五月雨のころ・九


 結局、利吉はその後翠庵にて、父・伝蔵に長々と説教を喰らうはめになった。もっともそれは半助も一緒だった。2人並んで正座して、伝蔵の飛ばす唾をかわしながら、時折横目で互いの視線を交わしながら、その時間を耐えたのだった。
 半助は、富三郎が農民などではなく、自分と同じ忍者だということに、富三郎の手を見て気づいたのだという。
 鍬や鋤などを毎日持っている者の手と、手裏剣を投げている者では当然“たこ”のでき方も違ってくる。だからあんな冷淡とも思える態度だったのか。
 それでも翠庵にはさまざまな陣営の忍者が訪れたり逃げ込んできたりと、いわば中立地帯になっている。だから富三郎のように、正直に自分の立場を言わない者も珍しくはなく、そのために追い出すこともない。言われてみれば気づかなかった利吉の未熟さが問題であったことは言い訳のしようがない。
 だが、半助はそれを利吉に告げなかった自分の迂闊さをひどく悔い、伝蔵にも自分のせいだと言ったためにかえって、こんなことで庇いだてするのは利吉のためにならない、大体あんたは子供に甘すぎるだとか、なぜ自分たちの到着を待たなかったのだとか、さんざん叱られる羽目になったのだった。
 そして伝蔵が言いたいことを言いたいだけ言ってしまってから、やっと利吉は事の真相というのか、成り行きというのか、敵の目的を聞かせてもらったのだった。
 敵の狙いはやはり忍術学園であったらしい。そこで利吉を人質にするなどという迂遠な方法をとったのは、表向きには学園の戦力をダウンさせるために教員を各個撃破するという策略であったらしいのだが、突き詰めればどうやら伝蔵に対する私怨であったようだ。
 富三郎ともう1人の忍者は、かつて伝蔵が壊滅させた忍者隊に所属していたらしい。ただ、伝蔵が言うには、壊滅に追い込んでしまったのは確かだがべつに“全滅”させたわけではない。しかも伝蔵もその忍者隊に恨みがあったわけではなく、“ちょっとした手違い”で壊滅という事態に陥ってしまっただけなのだから、逆恨みもいいところだとのことである。
 忍者隊1個潰す忍びも大概だが、それをちょっとした手違いで済ますのもいかがなものか。自分が富三郎の立場だったらやはり絶対納得できないと利吉は思った。そのために自分があんな目に遭ったかと思うと、敵よりもおのが父親に対して腹が立つ。
 言い返す言葉もない利吉に、呆れたような感心したような様子で話を聞いていた半助が真面目な顔で、
「つまり任務に私情を挟むと失敗するといういい例を体験できたということだね」
と言ったので、利吉はしまいに腹立ちさえ消えてげんなりした。


 伝蔵は家にも立ち寄らず、応援に駆けつけた忍術学園の他の教師と共に富三郎とその仲間を引っ張って、慌ただしくその日の内に学園に戻っていった。

 そしてその翌日、利吉はいつものとおり、訓練のために半助のところへ向かった。
 半助は利吉が疲れているのではと気遣ったが、これぐらいで休んでいては忍者など務まらない。利吉は半助の前で、“きをつけ”をした。そして
「よろしくお願いします、土井先生!」
と、頭を下げた。
 半助は驚いて、元々大きな眼をさらに倍ほどに見開いた。しばらく声も出ない様子だったが、利吉が姿勢を元に戻すと、半助を真っ直ぐに見る利吉の瞳を見返して、幸せそうににっこり笑ってうなずいた。

 利吉にとって半助は、父に次いで初めて師と認めた人間になった。
 そのことは、実は利吉にとってよりもむしろ半助にとって、大きな人生の転機となったのだが、利吉本人はそのことをいまだに知らないままでいる。 




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