悲しみのモノローグ

ペットロス(その1)

2003年12月6日

突然の事故で私は自分の子供同然の愛犬 凛太郎をなくしました。

近所に定年を迎えたばかりのご夫婦がいてお花を好きなご夫婦とはガーデニングを通じて仲良くなりました。

今までのお仕事から開放され暇な時間が増えたので

11月半ば頃から朝8時半頃になると

『リンちゃん!お散歩に行こう』。とそこのご主人が誘いに来ました。

凛太郎も喜んでついていくので私も深く考えすにお願いをしていました。

その日は朝ちょっと遅く8時45分頃にお迎えに来ました。

どういう訳か凛太郎はいつもの方向と違い裏山の方へ行こうとしましたが

おじさんはいつもの国道の方へ連れていきました。

私はお散歩をするときにはなるべく車の通らない裏山の方へ出掛けていたのですが

その人は海へ連れていきたいのか好んで国道の方へ行っていました。

でもお願いするときにはちゃんとリードを付けて渡すので

まさか途中でリードを外しているとは夢にも思っていませんでした。

しかも国道の測道をです!

北海道の国道では車は猛スピードで走っています。

飼い主の私でさえ国道の測道をどうしても通らなければならないときには

リードを短くして歩いていました。

その人の口癖は、凛太郎とはお友達なんだ!と言うものでした。

お友達だから何でも言うことを聞くと思っていたようです。

犬を飼ったことがない人だったので、簡単に考えていたようです。

お約束をしないで渡した私にも責任はあります。

でも!でも!まさか預かりものの生き物にたいしてそんな無謀な行為をするとは思ってもいませんでした。

絶対にリードは外さないで下さいね!と言う一言で凛太郎は死なずにすんだのです。

常識で考えるとそんな一言は無用と思った私がバカでした。

リード無しの凛太郎は何かに驚いて国道に飛びだし車にはねられてしまいました。

そんなわけで私は自分からは遠い世界と思っていたペットロスを体験したのです。 

 

予期せぬ突然の別れにその現実を受け入れることが出来ませんでした。

ちょっと前に元気にお散歩に出掛けて行ったのに!

重病で死の床についていたわけではないのに!死ぬ理由なんて何もないのです。

虫の息の凛太郎を車で病院へ連れていけば助かると思っていました。

でも病院では聞きたくない死の宣告でした。

その瞬間から私はペットロスと戦わなければならなくなってしまいました。

 

ペットロス(その2)

事情があって北海道と埼玉県を行ったり来たりの生活をしています。

事故を聞いて娘が埼玉から駆けつけてくれました。

家族全員が大切な家族の凛太郎を私に預けているのです。

私が責任を強く持って守ってあげなければならなかったのに

こんな目に遭わせてしまって・・・家族にも本当に申し訳ないと思いました。

翌日 近くの霊園で凛太郎の亡骸を荼毘にふしました。

亡骸を火葬している1時間ばかり私は生きた心地はしませんでした。

出来ることなら一緒に行きたい。本当にそう思いました。

火葬室のドアにしがみついて泣いていました。

昨日の朝まで元気だった凛太郎が小さな骨壺に入ってしまいました。

私の体はブルブル震え止まりませんでした。

子供は大きくなれば独立して私から離れていってしまいます。

でも愛犬はいつまでも私に付属しているのです。

すなわち私の体の1部でもあるのです。

別れが突然で納得できないもので有れば有るほど辛く悲しいものです。

偶然近くにあった霊園(浄葬苑)なのですが

愛犬を亡くした経験をお持ちのご夫婦の経営で

心を込めた弔いをする事が出来ました。

 

ペットロス(その3)

ほとんど凛太郎の為だけに作ったHP。

凛太郎は体の1部で有ると同時に生活の中心でもありました。

何を見ても灰色になってしまいました。

何を食べても味がしませんでした。

食べることさえ出来ませんでした。

ジーットしていられず家の中を歩き回りました。

夜も眠ることが出来ませんでした。

自分だけがこんな不幸に見まわれたような孤独感が私を襲いました。

メールや電話などで沢山の人から慰めていただき凛太郎の冥福を祈っていただきました。

娘に勧められて

インターネットのペットロスのサイトも訪問しました。

そこには沢山のペット失った人達の手記などが有りました。

掲示板にも書き込みをさせていただきました。

少し気が紛れました。

でもペットロスから立ち直るのはそんなに簡単なことではありません。

 

