Q どうして始まった A 戦争で生活困窮者増加/米の運動モデルに組織 |
日本で初めて共同募金運動が行われたのは四七年十一月。当時、まだ国民の大半が生活にあえいでいた。終戦直後の四五年暮れ、政府の資料によると、戦災孤児、引き揚げ者ら生活困窮者は八百万人に上り、一方で、こうした人たちが必要とする民間の社会施設は、戦前の六千七百から三千五十にまで激減していた。 四七年四月、これらの施設を資金面で支えるための共同募金構想が浮上。来日したエドワード・フラナガン神父の勧めで、政府は運動のモデルとなった米国の「コミュニティー・チェスト運動」に倣い、各界の代表者からなる「共同募金中央委員会(今の中央共同募金会)」を組織した。 日本では当初、寄付者に「赤い羽根」ではなく、稲穂をデザインした金属製のバッジを配った。だが、製造コストがかさみ、バッジはわずか一年で姿を消し、代わって「赤い羽根」が誕生した。羽根も米国の運動からの引用。赤い羽根は勇気の象徴とされ、米では水鳥の羽根が使われたが、日本は入手が簡単な鶏の羽根が用いられた。 共同募金運動は、政府も積極的に支援した。その一つが、四九年に始まる「お年玉付き年賀はがき」。郵政省は同年、一円の寄付金付き年賀はがき(三円)一億五千万枚を売り、翌年、共同募金会に寄付している。 「赤い羽根」が軌道に乗り始めた五一年、共同募金会とNHKが手を組み、新たな共同募金運動「歳末たすけあい」が始まった。NHKが主体となって周知、募金の輪を広げることで運動も定着。今に続いている。 |