福島県の浜通りを走る幹線、常磐線にある夜ノ森。夜の森公園の桜と共に有名なのが、駅構内に植えられたツツジである。夜ノ森という、暗いイメージを花の森にしようという想いから、山手線の駒込にならって植えたのが始まりで、シーズンになると線路際にツツジが見事に咲き誇る絶景駅となり、それが評価されて2002年に「
東北の駅100選」にも選定された。
しかし、2011年の東日本大震災直後の福島第一原発の爆発事故で、発電所からわずか7キロという夜ノ森の駅周辺の住民は避難を余儀なくされた。
震災後、津波の被害を受けた常磐線の沿線は段階的に復旧をして行ったが、とりわけ福島第一原発に近い、夜ノ森が含まれている富岡~浪江間の復旧までには、放射能の除染の観点から9年も待たなければならなかった。
9年ぶりに電車が走るようになった夜ノ森だが、開業時の木造駅舎は除染の弊害になるとして取り壊され、その代わりに東西の自由通路を兼ねた建造物となった。ホームへはスロープ、エレベーターを備えたバリアフリーになったが、駅には待合室はおろか、ベンチが一つもなく、長時間電車を待つには適さない駅となってしまった。また駅の中に放射線量を計測するガイガーカウンターが設置されていて、夜ノ森の駅構内の放射線量がリアルタイムで分かるのも、如何に原発の存在が大きいのかがよく分かる。
駅舎があった東口の駅前は多くの民家、個人商店、さらにはスーパーマーケットなどといった、一つの町を形成していた痕跡が残されていたが、未だに帰宅困難区域となっていて、駅前通りなどのメインの道路以外は立入禁止で、警備員が立っている所がある。
また夜ノ森の名物となっていたツツジの植え込みも除染の為にやむを得ず伐採しなければならなかった。今後は改めて苗木を植える計画があるが、再びツツジが咲き誇る絶景駅となるのはまだまだ先のことである。
9年ぶりに全線が復旧した常磐線。果たして復旧して正解だったのか今答えを求めるのは間違っているかも知れない。10年あるいは20年と時が経った時に何気なく電車が走り、昔原発事故で電車が走らなかった時期があったことをしみじみと語れる日が来る。それが本当の答えではないだろうか。
(2020.3.17)