ペットロス(その4)

どうすればこの喪失感から脱出できるのでしょうか・・・

それには日薬しかないようです。

時間が想い出を風化させるのではなく徐々に薄らわせてくれる。そう思います。

幸い私には大勢の悲しみを共にしてくれる家族がいます。

悲しいのは1人だけではないと、みんなに助けられて少しずつ元気を取り戻しつつあります。

死を否定→深い悲しみ→怒り・後悔→死の受け入れ→立ち直り

→通りではなく← → ←を繰り返しながら徐々に複雑な悲しみから時間をかけて立ち直ることが出来るような気がします。

私が完全に立ち直るにはまだまだ沢山の時間が必要です。

ペットの死を悲しむのは決して異常では有りません。

悲しまない方が異常なのです。

ペットを失って悲しみのどん底にいる方は大いに泣いてあげて下さい。

でもペットは亡くなると真っ直ぐに天国へ行くと聞きました。

時間をかけて立ち直りましょうね。私も頑張ります。

 

ペットロス(その5)

悲しみを背負っているのは自分だけではありません。

もっともっと深い悲しみの人も世の中には沢山いるのです。

私の両親も1歳の長男(昭和18年 没)

5歳の次女(昭和28年 没)を病気で亡くしています。

自動車事故で子供を亡くした親も沢山います。

昔読んだ平岩弓枝さんの小説『橋の上の霜』 と言う

江戸の文人たちや下級武士の生活ぶりを描く長編時代小説の中で

『世の中は われより先に用のある 人のあしあと橋の上の霜』

と言う道歌を思い出しました。

 人の世の苦労も、ほろ苦さも自分一人と思っていたが

世の中には自分以上の人がいるんだ。

そう思うことで気が軽くなったわけではないが、

それでも歩かなければならなかった。

そうなんです。生きている限り歩かねばならないのです。

 

ある人がお釈迦様のお話をしてくれました。

若い母親が死んで仕舞った愛児の亡骸を両手に抱いて

『この児に薬を下さい、この児の病気を治す薬を下さい』と言って町の一軒一軒を尋ね歩いたのです。

しかしほとんどの家で『死んだ児に飲ませる薬などあるものか!』と、冷たくドアを閉められて仕舞うのです。

お釈迦様は言いました。

『芥子の実一粒を煎じてその児に飲ませれば

その児の病気は治るだろう

しかしそれは今まで一度も死人を出した事のない家の芥子(けし)の実でなければいけない』と教えるのです。

 喜んだ彼女は、お釈迦様に教えられたように、

町を一軒一軒又尋ね歩くのですが

幾ら捜しても今まで死人を出した事のない家などみつかりませんでした。

そしてこの世に生まれた以上、死なない人など一人もいないこともわかりました。

悲しみを経験しない人などいなかったのです。

みんな悲しみに耐えて 生きているのです。   

ペットをしっかり死んだペットとして愛することができたとき、それが本当の愛情なんだと。教えているようです。

このお話を聞いたときに少し気持ちが落ち着きました。

キットこの悲しみもリンちゃんの死をしっかりと受け入れられたときに立ち直ることが出来るはずです。

こんな悲しみを経験するのなら凛太郎と会わなければよかったとは決して思いません。

リンちゃんは私に大きな喜びをもたらしてくれました。

リンちゃんによって小さなものへの慈しみの心も培われました。

優しくなることが出来ました。

リンちゃん!ママの子供になってくれて 本当にありがとう!

ママはいずれ死を迎えます。

でもリンちゃんのお陰で死ぬことに対しての恐怖などは有りません。

その時にリンちゃんに会えるのですから!

それまでは死んでしまったママの家族と天国で仲良く遊んでいて下さいね。

特にママのお父さんは犬が大好きでしたからキット可愛がってくれると思いますよ。 

なんと言っても命日が同じ12月6日なのですから・・・