こ と ば 集
 新聞、テレビ、雑誌などでいろんな方が良し悪しを問わずいろんな福祉的なこどばを言っています。そのことばを勝手に集めることにしました。問題発言が得意な石原都知事、麻生大臣、ふつうのことばが大きく取り扱われる長嶋監督。いろんな方のことばを集めます。

2006年3月13日更新
 「時速60キロ制限の道を67〜68キロで走ってもまあいいかと思っていた」(東横イン社長さんの有名なおことば)

 「もし、社長が車いすの生活になって、自分のホテルに泊まれないとしたら、どれだけ悲しいか。そう考えてみるだけでいいのに」(交通事故で20年前から車いすの生活を送っている42歳の男性のことば)
(2006年1月31日朝日新聞「天声人語」より )

*社長さんの「時速60キロ〜」はすべての部屋がユニバーサルデザインのため、わざわざ車いす仕様の部屋を作る必要がないホテルの社長さんのことばならともかく、意図的になくしてしまった社長さんのことばではおかしいです。
「障害は不自由であるが、不幸ではない。障害者を不幸にしているのは、社会である」(ヘレン・ケラー)

「『君は成功した。勝者だ』と言われるが、僕は常に負け犬の気分だ。薬を買う金がないだけで人々が死んでいく今の世界で、誰が勝者になれるというのだろう」
(アフリカ援助を続けるU2 ボノさん)

「レノンの歌で一番嫌いなのはイマジン。こうなるといいな、と頭で考えているだけではだめだ」(同じくボノさん)

「日本のメデイアが大会前にはしゃぎすぎ、期待しすぎた。スポーツではなく、イベントのような取り上げ方だった」(札幌、長野関連以外ではいつもメダルを1つか2つしかとれていない日本に デーブ スペクターさん)

「税金をイラクの自衛隊に使う一方で、福祉サービスの負担を障害者本人や家族に強いるのはとんでもない」(100歳の精神科医秋元さんの4月から始まる障害者自立支援法に対することば)

「体の不自由な私たちが国内でスキーをしようとしても、他のスキーヤーの邪魔になるからと受け入れてもらえません。だから海外に練習に来ているんです」(1997年日本人がスイスでスキーをしていたときに今回のパラリンピックで大活躍したチェアスキー代表大日方さんと出会ったときの会話←このときは長野パラリンピックな前なので現在は国内でも練習環境は改善されていると思われます)

「2回勝ったが、レベルは日本の方が上だった」(金寅植韓国代表監督WBC準決勝敗戦後の記者会見で)

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」(作家村上龍さん著書より子供の生活環境を配慮)」

「人間は自由の刑に処せられている」(哲学者サルトル、自由であるが故に自分の行動すべてに責任を取らなければならない。)

「施すより仕事で社会復帰を図る発想がすごい。日本も手本にしてほしい。」(ドイツ 福祉まち ベーテルをよく訪れるサポータをしている日本人の方)

【写真】これぞスポーツマンシップ!

  

  13日夜(日本時間)に行われた韓国とトーゴとの試合ではこんな1コマもあった。

  韓国のMF李乙容(イ・ウルヨン)が、足をつって試合途中グランドに倒れると、トーゴの選手が足を伸ばしてくれる姿があった。

  ネチズンからも「トーゴ選手のスポーツマンシップは立派だった」「トーゴが、残りのフランス、スイスとの試合でも善戦してほしい」という声が聞かれた。


千葉ユナイテッドのオシム監督が次期日本代表監督に上がっているみたいです。自分が次期監督に予想していたのがこの監督でハートが違うので、やっぱりという感じです。自分のチームの選手はもちろんきちんと見てますが、相手チームのこともきちんと観察しており、もし本当になったら、おもしろいことになりそうです。ヨーロッパの有名監督のみが候補に取り上げられたときは、文化の違いやサッカーのレベルの違いからJリーグを知らない監督の起用はないと違和感を感じてました。
 このオシム監督。去年、甲府が入れ替え戦の直前、天皇杯の予選かなんかで対戦したときに「来年はJ1であいましょう」ということばを残し、べたほめをしたときから好きになり、的を得ている「オシム語録」に感動し、注目してきました。母国が内戦で大変な経験(サッカーを普通にできない環境)をしてきたためか、人生観もすばらしいものを持ってます。ぜひ注目を。

クリスマスも近いですが、まずクリスマス以前に実際ヨーロッパでは長い間ちょっとした戦争が起こっていました。例えばそれがアフリカでも起こっていて、クリスマスから子供達はすごく離れた存在にあった。もちろんクリスマスが出来る環境であって欲しい。そして日本に生まれたということは、戦争から今はかけ離れている。それはすごくすばらしいことですし、ある意味運をもっていたということもあるでしょう。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんに見守られて日本でサッカーをしていて、将来的にサッカー選手になれる子どもたちもいるでしょう。そうじゃない子どもたちもいるかもしれないけれど、みんなが幸せであってほしい。

