堺 市

 [陶器地区] 


 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
田 園 明治十三年 川崎仙之助/彫又一門 <切妻> 陶荒田神社/上之
現在の地名/読み方 中区-田 園/たぞの
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
明治十年代 川崎仙之助/彫又一門 <切妻> 陶荒田神社/上之
購入元/購入年 大阪市住之江区粉浜新調/平成十三年堺市下田町から購入
変 遷 子供地車   ◎ 堺市福中から購入するが、平成十二年試験曳きの日に不審火
      により焼失。しかし、宮入は地車を借り、初実施
現在の地名/読み方 中区-陶器北/うぐいすだに(鶯谷)
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
蔵寺 明治期 堺の地車大工?/彫又一門 <切妻> 陶荒田神社/上之
購入元/購入年 岸和田市岡山大西小路新調/平成十七年元、和泉市宮本町地車を購入
変 遷 備 考   ◇ 平成十六年は太鼓正から地車をリースし、翌年地車を購入
現在の地名/読み方 南区-高倉台/たかくらじ
  

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
辻 之 昭和五十九年 池内福治郎/中山慶春 <切妻> 陶荒田神社/上之
変 遷 先 代   ◎ 明治三十七年以前に和泉市納花町から寄贈
  ◎ 和泉市室堂町の個人へ
先々代
現在の地名/読み方 中区-辻 之/つじの
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
山 本 昭和六十二年 池内福治郎/中山慶春 <切妻> 陶荒田神社/上之
三都神社/今熊
変 遷 備 考   ◇ 山本は大阪狭山市山本地区の本村で、隠と山伏は枝村である
      陶荒田神社への宮入は昭和後期よりと云われる
先 代   ◎ 高石市高師浜(6区)へ
現在の地名/読み方 /やまもと
*山本は大阪狭山市山本南と堺市見野山、陶器の一部より成る* 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
平成二年 池内幸一/野原湛水・川原和夫 <切妻> 陶荒田神社/上之
三都神社/今熊
変 遷 備 考   ○ 陶荒田神社への宮入は昭和初期〜中期よりと云われる
先 代   ◎ 昭和五十九年購入  平成二年東大阪市東鴻池へ
先々代   ◎ 昭和四十年大阪狭山市から購入  昭和六十年堺市桝矢へ
三先代   ◎ 昭和三十年頃府中方面から購入 昭和三十五年頃売却
*四先代*   ◎ 昭和二十二、三年頃神戸市灘区住吉方面から購入 
五先代   ◎ 昭和八年頃岸和田方面から購入  堺市岩室の個人へ
-   ◎ 六先代、七先代(初代)もあり
現在の地名/読み方 /かくれ
*隠は大阪狭山市山本中(口大野)と堺市陶器北と同市福田の一部より成る*

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
上 之 平成四年 池内幸一/野原湛水・木下賢治・川原和夫 <切妻> 陶荒田神社/上之
変 遷 先 代   ◎ 明治三十七年購入  平成二年まで曳行
  ◎ 平成三年河内長野市市町西へ
*初 代?*   ◎ 和泉市唐国町へ 
現在の地名/読み方 中区-上 之/うえの
  

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
西 中 平成五年 植山良雄/木下頼定 <切妻> 陶荒田神社/上之
愛宕神社/福田
変 遷 布団太鼓   ○ 平成四年まで使用
現在の地名/読み方 中区-福 田/にしなか
  

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
福 中 平成十年 吉為寿久/松並義孝 <切妻> 陶荒田神社/上之
愛宕神社/福田
変 遷 *先 代*   ◎ 「子供地車」 堺市鶯谷へ 
現在の地名/読み方 中区-福 田/ふくなか/福町中
 

 
町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
北 村 平成二十年 天野三郎/木下彫刻工芸 <切妻> 陶荒田神社/上之
変 遷 先 代   ◎ 天保六年新調
        大阪市住吉区浜口?(墨江村)から購入
  ○ 平成十九年まで曳行  平成二十年尼崎市塚口宮之町へ
現在の地名/通称 中区-陶器北/きたむら
 

* 山本・隠は、本宮に大阪狭山市三都神社へも宮入。そして、大阪狭山市の地車とも連合曳きを行なう *

* 福中・西中は、本宮に愛宕神社へも宮入 *


○ 町内曳行 ○

町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
福 上 江戸末期〜明治初期 / - /
購入元/購入年 平成十九年九月河内長野市三日市北部から購入
変 遷 子供地車   ◎ 昭和二十四、五年 岸和田市松風町新調
        昭和五十五年岸和田市松風町から寄贈
現在の地名/読み方 中区-福 田
 

○ 曳行休止 ○

町 名 新調年 大 工/彫 師 屋根型 氏 子/所在地
岩 室       /彫又一門 /
変 遷 備 考   ○ 昭和二十三、四年に富田林市廿山の宮大工が複数の彫物と
      地車の彫物を集め、新調部分も併せ製作
先 代   ○ 河内長野市石坂へ
その後の行き先   ◇ 昭和三十年代後半に所曳きとなり、泉北中央道路建設により村
      が二分され、昭和五十五年頃より曳行休止
現在の地名/読み方 /いわむろ