食べるものではないような気がする。第一その晩、他の師匠方に「どうだい、せっかく熊本に来たんだから馬刺しのおいしい店に連れていってやろう」と誘われる可能性は大きい。
熊本ラーメンを食べる。これは魅力的だ。しかしその晩馬刺しのおいしい店でお酒を飲むとすれば「じゃ、帰りにラーメンでも食べて行こう」という流れになるかも知れない。ラーメンは一人淋しく食べるより飲んだ後ワァワァ言いながら食べた方がおいしい。馬刺しもラーメンも、夜に期待しよう。
熊本弁をマスターする。この短い時間にそんなことが出来るくらいなら民俗学者か「全国の方言を自在にあやつる漫談師」か「全国どこからでも立候補できる政治家」になっている。これは無理だ。
仕方がない。ホテルでぼんやりしているよりは、と熊本城を見学することにした。
私はお城と蔵を見るのが大好きである。一日眺めていて飽きない。
ではなぜはじめから熊本城見学を第一候補にしなかったか。
学生の時、一度九州地方を旅した時、当然熊本城も観光した。その時マァなんと雄壮な面構えの城なのだろうととても感動し、文字通りまる一日城内をうろうろしていたことがある。当時感動した想いがあるから、下手に今見て、「なんだ、あの時思っていた程良い城じゃないなあ」と思うのが嫌だったのだ。
でも仕方がない。思い切って登城する。
何も心配することはなかった。城も石垣も以前と変わらず堂々とそこにあった。年月を経て、益々それらは私の胸に感動的に迫った。
新しく屋敷も復元されていて観光客も少なくない。私は多くの観光客から離れて、独り感傷的に天守閣を眺めていた。
と、修学旅行だろうか、学生服を着た男の子三人、女の子が二人、石垣の上に腰をおろして休んでいる私を見てヒソヒソと話しをしている。男の子の幼い顔立ちからして、中学生だろう。
「あの人に聞いてみる?」
「今休憩中じゃない?」
「さぼってるだけじゃない?」
私はすぐに気づいた。彼らは私の着物姿を見て、城内を案内するアルバイトの一人と間違えていることを。
そう、今全国色々なお城でやっていることだが、甲冑姿の侍やお姫様、裃(かみしも)袴姿などの格好をしたアルバイト、あるいはボランティアの人たちがお城を案内しているのだが、熊本城にも何人かそういう人たちがいて、門や城の入り口に配置されていた。私もその石垣に着くまで何人かそういう人たちを見かけたし、なぎなたを持った女性とすれ違った時は「ご苦労様です」と声を掛けられた。
だから、中学生グループが私をそのアルバイトの一人と勘違いしているのは間違いない。
私が立ち上がって中学生の前を通ると、一番背の高い女の子が、
「すみません、写真撮っていいですか?」
と近寄って来た。
「ええ、いいですよ」と軽く応える私。こういう時、私はサービス精神旺盛である。
「ここより、こっちの方が天守閣がバックに入ると思うよ」と、それらしくアドバイスもする。
何枚か写真を撮った。
「すみません、こっちの門を抜けるとどこに出るんですか?」
「小さい方の展望台みたいになってるところは何の意味があるんですか?」
「この広場は昔からこの広さなんですか?」
などと写真の合間に訊かれたが、
「さあ、私は町人の役だからよく分かんないなあ」
などと言ってごまかした。
あの時の中学生諸君。君たちのカメラに写っている昔の人みたいなのは私だ。そう。他のアルバイトと違ってチョンマゲのかつらをしていないだろう?それが私だ。
上手に撮れていたらこのHPに送ってね。
2010年6月13日
妻の手にはやわらかなグローブを
この顔に見覚えは
2010年2月28日配信
2009年12月23日
円楽師匠の手
円楽師匠とはじめて直接お会いしたのは、師匠好楽のもとに入門して一週間ばかりたったころだったか。
師匠に連れられて、中野の円楽師匠宅にあいさつに行った。
立派な建物と広々とした玄関にはさほど驚かなかったが、師匠好楽が実に礼儀正しく、弟子然としている姿を見て足がすくんだ。師匠にかくれるようにして玄関に入ると、円楽師匠のお上さんが出てきて、「はい、どうぞ」と招き入れてくれる。私が師匠の背中から顔を出した時にはすでにお上さんはうしろを向いていた。
すかさず師匠に「あいさつ!」と、小さいが刺すような声で注意され、慌ててお上さんの背中に「おはようございます!」とあいさつしたが、自分でもおどろく程小さな声だった。
なんという小心者だろう。お上さんに対してコレなのだから、円楽師匠を目の前にしたら、口がきけなくなるんじゃないだろうか。
そんな心配をよそに、師匠がさっさと上がり込んで、円楽師匠のいらっしゃる居間に入ろうとしている。私も遅れてはならじと急いで廊下にとび上がった。ここで師匠にはぐれたら、独りで居間のドアを開ける勇気が出ないかも知れない。師匠は私が自分の背中にぴったりついてきているのを確認して、居間に入った。
円楽師匠の自宅の居間は広い。正月、40人近い一門の連中がそこに座って雑煮を食べてもまだ余裕があるのだからかなり広い。
その広い居間の中央に、マッサージチェアに座った円楽師匠がいた。今までテレビを観ていたのか、右手にリモコンを握っている。
師匠が円楽師匠の足元に手をついてあいさつをする。反射的に、私も師匠の後ろで手をついた。端から見ると、師匠のお尻にあいさつしているようだ。
「今度ウチに入りました弟子で、好作と名付けました」
師匠がそう言って私を指差す。
この時、円楽師匠がマッサージチェアからそっと背中を浮かせて私をギョロリと見下ろす。
下から見上げた円楽師匠は大きかった。とにかく大きかった。
指、手、腕、肩、あご、口、頬、目、額。
とりわけ私の目の前に突き出された指は、子供のころに使っていたグローブみたいに大きく見えた。
「生まれは?」
地を這うような低い音がする。それが円楽師匠の声だと気づくのにしばらく時間がかかった。
「会津若松なんです」
私の代わりに師匠が応える。
「会津ね………なまりがたいへんだねェ」
円楽師匠はそういうと、若いころに行った会津若松の思い出を語ってくれた。
「落語をやっているとやたらと寒いんだよ。終わってひょいと見るとすき間から雪が吹き込んで来てて座布団の上に雪がつもってたよ。会津はそういうところだったねェ」
「ウソだ」と思ったが、もちろん口にはしなかった。
それから何を話したのか。師匠と野球の話や、昔の芸人の話などをしていただろうか。とにかく、その間中、私はずっと、円楽師匠の指を見ていた。時々派手に動くその指が、別の生き物のようで面白かった。
円楽師匠が亡くなって一ヶ月が経つ。早いものだ。
噺家になって間もない私には、これといった人に自慢できる円楽師匠との思い出はない。もう少し円楽師匠とかかわって、もっとたくさんの思い出をつくれば良かったと思う。
でもこれだけは言える。あれ以来、色々と有名、無名の師匠方先輩方に会ってきたが、あれだけの圧倒的な存在感のあった人はいない。芸も名誉も金も人も、なにもかもいっぺんにつかまえそうな、あんな大きな手に出会ったことはない。
その手に、一度も触れることが出来なかったのが、実に、残念である。
2009年11月30日配信
まるっきり進まない絵日記の状況に、多くのお客様より心温まる罵声をいただいた。曰く、「いい加減に続きを書け!」「お前の大事にしている自転車のタイヤをパンクさせてやる!」「おれが代わりに書いてやろうか?」などである。
申し訳ない気持ちでいっぱいである。
という訳で張り切って書いて参りますので今後ともお付き合い下さいませ!
「落語の神様」現る?
続きである。前回からだいぶ間があったのですっかり内容を忘れているだろう。そんな方はご面倒だが、今一度前回分を読み直してもらえるか、必死に思い出してもらいたい。
「前回分を読み返したくない」という人も、「思い出せるか、ドアホ!」と思っている人もいるだろう。そんな方でも安心してもらいたい。
別に前回分の知識がまるでなくても、今回は今回で独立して楽しめるように出来ている。
私が苦手な搭乗手続きを済ませ、搭乗口に行くと、見るからに危なそうな男性が待合所のソファに腰を降ろしていた(ここまでが前回の話だ。たったこれだけの話を一話分として延ばすには効果的な無駄話をたくさん入れる必要があり、とても大変である)。
その男、見た目は典型的な若いチンピラさんである。○○組若手構成員というような正式名称があるのかもしれないが、勉強不足でよく分からない。仕方がないのと根性がないのでチンピラさんと呼ぶ。
黄色に輝く髪が印象的である。見る角度によって青にも紫色にも見える薄手のシャツが、熱帯の鳥のようで美しい。
黒のズボンに素足で革靴だ。顔はというと、まだ二十歳にならないような童顔だが、「壊せるものは何でも破壊してやる!」という意気込みのある表情をしている。
私は慎重なタイプの人間だから、こういう人の前に歩み寄って「ヤア、調子はどうだい!」などと声を掛けるような軽率なことはしない。
搭乗口の範囲内で、彼から一番離れた椅子に腰を降ろした。しかし、こういう時、大事なのは、距離ではなく、角度である、ということを知る。
チンピラさんはきっと、退屈していたのだろう。獲物を探すチーターのような冷たい目で辺りを見回す。この時、変に怖がらずに、彼の真後ろにピタッと座っていれば見つからなかったのだ。それなのに、距離を優先させたために、彼の視界に入ってしまった。
着物を着て、風呂敷をひざにかかえ、あきらかにビビリながら座っている私は、格好の獲物である。
チンピラさんが立ち上がる。まさか。ゆっくりと歩き出す。
こっちへ来ないでくれ。無情にも彼の足は、ガニ股ではあるが、私の方へ向かっている。キャー。私の前の椅子に座る。一瞬逃げようかと思ったが、体が動かない。チンピラさんがくるりとふり返り、私と向かい合う形になる。助けてくれー。
緊張感のある童顔で、「あ、落語家だ」という。
「殺すぞ」「しばいたろか」「あ、親の仇だ」などと言われなくて良かった。
この時私はどうするのが正解だったのだろう。
@逃げる。A「ハイ、落語家です」と元気に答える。B「いいえ、落語家ではありません、とんだ人違いですぜ旦那」とウソをつく。C「あ、チンピラだ」と言い返す。などが考えられる。
@の場合、つかまった時の恐怖を考えると危険が大きすぎるし、またうまく逃げられたとして、飛行機に乗れないという状況に陥る。
Aは正攻法だが、「そうか、じゃあなんか面白い話してみろ」と言われる可能性がある。つまらなかった場合刺されそうだし、面白かった場合「もう一つ話してみろ」と蟻地獄のような目にあう可能性がある。Bは、「そうか、つまんねェ」とか何とか言っていなくなることも考えられるが、ウソがばれた時怖い。「ウソをつけ!前座で好作、二ッ目で好二郎、真打で兼好に変わった落語家だろう!」なんてヤケに詳しい人だったらアウトだ。
Cの場面、方法はともかく、その場で殺されるに違いない。
結局、黙ってあいまいな笑顔を見せることにした。
するとどうだろう。チンピラさんは左手でどんぶりを作り、右手をチョキの形でお箸に見立てると、「ズルル……」とある筈のないそばを食べ始めたのだ。
この時私は、どう反応するのが正しかったのだろう!
@拍手をする。A同じように見えないそばを食べる。B「バカじゃないですか」と言う。
どれもダメな気がして、「アハハ」と乾いた笑い声をあげてみた。
するとチンピラさんは何に満足したのか、元の場所に戻った。
チンピラさん、あなたは私に何を求めていたのでしょう!
私はあなたに何が出来たのでしょう!頭をかきむしるような気分でいると、程なく、搭乗案内があってゾロゾロと皆飛行機に乗り始めた。チンピラさんは何事もなかったように、まるで私のことなど見ず、飛行機に乗り込む。
私も少し間をおいて入って行った。
彼は前方の窓側に座っていて、イヤホンをつけて機内雑誌を眺めている。私の席は、彼から二列後ろの中央通路側の席だ。
飛行機が赤字経営にもめげず、スムーズに飛び立つ。落ち着いたところで、機内放送の落語でも聴こうとイヤホンをする。今回は誰の出演だろうかと案内の雑誌を開くとなんとメンバーの中に私がいた。
「そうか、今月放送するっていってたなあ」そうひとりごちてチャンネルを合わせると、テープの関係で、すでに私の落語は終わっていた。短いフライトだから、自分の落語は聴けないな、と思う。そのまま目をつぶって他の出演者の落語を聴いているうちにウトウトと寝てしまった。
熟睡する間もなく、目的の空港に着く。
着陸の衝撃で目を覚ます。……と、なんとなく視線を感じる。ふと斜め前を見るとチンピラさんが機内雑誌の落語の出演者のところを指差して私を見ているではないか!
