大魔神社
横浜ベースタースが初日本一になった1998年。今は大リーガーの佐々木選手のフォークボールの握りをした像を神様にした神社が横浜そごう前に洒落でできました。ヤフーで検索したらまだたくさんの情報が残っていましたので集めます。


ハマの大魔神社1998

 

ハマの大魔神社は横浜駅東口の地下街「ポルタ」内に有ります。
「横浜そごう」のからくり時計を目指して行くとわかります。
参拝時間は10:00〜19:30だそうです。

注:1999年1月中旬をもって撤収されました。
1999年の模様もどうぞ


 

横浜駅東口からポルタの入り口に
案内の看板が出ておりました。

 

大魔神社です。
一応賽銭箱もあります。

 

奉納しているのは、
佐々木投手(大魔神)のフォークの
握りをかたどった右手のブロンズ像の
レプリカです。
ちなみに、佐々木投手の隣の人は、
山下コーチでは有りません(笑)
松山千春さんです。

 


休日と横浜スタジアムの試合が終わった後の大魔神社です。
お参りするのに行列ができてます。

 

ハマの大魔神社1999

ハマの大魔神社1998もどうぞ

1998/12/25〜1999/1/17の間に参拝記念と言うことで
お守り・ハンドストラップ・キーホールダー・テレホンカードなどが販売されてました。
大魔神社撤収後の模様もどうぞ!

[1999.01.05]
[1999.01.22]


 


販売ものはこんな感じにディスプレイされてました。
場所は神社から少し離れた「ポルタ」の案内所のそばで販売されてました。
ほかにV胴上げのポスターなども販売されてました。


ちなみに「御守」を購入してみました。


神社の賽銭には「V2祈願」と・・・・
1999/10/14作成にこれを見てしまうと「あ痛たたた・・・・」

 


大魔神社撤収後の模様です。
(1999/1/22撮影)

 


ごらんのように提示されてます。

 

1999.10.14作成

ここまでのページは
http://www2s.biglobe.ne.jp/~terra/
から勝手に(連絡先不詳のため)お借りしました。

大魔神社のお金の行方
1/16 大魔神が大魔神社へ100円寄付?

16日、ついに9月19日に開設された『ハマの大魔神社』が撤去されたが、撤去前になんと佐々木自身が大魔神社へ現れた。周囲は大騒ぎであっという間の人だかりになった。
この日は、午後2時から横浜市内の結婚式場「ワークピア横浜」でOB会長の秋山登氏とトークショーを行い、タクシーで乗り付けた。さい銭箱に100円玉を投げ入れ「今年も頑張りますのでよろしくお願いします」と連覇を祈願した。
ちなみに、今年は「大学の後輩でもあるし隆当たりには頑張って欲しい」と話した。期待の星・隆!(それは新沼くんだよ)

1/17 大魔神社のさい銭で『魔神カー』を購入

『ハマの大魔神社』へ投げ入れられたおさい銭は、横浜市社会福祉協議会に寄付されることになっているが、この協議会は17日までに「魔神カー」を購入することを決めた。16日までのおさい銭総額は集計で約1660万円で、この寄付金で障害者スポーツの機材を運搬する専用バスを購入する。

ここまでは
http://www2.wbs.ne.jp/~game/index.htm
からお借りしました。
2004年2月3日更新
「魔神カー」の今

 佐々木選手の横浜復帰が決まったとのことです。
上記の「魔神カー」の今が気になり、昔、よく顔を出した(寄付先の)横浜の社会福祉協議会に尋ねてみました。以下の文は返事のメールです。


お問い合わせいただきました「ハマの大魔神号」は
中、栄、南、青葉区などの社会福祉協議会に寄贈され、
送迎サービスに、現在も活躍しております。
ベイスターズに戻ってきた佐々木選手。
これからの活躍が楽しみですね。

