未来は明るい
日韓関係
「近くて遠い国」と言われてきた日韓関係でしたが、これからは自動翻訳によりことばの壁が低くなる上に「日本」、「韓国」両国で活躍している歌手、スポーツ選手をはじめ、映画、アニメなど共通の話題の増加により、今までとは違う親密な関係にますますなると感じています(今までは共通の話題がなかったので深い関係がつくれなかった?)。このような日韓関係にプラスになる情報を集めたくてこのページをつくることにしました。2002年ワールドカップが単独開催でなく、共催で本当によかったです。
日本と韓国の距離を縮めた有名人たち
イチロー選手と松井選手
朝鮮日報ホームページへリンク
盧廷潤選手、黄善洪選手、洪明甫選手
スポーツ雑誌「ナンバー」より
ドーハの悲劇前、日本が韓国に勝ったあと日本の報道陣に向かって日本語で
盧廷潤選手が言ったことば。「よかったね。がんばってね」には正直驚きました。(韓国はこの時点では予選敗退が濃厚でした。)それから応援することにしました。
つづく
2004年1月7日更新
正月の深夜、テレビをつけると字幕つきの韓国語のドラマが放送されていました。チョナンカン(SMAP草なぎくん)はいつ出て来るのかと、しばらく見ていたら、どこかで聞いたストリー。テレビ欄をみてみるとそれはあの
「8月のクリスマス」でした。深夜に「韓国語」は「チョナンカン」のイメージしかなかったのでびっくりです。(ちなみにこの映画の主役が草なぎくんが尊敬する俳優です)。ヤフーで検索するとロケ地の訪問記などいろんな関連サイトがあるので、ぜひ、検索してみて下さい。
ヤフー「8月のクリスマス」へリンク
もう一つ。「冬のソナタ」。自分はまだみてませんが、いいドラマみたいです。日本語吹き替えでなく、韓国語で見たいがために韓国語の勉強をはじめた方がかなりいるみたいです。
ヤフー「冬のソナタ」へリンク
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【WBC】宣銅烈コーチ「イチローは礼儀正しい」
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「イチローは本当に礼儀正しい」
2日、東京ドーム3塁側ベンチ前。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)韓国代表選手らの打撃練習を見守っていた宣銅烈(ソン・ドンヨル)投手コーチに、誰かがこっそりと近付いた。
「宣さん、お久しぶりです」
聞き覚えのある声だ。日本代表の看板打者のイチローが、多くの記者たちを伴って宣コーチのもとへあいさつに来た。互いの近況を尋ね、歓談した。もちろん報道陣のカメラのフラッシュが一斉にたかれた。
イチローが笑みを浮かべながら「体重がずいぶん増えたようですね」と問い、それに対して宣コーチは大笑いしながら「あの時より10kgは太った」と答えた。7〜8分間の談笑の後、イチローは深々と頭を下げ、その場を離れた。
宣コーチのいう「あの時」とは、韓国野球委員会(KBO)広報委員として活動していた2000年代初めのことだ。
当時、韓火イーグルスのアリゾナ春季キャンプを訪れた宣コーチは、現役引退後初めてイチローに会った。ハンファがイチローの属するシアトル・マリナーズのピオリア・キャンプに参加していたためだ。その時もイチローは先輩の宣コーチに自分から声をかけた。宣コーチが中日でプレーしていた当時、所属チームやリーグこそ違ったが、気心の知れた仲だった。
「あいつは本当に礼儀正しいヤツだ」
国境を越え、野球の後輩の礼儀正しさに接した宣コーチは終始笑みを浮かべていた。
東京=ミン・チャンギ特派員
『スポーツ朝鮮』
【特集】いよいよ開幕! WBCアジア予選
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2006年9月16日更新