私がそれに気づくと彼は仏のようなやさしい笑顔を見せ、二度ばかり静かに頷いた。私もつられて、ゆっくり頷く。それを見ると彼は満足気な顔で前を向くと、そのまま雑誌を椅子に放り投げ、飛行機を降りて行った。
チンピラさん、あなたは何者だったのでしょう。
私に何を伝えたかったのでしょう。
私の胸に何やら熱いものがこみ上げてきた。
彼は誰だったのか。もしかすると落語の神様がチンピラさんに姿をかえ、私にそばの食べ方を伝授してくれたのかもしれない。
そう思うと、私は嬉しくて仕方がなかった。近く「時そばの神様」という小説にして出版しようかと思っている。
2009年11月15日配信
ヘトヘトになりながら搭乗口へ
飛行機に乗るより、たらい舟の方が安全だと常々思っている。
飛行機は乗る前から相手をドキドキさせるという欠点がある。いくつかの関門を突破しなければいけない。まず持っているチケットを飛行機に乗れるチケットに換えなければいけない。インターネットで格安のものを見つけ、急いで予約し、近所にはないローソンで支払い、ようやく手に入れて失くさないよう大事に持って行ったチケットでは乗れないのだ。微妙に笑いながら周りをうかがっているカウンター前のお姉さんにきくと、今までの私の努力を帳消しにするような発言をする。
「ハイ、こちらの機械で搭乗券を」と機械の前へ立つと、ボタンを押したり、カードを入れたり、バーコードをかざしたり、色々な方法で搭乗券に換えられることが分かる。しかし、どうしていいのかよく分からない。今手にしているローソンのチケットとバーコードを組み合わせればいいのか。ボタンを押して素早くカードを差し込むのか。それともボタンを押してバーコードで確認し、さらにカードでダメをおすのか。
いずれにしても下手なことをして「ローソンにお戻り下さい」などと表示されては目も当てられないからただじっと画面を見ている。すると後方から、先ほどの薄笑いのお姉さんが、「操作の仕方はご存知ですか?」ときいてくる。お姉さんに言っておこう、着物姿で片手に風呂敷を持ち、もう片方の手でローソンチケットを持ったまま3分以上立ちすくんでいる男がいたら、その男は間違いなく操作の仕方をご存知でない。
迷子になった子供のようにコックリと頷くと、私からローソンチケットとカードを取り上げ、あっという間に手続きを済ませてしまう。私にできることは相手の質問に合わせて「前方!」「通路側!」と正しい発音で答えるだけだ。
ここまでで大分体力を使うのに、このあと荷物検査があるのだ。
ドキドキして仕方がない。まずケータイ電話や財布を小さな箱に入れる。それを持って進んでいく。
「チケットをバーコードにかざして下さい」と言われ、その通りにすると、ピッという、かなり上から目線を感じさせる「確認したよ」という音がする。
この時、スーパーのレジのように上の方に金額が出て、「長ネギ99円」などと表示されると面白いのだが、赤字続きの航空会社には、そんなことする余裕はない。検査員に丸くふくらんだ風呂敷を手渡す。
「こちら横にしてもよろしいですか」というから、「こう丸いとどっちが横向きかって見分けつきにくいですよね」と言ってみる。どんな答えが返ってくるかと思ったら、何にも言わずにベルトコンベアーに乗せてしまった。
「結び目がある方が上じゃないでしょうか」とか「私が縦と言ったら縦、横と言ったら横!」くらいのことは言ってもらいたかった。
いよいよゲートを通る。ピンポーン、と鳴ったらどうしよう、と胸が高鳴る。着物のたもとにハンマーや牛刀が入ってないか、もう一度確かめ、素早くそこを通り過ぎる。サッと通れば小型ナイフくらいは見逃すに違いない。
こうして無事、ゲートを通過、かなりヘトヘトになりながら搭乗口へと向かったが、私はこの待合所で、危険な人物と出会うことになる。
(次回に続く)
2009年9月20日配信
マナーはラーメン屋の椅子から
私の食生活は乏しい。
妻の手料理を食べているというだけでもそれははっきりしているのだが、仮に、妻がそんなことはないが、万が一、まず絶対にそういう事態にはならないのだが、奇蹟が起きたとして、妻が料理上手になったとしても、私の食生活は乏しいに違いない。
基本的に私自身、食にどん欲でない。「うまい」と評判の店ならどこへでも行く、ということが出来ない。何時間並んでもこの食べ物のためなら平気だ、という神経がない。
世界屈指の名料理店に連れて行かれても、マンガの「美味しんぼ」の登場人物たちのように「おう〜!舌の上でエスカルゴとオリーブオイルが盆踊りを踊っているようだ!」などと言って感動出来ない。
「エスカルゴ料理はサザエの壺焼きと親類関係になるのでしょうか?」等というトンチンカンな質問で、料理長の機嫌を損ねるのが関の山だ。
これではいけない、と、少し食べ物に神経をとがらせてみようと考えた。
基本的に次の点を改めた。
@高級なお店に入る時は、牛丼の吉野屋に入る時と違って、上品な笑顔を浮かべるようにする。
A評判の料理を飲み込む時は、妻の料理を食べる時のように急いで飲み込まず、心の中で「さようなら」と呟く余裕を持って胃に収める。
Bコース料理は「出し惜しみしてないでいっぺんに出せ」などとイライラせず、ネタの極端に少ない回転寿司に入ってしまったと思って一品一品ゆっくり食べるようにする。
C「え?こんなに高いの?!ウチだったらこれで5日くらいもたせられるよ!」と思わず、家族4人と友人と、合わせて5人で食べ、しかも先に帰った友人が「エスカルゴ弁当の上」を3人前持って帰ったと思ってあきらめるようにする。また、ごちそうになった時は「ごちそう様でした」と元気に言うようにする。
これを実践してみると、なるほど今まであまり興味のなかった高級店、有名店の料理が他の店よりうまいのだと気づくようになった。牛丼におしんことみそ汁とたまごをつけるよりはるかに幸せになれる。
この調子でいけば3ヶ月に一度くらい、その手の店に自然と足が向くようになるだろう。さらなるステップアップをと思って、「レストランのマナー本」を読んだ。料理のうまさが分かった上にマナーが身に付けば鬼に金棒、ツナにマヨネーズだ。
「背もたれのある椅子でも、決して寄りかからず、(安いラーメン屋の丸い椅子に座るような感覚で)背筋をのばして座りましょう」
そうか、高級料理の基本は、安いラーメン屋の椅子だったのか。
その晩、私は安いラーメン屋の丸い椅子に腰掛けて、いっぱい安いラーメンを食べた。
豊かな食生活は難しい。
2009年9月13日配信
妻の天敵
夏に弱い妻が、「目まいがする、もうダメ」そう言って倒れたのは、まる一日降った雨が上がって、急にむし暑くなった朝だった。近々何かいいことがある気がしていた私は、その予感が的中したことに驚いた。
「大丈夫かい?」
思わず笑みがこぼれる頬をひきしめて妻の顔をのぞき込む。弱っていると見せかけて急にかみついてくることも充分考えられるから慎重に近づく。
妻の顔は青ざめて、頬がこけ、目の下にくっきりと隈が出来ている。中世ヨーロッパで活躍した悪魔が考え事をしているような顔つきだ。どうやら仮病ではないらしい。
「どうした?大丈夫か?」重ねてたずねる。
「もうだめ………今までありがとう……ガクッ」というのを期待したが現実はそう甘くない。
「目がまわる……目がまわるの……」
「目がまわる?それはたいへんですね」笑うのをがまんすると人間言葉が丁寧になる。
「目がまわると、どうなるのですか?」
「だから気持ちが悪いのよ、ぐるぐる地球がまわるの、ほら、地球がまわってる」
「ガリレオみたいですね」
「ちょっと、頼みがあるんだけど……」
そう言って妻はごはんの支度をテキパキと命令して、スポーツドリンクを持ってくるように指示する。私は弱った妻のため喜々として命令に従った。
しかし、私の行動の何がいけなかったのか、妻は徐々に体力を回復し、翌日の朝にはほぼ通常通りの機能に戻っていた。
「ずいぶん元気になりましたね。本当によかったですね」
人間は大きく落胆すると言葉が丁寧になる。
「でもだめ」
「何がですか?なにがあなたをダメにするのですか?」死にそうな被害者から犯人の名前を聞き出そうとする刑事のように問い詰める。
「セミ」
「セミ?」
「そう、セミの鳴き声がうるさくて」
「いつもと変わりなく鳴いているだけですよ」
「それが、目まいしてから、あのセミの声聞くと耳鳴りみたいになって、セミの声しか聞こえなくなるのよ、ああ、いや」
「それは大変であります!僕にセミを黙らせる力があれば、すぐに黙らせるのでありますが、実に、残念であります」
しらじらしいウソをつくと、人間軍隊口調になる。
がんばれ、セミ。
妻に勝てるのは君しかいない。その短い命を賭けて、あらん限りの声を妻にぶつけるんだ!
2009年8月17日配信
分かる。分かるぞ運転手
よく利用する乗り物に、バスがある。
最寄りの駅まで歩くと20分、走って12分、途中ラーメン屋に入ると45分かかる。
涼しくて、こちらに体力がある日は歩こうという気になるが、「陽が出て暑い」「陽がかげって寒い」「雨が降っている」「風がふいている」「おまわりさんが歩いている」などの悪条件があると、とたんに歩く気がなくなる。
そんな時はバスだ。
その日も「雨がふっているのに暑くて、おまわりさんが自転車に乗っている」という悪い条件が重なったのでバスにした。
平日の昼時分だったのでずいぶん空いていた。乗客は私を含めて5人だ。せっかくバスに乗ったのだから最寄りの駅じゃなく終点近くまで乗ろうと決めて、一番前の進行方向に向かって左側に陣取る。景色が一番良く見えて、運転手さんも見える、子供が最も好む席だ。
バスが走り出して、「おや変だな」と思った。
いつもよりゆれがはげしいのだ。
道もすいているし、乗客も少ないから多少飛ばすのは分かるが、それにしても車がフラフラしている。考えられるのは運転手が居眠りをしているのか車が故障しているか私が故障しているかだ。
運転手の顔を見ると、居眠りはしていない。
していないどころか目を見開いて必死で運転している。が、おかしなことに時々自分の手や頬を自分でピンピン叩いている。
信号待ちでバスが止まった。
と、運転手が乱暴にハンドルのわきをバシッと叩く。車内に「バス停でお待ちの方はおタバコご遠慮願います」という放送が流れる。運転手が「しまった、変なとこ押しちゃったな」という顔で舌打ちした。
今度は自分の左手をバシッと叩く。
信号はもう青になっているが、運転手は夢中で自分を叩いている。
見ている私はとても不安だ。なんなんだろうこの人は。こんな自分をいじめるのが好きな人に運転手をやらせていいのだろうか。
いや、この人は自分を叩くのが好きな人なんかじゃない。見ると両腕が赤く腫れ上がっている。どうやら蚊にくわれたようだ。右腕に3ヶ所、左腕に2ヶ所。頬も1ヶ所腫れ上がってる。
なるほど、いいように蚊にくわれて、運転手さん理性を失っているようだ。
分かる。分かるぞ運転手。蚊嫌いの私も、1,2ヶ所くわれただけで冷静でいられなくなる。血が出る程かきむしりたくなる。運転席で逃げられずああして好き放題くわれていたら、スピードもあげたくなるだろう、蛇行運転もしたくなるだろう、変なところで別のボタンも押したくなるだろう、分かる、分かるぞ運転手。
しかし、落ち着け。君は小さな車を1人で運転しているのではない。こんな大きなバスに客を何人も乗せているんだ。特に将来の日本を担う貴重な私を乗せているんだから落ち着くんだ。
私は降りたい停留所の一つ手前で降りた。
降りる間際、運転席をのぞくと大きな蚊が一匹、ゆうゆうと飛んでいた。
闘い疲れた運転手がチラリとこちらを見る。
今まで見えなかったが右目のまぶたまでくわれている。どこまで蚊に好かれる男なんだ。
降りたあと、走り出すバスの後ろ姿を見るとなんとなくフラフラとしていた。悲しげでもある。バクチに負けたおじさんの後ろ姿を見るようだ。
がんばれ運転手。終点までに憎い蚊を叩きつぶせ!もう私は降りたから思う存分暴れてやれ!
