これまでの留萌本線内の駅では対抗式ホームからの棒線駅化が数多く見受けられたが、ここ大和田の場合は元々島式ホームから成り立っていたもので、ホームと駅舎の間にある線路跡が、かつて構内踏切があったことを想像させてくれる。
駅名の大和田とは、敦賀の銀行家で周囲に炭鉱を所有していた大和田荘七が駅建設用に敷地を寄付したことに由来する典型的な人名由来の駅となっている。
炭鉱があった頃は石炭の積み出し駅としての機能を持っていたが、昭和30年代に炭鉱は早々と閉山し昭和59(1984)年に無人化されてしまった。有人駅時代には石炭で栄えていたことを示すかのように炭塊が飾られていたそうだが、貨車駅となった今ではその面影はまったくない。駅から留萌よりに100メートル位離れた所にある踏切の名前が「炭山道路」となっているのが、かつて大和田が炭鉱町だったことを示す数少ない名残だ。
現在の大和田のすぐ近くには民家はさほど多くなく、駅裏の高台にあるバスが通る国道沿いがメインの集落地帯となっている。道路が高台ということもあって、大和田の駅全景を見ることができるが、そこは山間の小駅という佇まいになっており、地元住民にしてみれば、わざわざ駅まで出向いて列車を利用する価値がそこまでないのかなという印象を受けた。
私が大和田を訪問した時は終日雨模様で、時間によっては大荒れという予報も出ていたが、思ったよりも雨や風は強くなく荒天に弱い留萌本線ではあるが、無事に時刻通りに走ってくれて予定通りの駅訪問ができた。
(2022.10.10)