仙崎で発車を待つ臨時列車「みすゞ潮騒」号
みすゞの時代背景に合わせて模様替えされた仙崎の駅舎
Senzaki
仙崎のホーム。絵に描かれている鯨は青海島の「鯨墓」にちなんだものであろう
みすゞのモザイク画が設置されている仙崎の待合室
金子みすゞの故郷として有名な、山陰本線の支線の終点、仙崎
仙崎
 仙崎は長門市から北方へ2.2キロ進んだ山陰本線の支線の終着駅。この仙崎は大正から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人、金子みすゞの生誕地として知られ、駅の待合室にはみすゞのモザイク画、駅舎は平屋のコンクリート駅舎の建物をベースにして表面は古風なデザインに変更され、駅前からまっすぐに伸びる道はみすゞ通りと名づけられて記念館も造られていて、金子みすゞを意識した街づくりをしている印象を受けた。

 停車する列車は1日に6本、どの列車も10分もしないうちに発車してしまうので、写真撮影の際には仙崎行きの1本前の列車に乗って長門市で下車をして、そこから仙崎の駅まで歩いて訪問をする形を取った。

 思い起こせば今から17年前に私は中国地方に鉄道旅行をしたときに、ここ仙崎を訪問している。当時は仙崎に1時間近く停車する列車があって、その停車時間を利用して駅周辺の散策をした。初めは仙崎の沖に浮かぶ青海島を訪ねようと思ったのだが、橋と島の大きさに島訪問はあっさりと断念。その時海岸で偶然見つけたのが金子みすゞの銅像と「大漁」の詩だった。

 当時高校生だった私は彼女の存在すら知らず、巷でも知名度はあまり高くなく、仙崎の駅舎は今とは違って平屋の殺風景なコンクリート駅舎で彼女を盛り上げている様子などは感じなかった。しかし銅像の近くにある、みすゞのプロフィールを見てみると子供の様に純粋で澄みきった言葉が、あの西条八十から絶賛されたと言う話を聞いて、よっぽど凄い人だと感じた。

 私が仙崎の駅を訪問した後に、突如として金子みすゞが採り上げられ、彼女の生涯を描いたドラマや映画、舞台などが上演されるようになった。しかし夫に三行半を突きつけられた上に詩と愛娘まで奪われた失意と怒りで多量の睡眠薬を投与して自ら命を絶つという哀しい最期を遂げたことを知り、みすゞの生涯に関する劇などは未だに見られずにいる。

 金子みすゞが注目された今は、山陰本線でも「みすゞ潮騒」号という臨時列車を走らせている。仙崎の駅を下車して待合室を見るとみすゞのモザイク画が、また車で訪問してきた人に対しても駅舎を通り抜けてホームに出ると、そのまん前にみすゞの肖像画が描かれた看板がお出迎えをしており、列車でも車でもみすゞの姿が見られるような駅作りになっている。

 仙崎のホーム上には、みすゞの「わたしと小鳥と鈴と」の詩が書かれたものがある。その詩の最後に書かれた一行のことば、


                                みんなちがって、みんないい。

 私が行っている数々の無人駅訪問の原点が、その一言に集約されている気がした。

                                                                   (2009.8.6)


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