君を苦しめた蚊をつぶせるならバス一台どこかに突っ込んでもいいじゃないか。
夏のバスは、ちょっと危ない。
2009年8月12日配信
総理大臣になろう
いよいよ衆院解散、総選挙ということになった。
もっとも正直「いよいよ」という程待っていた訳ではない。まるきりというつもりはないが、あまり政治に関心がない。
政治家に政治について期待してはいけない。これはなにも政治家だけに言えることではなく、すべての職業あるいは団体に言える。例えば野球をもっと面白く、もっと楽しくなるように改革をしようと思ったら、野球人にまかせてはいけない。オーナー、選手、球場、それぞれにおもわくがあって、ファンの求めるものになかなかならないのが現状だ。
我々寄席演芸も噺家や席亭がああだこうだと口出ししている限り、ファンが求める演芸にはならない。学校教育しかり、銀行、テレビ、なんでもそうだ。
その現場の只中にいる人が、その現場を一番理解していない。あるいは一番理解しているからこそ、「こうして欲しい」と願う周りの「素人」と意見が合わない。
だから政治家に国民が思うところの政治は出来ない。女房が夫が理想とするところの女性になれないのと同じである。夫を、自分の思い通りの男に成長させるために女房が叱り、おこり、命令し続けても今一歩理想の人に届かないのと同じだ。
政治家は常に自分たち政治家のために政治をしている。
噺家は自分たちの満足のために落語をしているのと同じだ。別に悪いことじゃない。噺家が自己満足でやっていることで、お客が喜べばいいように、政治家が自分たちの保身のために走り回ったことが、結果、国民のためになればいい。なまじ、「国民のため」とか「国家はこうあるべき」とか「国体を守るため」とか言う政治家が、随分国民を苦しめてきた。
だから政治家にはそれ程期待せず、最悪の選択をしないような人(マイクを持って、「私を男にして下さい!」などと絶叫する童貞みたいな人はあぶない。「勝たして下さい!」とこぶしをつき挙げる戦国武将みたいな人も危険だ)を選ぶしかない。ふだん「あんな街、料亭もバーも有名なホテルもないのになんで大勢人が住んでるの?」なんて言いながら選挙の時だけ自転車で走り回る人たちに期待してはいけない。
政治家より、私の方が国家元首にふさわしいのではないだろうか。なにせ私は妻という、ロシアと中国と北朝鮮の一番悪い政治家を足して2で割ってカダフィ大佐の顔を付け加えたような女と毎日暮らしているのだ。しかもそのカダフィ妻と、お小遣い、ごはんのおかず、起床時間、保険金などについて命がけで交渉してきた実績がある。自分の言いたいこと、欲しい物を常に正面から威張ってぶつけてくる道路族みたいな長女をなんとか説得してきたという自信もある。いつもは何もしてないのにいざとなると大きな迷惑をかける農水省の職員みたいな次女も上手に使ってきた。これだけをみても、私が総理になる資格が充分あると思う。
そうだ、私が政治家になろう。総理大臣になろう。総理大臣になったら決めてやる。「妻は夫を毎日おどしてはいけない」
この法律だけは、決めてやる。
ああ、総理大臣になりたい。
2009年7月27日配信
体重が増えた
夏だ。
今年の夏はうれしい。なぜ、うれしいのか。
別に宝くじに当たった訳でも落語が急にうまくなった訳でもない。まして妻がどこかに蒸発したのでもない。体重が、増えたのだ。
世の中には、体重を減らそうと日々努力している人種があるときくが私にはとても信じられない。人間普通の食生活(毎晩つまみに手を出さずに酒をのむ。翌朝は二日酔いなのでみそ汁だけにする。唯一しっかりたべられる昼食を妻の手料理にする)をしていれば自然とやせていく筈だ。
それを走ったり、筋力トレーニングしたり、水泳をしたりしてやせようとする人がいるのが理解できない。そんなことをしたらなおさら何か食べたくなって太るに違いない。普通の食生活に普通の生活(トイレや風呂場といった狭い場所を妻の監視のもと、閉め切って掃除をする。新聞、手紙等をダッシュで取りに行く。妻に何か命令されるまで「気を付け!」の体勢で待機する)を続けていれば充分やせられる。
そんな生活を長い間していたために、私の体重はどんどん減って、約コアラの25頭分にまでなってしまった。これではコアラとしては充分だが人間としては少なすぎることに気づいて、去年の秋口から体重増加作戦を実行した。
体重を増やすため、まず食生活を改めた。
@お酒を飲むとき、勧められたものをなるべく食べるようにした。唐揚げ、ピザ、やきそばなどを食べると日本酒がこの上なくまずくなることを発見した。しかし、日本酒を飲んだ後は、唐揚げ、ピザ、やきそば、ギョーザなどがとてもおいしくなることも発見した。
A朝食をしっかり食べるようにした。みそ汁の他、コーンスープ、すまし汁、オニオンスープ、トマトジュース、麦茶などを飲んで二日酔いを撃退して、おにぎりを一つくらい食べる。気持ち悪いががまんする。
B昼食時はなるべく用を作って外食し、妻の手料理を避けた。
加えて、狭い場所の掃除の時は少し戸を開け、汗だくになるのを避け、新聞、手紙等は子供にダッシュで取りに行かせ、妻が見ていない時は「休め!」の体勢で待機することにした。
そうすることでなんと、体重が10sも増えたのだ。大人の馬の7分の1くらいまで回復したことになる。
今まで、夏、裸でいると、あまりにやせていて、外国人に助けられたばかりのジョン万次郎のようだった。それが今では、日本に帰ってきた時のジョン万次郎のように立派だ。
今まで浴衣姿でいると入院患者と間違えられていたが、今では退院間近の患者に間違えられるようになった。
体重が増えて、夏バテの度合いも少ない。
この調子で体重を増やしていけば、きっと私は強くなれる。来年、さらに体重を増やして、シャチの12分の1くらいに立派な体になろう。そしたらもう、私はひ弱な落語家ではない。海が似合う噺家になれる。
ああ、来年の夏が楽しみだ。この夏も妻の手料理から逃れられますように。
2009年7月26日
クーラー効きすぎ
寒い季節がやって来た。
クーラーが苦手な私にとって夏ほど寒い時期はない。どうしてあんなに、どこでもクーラーをきかせるのだろう。人間はスーパーの鮮魚じゃないんだからあんなに冷やされなくても傷まない筈だ。
特に乗り物がいけない。
山手線などはクール宅急便の車のようだ。生キャラメルじゃないんだからそんなに冷たくして運ばなくてもいい。
新幹線も、寒い。しんみりと寒い。山手線のようにこれみよがしに冷やさない代わりに、静かにそして確実に相手を冷たくする。
先日も2時間ばかり新幹線に乗った。もっとも新幹線に4、5分だけ乗ることは滅多にない。
覚悟はしていたが、乗って10分もすると足元に冷気を感じる。夏の私は夏物の薄い着物に裸足だからまず足でクーラーを察知する。この私の「足センサー」はどうも他人よりにぶく出来ているらしくて、「クーラーが効いています、お気をつけ下さい」と脳に知らせたころには体全体が取り返しのつかないくらい冷えている。
すぐにあぐらをかいて足を守り、手拭いを首に巻く、それでもクーラーはすきを見て攻めてくる。えり、胸元、袖口から冷気を送り込む。
仕方がないから、肌襦袢やら高座用の羽織などを出して首に巻いたり膝に掛けたりする。まるでチベット辺りの修行僧だ。
そこへ、体格のしっかりした中年男が同じ車両へ入ってきた。
通路をはさんで私と反対側の窓際の席へ座る。
私が雨蛙だとするとガマ蛙のような男だ。額に汗をかいて忙しそうに扇子を動かしている。キョロキョロと周りを見回し、「クーラー入ってんのかなあ」と独りごちる。
入ってるよ!分かんないのかお前は。
「なんでこんなに暑いんだろう」
背広を脱げ!私みたいに裸足になれ、寒いから。
車掌さんが通りかかるとこのガマ蛙、呼び止めて
「ねェ、クーラーもう少し涼しくできない?」
よせ!これ以上寒くしたら私が凍死してしまう。
「すみません、きいてる筈なんですがねェ」
車掌さん、謝ることないぞ。あいつの体がおかしいんだ。
いっそ、クーラーなんか切ってしまえ。クーラー切って窓を開けたほうが気持ちいいぞ。
車掌さんが立ち去った後もなお、ガマ蛙は汗を拭きながらふうふう荒い息を吐いている。そして私をチラッと見て、「いやあ、今日は暑いですね」
何を見てるんだ!体いっぱいで寒がっているのが分からないのか!
………この男とは、多分何もかも分かり合えない気がする。
2009年7月5日配信
ペコちゃんのように
妻は、不器用である。
他人のことは思うように動かすくせに自分の体は思った通りに動かせない。ちょうどあまりに太っていて立ち上がるのも苦労をする山賊の頭に似ている。
我が妻の場合、太っている訳ではないのだが、体が言うことをきかない。
家の中をウロウロ不機嫌に歩き回るのだが、必ずどこかにぶつかる。その度に「こんなところにダンボール置いたのだれ?!」とか「この机の形が悪いと思わない?」とか「今笑ったな!」などと言って私を睨む。いい迷惑だ。
音楽にしてもそうだ。彼女は思うように音が取れない。というより相手に合わせようという謙虚な気持ちがない。ラジオから好みの音楽が流れてくると、一緒にその歌を口ずさむのだが、好き勝手な音程で歌いはじめるから途中で苦しくなる。苦しくなるから急に低くなってカツアゲでもするような渋い声になる。かと思うと低い声も出なくなってつらいのだろう、一転小鳥が迷子になった様な声を出す。はっきり言ってうるさい。しかし、妻は自分が悪いとは思わない。ラジオを睨む。落ち着け、音を外しているのはお前だ。ラジオを壊すなよ。
いずれにしても自分がコントロールできない、というのが妻の特徴だ。
だから、私が首をペコちゃんのようにゆらしてみせると妻は素直に驚いた。
「なにそのレレレのおじさんみたいな動き?」
「レレレのおじさんじゃなくて、ペコちゃんなんだけど」
「どっちでもいいわよ。よくそんな動きが出来るわね」
「だれだって出来るよ」
「そう?……」
案の定、出来ない。いやいやをしている生意気な女にしか見えない。
「そうじゃないこうだよ」
さっきより、少し速く動かしてみる。
「こう?……」
笑える。まるでなっていない。アルコールが切れたおじさんみたいだ。
「違う違う、こうだよ、こう……」
「これでいい?……」
笑える上に気味が悪い。首じゃなく、体がゆれている。
どこまで不器用なのだろう。何度やってもうまくいかない。
短気な妻が出来ないことをいつまでもやっている筈はない。
程なく、
「もういい!やめた!こんなこと出来たって自慢にも何にもならないわ!バカみたい!」
そう言ってどこかへ行ってしまった。
その後ろ姿を見ると、上手に首がゆれていた。
妻は、不器用である。
2009年6月14日配信
ジャージ姿のわけは
しつこい様だが、私は普段から着物で過ごしている。洋服はほとんど持っていない。
その私が、年に何度か、洋服で出掛ける。もっとも洋装と言っても、Tシャツにジャージだ。Tシャツは自分で描いた自分のイラストがプリントされた、二ツ目時代に作った「好二郎Tシャツ」で、お客の評判が悪く(「恥ずかしくて着られない」「誰なの?このイラストの人?と何度もきかれるので面倒だ」「子どもが着ないでくれって言うんですみませんねェ、着てないんですよ」など)、あまってしまったものを着ている。ジャージはどこそこという有名なスポーツメーカーのジャージではなく、しかし、どことなく有名スポーツメーカーに似ている、という最悪のデザインのものを着用。
ズボンは妻が買ってきた黒のジーパンで、「汚れ」と「寒さ」に強いすぐれものだが「格好良さ」と「暑さ」に弱いという欠点がある。靴下がないので、「タビックス」の黒をはく。くつも気の利いたものがないので「水に入ってもすぐ乾く」というメッシュのものをつっかけている。
以上のものを、私が身に付けるのだから素敵な筈がない。どう見てもやる気をなくして「マ、定年までなんとか目立たないようにしよう」と呟きながら廊下を歩いている中学校の社会の先生である。
なぜ、私がそんな格好をするのか。
娘が入っている合唱団の定期演奏会を聴きに行くためである。別に着物姿でもいいのだが、娘の歌う姿をニヤニヤ笑いながら見ているというのはやはりいい形じゃない。一種の変装である。
今回はその合唱団の40周年記念コンサートということでお客も多く、団員も先生も気合いが入っていて聴きごたえがあった。子どもたちが一生懸命歌う姿には心洗われる。一緒に聴きに行った妻もジャブジャブ洗われるといいのに、と思いながら聴いていた。最後の方には、この日を限りに、合唱団を退団する女の子がソロを歌う「マイウェイ」が流れ、客席の涙を誘った。近頃涙もろくなった私はオイオイ声をあげて泣きそうになったが、娘にあとで怒られ妻に肘鉄を食わされる恐れがあったのでじっとガマンした。
泣きそうなところに行く時、私は着物を脱いで笑ってしまうようなジャージ姿になる。
2009年5月17日配信
忌野清志郎さんが死去
久しぶりに、管理者くんのことを書こう。
「そんな人いたの?」「忘れちゃった」「管理者って奥さんじゃないんですか?」
そういう声がきこえてきそうだが、このHPには立派な管理者くんが存在する。
少し、おさらいしよう。
管理者くんは男の子である。男の子と言っても、もう三十も半ばを越しただろうか。やさしくて、会社でよく働き、ひかえめで、自分の考えをしっかりと持ち、身の回りのことはきちんと自分で出来る人だから、当然独身である。
多くの男性から好かれ、たくさんの女性に信頼されているのに、好きな女性から愛されないという特徴がある。
登山が好きで、険しい山を登る体力があるのに、どことなく疲れて見える。楽しく笑えば笑うほど、「何か悲しいことがあったんですか?」と訊かれてしまう雰囲気を持っている。
この管理者くんが敬愛する忌野清志郎さんが亡くなった。
私も、好きな歌手の一人だっただけに残念だが、管理者くんの悲しみはいかばかりかと察する。
いつも温和しい管理者くんが、別人のようになる時がある。カラオケで、清志郎さんの歌を唱う時だ。まるでカンガルーにとりつかれたように跳びはねながら熱唱する。会社に対する不満も、地球温暖化に対するやるせなさも、女性に愛されない怒りも、全て清志郎さんの歌にぶつけてきた。
「忌野清志郎」はなりたい自分になれる、管理者くんにとっての魔法だった。
その魔法が、消えてしまった。
でも、がんばれ管理者くん。
魔法を生み出した清志郎さんはいなくなったが、歌は残った。君を元気にする素晴らしい方法だ。泣くな、管理者くん。君もきっと、誰かにとっても「忌野清志郎」になれる筈だ。
忌野清志郎さんのご冥福を祈りつつ、管理者くんがさらに強い人間に成長することを願う。
耳をすませば、今夜は管理者くんの唱う、「スローバラード」がきこえてくる。
2009年5月3日配信
お尻の拭き方を考える
トイレが、好きだ。小さい方より大きい方がいい。
便座にすわってボンヤリしていると、この世の嫌なことを2割くらい忘れられる。何と言っても、妻や子どもたちから身を守れるというのがいい。そのわずかな時間、とても狭い空間だが支配者になれる。
ただ、いつも悩むことがある。
お尻の拭き方だ。
別に拭き方を知らない訳ではない。「どうもよくわからないんで今まで拭いてませんでした」などという衝撃的な告白をするつもりはない。
ただ、こういうことは恐らくきちんと誰かに教わるものではなく、自然と覚えるものだろう。茶碗の持ち方や箸の上げ下げを教わるように、親がつきっきりで口を挟むものではない。社会に出てから誰かに注意されたりもしない。お箸なら「何その持ち方?こうよ、こう。恥ずかしいわよ、そんな持ち方すると」と言われることもあるだろうが、「何その拭き方?こうよ、こう。恥ずかしいわよ、そんな拭き方すると」とは言われない。そう言われる状況が想像しにくい。無理に頭に思い描いた場合、拭き方よりその状況の方が恥ずかしい。
「祝儀袋の渡し方」なんかは可愛いイラスト付きのマナー本でよく見かけるが、拭き方はイラストにしにくいと見えてマナー本でも見たことがない。
前から拭く人、後ろから拭く人、横に拭く人、不浄の手でしか拭かない人、色々あるだろう。
私の場合は、教えない。もしかするととんでもない常識外れの拭き方をしていて皆に白い目で見られると嫌だから明かさない。
ただ、トイレットペーパーのミシン目に従って紙を切っていないことだけは知らせておこう。
だいたい、あのミシン目は何を基準につけてあるのか?
