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ハマの大魔神社1998
ハマの大魔神社は横浜駅東口の地下街「ポルタ」内に有ります。 注:1999年1月中旬をもって撤収されました。
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ハマの大魔神社1999
1998/12/25〜1999/1/17の間に参拝記念と言うことで
お守り・ハンドストラップ・キーホールダー・テレホンカードなどが販売されてました。
大魔神社撤収後の模様もどうぞ!
[1999.01.05]
[1999.01.22]
販売ものはこんな感じにディスプレイされてました。
場所は神社から少し離れた「ポルタ」の案内所のそばで販売されてました。
ほかにV胴上げのポスターなども販売されてました。
ちなみに「御守」を購入してみました。
神社の賽銭には「V2祈願」と・・・・
1999/10/14作成にこれを見てしまうと「あ痛たたた・・・・」
大魔神社撤収後の模様です。
(1999/1/22撮影)
ごらんのように提示されてます。
1999.10.14作成
ここまでのページは http://www2s.biglobe.ne.jp/~terra/ から勝手に(連絡先不詳のため)お借りしました。 大魔神社のお金の行方 |
8日に引退セレモニーを行った横浜ベイスターズ・佐々木主浩投手(37)。佐々木が活躍した1998年9月、JR横浜駅東口に優勝を祈願する「ハマの大魔神社」ができたのを覚えているだろうか。“ご神体”にはフォークの握りをした右手のブロンズ像が置かれ、当時は連日、1万人以上が参拝する大フィーバーだった。99年1月に神社は閉鎖となったが、あのご神体は今どこへ―。世紀のストッパーの最後を惜しみながら、“分身”の行方を追った。(山崎 智)
「ハマの大魔神社」がJR横浜駅東口地下街に姿を現したのは、98年9月19日。横浜ベイスターズのセ・リーグ制覇を祈願して、横浜駅東口振興協議会が設置した。ご神体のフォークを握る魔神の右手のブロンズ像には、毎日1万人を超えるベイ・ファンが手を合わせ、祈った。魔神も獅子奮迅。45セーブを挙げ、見事MVPに輝いた。
その後、チームを38年ぶりの日本一に導いたご神体。その御利益を授かりに全国から安産、合格祈願に訪れる人が殺到した。計170万人が参拝し、ハマの新名所にもなった大魔神社だが、99年1月17日、多くのファンに惜しまれながら閉鎖された。
閉鎖後の気になるご神体の行方はというと―。もともと、ニッポン放送が217セーブポイントの日本記録(当時)をたたえ、佐々木に贈ったもので、佐々木の手元に返されるはずだった。だが、「たくさんの人が祈願したもの。手元に置いておくのは大変恐れ多い」と佐々木が返還を遠慮したため、制作した同局関係者が預かることになった。
2000年、佐々木の大リーグ・マリナーズ移籍に伴い、大魔神社の「シアトル移転案」も浮上したが、ご神体は同局関係者の手元で国内に“残留”。新人王に輝き、大リーグ通算129セーブを挙げた佐々木の活躍は、遠く海の向こうから見守る形となった。
だが、ご神体の魔力にも限界があったのか。04年横浜に復帰した佐々木は腰痛、右ひじ痛など度重なるけがに悩まされた。不運が続いたことで、佐々木に近い関係者は占い師に相談。すると「あのご神体が影響している。本人できちんと管理すべきです」と思わぬ助言を受けたという。「あれは単なるブロンズ像ではなく、佐々木投手の右手の分身。不思議な力が宿っていると思う」と当時の大魔神社関係者は話した。
そして今年4月、ご神体は約7年ぶりに佐々木の元へ戻った。往年の神通力はよみがえらなかったが、日米通算381セーブを挙げた魔神の実績が、色あせることはない。多くの人の願いが込められたご神体は現在、佐々木の実家を経て仙台市内のお寺に祭られている。
◆健在「大魔神号」
当時、大魔神社に集まったおさい銭は約1680万円。全額が横浜市社会福祉協議会に寄付され、車いすで乗車可能な福祉用車5台が購入された。「ハマの大魔神号」と命名された車は、現在も活躍中で、同市中区を走るカーナンバー「22」の利用者は8日現在、通算2000人を超えた。同区社会福祉協議会の片岡事務局長は「佐々木投手の分も走り続けます」と話した。