ジニーの生まれた日  

 家から遠く離れたエジプトの地で、僕は母からのふくろう便を受け取った。8月のある暑い日のことだった。
 末っ子の妹ジニーが、来月からいよいよホグワーツに入学するという。
 早いものだ。ジニーは8月生まれだからよけいだ。11歳になったらすぐに入学だ。
 僕自身は11月生まれだから、11歳になってから入学までほぼ1年も待たなくてはならなかった。それは僕にはひどく理不尽に思えた。魔法使いの子供なら誰だってホグワーツに入学できる日を楽しみにしている。すぐに11歳になるのだから、学校の勉強についていけないはずはない。なのに……。
 そんな不満と焦りをどこかで感じていた10歳の夏に、ジニーは生まれた。


 その日は朝早くから親戚のおばさんたちが集まり始めた。それで、朝起きて僕は、父から言われるより先に今日が何の日かすぐに悟った。
 何しろもう……何度目だ?
 それにしても、今回の顔ぶれはすごい。ロンのときには来なかった大おばさんたちも何人かいる。その理由も知っていた。母も年齢的にこれが最後の出産になると思われ、「女児誕生」の期待がますます大きくなっていたからだ。しかも、それがただの期待ではなく、母の顔つきやら何やらで、今度こそ女の子に違いないと、何人ものおばさんたちが請け合っていたからだ。

 父の落ち着きのなさもたいしたもので、経験を重ねた割にはその経験が何の役にも立っていないようだった。
 その父の腕に抱かれて、まだよちよち歩きを始めたばかりの弟のロンが、不安げに父のローブをぎゅっと握りしめていた。このおばさん軍団に恐れをなしたか、母に甘えられないのが寂しいのか。
 気持ちはわかる。僕もすぐ下の弟チャーリーが生まれるときにはそうだった。もう2歳になっていたから、断片的にだがちゃんと記憶に残っている。何かわからないけれど、何か常ならぬことが起こっていることを感じ、母がもう僕を見捨てたのではないかというような心細さを感じ。
 だがロナウドよ、ウィーズリー家の男子たちは、おまえの兄貴たちは皆通ってきた道だ。人生の最初の試練だ。乗り越えて強い男になれ。
 不思議なもので、こういうことは一度経験してしまうと次からは平気になるらしい。僕も2人目の弟が生まれるときにはむしろ赤ちゃんの誕生を心待ちにしていた。
 だがチャーリーは手がかかった。もうパパが抱っこするような年齢ではなかったから僕が遊んであげていたのに、寂しさからかすぐに我儘を言い、癇癪を起こし、来客のもてなしに忙しいパパにまとわりつきに行って困らせた。いつもはそんなヤツじゃなかったのに、やはり今までの「末っ子」の地位を奪われることに危機感を抱いていたんだろう。
 今ならそれがわかるのだが、当時の僕はそこまで弟をいたわってやるまでの余裕はなく、腹を立てて、もう遊んでやらないと言い放って僕が父に怒られて、よけいに腹が立ったぐらいのものだった。
 その時誕生したパーシーはといえば、フレッドとジョージが生まれるときには泣きべそをかいてばかりいてずっと父があやしていた。(この話をするとパーシーはいつも嫌がって怒るので、僕はそれが面白くて可愛くて何度でも同じ話をした)
 それが今ではちょこんと椅子に座って、大人しく絵本を開いている。おばさんたちが、まあ、いい子ね、などと言って頭をなでてくれたりお菓子をくれたりするので結構満足しているらしい。
 あんまりお利口だとかえって泣きわめくより不憫になってしまう。が、とりあえず僕は親戚の人たちにお茶やお菓子を出したりお代わりを注いだり片付けたりで忙しかった。