一区切りのミシン目の間隔が短すぎないか?
あの一区切りだけで拭けるのだろうか。拭いている人がいるのだろうか。二区切りでも、私は足りない。何となく弱々しくて、不安だ。三つ、四つ、五つ、まだ足りない。安心して使えるまでにはもう少しだ。だがこの辺りからミシン目が気になる。「私は相当無駄使いをしているのではないだろうか」という思いがよぎる。
「これ以上はお尻にはやさしいが地球環境と家計にやさしくない」そう決断して思い切りちぎる。
と、必ず、ミシン目とは関係のないところで切れている。
ミシン目は何を根拠にあの間隔にしたのか。
皆は、何枚使っているのか。
なぜ私はミシン目と違うところで切ってしまうのか。
この疑問さえなければ、もっとトイレが好きになれるのに。
こんな下らないことをだらだらと考えていられるトイレが大好きである。
2009年4月26日配信
今なら勝てそうな気がする
2009年4月12日配信
漫画喫茶で一夜を明かすことに
私はよく帰りが遅くなり、終電に間に合わない、という経験をする。
その時妻におびえている割に家が大好きな私は、多少お金があればタクシーを使い、無ければ歩いてでも帰宅する。池袋、北千住間を歩いて帰ることもザラである。
最長で蒲田、北千住間を歩いた。夜通し歩いて、品川を過ぎた辺りで始発電車に抜かれたが、意地になって歩き通した。
しかし、近頃体力的に弱ってきたのか、精神的に腐ってきたのか、経済的に困窮してきたのか、始発電車が走る時間まで安い店で飲み続け、電車で帰ることが多い。
特に、タクシー代が4000円を超える場所で終電を過ぎるとタクシーで帰るのをあきらめ、歩くのも断念する。
で、先日ある仕事で遅くなり、例の如く終電を逃した。独りで飲みつなぐのも面白くない、と、はじめて「漫画喫茶」なるところで一夜を明かすことにした。
受付のおじさんにシステムをきくと、2000円コースで始発まで過ごせるという。なかなか安い。「トイレは乱暴に使わないように」と念を押されたから、恐らく過去にトイレを乱暴に使った着物姿の男がいたのだろう。靴を脱ぐ座敷のブースと、椅子のブースがあるという。それぞれどんなメリットがあるのかきいてみると、座敷タイプは横になって眠れて、椅子タイプは腰掛けたまま眠れるという。
ウチではいつも横になっているから、椅子タイプを選んだ。
なんだか車の中で長い仮眠をとっていたサラリーマン時代を思い出す。
しかし、なかなか眠れない。飲み放題というからコーヒーを何杯か飲む。益々、眠れない。となりのブースの人が、はげしくキーボードを叩いている。喋るスピードより速く、何か打っているようだ。私はパソコンが使えないからそんな隣近所に迷惑はかけない。テレビは面白くなさそうだ。背後のブースの背の高い男(座敷タイプのブースで、脱いである靴がやたらと大きいところから推理した。あの足の大きさで150p以下は考えられない)が定期的にする咳も気になる。
よし、どうせ眠れないなら、マンガを読もう。
漫画喫茶なんだから、マンガを読まなくちゃウソだ。さっそく貴重品をにぎりしめ、マンガの棚を歩き回る。まず目に止まったのが「すすめ、パイレーツ」だ。小学生の頃に腹を抱えて読んだギャグマンガだ。読んでみる。なつかしい。昔の記憶がよみがえる。なつかしい。なつかしいが昔ほど笑えない。なつかしいが勝って、笑えないのだ。
「これは、無駄だ」と呟く。昔読んだマンガを読むのはいけない。せっかくこんなところに来たのだから、今まで読んだことのないマンガを読もう。
何冊か、気に入った絵を見つけて読んだがどうもしっくり来ない。まるきり新しいマンガは落ち着かないようだ。
なにか、ないだろうか。なじみ深いのだが、まだ読んでいないマンガは。
……あった。「ゴルゴ13」。なじみ深いし、たくさんあるし、読んでない話が多い。しかも私好みの内容だ。
ごっそりと「ゴルゴ13」を自分のブースに運ぶ。
「マ、2、3冊読んだら、眠くなるだろう」
ところが眠くなるどころじゃない。「ゴルゴ13」はなんて面白いんだろう。すっかり私自身がゴルゴになった気分だ。3冊程読んだ時点で、私の脳は完全にゴルゴに乗っ取られ、自分は実は落語家を隠れ蓑にした腕の良い殺し屋だと思うようになった。足の大きな男は悪い奴に違いないと、勝手に背中に殺気を感じたりしていた。
夜が明けて表に出ると、朝日がまぶしい。目を細めた私の顔は、きっとゴルゴ13にうり二つだったろう。始電に乗って最寄り駅まで行く。いつもならそこから歩くのだが、ゴルゴになりきっている私はすばやくタクシーに乗り込む。
「どちらまで?」ときかれて、必要以上に低い声で答える。
「北千住。」そして、「急いでくれ」と付け加えた。
家について財布を見たら、やけに少ない。せっかく漫画喫茶で節約したのに、最後にタクシーに乗ったのがいけなかった。
これなら初めからタクシーで帰れば良かった。
時間は無駄にする、寝不足になる、腰は痛い、お金はなくなる。失敗だ。仕方がない。明日スイス銀行に行こう。
しばらく私は、ゴルゴ13である。
2009年4月12日配信
祝・卒業
卒業の季節だ。
我が家でも一人、下の娘が小学校を卒業することになった。めでたい限りである。
自慢じゃないが、この娘は優秀であり、上品であり、人を惹き付けてやまない美しさがある、と口が裂けて顔がひっくり返っても言えない人物である。
留年制度がもし小学校に導入されていれば間違いなく3年生を2回、5年生を3回くらいやっていただろう。
品のかけらもなく、サッカーボールを蹴り、木に登り、家中裸で駆け回る。男子のようだ、というより猿のようだ。実際、ケータイのイヤホンで何か真剣に聴いている姿は、猿がイヤホンをして話題になったソニーかどこかのTVコマーシャルを見ているみたいだ。しかも、その猿より品がない。
なぜこんな娘になってしまったのか。
考えられるのは七つだ。そのうち四つは説明しにくいから三つに絞る。
@親に似た。
これは大いに考えられる。顔は私似だと言われるがそれ程でもない。体型は妻にそっくりで、性格も妻に似てしまったのだろう。私は子どもの頃、サッカーボールを蹴り木に登り、家中裸で駆け回る少年だったが、どこか品のある少年だった。妻に似たに違いない。
A親の教育が悪かった。
これも、一つの要因だろう。特に妻の教育はなってなかった。次女ということもあって甘やかしすぎたのだ。私のように、「何でもいいから腹から大きな声を出して答えれば、間違った答えでも先生はほめてくれる、だから授業でもとにかくベンチに入った野球少年のように声を出せ」とか「テストで分からなかったら白紙で出さず、先生がびっくりするような答えを書け。出来れば笑えるものがいい。そうしてやる気だけは見せろ」など、常に厳しくしつけておけばよかったのだ。
B本人が、勝手に品をなくしていった。
結局これが一番の理由になるだろう。我々親の予想をはるかに超える速さでおバカさんになっていく姿は壮観ですらあった。「バカに追いつく賢者なし」ということわざがあれば、ぴったりの状況である。
とにかく、。それでもなんでも卒業できたのだから、日本の教育は根本から見直さなければいけない時期に来ているのは確かだ。
「ところでお前、小学校を卒業するそうだが、何を学んだんだ?」
「勉強に決まってるじゃん」
「勉強って何のことだか知ってるの?給食おかわりすることじゃないんだぞ」
「分かってるって」
「じゃなにを学んだ?」
しばらく考えていた娘は、今流行の歌を二、三曲、気味の悪い念仏踊りのように体をくねらせて歌うと、得体の知れない達成感を顔に浮かべて去っていった。
卒業なのに、猿ほどの知恵もない娘。
私は悲しい。
2009年3月22日配信
トイレットペーパー30コ
私の妻は、「安い品物をたくさん買い置きする」という趣味がある。
どうせ使うものなら、まとめ買いをして少しでも安く手に入れたい、そう考えるらしい。
「賢い主婦なら誰だってそうするわよ」と言う。「賢い主婦」は誰を指すのかきいてみると、「私に決まってるじゃない」と胸を張る。恐らく妻は、「賢い」を「強い」とか「権力のある」とか「夫の意見に耳を貸さない」という意味で使ってるのだろう。
最近、トイレットペーパーをダンボールで買ってきた。あのドラム缶の孫みたいな形をした一つのロールが6つ入っているものを5袋だ。
30コ。
トイレットペーパー30コ。オイルショックでも30コ買ってくる人は少ないと思うのだが、妻は「賢い主婦は皆やってることよ」と言い張る。
いいだろう。多くの家庭でトイレットペーパーを30コいっぺんに買っているとする。その家は、この30コのものをどこにしまっているのか。
我が家のトイレは自慢できるほど広くない。ズボンをおろして半回転して腰を下ろすことが出来る程度の広さだ。両手を思い切り横に広げられないし、木刀を持ち込んで素振りも出来ない。
そこに、トイレットペーパー、30コだ。奥の棚には6コしか入らない。残り、24コ。
「どうするの?24コ」
「トイレに置いてあるわよ」
見ると、その狭いトイレの中にトイレットペーパーが山と積んである。
「このくらいあると、なんか安心よね」
何が安心なのかよく分からないが、ひどくご満悦である。
その日から、長女がこのトイレットペーパーで遊ぶようになった。とにかく長女は狭い空間でチマチマした遊びをするのが好きだ。部屋の隅で、紙粘土を使って手のひら程の人形のための箸やコップをいつまでも作っているような職人みたいな女である。
この長女がトイレに入ったあとに入ると、トイレットペーパーの「積み木作品」が出来ている。
階段の時もあれば、橋の時もある。
「ほう」と思わず感心するようなお城のような作品もある。今日も長女のあとに入ってみると、縦にドンと積んである。
天井まで積まれたトイレットペーパーの柱。
ちっとも落ち着いて用が足せない。
倒れてきたら、どうすればいいのだろう。はっきり言ってやめてもらいたい。
「何か面白いわね。でもお客さんが何も知らないで入ってきたらビックリするだろうね。“心臓の悪い方はご注意下さい”って紙貼っておこうか、へへへ」
妻はそう言って独り喜んでいる。
「次は何を作ろうかしら」
長女はそう言って笑っている。長女がだんだん妻に似てくる。
ちょっと嫌な今日この頃である。
2009年3月18日配信
めざすは、安定したくらしと
人々に尊敬される地位
物欲、というものがない。
あれが欲しい、これが欲しいとねだったことが子どもの頃からない。そう言うと大袈裟で、いくらなんでも子どもの頃は何か欲しい物があって親を困らせたことがあるだろうと言われそうなので、念のため母親にきいてみた。
すると、「お城のようなおうち」「輪島のような強い父親」「三原じゅん子のような母親」「加藤茶のような才能」を欲しがっていた、というから、物欲がなかったことがおわかりだろう。
その反動だろうか、今は物欲に脳が支配されている、といっても過言ではない。
物欲に目覚めた大学生の後半にはお金が無くて、就職したばかりのころは遊ぶお金(主にマージャンの負け)のためにお金が無く、結婚してお金が無く、子どもが生まれてまるっきりお金が無く、噺家になってお金が底をつき、わずかなお金も女房が支配するようになってから益々お金と縁遠くなって、物欲はあってもそれを手にすることはなかった。
今でもそれは変わらない。
カップヌードル一つ買うにも、女房の留守を狙わないといけない。簡単に物が手に入らないと、欲だけが大きくなる。
私は物欲は強いが、他人をうらやむ、ということがあまりない。他人が素敵なバックを持っているから欲しいとか、あの人のような洋服を着てみたいと思ったことがない。
コマーシャルを見て、「欲しい!」と思ったことがない。「ウチの女房より、あの女性が美しいから、あの女性と一緒になりたい」とも思わない。恐らくどんなやさしい女性も、私と一緒になると鬼のようにこわくなるに違いないのだ。どんなやさしい人でもききんの時に人が変わるのに似ている。私と一緒にいると、何か生命の危機を感じて強くなるらしい。
私が「物欲」を感じるのは、変なものを見たときだ。
例えば、人気のない神社の賽銭箱。ああ、あれをウチの前に置きたい。特急電車の背のところにテーブルのついた椅子。ああ、ウチの中なのにあの椅子でごはんを食べたら毎日旅行気分なのに!バス停の座りにくい椅子。駅のホームにある、線路にものを落としてしまった時に拾うヤツ(あれの正式な名称を知っている方は教えて下さい)、そんなものが無性に欲しくなる。
だから、仏像を盗んで家の中で拝んでいた泥棒の気持ちが少し分かる。私も旅先で、人気のない通りにある、お地蔵様を持って帰りたい気持ちに何度なったことか。
