HAJIMEさんの部屋
   すっごく微妙・・でも嬉しかったりする

  僕がTFBCに在団中、恐らく全て合わせると50〜60近いステージを踏ませていただいたような気がする。その時は、ただ単に先生に言われてやる、という意識で、両親や先生方が言うような「すばらしい経験」というのは自分にとって、(?)だった。僕の親友である、山崎遼平とはいまだに付き合いが帰国するたび続いているが、在団中には実は自分の中でいつも遼平と自分を比べていて、何か一歩二歩遼平には自分が遅れている自覚があり、ある日車の中との母親との会話で、こんな事が会ったのを覚えている。
母「山崎君はね、いっつもお母さんに創は親友だ、って言ってるらしいよ」
創「え〜?俺はライバルだと思ってるけど」
この後の自分の凄く後味が悪い気持ちがいまだに記憶にはっきりと残ってる。
今考えてみると、僕は非常に在団期間、全ての経験を無駄に過ごしたな、という事だ。
それがどんなにすばらしく、貴重な経験だったのかということも気がつかず、ただの与えられた舞台、という感覚でこなしていた。
それに比べると遼平はプロ意識ですべての舞台に臨んでいたし、一つ一つの練習を楽しんでいたし、周りも楽しませていた。(もちろんずば抜けて他に比べると声が良かったし)そういう遼平の姿を思い起こすことで今になって、自分は舞台に出演できる素晴らしさが理解できた。・・・というのも、もう舞台に出るのがかなり不可能に近い今になってだから、笑えないのだが。
今年で19歳、大人として舞台に出るのは、ボーイソプラノ以上に難しい。
だから、今からの訓練をつめば、人並みかそれ以上につめば、幼少時代に経験のある自分は他よりもかなり優位に立っているのではないか、それが本当にTFBCには感謝ですね。

因みに、題名の意味ってのは、前言したように自覚のない舞台をやっているのに、それでも川さんのように、応援してくれていた人がいた・・・それが微妙だけれども、嬉しいんです。

  合唱団は、合唱のみならず

  今の自分は、(まぁ、自分で言うのもなんですけれども)他の18歳に比べるとしっかりしている、とよく周りに言われます。発言のタイミングだとか、一人一人に対する態度がきちんとしていると。
ふ〜む、自分では普通にしているつもりなんだが、確かに周りを見ると、その「普通」が出来てなさ過ぎます。
自分のこの性格のファウンデーションが何かと考え、記憶を辿りますと、三つのポイントにたどり着きます。
一つ目は、やはり両親でしょう。彼らは人一倍常識的な行動、態度にうるさかった。
二つ目は、聖書。自分はクリスチャンなんですが、聖書から教えてもらった事、それはかなりのポジティブな影響を僕に与えてくれました。これからもでしょうけど。
三つ目は、やはりTFBCなんですね。太刀川先生、北村先生は特に礼儀に厳しい方で、歌だけでなく、これから歩む人生のテキストを与えてくれた。(当然、当時はただのやかましい(失笑)大人だと思っていたが)今は十分理解できるんです。成長してから気が付く、そんな素晴らしい教育法を彼らは僕に与えてくれた。
両親と、聖書に値するくらいのインフルエンス・パワーを持ったTFBC、最近入団生が減っているのは非常にもったいない事だと思います。
合唱のみならず、人生の厳しさ、生き方まで教えてくれる、それがTFBCだと思うんです。


                          
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