オシム語録へリンク
おまけ
ヴァンフォーレについては。

「J1のチームらしくないプレーをしている。すごく勇気をもって攻めているし、戦術的にも勇気がある。」
「あのようなプレーをしていくというのは本当に興味深い。すごくサッカーに対していいことだと思う。普通と違う考えをしたプレーをしている。」


。「チームのすべてが変わった。日本に来てくれたのが今でも不思議。尊敬できる人」と話す阿部。


2006年6月26日更新
栃木県の山で行方不明になった小学生を見つけた救助犬団体隊長のことば
今回の救助犬出動隊長の西原氏は「とにかく、我々は運がよかった。平野君もしっかりしており良く声を出してくれた。発見はサンドラだけの手柄ではない。行動をともにした隊員や他の犬達たちの手柄でもある。また、捜索を手伝う旨の我々の申し出に、的確な対応を取ってくれた矢板警察署に敬意を払いたい。」と述べている
 
「竹島は日本のものであり、独島は韓国のものである。お互いに大切なものだ」
(韓国のパクさんのことば)

2006年7月8日更新
今日の朝刊にて目立つところにかぎかっこのみの見出し
「ワンちゃんに電話」

 もちろん緊急手術を受けることになったソフトバンク王監督へ長嶋監督が電話を入れたということなんですが、長嶋監督の場合は少しのことでも記事になり、しかも大きな深みがあり、どんな会話だったのか想像できるようなひびきがあります。「長嶋元監督が王監督を激励」という見出しで十分なのに、かぎっかこで「ワンちゃんに電話」。他の方ではなんのことだか伝わらずありえないです。
 長嶋さんの記事はいつも短いのに大きく感じられ、不思議な存在です。
P.S.なんでひらがなの「わん」でないのでしょうか?

「幸せになろうと思ってもなれないのよね。誰かを幸せにしてあげたいって思って、幸せになれるのよね」(NHK連ドラ 純情きらりより)

「一枚ぐらいええやろ!」(by亀田興毅
亀田の意外な素顔が、柏サポーターの心を動かした。今春の後援会発足式で柏サポーターが警備を担当した。記念撮影を希望して殺到したファンからガードするのが役目。そんな中、身体に障害がある小学生の男児を見つけた亀田が「1枚ぐらいええやろ」と、こっそりその男の子を呼んで記念撮影したという。東拓史さん(28=会社員)は「テレビでは伝わらない優しい一面を見た。1人の人間として魅力を感じた」。その姿が下町気質の柏サポーターのハートをつかんだ。

「ちょっと、うらやましい」
 韓国に住む韓国人、日本に住む日本人。何の葛藤もなく「祖国」と呼ばれる人に対して。在日韓国人横浜ベースターズWBC日本代表金城選手。在日韓国人高校生代表として韓国遠征を経験したときにおかしさを感じる。、

「どんなことがあっても信じることができるリーダー、オシム監督みたいな師になりたい」 
 韓国で引退した元Jリーガーで元エース チェ・ヨンス選手。あの感情的なチェヨンス選手が褒めるということはオシム監督は相当すごいみたいです。自分が韓国にいた1997年のフランスワールドカップ最終予選時、韓国の大エース。チェ選手のゴールでみんなで盛り上がりました
  *******中央日報記事より****************************************
オシム現日本代表監督は崔が目指すリーダーとしてすべてのものを兼ね備えている。当時Jリーグ・ジェフユナイテッド市原時代に会ったオシム監督は選手らにとって最高の戦術家と同時に父であり、友であった。
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「やったー 良かった 勝った〜
8月24日、ヤフーヴァンフォーレ甲府掲示板より
 なんとあの柳沢選手、小笠原選手がきちんとでている鹿島アントラーズに終了間際のゴールで無事勝利。このことばは甲府より下位のチームが戦力補強や本当の実力を出してきた上に、前の2戦がボロ負けで、J2が近くなってきて危機感を抱いてる甲府市民の今の気持ちを代表することばです。個人的にはJ1残留どころか、甲府からの日本代表を期待してます(オシムさんが甲府の戦術をすごく評価してくれているので監督がコーチとして?甲府のサッカーはオシムさんが大好きな「走るサッカー」みたいです。自分には「みんな攻めろ」で怖いもの知らずのサッカーに思えます)。
「母親の気持ちで取り組んでます。自分の子供が苦しんでいたら、だれだって助けるはずです」
(晩年、ユニセフの親善大使として活躍されたオードリーヘプバーンが活動理由を聞かれて)」
「自宅前に車止めてもいいですか?」
 ご主人が認知症のため、お願いしたヘルパーさんが派遣前に事前にした質問。認知症の家族がいることを近所に知られたくない場合を考慮してのためとのこと。