でもいくら欲しくても、不正に手に入れてはいけない。毎日きちんと拝んでいたと言ってもゆるされるものではない。「どうか、仏像泥棒がバレませんように」そんなことを願っていたとすれば大間違いだ。
だから私は、物欲はあっても、物欲はない。
手に入れるつもりのない物欲である。今欲しいものベスト3。3位、東京タワー。2位、やさしい妻と優秀な子ども。1位、安定したくらしと人々に尊敬される地位。
……どれもこれも、叶いそうにない。
私には、物欲、というものがない。
2009年3月8日
チャンネル変えフェチ
私はめったにテレビを観ない。
教育上悪いと思っているとか、下らない番組が多くて観る気がしないというような理由ではない。単に観ると疲れるから観ないのだ。
なぜ疲れるのか。答えは「一生懸命観てしまうから」だ。テレビを前にすると、ただでさえ「子ども脳」と言われている私の脳が「お子ちゃま脳」になってしまう。集中して観るならまだしも、楽しくて仕方がないから、あっちのチャンネルこっちのチャンネル、20秒おきくらいに変える。まるで落ち着きがない。
今、目の前で観ている番組に満足しながら、「もしかすると別の番組は、もっと面白いのでは?」そういう思いが消えないのだ。リモコンを胸に抱え持ってとにかくカチカチ変える。そうして一時間もすると、全ての番組のストーリーが分からず、全ての番組の一番盛り上がる部分を見逃し、ただただ目だけが疲れる、という結果に陥るのだ。
そうなることが分かっているから、普段テレビは観ない。
しかし、旅の仕事で、まれに泊まりになると、どうしてもテレビを観てしまう。
先日も富山で泊まりだった。
他の出演者の師匠方と楽しく食事をして、少々のお酒を飲み(花粉症の季節は飲み過ぎると鼻、のど、目、あらゆる部分が翌日だめになるので、「足がふらつく」「重要な記者会見でも寝てしまう」程度におさえてのんでいる)、11時前には部屋に戻った。
さあ、それからの私は忙しい。
「ちょっと、後ろから殴りたくなる程イライラするから、そのチョコチョコチャンネル変えるのやめてくれない!」と私をおどす妻もいない。自由だ。思い切りチャンネルを変えてやる。
ベットに寝ころんで、チャンネルをいっぱい変えてテレビを観る悦び。「チャンネル変えフェチ」の少数の人しかこの悦びは分かち合えないだろう。
バラエティー番組の途中で地球環境について考え、英語を学び、サスペンスに胸躍らせ、野球の日本代表の仕上がり具合を分析する。とても楽しい。
と、30分もしないうちに、チャンネルが変わらなくなった。何度ボタンを押しても、変わってくれない。おかしい。強く押したりやさしく押したりしたがまるっきり変わらない。
電池だ。リモコンンの電池がなくなったに違いない。すぐに延命措置として、電池のふたをあけて、ぐるぐる電池を回してみる。これで、普通なら電池は生き返る筈だ。ところが、一度変わった切り、もう動かない。どうしよう。たかだか電池ごときで、夜中にフロントに文句を言うのもおかしい。第一、そんなにカチカチ、チャンネルを変えなければ、電池はもっていた筈だ。
仕方がないから、テレビの、直についているボタンでチャンネルを変えてみる。当然、変わる。ベットに戻って横になる。変えたくなって起き上がり、ボタンを押す。ああ忙しい!ちっとも楽しくない。気が付いてみると、目だけでなく、体もかなり疲れていた。
全国のホテル関係者にお願いだ。
世の中にはたくさんチャンネルを変えないと気が済まない紅顔の美少年が何人かいる。その人たちのために、電池の換えを置いておけ。もしくはいっそ、テレビを置かないで欲しい。
2009年3月1日配信
よくパンツをとりかえる
007シリーズの映画が大好きだ。
昔からこれだけは映画館で観ないと気が済まない。新ボンドは今までと一味違って悲哀を帯びていてカッコイイ。敵と闘うシーンが、旧ボンドの様に余裕がなくて必死すぎる、という人もいるが仕方がない。小学生が携帯電話で気軽に遊ぶ時代では、「ボンドカー」や「スパイびっくりボールペン」では誰も驚かない。必死に闘うボンドでなければ共感は得られない。もっとも、必死、といってもそこはボンド、戦闘シーンの前後は冷静だ。やはり、カッコイイ。
ことごとく趣味の合わない妻だが、「007好き」だけは共通している。
先日も最新映画を二人で観に行くと、「ああ、やっぱりボンドは素敵だわ」と目をうるうるさせている。
「あなたとは、口に出すのもちゃんちゃらおかしいけど、天と地下20階くらい違うわね」
「静かに歩け」
ボンドを観終えたばかりの私は、すっかりボンドになり切っている。他の映画でものめり込む方だが、ボンドは特にその傾向が強い。
以前も書いたが学生時代、すっかりボンドになってしまった私は、一緒に観に行った女の子の存在を忘れてひとりで帰ってしまったことがある。だからこの時も私はボンドそのものだった。そうでなければ妻に向かって「静かに歩け」など命令口調で言える筈がない。
「あら、またボンドになりきってるの?あなた自分ではボンドみたいに歩いてるつもりでも、せいぜい木工用ボンドよ」
「黙れ木工用ボンドガール。ピンチになっても助けてやらないぞ」
「あなたと暮らしてるのがそもそも大ピンチよ」
「大をつけるな」
この木工用ボンドガールには様々なクセがある。
「夫を見下す」「夫の言うことを信頼しない」「この世で自分が一番偉いと思っている」という代表的なものの他に、「よくパンツをとりかえる」というのがある。
特に「家を出る時はパンツをかえる」。
他の人がどうしているのか分からない。どういうペースでパンツをはきかえるのか、決まったルールはないのだろう。だからいつ、どうかえてもいいのだが、家を出る度にパンツをかえるのは変じゃないだろうか。
極端にいうとこうだ。
朝、「図書館に本返してくるわね」そう言って出掛けるときパンツをとりかえる。
帰ってきて、「そうだ、お昼のおかず買ってくるわね」
これでまたとりかえる。昼食後、映画を観に出掛けてまた一枚。
夜、親類のウチに行くのにもう一枚。くつ下はかえなくてもパンツはかえる。不思議だ。
ボンドになりきっている私は意を決して長年の疑問をぶつけてみた。
「おい、なぜ君はすぐにパンツをかえるんだい?国家的秘密でもあるなら気軽に喋ってごらん」
「だってあれよ、何かあってさ、私が死体で発見されたりした時、パンツ汚れてたら嫌じゃない。それで」
おそるべし木工用ボンドガール。
彼女はいつでも死ぬ覚悟が出来ている。
2009年2月11日配信
落語家として何をすべきか
恒例となったパルコ劇場での「志の輔らくご」、千秋楽に行ってきた。
たった一人で500人以上入る劇場をいっぱいにする。それも一日、二日じゃなくて、ほぼ一ヶ月だ。
どうしたら、それ程の人気を得られるのか。
面白い、だけじゃない、何かがある筈だと勉強しにいくのだが、いつもただ志の輔師匠の落語を楽しむだけで、何の答えも出ない。
この日も、おそらく一般のお客様より楽しんだ私は、帰りにその何かを考えるべく、先輩の噺家であるK蔵兄さんと、後輩のO楽さんと飲んで、落語界の未来について熱く語り合った。
K蔵兄さんは親子ダブル襲名で話題になった兄さんで、O楽さんは私の師匠の倅だ(この時点でイニシャルにしている意味は皆無だがこのまま通すことにする)。
K蔵兄さんが「近ごろ落語って面白いなあと思ってきたんだけど君たちどう?」という、プロとは思えない発言をする。
「ああ、それ、とってもいいことですよ」とO楽くんがカウンセラーのような言葉で応じる。
「パルコ劇場、うらやましいよな」
「その気持ち、大事です」
「僕もいつかさあ、パルコの中で、僕のグッズ売る店出したいよ」
「兄さん、それテナントじゃないですか!?」
この調子で熱く語り合ったが、展望はまるで開けないままだった(K蔵兄さんごちそう様でした。ここでK蔵兄さんがお帰りになる)。
O楽さんと別の店へ。そこでも、うどんや別荘の話で大いに盛り上がったが、「我々は落語家として何をすべきか」という問いに対する答えは出て来なかった(ここでO楽さん帰る)。
渋谷にひとり残った私は、始発電車までの時間を学生時代に何度か行ったバーで潰すことにした。
「いらっしゃい」
「あら、店変わったの?」
「いつから比べてですか?」
若い店員さんがグラスをキュッ、キュッ、とみがきながらカウンターの中で笑っている。
「いつってだいぶ前。そう20年くらい前かな?」
「そうですか、じゃ、店のオーナーも変わったんじゃないですかね、そんなむかしだと私もよく知りませんけど。私、1才でしたから」
「そう……。そう言えば店の名前も違ってる気がするなあ……。名前も変わった?」
「さあ、1才でしたから」
「そうだよね……あの、あなた店長ですか?」
「そうです」
「もちろん、前の店長じゃないもんね?」
「1才ですからね、そん時」
「そうだよね……」
それから約1時間、過去の記憶をたどる私と、1才の店長でグズグズと下らない会話を続けた。
店を出て、まだ薄暗い渋谷の街を見ていたら、ふっと、目の前が明るくなった気がした。
「我々は、落語家として、今、何をすべきか」
そう、明確な答えは出ないが、これだけは言える。
「こんな生活をしていてはいけない」
まず、この何の収穫もない生活を改め、しっかり目標を持ち、かつ努力して、いつかパルコ劇場を一ヶ月満員にしよう。
マ、一ヶ月は無理としても、10日くらいはがんばろう。……そんな生意気なことを言わないまでも、一日くらいは満員にしたい。
それがダメなら……えーと…もう一杯飲んで考えよう。
……この生活を本当に改めないと、私に未来はない。
2009年2月1日配信
富士山望む「マニラ食堂」
先日、神奈川のある高校のPTAに招かれて、一席伺ってきた。
ちょうど改装中で、プレハブの仮校舎での落語会だったが、それはそれで情緒があって面白かった。
さて、その日はとても良い天気だった。風もなく、歩いていると汗ばむ程の陽気だ。その高校に行くには、小田急線の新松田駅が近いと教えられていたので、新松田駅に降り立つ。タクシーに乗ると目の前にパッと富士山が現れた。真っ青な空をバックにそびえ立つ白い富士山が実に見事だ。
富士山は不思議な山で、きれいに見えた、ただそれだけでとても幸せになる。
タクシーの運転手さんに話しを聞くと今年は例年よりはっきりと見える日が多いそうだ。運転手さんもはっきり富士山が空に映えるその姿を見ると一日幸せでいられると話していた。
運転手さんと二人、富士山を大いに称えながら学校に到着。
おいしいお弁当をいただいて、高座へ。
PTAの皆さん、学校の先生方も一生懸命聞いて下さって、実にやりやすい。落語会が終わってからPTAの美しい役員の皆さんと写真撮影。おみやげまでいただいて、担当の先生に駅まで送っていただく。
私はとても上機嫌だった。
先生と別れ、再び新松田駅から電車に乗ろうと切符を買う。改札を通る直前、「そうだ、もう一度、富士山を見ておこう」と回れ右。
富士山のよく見えるところまで移動して、その姿にまた感動する。
「さあ、帰ろう」
すがすがしい気持ちで改札に向かったが、何かがひっかかる。
何だろう。何か今変わった看板を見たような。
ざっと駅前を見回すと、あった。
今まで富士山に心奪われて気に留めなかったが、これがひっかかっていたのだ。
駅前に、食堂がある。建物は古い、和風とも洋風ともつかぬ、マ、どこにでもある大衆食堂の形だ。
看板が出ている。「中華・和食」としてある。
「なるほど、中華料理と和食を出す店なのだ」と理解できる。
しかし、その食堂の名前が、「マニラ食堂」なのだ。
「マニラ食堂」
「中華・和食、マニラ食堂」だ。
いったい何を信じればいいのでしょう。
新松田の人たちは当たり前のように店の前を通り過ぎる。
私一人が店の前にたたずんでいる。
なぜ、そんな名前なのだろう。
マニラさんの食堂なのか。それとも、マニラの食べ物を出す店なのか。だとすればなぜ、中華・和食なのか。
入ろうか入るまいか迷った末、次の予定があったので涙をのんで電車に乗った。
なぜ、マニラ食堂なのか。いったい、何を食べさせるのか。
帰りの私の頭の中は、マニラ食堂でいっぱいだった。
日本一の富士山の感動までも吹き飛ばす、新松田の「マニラ」。
おそるべし。
2009年1月25日配信
セルフサービス風
なごやかなお正月を迎えた。
天気のお陰だろう。仕事が少ないせいでもある。家にいる時間が長い。こたつにもぐり込んで、綿入りのはんてんを羽織ってみかんを食べていると、いかにもお正月という感じがして嬉しい。
私がのんびりするくらいだから妻はもっとのんびりしている。
正月の化身かと思うくらいだ。
