バスの車窓から現れる陸に打ち上げられた巨大な船。その巨大な船、第十八共徳丸のまん前に鹿折唐桑のBRTのバス停がある。2011年3月11日の東日本大震災では、遠洋漁業の漁船が多く集まる港町、気仙沼も津波によって大きな被害を受けた。

 片面ホームの小さな駅、鹿折唐桑はホームは原形を留めてはいるが、駅舎があった場所は土台あるだけで、その上にバケット式のベンチがポツンと置かれている。震災時、建物自体は残ったのだが、津波による被災時には駅舎に流された車が突っ込んでくるなどという損傷を受けたために、二次倒壊の恐れがあるために立入禁止にされてしまったが、その後取り壊されてしまっている。

 気仙沼では今でも震災の遺構として残っている第十八共徳丸は、鹿折唐桑の駅前通りを寸断しているため、バス停から列車のホームに行くにはちょっと迂回することになる。

 鹿折唐桑に途中下車したきっかけは船を撮るという目的ではなく、大船渡に向かう道中で仮設の商店街を見つけて、帰りがけにそこで気仙沼の海産物で昼ご飯を食べようと思ったからだ。

 バス停から徒歩で1〜2分くらい離れたところにある仮設の商店街、「復幸マルシェ」にあるお店でお昼を堪能。店の主人によると、この地区は津波に襲われた後、重油の引火によって三日三晩燃え続け、瓦礫と化した町中では夜になると真っ暗で自分が住んでいる所なのに、どこにいるか分からなくなるという状態だったという。

 瓦礫が撤去され、ほとんどが建物の土台だけとなった鹿折地区。震災当時、たびたび上空から映し出される気仙沼の映像から夜になっても火の手が上がっている場所があったのを今でも覚えている。ここがその一つだった。

 実際には十八隻の船が座礁し、サルベージ船によって海に戻されたため、唯一残されてしまった第十八共徳丸。船を震災のモニュメントという構想も取り上げられているが、船の所有会社は解体するという方針を打ち出している。また市民の間でも賛否が分かれているため、どっちつかずの状態が続いているのが現状だ。

 東日本大震災では「がんばろう東北、がんばろう日本」というキャッチフレーズが掲げられた。ただ実際に被災地に来てみると地元の人は決して不安がない訳ではないと思うが、誰に言われるでもなく未来に向かって頑張っている印象を受けた。バスの車窓からは仮設で営業しているコンビニや商店街をいくつも見てきた。それこそ被災地が頑張っている象徴にも思えた。今回の旅で感じたのは、本当に頑張らなければならないのは被災地ではなく自分自身ではないかと思う。

 最後に言えること、「がんばろう東北」ではない。東北はどこよりも頑張っている。
       
                                                               (2013.4.8)
鹿折唐桑の駅前通りは漁船によってその道を遮られてしまっている
鹿折唐桑のホーム。赤さびた上に歪んだレールは列車が来ないという現実を突きつけられる。
Shishiorikarakuwa
鹿折唐桑
東日本大震災による津波の被害を受けた駅の一つ、鹿折唐桑の駅名標と座礁して今も残る大型漁船


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鹿折唐桑の駅舎は震災後も残っていたが、倒壊の恐れがあるとして取り壊されてしまった。
鹿折唐桑のBRT乗り場。バスに乗っていてもこの漁船のインパクトが非常に大きい。