朝日新聞にソウルで受けた親切についての投稿が載りました。自分も韓国に住んでいて、外国人には案内が不親切な地下鉄などでガイドブックをみながらきょろきょろしている日本からの旅行者の方がいた時は声を掛けたりしたんで、なんだか懐かしく感じました。(2号線は日本の山手線と同じでエンドレスでぐるぐる回るので郊外を走っているときはとくに声を掛けました←服装がちがうというか、行動が違うというか、現地の方としぐさが違うので日本からの観光客はすぐにわかります)
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「生徒が驚いた韓国人の親切」
今夏も、勤務している学校の高等部の「韓国学習旅行」を引率した。9月になって提出された生徒たちの感想文には、様々な体験が書かれていた。その中にはこんな話があった。
観光では、日韓両国の高校生グループを組みソウル市内を巡った。地下鉄内でたまたま一人だけ離れて立っていた女子生徒に、おじいさんが近づいてきて、片言の日本語で「日本人ですか?」と聞いた。少しやりとりをした後、自分の携帯電話を手渡して、身振りで「聞け」と示したそうだ。
流れてきたのは、日本語だった。「私はおじいさんの友人の日本人です。おじいさんはあなたが迷子になっているのではと心配して、私に電話を掛けてきたのです。行きたい所があれば、私に言ってください」
彼女はびっくりすると同時に、おじいさんの親切に感動したという。このほかにも、向うの高校生とどんなに親しくなったかを書いてきた生徒が多かった。政治的にはギクシャクしている日韓両国だが、庶民レベルでは今後も良い関係を築いていけると、私は信じている。
2007年2月18日更新
2007年1月31日付け朝日新聞「ひととき」に温かい投稿記事が載ったので紹介させていただきます。
「ありがとう、中野さん」
私の大切なお友達、中野さんが1月いっぱいで定年退職されます。中野さんは、私と同じくらいの孫のいる大人の女の人で、毎朝、私と同じバスに乗っています。
1年生になったとき、一人でバスと電車を乗り継いで、遠い朝鮮学校に通うことになりました。最初は心細くて、バスに乗るのがいやでした。電車は友達と一緒だけど、バスはひとりぼっちだから。でも、中野さんと知り合ってからは、バスに乗るのが待ち遠しいくらいになりました。バスの中の15分間で、なぞなぞをしたり、ことわざあそびをしたり、いろはにほへとをおぼえたり。中野さんの大好きな韓国ドラマに中のセリフを訳してあげたりもしました。
私が寝坊してバスが一本遅くなっても、いつも中野さんに会えるのはどうしてかな、と不思議でした。でも「それは、あなたが来るのを待っててくれるからに決まってるじゃない」とオンマ(お母さん)に言われて、中野さんのことが、もっともっと大好きになりました。
2月になったら、もうバスの中では会えないと思うと、とてもさびしいです。今度は、ひとりぼっちの子がいたら、私が話しかけてあげようと思います。中野さんが私に話しかけてくれたみたいに。5年間本当にありがとう。これからも、ずっとずっと元気でいてね。
視覚障害者マラソン第一人者、高橋さんがソウル国際マラソンに挑む
MARCH 07, 2007
06:48
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日本の「視覚障害者の陸上スター」がソウルの街を走る。
2004年アテネ・パラリンピックの男子マラソン全盲クラスで2時間44分24秒の記録で金メダルを獲得した日本の高橋勇市さん(42・写真)。2008年の北京五輪に出場するため、トレーニング中の高橋さんが、18日に開かれる2007ソウル国際マラソン兼第78回東亜(トンア)マラソン大会のフルコースを走る。
秋田県出身の高橋さんは、中学時代に「網膜色素変性症」になり、視力が少しずつ低下、34歳のときに完全に視力を失った。高橋さんは、絶望の代わりにマラソンから「光」を見出した。視力を失ってから、健康維持のためにと軽い気持ちで始めたジョギングが、オリンピックの晴れ舞台で最も高い表彰台にまで導いてくれた。
視覚障害者がマラソン大会に出場するのは容易ではない。大会で走行するには、進行方向へ誘導してくれる「助っ人」が不可欠だ。一人でトレーニングするのはもっと大変だ。杭にロープを張り、そのロープを握って円を描きながら走ったり、障害者用の白杖に頼って一定区間を往復する。ラジオなど、音を出す機器を使ったりもする。