どうやらキャラバンなどのリフトカー(24時間テレビと同じタイプ)が寄贈されたみたいです。
現役とのことで安心しました。

2005年10月10日更新
佐々木選手引退 
 10月9日。夜勤のときにたまたま開いたスポーツ新聞の社会面に変な形をしたどこかで見たようなトロフィーの写真。よく見るとボールをはさんだあのフォークボールの握り。あの大魔神社のご神体でした。
 「大魔神社」は遊び心が詰まった本当にすばらしかったです。(佐々木選手の像でなく、フォークボールの握りの像など)。アメリカの大実業家(カーネギーさんか、ロックフェラーさん)が「善の循環」と表現していましたが、だた佐々木選手のフォークボールの握りの像を飾っただけなのに、話題性でいろんな方々を幸せにしただけでなく、普段はなんでもない横浜そごうの通路が聖地になったり、冗談半分でおいた募金箱で集まったお金で寄付されたリフトカーはいろんな方の外出のサポーターとして活躍を続けたりと模範的な相乗効果を生み出しました。お参りしてもご利益などないはずなのに大勢の方を引き寄せ、多額の賽銭があつまり、、地域社会に幸せを生み出すという遊び心の小さな一歩がとんでもなく世間に波及した実例としてすばらしかったです。
佐々木選手お疲れ様でした。

以下がその新聞記事です。(報知新聞)

サラバ佐々木 「大魔神社のご神体」はどこへ?

 8日に引退セレモニーを行った横浜ベイスターズ・佐々木主浩投手(37)。佐々木が活躍した1998年9月、JR横浜駅東口に優勝を祈願する「ハマの大魔神社」ができたのを覚えているだろうか。“ご神体”にはフォークの握りをした右手のブロンズ像が置かれ、当時は連日、1万人以上が参拝する大フィーバーだった。99年1月に神社は閉鎖となったが、あのご神体は今どこへ―。世紀のストッパーの最後を惜しみながら、“分身”の行方を追った。(山崎 智)

 「ハマの大魔神社」がJR横浜駅東口地下街に姿を現したのは、98年9月19日。横浜ベイスターズのセ・リーグ制覇を祈願して、横浜駅東口振興協議会が設置した。ご神体のフォークを握る魔神の右手のブロンズ像には、毎日1万人を超えるベイ・ファンが手を合わせ、祈った。魔神も獅子奮迅。45セーブを挙げ、見事MVPに輝いた。

 その後、チームを38年ぶりの日本一に導いたご神体。その御利益を授かりに全国から安産、合格祈願に訪れる人が殺到した。計170万人が参拝し、ハマの新名所にもなった大魔神社だが、99年1月17日、多くのファンに惜しまれながら閉鎖された。

 閉鎖後の気になるご神体の行方はというと―。もともと、ニッポン放送が217セーブポイントの日本記録(当時)をたたえ、佐々木に贈ったもので、佐々木の手元に返されるはずだった。だが、「たくさんの人が祈願したもの。手元に置いておくのは大変恐れ多い」と佐々木が返還を遠慮したため、制作した同局関係者が預かることになった。

 2000年、佐々木の大リーグ・マリナーズ移籍に伴い、大魔神社の「シアトル移転案」も浮上したが、ご神体は同局関係者の手元で国内に“残留”。新人王に輝き、大リーグ通算129セーブを挙げた佐々木の活躍は、遠く海の向こうから見守る形となった。

 だが、ご神体の魔力にも限界があったのか。04年横浜に復帰した佐々木は腰痛、右ひじ痛など度重なるけがに悩まされた。不運が続いたことで、佐々木に近い関係者は占い師に相談。すると「あのご神体が影響している。本人できちんと管理すべきです」と思わぬ助言を受けたという。「あれは単なるブロンズ像ではなく、佐々木投手の右手の分身。不思議な力が宿っていると思う」と当時の大魔神社関係者は話した。

 そして今年4月、ご神体は約7年ぶりに佐々木の元へ戻った。往年の神通力はよみがえらなかったが、日米通算381セーブを挙げた魔神の実績が、色あせることはない。多くの人の願いが込められたご神体は現在、佐々木の実家を経て仙台市内のお寺に祭られている。

◆健在「大魔神号」

 当時、大魔神社に集まったおさい銭は約1680万円。全額が横浜市社会福祉協議会に寄付され、車いすで乗車可能な福祉用車5台が購入された。「ハマの大魔神号」と命名された車は、現在も活躍中で、同市中区を走るカーナンバー「22」の利用者は8日現在、通算2000人を超えた。同区社会福祉協議会の片岡事務局長は「佐々木投手の分も走り続けます」と話した。


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