もともと妻は「無駄をはぶくことは美学」をモットーに生きている女で、見た目の美しさ、伝統、ジンクス、様式美などを一切廃除した生き方をしている。
例えば、部屋の広さと形から考えて、効率よく布団を敷くためには北枕も厭わない。
例えば、洗い物を少なくして地球環境に貢献するためなら、おそうざいのパックから他の皿に移し替えるなんてことは考えられない。
例えば、夜中に爪が伸びていると気づけば、翌日になって切るのを忘れてしまわないように、親の死に目に会えなかろうがどうしようが、自分でも子どもでも爪をどんどん切る。「会いたくないのか!」というくらいに切る。
例えば、寒い晩は、ごはんを炊いた「おかまの余熱がもったいない」とごはんを食べ終わってから、おかまを抱いてじっとしている。
例えば……数え上げれば切りがない。食卓にやかんごと麦茶を出す。たるごと漬け物を出す、などは前にも書いた通りだ。
この妻が、正月だからとのんびりしている。
きっとなるべく動きたくないと考えている筈だ。
長い付き合いだからよく分かる。この女の考えていることは二つだ。
「なるべく動かないためにはどうしたらいいのか」と、「一生懸命働いた自分は正当に評価されているか。正当に評価されているとしたら、感謝の気持ちなんかより触覚で分かるもので示せ。正当に評価されていないとすれば夫が悪い」この二つだ。
正月の思考は「動かないため」の方向へ向かう筈だ。
そうして、思った通り、正月三日目の晩。
夕食の食卓。お正月は私の大好物である「こづゆ」(ずっと前の日記参照)か「豚汁」が多い。この日は「豚汁」だった。なんとテーブルの上に鍋敷きが敷かれ、直に豚汁の入ったナベが置かれたのだ。
おたまの突っ込まれた、ナベだ。となりに、空のお椀が置いてある。
「どうしたの?」
「ん?いや、ナベごと出てきたなあと思って」
「思っても何も、ナベごと出したのよ」
「自分でついで食べるんだよね?」
「セルフサービス風ね」
「風っていうか、そのままだね」
「何か文句ある?」
「ないけど、なんでこんな形式にしたのかなと思って」
「自分の好きなだけ、温かいまま食べられて、目の前にナベがあれば、暖房にもなるじゃない」
素晴らしい。妻はどんどん進化している。
そのうち食券を買ったりするようになるんじゃないだろうか。
「それにしても、君も色々考えるけど、ナベごと出したところで完璧だね。もうこれ以上は無理でしょう、楽するの」
妻は食卓をじっと見て首をひねった。
「いや、きっとまだ何か出来る筈よ。きっとまだ楽になれる」
妻は今年も進化しつづける。
2009年1月10日配信
今年も残すところあと一日。
個人的に今年を振り返ってみる。
@真打になった。
これは大きい。多くのお客様、各師匠、先輩方に助けられ、また同輩後輩に協力いただいて、真打昇進披露パーティーもその後の披露目の会も楽しく催すことが出来た。改めて感謝申し上げます。
Aリコーダーが上手にならなかった。
リコーダーの魅力につかれて練習をしてみたが、「こんなものすぐに上手になるだろう」と思っていたのにまるで下手なままだった。来年にもちこしである。
B真打昇進のパーティーで、妻が「フィリピン人ではないか」という疑惑が生じた。
パーティーの席上、我が妻に楽太郎師匠がタガログ語で話し掛けたのが疑惑の発端だ。その後、「確かにタガログ語で答えていた」「そういえば上野のフィリピンパブで見かけた」「一度手紙をもらったが日本人ではないような字を書いていた」などの情報が飛び交った。しかし、我が妻は決してフィリピン人ではない。フィリピン人のように明るく元気でもなければ、敬虔なクリスチャンでもない。第一、フィリピン人ならもっとやさしい筈だ。「日本人ではないような字」は単に下手だということに過ぎない。
C私の、家庭内でのペット化が進んだ。
娘たちが成長すると、どの家庭でも父親は嫌われる。ところが、私は嫌われる代わりに、ペットとして扱われるようになってきた。一緒に夕食を食べていると、「あらめずらしい今日はみんなと食べたいんだ、よかったねェ」などと言って私の頭をなでる。父親に向かってなんと失礼なことをするんだ!という気持ちを込めて「ワン!」と叫ぶと、「静かにしなさい!もうごはんを食べさせないよ!」と怒られる。こんなに父親をナメた家庭があるだろうか。
D意外と元気だった。
今年は忙しい一年だった割に、元気だった。当初の予想では、「真打昇進のパーティー直後に倒れる」「パーティー前に入院する」「真打昇進披露目の興行中、4日目、もしくは7日目に帰らぬ人となる」などと見られていたが、なぜか寝込むことも帰らぬ人となることもなかった。疲れを感じない程体力がついてきたのか、疲れを感じない程疲れているのか、どちらかだと思う。
こうして一年を振り返ると、私にとって激動の年だったことがわかる。この年を無事に乗り切れたのも、皆さんのお陰です。どうぞ来年もいい年になりますように。
ではよいお年を!!
2008年12月31日
兼好宅にテレビ局が取材に
先日、地元会津で真打披露興行の落語会を開催した。
師匠好楽をはじめとする一門の皆さんと桂米助師匠を迎えて華やかな落語会にすることが出来た。後援会の方々の努力で1000人近いお客様が集まって会は大いに盛り上がった。ご来場いただいたお客様、改めてありがとうございます。
さて、その披露目の会を是非取材したい、と地元のテレビ局がやってきた。
落語会を撮って、インタビューをしたいという。テレビやインタビューが大好きな私は二つ返事で快く引き受けた。
プロデューサーが、「後日、奥様にもインタビューをしたいのですが」と私の妻の実態も正体も知らずにそんなことを言う。
「ハイ、後悔したり、痛い目みたりしますが、それでもいいですか」
「ええ、けっこうです」
ハハハ、気軽にそんなことを言っていいのかな?来られるもんなら来てみろ!
で、本当に東京までやってきた。
テレビ局側としては、真打に昇進するまでの涙の出るようないい話や苦労話をききたいのだ。特に妻には「突然サラリーマンをやめて転身した夫を、子どもがいながら陰で支える優しい妻」を期待していたのだ。
「では奥様、はじめて旦那さんに落語家になりたいって言われた時はどういう風に思いましたか?」
「また変なこと言い始めたな、ってね」
「………それだけですか?」
「時々言うんです、変なこと。今でもですけど」
「………びっくりしたり、大変だなと思いましたよね?」
「別に」
「………どんな苦労がありました?」
「特にありませんね。前座修業とかしてるんで、掃除したり洗濯したりしてくれるようになったんでラッキーでしたよ」
「………何が一番大変でした?」
「だから、大変じゃなかったんですよ」
「………」
ハハハ、どうだ、ざまあみろ。一筋縄でいくような女じゃないんだぞ。
悪いタイミングで子どもたちが学校から戻ってくる。ディレクターが娘たちにもインタビューがしたい、という。まだ分からないのか、あなたは。インタビューの意図とか番組の主旨が読み取れる娘たちじゃないんだぞ。あの女の娘だぞ。藍は藍より出で藍より青しと言うじゃないか。もしかすると妻よりタチが悪いのだぞ。
「お父さんが落語家になってどうだった?」
「友達に言えないよね。今でも言えないけど」
「落語間違えると私が直してあげんのよ」
「だいたい新作つくる時だって、アイディア出すのはお母さんだし」
「うん、私たち3人がいなかったら何も出来ないってことよく覚えてて欲しいわよね」
その後、私の悪口は延々と続き、ディレクターはほうほうの体で福島に帰っていった。
後日、ニュース番組の特集として放映されたものをDVDで送ってもらった。
テレビとは不思議なもので、あれだけメチャクチャなインタビューだったにもかかわらず、カットして順番を入れ替えてつなぎ合わせた映像は、それ程私をいじめているようには見えなかった。
DVDを映画監督が映像チェックするように真剣に見ていた妻が言った。
「テレビで見ると、仲良い家族みたいだね、この家族」
テレビは真実をうつさない。
2008年12月21日配信
熱くて元気すぎる男
先日、上方落語で今注目を浴びている、若手の兄さん、笑福亭たま兄さんが我が家に泊まりに来た。
上方落語界の鬼才と称される、福笑師匠のお弟子さんだ。この兄さんはとても熱い男である。頭の中はいつも落語でいっぱいだ。落語のことしか考えていない。どうやってお客を笑わせるかしか頭にない。
こういう人と付き合う一般人は大変だ。以前ある女性とデートしたらデート中ずっと落語の話をしていてフラれたことがあるという。そりゃそうだ。ロマンチックな気分になりたい時に「時うどんのここんとこどうしたらええやろ」などときかれても面白くない。フラれて当然である。
しかし、この兄さんはめげない。今は女の子より落語だ。
マンガやテレビの主人公のように一直線だ。
この日も兄さんは、大阪から仕事で東京に出てきて落語を一席やり、帰りにお囃子さんと飲みに行って落語について熱く語り、私と合流してますます落語について熱弁をふるい、私の家に着いてからは私の妻相手に落語はどうあるべきかと語っていた。
妻を相手に長く話したことのない私は、あの妻を黙らせる兄さんを心から尊敬した。
夜中の3時頃、ワァワァさわいでいると、次女が起きてきた。
夜中に訪ねてくるお客が大好きな次女はそのまま我々の話の輪に加わった。
「ほう、この子ォが、二番目の子ォか、……あのなぁ、こういう落語があるんやけど、おもろいおもうか?」
びっくりしたことに、兄さんは小学校6年生の次女相手におもろい落語論を語りはじめたのだ。
私も色んなお客を招き入れてきたが、子ども相手に容赦なしで落語論を語った人をはじめて見た。
恐るべし、たま兄さん。
朝の4時まで喋りたおした兄さんはふとんに入って寝たかと思うと6時に飛び起きて大阪へ帰って行った。私はふとんの中でグッスリ寝ていたが、妻はなんとか見送ることが出来た。
「そうか、兄さんは帰っていったか」
「起きたな、と思ったらあっという間に着換えてサッと出て行ったわ、いい消防士になれそうね」
「別に兄さんはそんなもの目指してないだろ」
「それにしても元気な人ね」
「俺の10倍は元気だな」
「あなたは弱すぎるのよ」
「でもあんなに元気な男が夫だったらいやだろ」
「確かにそうね。あれは元気すぎるわね……」
熱くて元気すぎる男、笑福亭たま兄さん。近くブレイクするに違いないが、結婚は遠いだろう。
2008年12月7日配信
見知らず柿が送られてきた
柿がおいしい季節である。
果物好きの私は柿も大好物である。特に会津生まれの私としては、「会津のみしらず柿」が無くてはならない。
会津のみしらず柿は漢字で書くと「身知らず柿」となる。枝が折れる程たわわに実が成るので「身の程知らず」が詰まって「見知らず柿」となったらしい。
この柿はそのままだと渋くて食べられない。一度ガブリとやったことがあるがあまりの渋さに悶絶した。しばらく口もきけない程だった。ちょうど妻の手料理を不用意に食べた時に似ている。
だから渋みを取るために、焼酎に漬ける。そのあと渋味が抜けたのを見計らって一日、二日陽の当たるところに置いておいてから食べる。色は輝くようなオレンジ色で、(「柿なんだから柿色でいいんじゃないの?」と妻が言っている。無視)とろける程に甘くてうまい。
今年も会津の知人から見知らず柿が送られてきた。
ダンボール箱の上には「○月×日にお開け下さい」と書いてある。もう×日が待ち遠しい。指折り数えてみると、その日は泊まりの仕事で帰れないことが判明。……マアいい。開けたその日に食べるより、一日二日、おいておいた方がうまいのだ。
食べ頃の日がやってきた。
妻がベランダ近くの、陽のよく当たるところに置かれた柿を吟味している。数多くある柿の中で、どれが今、一番食べるのに適しているか。こういうのを見分ける能力に、妻は長けている。恐らく脳の大部分を野生の本能が支配しているのだろう。
これだ!と見当をつけたものを拾い上げる、「ウキ!」。お前は猿か。
台所で妻が皮をむいて、食べやすい大きさに切っている。その手際は実に不器用だ。細かく切る、うまくむく、同じ大きさにそろえる、といった能力に妻は欠けている。恐らく手先はまだ進化しきっていないのだろう。
不揃いでザックリと切られた柿が無造作に皿に盛られて出てくる。
妻が一切れ食べる。うまそうだ。もう一切れ、妻が食べる。
目をつぶって幸せそうにほほえんでいる。実にうまそうだ。さらに一切れ口にする。また一切れ、重ねて一切れ、一切れ、一切れ……。
「ああ、うまかった」そう言って、妻が空になった皿を持ち上げる。待て!お前今一人で食べたな!
