「てすりにもたれてゐる友/目かくししやうと思つて/そつと後にまはつたら/手紙をもつて泣いてゐた」。1937年に書かれた尋常小6年の少女の詩だ。彼女が療養所に隔離されたハンセン病患者だと分かれば、故郷からの手紙を手にして涙する友、そして2人の姿が容易に思い浮かぶだろう。
『ハンセン病文学全集10 児童作品』(皓星社)には、胸を打つ作品が多い。晩秋の未明に旅立つ少年がいる。食事をする少年の傍らで母が旅支度をしている。少年は「お母さん達者で何時(いつ)までも居(お)つて下さい」とお別れをした。涙しながら何度も繰り返した。
故郷から便りが届くと思い出が押し寄せる。妹とれんげの花を摘んだり、唱歌を歌ったり、橋から石を投げたりした。「今でも妹達は石を投げてゐるかしら」(高1女子)。夜の浜辺を歩いていて「たまらなくなつて、『お母さん』と大きな声で呼んで」みたこともある(中1女子)。
かつて闘病生活と隔離そして世間の偏見を背負わされて生きた少年、少女たちがいた。ハンセン病はその後、治療薬が開発され、治療法も確立、完治するようになった。国も過去の隔離政策の誤りを認めた。
熊本県のホテルがハンセン病の元患者らの宿泊を拒否した「事件」には、憤りを超えて悲しみすら感じる。せめて「事件」を啓発の契機にするしかない。
「かなしみなんか乗り切るのだと心に力がわいた」。一時帰郷から療養所に戻る中3の少年の思いである。皆が陰口をきく中、ひとり励ましてくれた親友のやさしさに変わりなかったからだ。