「恐い、恐い、恐い、助けて」
(85年日航機墜落事故遺書を公開)

「作る側には何万分の一の商品でも、お客様にはオンリーワン」
  旅行先で無くした思い出の熊のぬいぐるみを粋な計らいで復活させた社長さんのことば

「今の中高生には、貧しさから這い上がる飛雄馬より、恵まれた環境にある花形のほうがリアリテイーがある」
 「巨人の星」が復活も主役が花形選手。その理由を作者が告白
「あれは死体から出るリンですよ」

 終戦を終え、夜中に電車で広島を通ったときに青白い鬼火を点々と見えたのに対し、近くに座っていた方のことば。
「see the world]
 日本国内ですべての夢をかなえ、燃え尽きたアイスホッケー選手が外国人選手に相談したときに言われたことば。この方は現在世界に飛び出し、チェコで活躍されているとのことです
「たとえ戦争でもこんな爆弾はルール違反」
原爆の短編映画を作った米国の中学生を動かしたことば。
「九九ができない人間は方程式は解けない」 
 J2札幌監督。選手の現状について。
「日本人が本来持っていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい。(山水草木は美しく、日本家屋も自然にかない、独特の価値があるので、日本国民が「欧州汚染」をしないことを希望する)」←先日、安部総理が引用したアインシュタインが来日時使ったことば
「永遠に幸福でいたいなら、人のために生きよ」
(byトルストイ)
[朝、目を覚ましたとき、今日一日生きることが幸せなのかどうか考えなければならない国だった。日本の皆さんもそういう国に思いを巡らせてほしい」(byオシム監督)
「まだ50例なのか」
(by99年2月に脳死移植一例目で心臓移植手術を受けた50歳男性の8年で50例の実績についてへのことば)
「親は遠回りさせることを恐れている。だから子供たちは失敗や挫折を恐れるのだろう。人はやり直しがきく。もっと長いスパンでものをみよう」
「人生は各駅停車でいい。見落としてきたものにきっと気が付くはずだ。すてきな出会いもある。そして愛も育つ」
by盲目のテノール歌手 新垣勉さん←リンクさせてあります

「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それがいちばん人間にとって大事なことなんだからね。」
「いじわるされるたびに、しんせつにしてやったらどうだろう」

(by
「人間は200年も300年も生きられない。だったら、自分の思うまま、自分らしくやろうよ」(by大リーグに挑戦する桑田真澄選手)
「中学時代、クラス全員の前で先生からビンタを受けた。理由は廊下を走ったようなことだった。今でもその先生とは田舎で会ってもあいさつもしない。学校というと、たった一回のこの体罰を思い出す」
「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」(ヤンキースゴジラ松井の恩師星陵高校野球部監督山下監督)

「一日一生」(同じく山下監督 一日は貴い一生と同じで、空費してはならないという意味 内村鑑三のことば)
『うちのカレンダーにこどもの日はない』
『自分の姿を見たくないから鏡も置かない』
(ハンセン病元患者)
「戦争から学んだこともあったでしょう?」「(たとえあったとしても言わない)何かを学べた意義を認めてしまえば、戦争が必要なものになってしまう」(byオシム監督)
「老人を病院へ連れて行きたいなら、救急車を呼んだらいい」(父親を病院へ連れて行ったときにそれほど交通量のない道で駐車違反の切符をもらい納得いかずに問い合わせた警察署の警察官のおことば)
「母親の病気や虐待があると待機の順番があがる」息子の保育園継続を申し込んだが、母親が内職のため、優先順位が低く、「どうすれば継続できるのか」市(東京都昭島市?)の担当に訪ねて返ってきたおことば
「どうかやけどをしませんように」
 読売新聞11月6日投稿欄「気流」より
地下鉄で盲導犬のけなげで温かいお仕事に感動し、寒くなったら電車に暖房が入るようになると座席下のヒーターが盲導犬には熱すぎないだとうかと心配し、ひとこと。





「子どもを撮っているんじゃないんだ。
大人の写真を撮っているんだ」

 重度の知的障害のお子様の記念写真を撮ろうと写真館に行ったときに、写真館の奥様が笑顔をつくろうとアンパンマンやドラえもんの人形で興味をひきつけようとしたときにカメラマンの旦那様が奥様にいったことば

「ただ、毎日を生きている。夢なんて考えられない。昨日より少しでもいいことがあるように、と思うだけ
スマトラ沖大地震で家族6人を失った女性のことば
「盲導犬をいれていただき本当にありがたい。社会に盲導犬への理解が広がる大きなステップになるのでは」
(叙勲受章者でアイメイトユーザーの方が皇居宮殿に招かれてひとこと)