俺がいつも大好きだって言ってる見知らず柿一人で食べたろ!俺が目の前にいるのに、まるで気づかないふりして全部食べたろ!コラ!俺はカニか!うすみたいな男連れてきて仕返ししてもらうぞ!
心の中で熱く抗議の声を上げると、妻がようやく気づいたらしい。
「あら?どうしたの?」
「どうしたの?って見て分かりませんか?」
「……?……あ、柿食べたかった?」
「とっても」
「それならそう言えばいのに。今切ったところよ。お腹いっぱいなのに無視して食べちゃった」
「ごめんごめん、言えば良かったね(心の中:気づけアホんだら!腹いっぱいやったら「あなた食べない?」って何できけんのや!)」
妻がまた、食べ頃の柿を探す。
「あらら……食べ頃ないわね。明日まで待った方がいいわよ」
よし、明日まで待とう。しかし、妻よ。明日も同じような目に遭わせてみろ。泣いちゃうぞ。
柿が、食べられれば、おいしい季節である。
2008年11月23日配信
黒足袋を束で買い上げた
似合う似合わないは別として、私は毎日着物で過ごしている。
よく「着物着てらっしゃるとお金がかかりますでしょう?」とか「あなたが着物を着ていることで家族の皆様は何を我慢してらっしゃるんですか?」などと言われるが、心配することはない。それは私が世間の人がびっくりする程お金をかせいでいるからではなく、また家族に朝食と夕食、お風呂とトイレの水を流すこと、掛け布団、これらを我慢させているためでもない。
着物は「長持ちする」「流行にあまり左右されない」「修繕がしやすい」という特徴がある他、男の着物はひんぱんに着ていても「あらヤダ、また同じ着物よ、いやね」と言われることが少ないので、たくさん持っていなくてもいいのだ。案外安い。「祖父の代の着物」なんて言うのも着物なら平気で使える。背広はなかなかそうはいかない。「今年の着物はひざ小僧が見える丈短か!」ということもない。だから大事に着ていれば長く使えるのだ。
ただ、足袋、えりはすぐいたむので困る。足袋はそこそこ値が張るからやっかいだ。もったいないからはかないという訳にはいかないし、ものすごく丈夫な足袋ははきにくそうだ。
どこかに安い足袋は売ってないものだろうかと探していると、あった。いつも利用しているバス停の前に洋服屋がある。昔ながらの洋服屋であまり繁盛しているように見えない。事実お客さんが入っているところを見たことがない。バスを待つ間、退屈だから店内を眺めていると「全品半額」とか「くつ下6足で300円」とか「軍手50円」などと書いてある貼り紙が見える。よく見ると「足袋ソックス」がある。冬場は重宝だ。入ってみると奥から人のよさそうな背の大きいおじいちゃんが出てきた。めずらしいお客に「本当にあなたはお客ですか?道をたずねたいのですか?」という目で私を見る。
「この足袋ソックス、いくらですか?」ときくと、「え?この足袋ソックスを買う気ですか?それとも足袋ソックスというところに行きたいから道をたずねたいのですか?」という目で見る。
「……この足袋ソックス……いくらですか?」繰り返しきいてみる。しばらく間があって、「ええ」と言う。たぶんこのわずかの間に客か道をたずねる人か何度も頭の中で確認し、客だ、と判断したのだろう。口元が少しゆるむ。
「ええ。…店閉めちゃいますから、ええ……200円です……どれでも」
「へえ、安いですね」
「閉めちゃいますから」
どうせ使うのだからと、そこにあったものをドサッと買う。500円以下の品物に対して私はとても太っ腹だ。
「ありがとう…ございます…」
「いえ、また何かあったら買いますよ」
店主は深々と頭を下げ私を見送る。とてもいいことをした気分になった。
翌日、その店の前を通ると、表から一番目立つショーケースに黒足袋が何足か積んであって「300円」としてある。
明らかに私を狙っている。間違いない。
店の奥にしまってあった黒足袋を思い出し、喜々としてショーケースに並べる店主の姿が目に浮かんで、それだけで楽しくなる。「火焔太鼓」の主を思い出す。
店に入る。店主は私を認めるとさも嬉しそうに笑顔を見せ黒足袋に向かって歩き出す。やっぱり狙ったな。あんまり店主の思い通りになるのも口惜しいが、300円は安い。
私が黒足袋を手に取る。店主は緊張した面持ちで手元を眺める。品物は、それ程悪くない。しっかりしている。
が、小はぜを見ると24・5としてある。24・5は小さい。私の足は25だ。
「ああ、24・5か。私25なんですよね」
がっかりした調子でそういうと、
「あああ……小さいですかァ……あ〜」と輪をかけてがっかりしている。
「このサイズしかないんですか?」
「……この大きさしか……ないんです」もう虫の息だ。
帰りかけると
「はけませんかね、24・5」
「はい?」
「小さくても、はけませんか?」
「どうでしょう、ちょっと小さいんじゃないですか?」
「はいてみて下さい!」
そう言うなり一足つなぐ糸をブチッと片方を差し出す。仕方がないから、はいてみる。店主が祈るような表情で私の足を見る。
スルッ……グッ……。足が入る。問題は小はぜだ。これがとめられなかったり無理にとめて指先が痛かったりしたらダメだ。小はぜを、とめる。一つとめる度に店主の目に力が入る。全て、とまった。店主の目が私の目を射抜く。その目は
「どうなんだ!指先が痛いのか、痛くないのか、はっきりしろ、早くしろ!」
そう言っている。
「うん、不思議だなあ、24・5なのにはけるなあ」
私がそう呟くと
「はけましたね!はけましたね!」万馬券でも当たったように喜んでいる。ここまで喜ばれたらしょうがない。
黒足袋を束で買い上げた。
店主はまた、深々と頭を下げて私を見送る。
……この次、あのショーケースに何が並ぶか楽しみである。
2008年11月23日配信
愛すべき遊馬兄さん
今年も「博多・天神落語まつり」が始まった。
我が一門の楽太郎師匠がプロデュースする大規模な落語会だ。売れっ子揃いの落語会だからお客はもちろんだろうが、楽屋にいる我々も楽しくてしょうがない。
去年は二ツ目として参加したが、今年は真打として出演する。真打披露口上までしていただけるというからこんなありがたいことはない。
このありがたい立場で「タイミング良く」この落語会に出会えたのは私一人ではない。
落語芸術協会の新真打、三遊亭遊馬兄さんだ。
この兄さんを私はこよなく愛している。よく通る大きな声、愛される風貌、言葉を選んだ無駄のない落語。こういう所が好きなのではない。どんなに尊敬する兄さんでも、同じ真打という位に立ったからにはライバルだ。上手だったり面白かったりすればするほど愛せない。
なのに、この兄さんは素晴らしい。お酒を飲んだ時の良さと言ったらない。よく通りすぎるバカでかい声、愛されながらも一般人に恐れられる風貌、まるで言葉を選ばない無駄な会話、全てが面白い。
今日の「博多・天神落語まつり」初日の打ち上げでは、私の師匠好楽と友達みたいに肩を組んで飲んでいた。先輩後輩の見境がなくなっているようで、ちゃんと敬語を使っているところがすてきだ。
酔った遊馬兄さんは美しい。「あ、酔っ払らいだ」と一目でわかる。
酔った兄さんは神々しい。周りの人がサッと道をあける。
酔った兄さんは可愛い。ろれつが回らず赤ちゃんのようだ。
酔った兄さんは益々お酒が強くなる。どんどん飲む。
酔った兄さんは………酔った兄さんは………
酔った………兄さん、兄さんもう寝ましょうよ。
明日仕事なんですから。兄さん、もう飲むの止めましょう、明日「子ども寄席」なんですから。
兄さん、兄さーん!
