大畑はループ線とスイッチバックの両方が存在する唯一の駅で、鉄道ファンにとっては行ってみたい駅の一つに挙げられる駅である。
大畑周辺は肥薩線の沿線の中でいちばんきつい山登りを強いられる線区で、隣の人吉駅の標高が106.6mに対し、大畑の駅の標高は294.1m、肥薩線内のサミットである隣の
矢岳の駅の標高は536.9mと2駅の標高差が400mの差がある。ましてや肥が出来た当時の動力源は蒸気機関車だったので坂を上る能力にはほどほど限界があった。
そんな急勾配を上るためにループ線を設け、急傾斜地に駅を造るためにスイッチバックを言う形をとったのである。この辺りの路線は難所の中の難所であったが、この駅を建設するのもかなり大変だったようで、13人もの犠牲者を出し、その慰霊碑が駅の構内にある。
「こんな苦労をしてまでも鉄道を敷きたかったのか」という疑問を抱くかもしれないが、実は肥薩線は元々は鹿児島本線で、出来た当時は明治42年で、海沿いに線路を敷くと列車が格好の標的になるのを嫌っての軍部側の意向と宮崎への延伸を考えた上で建設された物である。
この辺りの最大勾配は30パーミルとなっているがこれは肥薩線が出来た当時の蒸気機関車が上れる最大勾配だったのである。
肥薩線の人吉〜吉松間は南九州まで鉄道を敷こうと言う強い意志によって出来たものであり、中でもこの大畑が鉄道建設に対してとてつもない苦労をしたのが感じられる駅である。いまでは急行列車も廃止され、ローカル線の色が濃くなってしまったが、多くの人々の苦労と工夫があった事を忘れてはいけないと感じ、鉄道の歴史の産物である事を肝に銘じて置くべきだと思う。
(2002.10.2)