同じマラソン同好会のメンバーである高橋さんを長い間見守ってきた日本市民ランナーズクラブの三浦代表(55)は、「彼がトレーニングするのを見ていると、涙が出そうだ」と話している。
オリンピック金メダリストになった後、高橋さんは「アテネの風・盲人ランナー高橋勇市の軌跡」と題した自伝を発表し、日本で大きな反響を呼んだ。
IT関連会社に勤める高橋さんは、1年に平均してフルコース6回、ハーフコース約20回を完走するなど、おう盛に活動している。マラソン全盲クラスの世界記録(2時間37分43秒)保持者であり、1500メートル、5000メートル、1万メートルなど、各種の長距離部門で日本最高記録を持つ。
2008年2月12日更新
「南大門火災崩落」報道見てソウルに行くことに
昨日の勤務中、ラジオで「ソウルの」で始まるトップニュースでまた政治家が悪さをしたか、大きな暴動があったのかとあきれていたところ、なんと南大門が火災で崩落したとのこと。ソウルに住んでいたころ、この南大門の横の有名な南大門市場があまりにも大きすぎるので目印として必ずこの門の横の入り口から入ったり、この門の近くの書店で唯一の日本語雑誌「NEWS WEEK}を買い、京福宮の光化門までのとんでもなく広い一本道を直進し、途中にあるケンタッキーでハンバーガーを食べて、韓国で一番大きいキョボ文庫で本を買って地下鉄で帰るというのが休みの過ごし方だったので大きなショックを受けています。重要文化財なのにはしごで簡単に登れる状態だったり、消火施設がなっかたりと「なんで」と感じることがたくさんありますが、それよか自分にとってこの報道の「南大門」が昔のソウルでのボランテイア活動を思い出させてくれ、今みたいな真っ黒な心ではなく、あのころの純粋な心に戻りたくなり、実際にソウルに行くことにしました(←一番寒いときで宿泊費、飛行機代も安いため)。最近、羽田ー金浦便という成田ーインチョン便に比べたら、移動のロスタイムが少ない便利な便もたくさん開設されたので思い切って夜勤明けでソウルに直行し、3連休の最終日に戻る強行日程で行ってきます。今の職場は待遇がすごくよく4日働いたら2連休でお金が許せば毎月いける環境なので隔月でこれからソウルに行けそうです。正直福祉施設の現場職員である限り、変則性勤務で3連休以上は難しく、海外旅行は夢のまた夢に思っていました)
このページで滞在記を書かせていただきます。
2008年2月14日更新
航空券買えず断念
南大門の火災でふっと衝動的にソウルに行きたくなり、いろんな格安チケットのサイトをハシゴした結果、フライトの3営業日前までにお金を振り込めれば大丈夫との書き込みに、成田でなく羽田からの出発でバス代が大分浮き、代理店に行かなくても銀行振り込みで簡単に申し込めるなどすごく便利な時代が来たものだと感心していたところ、そんなにはあまくなかったです。銀行振り込みに備え、現金をたくさん下ろし、指定の振込口座の通知メールを待っていたところ、その日の出発便は羽田、成田ともすべてが満席とのこと。ホームページから申し込める=空席だらけと考えていた自分が甘かったです(根本的に外国に1週間を切ってから行くこと自体が大きな間違いでした)。
「超格安な飛行機代」→原油高に備え、燃料代が別に取られるそうで、超格安でなく、まあまあの値段。「ホームページでのまだ空席あり」→これまたあやしく、空席がなくても連絡を取らせるため(他の日を予約させる)に申し込みができるようになっているみたいです。「ヨン様ブーム」→ヨン様ブームが終われば、真冬はガラガラの予想も、ヨン様で怖い印象がなくなり、韓国は近くて行きやすい国になったみたいです(もしかしたら無知で2月のソウルの寒さをなめているのかもしれないです)。いろいろ勉強になりました。
一日目はあそこに行って、2日目はここに行ってといろいろ考えた計画がすべてパーに。次は4月に早く予約し、ゆとりをもって行くことにします。格安旅行券の最大手の「HIS」。他の会社ではチケット代だけなのが、なぜか、「高級ホテルへの宿泊費」がおまけについても同じ値段(二人利用)。一人勝ちみたいです