2008年11月3日配信
「孤高の」ヒデがなぜ
先日新聞を読んでいたら、小さな記事が目に入った。
目に入ったと言っても新聞紙そのものが入った訳ではない。小さな記事が目に止まった。目に止まったと言っても新聞紙が蝶々のようにパタパタと飛んでいて目にピタッと止まった訳でもない。
ごく、小さな記事が目に付いた。目に付いたと言っても、新聞紙が目にくっついて「おい、前が見えん、なんとかしてくれー!」「うるさいわねェ、ちょっと待って今行くから。それまでちょっと新聞でも読んで待ってて」「その新聞をはがしてもらいたいんですけどー!」というようなことがあった訳でもない。
記事の内容はこんなにひっぱる程のものじゃない。
これだけの内容だ。洋風の菓子らしい。ハーベスト、なんとかと言っていた。これを、ヒデが作ったという。
勿論、ヒデがママさん被りのエプロン姿で「お菓子作りってけっこう簡単だと思ったら、魚三枚におろすより難しいわぁ」なんて言いながら直接作ったんじゃあるまい。作らせたのだろう。「こら!はよ作らんかい!ぐずぐずせんと焼け!焼け!焼いてしまえー!」という風に作らせたのではなくビジネスとして。
しかし、なぜ中田ヒデが洋風焼き菓子なんだ。それも、なんだかお洒落な形をしているという。
中田ヒデプロデュースなら、サッカーボールの形だろう。一箱1チームだから11枚だ。いや、ボールの形一枚に人の形11枚の計12枚がいい。名前も格好のいい横文字じゃなくて「ヒデのキラーパスまんじゅう」とか「ヒデのシュートケーキ」「ボランチのブランチ」なんてベタな名前が良かったのに。
私の大好きなヒデがどんどん遠くなっていく。旅に出たり、貧しい子をはげましたり、スキャンダルに巻き込まれたり、お菓子作ったり、大自然とたわむれたり、その合間合間にサッカーをする。それじゃあ旅先で色んな事件に巻き込まれながら絵を描く山下清さんみたいだよ。
私の大好きなヒデ。「孤高の」という言葉が似合っていたヒデ。
旅に出るのはいい。そこで様々な事件を解決するのもいい。スキャンダルやバッシングがあってもいいだろう。でも、洋風菓子はダメだ。軟弱すぎる。
せめて私の大好きなせんべい作りにしてくれ。
2008年11月3日配信
パンダと犬の共通点とは
近ごろの科学の進歩は目覚ましい。
今までわからなかったこと、はっきりしなかったことが色々とあきらかになってきた。
例えば遺伝子の研究がそうだ。最新の研究ではパンダと犬の遺伝子が80%も同じだということがわかった。なんと意外だろう。
パンダと犬が80%同じ。我々素人では思いもつかない。だって見た目があまりにも違う。サギとシギとか仔馬とロバとかアップになったときのキリンと鹿みたいに、見た目が似ていれば、「遺伝子が80%同じです」って言われても納得するが、パンダと犬ではあまりに違う。
だいたい、様々な種類の動物がいる中で、パンダと犬を比べようと思い立ったところが素晴らしい。これが「パンダとアリクイ」では「80%も同じ!」という衝撃的な数字は得られなかったろう。「42%が同じ」等という、どう反応していいのか迷うような半端な結果になったはずだ。
「犬と猫」ではどうか。
「80%が同じ」という数字は出そうだ。もしかすると「90%が同じ」ということになったかも知れない。しかし「90%が同じ」と言われて人間は喜ぶか。日頃「俺は犬派だ」とか「私はやっぱり猫が好き」「犬のほうが賢い。それが証拠に、お父さんにもなれる(ソフトバンク関係者)」「猫のほうが自由じゃない。お魚くわえて好きなところに行ける(サザエさん関係者)」などと言っている人たちが、この結果を喜ぶか。「なんだ、80%同じかよ、つまんねェ」ということになる。
やはり、「パンダと犬が80%同じ」でないといけない。
ただそう言われると、パンダと犬に共通点は多い。
@自分で靴をはかないA方程式が解けないBカレーライスを好まない、などがそうである。
パンダと犬は、見た目よりも似ているのである。
さらに、おどろくようなデータがある。
「パンダと人間では、遺伝子が68%一致する」
なんとパンダと人間は約7割、同じ生き物なのである。7割は、近い。鉛筆が3割りかた減っても、それほど気にならないだろう。髪の毛が抜けて7割くらいになってもその人を確実に認識できる。
パンダと人間は7割同じ。
「おかしいなあ…野菜しか食べてないのになんでこんなまるまる太るんだろう」なんて呟いている人は、たぶんパンダ寄りの人間だ。
「白黒はっきりさせようじゃねェーか!」なんて叫んでる人もパンダに近い。
「タイヤで遊ぶとなんでこんなに楽しいんだろう!」もう少しでパンダだ。
科学は確実に進歩している。次は、「狼と妻」、「スズメバチと妻」「こブラに食らいついているマングースとごはんを食べている妻」などを調べて欲しい。きっと「97%くらい同じだ。
2008年10月21日配信
若い男は立ってなさい
電車に乗らずに走りなさい
腹が立つ。
妻に、ではない。妻には歯が立たないから腹も立たない。
電車の中の男たちに、腹が立つ。
ここ数年、若い男性が、やたらと電車の中で座りたがるのだ。席が空くとサッと移動して座り、目をつぶって眠ったふりをする。四つ、五つ席が空いたとか、目の前の席が空いたとか言うなら話はまだ分かる。それがそうじゃない、ずいぶん離れた席で、一つしか空いていなくても駆け寄って座る輩がいるのだ。
なんて情けない。
電車の扉が開いた途端に空席めがけて駆け出していいのは女性だけだ。それも40代後半から60代半ばの女性に限る。
やや早足で空席に近づき、「あら空いているわ」なんて表情を浮かべて確実に席を取るのは20代後半から40代の女性によく似合う。
空いた席を指差して「あそこ座っちゃう?」と友人に声を掛け、他の人が座ろうとするのを止めてから確保するのは10代後半から20代の女性だから許されるのだ。
いずれにしても男はよほどのことがない限り座ってはいけない。
「80才を超えた」「定年を迎えたが老後が不安だ」「昼も夜も立ってられない」「心臓が時々止まる」「電車に乗ったが行き先が思い出せない」そんな人なら座ったほうがいい。
しかし若い男は立ってなさい。
本来若い男はなるべく自分の周りの空間を広く取りたがるものだ。本能として相手との距離を近づけたがらない。それが「オス」の本当の姿だ。だから若い男は電車という狭い空間にいることさえ、本能的には落ち着かない筈なのだ。まして、見知らぬ人の間に挟まって肩と肩をくっつけて座るなんてできない筈だ。
それなのにこうして若い男性が座りたがるというのは、女性化しているのか精神的に老化しているかに違いない。
若い男はどんなにガラガラでも立ってなさい。
立ってるどころか電車に乗らずに自分で走りなさい、と言いたい。
特に「アキバ系」などと呼ばれる人たちが座りたがる。小ずるそうにキョロキョロ車内を見回し、狭い空間を見つけてサッと座る。身を縮めて寝たふりをするかゲームを始めるかだ。そんなことをしていて恥ずかしくないのか!
「ガテン系」や「ロック系」あるいは「パンク系」「格闘家系」の若い男を見習え!あの人たちは座らないぞ。男らしいじゃないか。たとえ座ったとしても大きく股をひらいて、周りの人間を誰彼かまわず睨みつけて、広い空間を確保する努力をしてるじゃないか。本能むき出しで格好いいだろ。
電車の中ですぐに座ろうとする若い男たち。今日からでも遅くない、立って目的地まで行け。一時間くらい平気だ。本能に逆らうな。とにかくお願いだから座らないでくれ。
動きの早いお前たちが座るから、私がいつも座れない。
2008年10月13日配信
かしこい人間だからすぐに頭をかかえる
我が円楽一門の新二ツ目、三遊亭橘也さんは、優秀な男である。
小、中、高と優秀な成績で周囲の人をアッと言わせ、筑波大学に入学。このまま順風満帆な人生を送るんだろうと思いきや、大、中、小の悩みをかかえ、落語家に転身、周囲の人をア〜ァ、と言わせた。
その橘也さんに、地元会津の落語会「米熊落語会」に出演してもらった。
彼は優秀だから色々と悩む人間である。細かいことに悩まない人間は学識のない人か、普通の人だ。橘也さんはとてもかしこい人間だからすぐに頭をかかえる。その悩みなり心の葛藤なりを内に秘められる人は仙人のような人か、普通の人だ。
橘也さんはまれにみる頭のいい人間だからその悩みがすぐに表に出る。表情に出るだけじゃない。声にも出る。すぐ独り言を言う。
「なぜ俺は今ここにいるんだ?」「俺はこの席に座っていいのだろうか?」「もっと俺に出来ることはないだろうか。どうしたら俺の存在価値が上がるのだろう。それにしても会津は寒い」などと悩んだことを声に出すから周りのものは対応がしやすい。
「僕が仕事頼んだからここにいるんだよ」「新幹線に乗ってるんだから、座ったほうがいいよ」「窓閉めようか?」そう言えば良い。
何度も言うが、橘也さんは優秀だ。きっちりと落語をしてお客を喜ばせ、しっかりとお酒を飲んで、がっちりとおにぎりを食べた。
「いやあ、会津って本当にいいところでしたね」
「そう?あ、お城見た?」
「見てませんよ」
「そう。お城は見たほうが良かったのにね。ソースカツ丼は食べた?」
「食べてませんよ。兄さん食べさせてくれなかったじゃないですか?」
「武家屋敷とか酒蔵も行ってない?」
「ずっと兄さんと一緒だったでしょ!どこにも行ってませんよ」
「そうか。じゃあ、米熊さんと河鹿荘(温泉)以外ほとんど会津のいいとこ見てないんだ」
「ええ?!」
帰りの電車の中、彼は絶句したまま頭をかかえこんだ。
「くそー、せっかく会津に行ったのに、俺は何も見てなかったのか。温泉は気持ち良かったが、まだまだ会津を満喫できた筈だ。時間もあったのになぜこの兄さんは色々案内してくれなかったんだ。…………でもしょうがない。こうなったらこの兄さんをヨイショしてもう一度会津に呼んでもらうしかない。どうやってこの兄さんをだまそう。なにをすればこの兄さんは喜ぶんだろう?」
橘也さん、その独り言、聞こえてるよ。
2008年10月5日配信
ハトヤの唄がリフレインしていた
伊東温泉の老舗旅館「いづみ荘」で落語会が開かれた。
当日の昼間、岩手県の高校で学校寄席に出演、そこから東北新幹線で東京に戻り、東海道新幹線に乗り換えて熱海まで行き、伊東線というローカル列車に乗って現地まで移動しようというのである。
伊東線の列車はちょっと変わっていて、車内の座席の配置が中途半端である。片側が四人掛けのいわゆるボックス席、通路を挟んで反対側横一列長椅子である。長椅子のほうに座ると、ボックス席を真横から見る形になる。まるで落ち着かない。
私が列車に乗り込んだとき、すでにボックス席はいっぱいだった(横顔をじっと見られるであろう席になぜ座りたがるのか理解できない)。
長椅子のほうもバラバラと人が座っていて、口を開けたままメールを打つ男子高校生と缶ビールの注意書きに目を落として頭をふっているおじさんの間。それから昔は美しかったであろう中年のおばさまと派手な化粧をした30前後の女性の間が空いていた。
迷わず女性陣の間に座る。
正面のボックス席には、マンガを読んでいるサラリーマン風の男とケータイで何か一生懸命調べている、やはりネクタイ姿の男が進行方向側に並んでる。向かい合わせに、バーコード型の髪型をした男とスポーツ新聞を読んでいるおじいさん。
列車が走り出す。もう日が暮れていて、外の風景は見えない。
一駅ごとに人が降りて、乗ってくる人は少ない。車内はだんだん少なくなる。
気が付くとマンガサラリーマンとスポーツ新聞のおじいさんがいなくなっている。私のとなりの派手な化粧女は降りて、50前後地味な化粧おばさんに代わる。
次の駅でケータイネクタイ男が降り、ボックス席はバーコードおじさんだけになった。よほど疲れているのだろう。ガックリと首を垂れて居眠りしている。
と、その時、昔美人が「あっ」と小さく叫んだ。何だろうと彼女の視線を追うと、大きなカマキリがボックス席にいる。片手をいっぱいに拡げたくらい大きい。
地味おばさんも気付いて眉間にしわをよせる。カマキリはゆっくりとした動きで、ボックス席の背もたれを登り始めた。ゆっくり、ゆっくり動いて、しかし確実にバーコードおじさんに近づいていく。
背もたれを登り切ったカマキリは、一度大きく息を吸うように体を伸ばし、パッと、バーコードおじさんの頭に舞い降りた。
おじさんは気が付かない。
昔美人と地味おばさんと私はたまらない。三人とも笑いがこみ上げ体がふるえる。でも声を出して笑うのは失礼だ。かといって、「おじさん、頭にカマキリが乗ってますよ」と注意するのも変だ。
三人はなすすべもなく、ただじっとカマキリを見る。カマキリは一度周りの様子をうかがうと、太極拳でもするようにその大きなカマを動かし始めた。その度に、おじさんの髪の毛が舞い上がり、バーコードが乱れていく。
だめだ、面白すぎる!
昔美人は目に涙をため、地味おばさんはガーゼを噛んで笑うのをガマンしている。
カマキリは益々華麗にカマを振る。
昔美人が助けを求めるように私を見た。私も目に涙をためて、「床屋さんみたいですね」と言うと、もうガマンできなかったのだろう、昔美人が「ギャハハハッ」と大声で笑う。つられて地味女も何度も頷きながら笑う。私が小さな声で「♪伊東に行くならトコヤ」とハトヤの替え唄を歌うと、三人で爆笑になった。
カマキリはその後、自分の仕事に満足したのか、ひとつお辞儀をするようにしておじさんの頭を離れた。おじさんはまだ深い眠りの中だ。
地味おばさんは次の駅で降り、昔美人もその次の駅で他人に戻って列車を降りた。
私の頭の中にはいつまでもハトヤの唄がリフレインしていた。
2008年8月28日配信
しょうがないじゃない 運動会なんだから
真打昇進の喜びは消えない
早めに来ないと元気でなくなるかも
真打昇進披露公演も終盤にさしかかっている。
連日大勢のお客様に来ていただいてなんとも嬉しい。当初、「体力のない兼好は5日目でダウンする」「気力のない兼好は6日目で発狂する」「経済力のない兼好は3日目で好二郎に戻る」などと噂された。
披露目の初日に福田首相が辞任を表明したのも、「兼好が10日間持たないことの暗示」とされた。
確かに私は福田首相のファンである(過去の好二郎の動静参照)。
だから突然の辞任表明には驚いた。「その手があったか」
まさか二代続けてそんなことはしないだろうという大方の予想を裏切っての辞任劇に、私も「あんまり大変だったら真打昇進をやめればいいんだ」と気が楽になった。
ここまでのところ、そうした精神的な余裕のおかげで、下痢、胃痛、二日酔い、偏頭痛くらいで済んでいる。
お客様からも「まだ倒れてないんですか」「今日こそは休むと思ったのに」「時間の問題ですね」などという励ましの言葉をいただき「もう少しガンバロウ」という気になる。
それにしても連日、寄席のトリ(最後に上がって鶏の真似をする人のこと)をつとめるのは楽しい。披露目の目出度い席だから、各師匠がたも自分の出番が終わると楽屋で酒を飲んで陽気だ。トリの高座に上がろうと楽屋をあとにする私の背中に、先輩師匠がたのあたたかい励ましの声が飛ぶ。
「弁当先に食べちゃうよ」「打ち上げ行くんだからあんまり長い噺やっちゃダメだよ」「先に飲み屋さん行ってるね」
こういう声をきくと益々トリの高座が楽しくなる。
マ、いずれにしても残りあとわずか。
皆さんが心配するより、意外と私は元気である。私以外の出演者も私の10倍くらい元気である。全員で元気な楽しい番組をつくるので、まだ披露目に足を運んでないというかた、是非お越し下さいませ。
早めに来ないと元気でなくなるかも知れないから。
(2008年9月7日配信)
結婚15年、最高の笑顔を見せた妻
「だまされてはいけない」と兼好師