絵手紙を毎日投函している小学生が集配時間にぎりぎりでポストでなく、郵便集配の方に直接渡したときに掛けられたひとこと
「毎日出しているでしょ。見たらいけない物なんだけど、きれいな絵で言葉もすてきだから、しゅんちゃんに会ってみたいね、なんて話していたのよ。ゆう便屋さんも楽しみで、絵手紙がない日はがっかりでね}」

シドニーオリンピック優勝後、表彰台に(禁止されていた)大会直前に亡くなられたお母様の遺影を持ち込もうとしたときに誘導役の外国人女性が言ったことば
「服の下に遺影を忍ばせて行きなさい、私は何も見ていないよ(注意しない)」




ユニセフ広告より
「子どもたちのお腹は膨らんでいるのに、空っぽです。」たんぱく質が足りず、血液中の液体がお腹の中にしみ出してしまうから、膨らんでいるとのこと
詳しくはこちらのページへ


「愛の反対は憎しみではなく、無関心」by(マザーテレサ)

「スーダンのダルフール紛争やイラク戦争も悲惨。でもHIVや結核ではるかに多くの人々が死んでいる現実を日本人に知ってほしい」(HIV・結核患者の救済を訴える活動家)

「選手たちは無事帰れたんですか?」
(by優秀な浦和レッズサポーター)アジアチャンピオンリーグカップ戦のアウェイ イランでの試合後、ドバイで3機の乗客が合流で帰国のはずが、故障で一機が遅れ、レッズ選手の移動優先で置いてけぼりに。一日遅れに日本に帰国したサポーターに謝りに来た浦和幹部に言ったサポーターたちのひとこと。

「自分の野球が終わった時、サラリーマンの仲間に抜かれているかもしれない」
レッドソックス松坂が高校を卒業してプロ野球へ行くときに渡辺横浜高校監督に言った引退後の不安。
「ハンガリー語が難しいから」
ピーターフランクさんが、どうして出身国のハンガリーからたくさんのノーベル賞受賞者が出るのかを問われて言ったことば
「子鹿にならないで」(by福士選手)
東京マラソン前夜祭にて市民ランナーに向けて一言
国際貢献とは「かわいそうではなく」「同じ人間として等しい幸せを手に入れるための行動」
「組織に入らず、誰の支援も受けない。金は欲を生み、人を変えるからだ。誰かのためとの気負いもない。」(byカンボジアで地雷除去を続ける男性)
 最近、選手の口から「楽しみたい」「(負けてしまったけど)楽しんだからいい」ということばを聞きますが、私はこれが嫌いです。そうした風潮のハシリがアトランタ大会だった。支えてくれる人への感謝の気持ちがあれば、「頑張る」、」「申し訳ない」ということばになるはずです(アトランタ五輪日本選手団長 古橋さん)
 あなた方は研究所で、無視を拷問にかけ、細切れにしておられるが、私は青空の下で、セミの歌を聞きながら観察しています。あなた方は薬品を使って細胞や原形質を調べておられるが、私は本能の、もっとも高度な現れ方を研究しています。あなた方は死を詮索しておられるが、私は生を探っているのです(ファーブル昆虫記より)
「おれたちはドラマのようにたった1時間ではいい子になれないから」(金八先生が流行っていたころにある新人教師が生徒から言われたひとこと)
「いまはどんなに一生懸命仕送りしても親孝行しても、わからなくなった。つらいもんですよね。」(by90歳を超え施設生活を送るお母様に対しての小倉キャスターことば)
手話なんか使えばチンパンジーのようになる」(by新しくできた日本初手話学校の先生をしている方がろう学校で担任から言われたことば)
「目が見えなくなって、何もできなくなると思っていたけど、努力すれば、必ず光は見えてきます」(中途失明されたサラリーマンの方が中学校の講演会で言ったことば。在宅社員として会社員を継続)
「軍隊は『運』隊だ」(第二次世界大戦中編成替えの際並ばされて簡単に派遣先が決定され、他部隊は玉砕の道をたどったことに対して)
「感謝の気持ちでいっぱいです贈り主は女性としかわかりませんが、詮索しないようにしています。

(甲府の盲学校卒業生に今年も匿名でオルゴールが届き、それに対しての校長先生の感謝の言葉。甲府では春の訪れを告げる有名な出来ことですが、今年は全国面で取り上げられました)

「私も先輩の障害者に助けられた。恩返しできたのでしょうか?」(全盲になった後に先輩の全盲の方にいろいろアドバイスをいただき再び中学教師として復帰した男性のことば)

「学校の成績と社会に出てからの成功度とは別物。人はボトルやナットのような規格品であってはつまらない」(ノーベル賞受賞者南部さんが東大の入学式に贈った祝辞より)

「僕にとって、宮崎さんはオスカーを取ったからすごいんじゃない。その前からすごかったんです。」(by昔 宮崎駿監督と仕事をしたことがあったガンダム 富野監督)