 不憫と言えば、ロンが生まれたときのフレッドとジョージもそうだった。ある意味こいつらが一番手がかからなかったかもしれない。もちろんそれは何かが破壊されたり、あいつらの魔法力が僕たちのときとは全く違う形で発露されたり、親戚のおばさんたちの悲鳴が聞こえたりすることなどを気にしなければ、の話だが。
 ともかくこの双子はパパが付ききりで抱っこしたりあやしたりする必要はなく、時折「ママは?」などと聞くものの、どうやら二人で一緒に遊んでいられさえすれば不安はなかったらしい。おばさん軍団に臆することもなく元気に駆け回っており、自分のすぐ下が生まれるときにほかの弟たちが見せたような、寂しげな様子がなかったことが、かえってかわいそうに思えた。

 もっとも、うっかりあの双子のことをかわいそうなどと思わないほうがいい。バタンと台所のドアが開いて、泥だらけの顔のチャーリーが入ってきた。
「外で泥を落としてから入ってこいよ」
僕はトレーの上にポットを乗せながら、チャーリーの破れたズボンをチラリと見て言った。
 チャーリーはそれには答えず、
「ビル、代わってよ」
と、恨みがましくこっちをにらんでいる。僕は一瞬いろんなことを計算した。
「僕はパパの手伝いをしてるんだぞ。忙しいんだから」
言外に、おまえは外で遊んでるんだろ、と言ってやる。が、
「僕だって十分手伝いだよ!」
ちぇっ、駄目か。もちろんチャーリーの言うことも間違いではない。パパに言われて外に出たんだから。フレッドとジョージと一緒に……。
「なら、まずシャワーを浴びて、服を着替えてこい。それから交代だ」
そう言うと、チャーリーは返事もせずに風呂場にすっとんで行った。

 赤ちゃんが生まれるそのときに、うちの中にいたかったけどしょうがない。それにどうやらもう少し時間がかかるようだし。
 庭に出ると、双子はこれまた泥だらけになって庭小人と鬼ごっこをしていた。あちこちに穴が掘ってあり、土が盛ってあり、生け垣の枝が折れていた。今日はだれも怒る人間がいないから好き放題だな。僕も無駄な労力は使いたくない。
「フレッド! ジョージ! ちょっと果樹園まで散歩に行くかい?」
 そう声をかけると、二人ともすぐに庭小人をはさみうちにするのをやめてトコトコと僕のほうに駆け寄ってきた。
「うーん!」
「行くー!」
 すぐそこの果樹園までのわずかな道のりでも、3歳児には十分な距離だ。しかもこいつらは道端の草でも飛んでくる虫でも二人で勝手に面白がってくれるから、僕はただそばについて歩いていけばいい。行って帰ってくるころには疲れてお昼寝でもするだろう。
 歩き始めてみると、それは案外僕自身にもいい気分だった。やっぱり朝からずっと家の中でどたばたしていたから、のんびり外の空気を吸うのはいいものだ。
 よく晴れた、気持ちのいい天気の日だった。暑かったけれど、時々風があったのでそれほど苦にはならなかった。
 歩きながら僕は、じきに生まれてくる弟か妹のことを考えた。僕はまだ女の子の赤ん坊というものを見たことがない。どんなふうなんだろう。やっぱり赤ちゃんのときから男の子とは違うのかな。可愛い子だといいな。
 だけど、男の子だって構わない。弟たちが大きくなっていくのって、何度見ても飽きないもの。それに兄弟こんなに何人もいるのに、みんなそれぞれ違うから面白い。同じなのは髪の色ぐらいなものだ。
 女の子でも赤毛かな。それでそばかすもあるのかな。それはちょっとかわいそうだな。大きくなったらママみたいになるのかな。美人になるといいな。 
 そんなことをとりとめもなく思っているうちに果樹園に着いた。オレンジがなっていたのでとってあげた。木陰に座って、二人は大喜びで食べた。そのときになって、手を洗わせるべきだったと気づいたが、仕方ない。僕も喉が渇いていたので2個食べた。
 それから口の周りを果汁でべたべたにして大満足の二人を連れて、家に帰った。

 帰ってから再び双子をチャーリーに押しつけ、風呂場に放り込んだ時だった。いよいよだ、というぴりぴりした空気が伝わってきた。
 そして、緊張に静まりかえった家の中に、赤ちゃんの産声が響き渡った。とてもしっかりした、元気で大きな声だった。一瞬、落胆の表情が父の顔に浮かんだ。僕も、やっぱりまた男の子だったか、と思った。
 が、次の瞬間、母の部屋のドアが勢いよく開き、中で助産婦を手伝っていたおばさんが顔を真っ赤にして出てきた。
「おめでとう、アーサー! 女の子よ! モリーも元気よ!」
途端に、どよめきと歓声と拍手がわき起こった。父は、喜ぶというより、ぽかんとした顔をした。腕の中のロンも、つられて同じようにぽかんとした顔をして、周りをきょろきょろ見回した。
「お祝いの品が無駄にならなくてよかったわ」
「わたしも。リボンのついた可愛い靴を持ってきたんですもの」
「だから間違いなく女の子だってわたしが言ったじゃない」
「あら、それはわたしが言ったのよ」
おばさんたちはそれぞれ勝手なことをしゃべっていた。
 そこへ、助産婦が赤ん坊を布にくるんで連れてきた。僕はロンを引き受け、父が赤ん坊を抱き取った。おばさんたちの隙間から、絵本を抱えたパーシーが顔を出して、一生懸命背伸びをして覗き込もうとしていた。チャーリーもバスタオルにくるんだ双子を連れて入ってきた。
 赤ちゃんは泣きやんで、大人しく目をつぶっていた。柔らかそうなふわふわの髪は、やっぱり赤毛だった。そしてそばかすもしっかりあって、弟たちのときと何も変わりがなかった。僕は少しがっかりしたが、父の顔にはみるみるうちに笑顔が広がっていった。
 そして、みんなをゆっくり見回した。
「ジネブラだ」
そう言って赤ん坊をみんなに見えやすいように少し高く持ち上げた。もう名前を決めてしまうの? ママと相談もしないで? 驚いて見上げた僕に答えるように、父は満足げに続けた。
「やっと、この名前を付けることができる」


 母からの手紙で、僕は久しぶりにジニーが生まれた日のことを鮮やかに思い出した。
 僕は1年間、ジニーの成長を家にいて見守ることができた。生まれたときには男の子と変わらないと思ったけれど、やはり末っ子の女の子は可愛かった。僕は、入学が遅かったために兄妹みんながそろって家にいる最初で最後の1年間を過ごすことができたことを感謝した。
 そのジニーがもう入学か。大きくなったものだ。ホグワーツでたくさんのことを学び、遊び、多くの友人を作ってほしい。ボーイフレンドは……いやいや、それはまだ早すぎる。

 昨夜、僕は妙な夢を見た。
 家の庭で、パーティーを開いていた。あの日に来ていた親戚たちが、そのときの姿のままで集まっていた。僕自身は今の僕だったが、弟たちはあの日の弟たちだった。
 しかし、ジニーだけは成長して、今よりも成長して大人の姿になっていたが、それでもやはり末っ子なのだった。そしてジニーは、ウェディングドレスを着ていた。
 夢の中で見たジニーの顔ははっきり覚えていないが、それでもとても綺麗な娘に育っていたことは確かだった。その夢の中の僕は、花嫁姿のジニーの顔より、生まれたばかりの赤ちゃんのジニーの顔をはっきり思い浮かべていた。
 夢の中のジニーの相手が誰だったのかわからない。ただ、髪の色は黒かったような気がする。その青年がジニーを幸せにしてくれることを夢の中の僕は確信していたが、それでも2人を祝福する気持ちは半分で、もう半分は大切なものを奪われる寂しさややりきれなさを感じていて、とても複雑な気分だった。

 目が覚めた僕は、我ながら苦笑してしまった。気が早すぎる。花嫁の父か、俺は。
 今日は仕事は休みだ。僕は大きく伸びをして髪を一つに束ねた。ジニーに何か入学祝いの品を買って送ってあげよう。
 その日もとても暑い、いい天気の日だった。




ずっと以前にリクエストいただいていたものです。
発想は「親父の一番長い日」から(笑)。
ビル兄のイメージ壊しちゃったらごめん。
そしてやっぱり双子に愛が偏ってる(笑)。




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