ビクター少年合唱隊が遺したLPレコード

  ビクター少年合唱隊は、昭和36(1961)年6月、日本ビクター専属の男子児 童合唱団「ビクター少年合唱隊」として設立されました。この年は、ちょうどNH K「みんなのうた」が始まった年でしたが、フレーベル少年合唱団が翌年「おな かのへるうた」で歌声だけではあっても出演して全国にその名を知られたのに 比べ、ビクター少年合唱隊が、初めてテレビに登場したのは、昭和39(1964) 年に「歌のメリーゴーラウンド」です。また、数十枚のEPレコードやコンパクト カセットの新譜吹き込みを担当していたようですが、昭和47(1972)年4月、日本ビクターのレコード部門再編に伴い、ビクター音楽産業専属となりました。それに伴って、「天使のハーモニーシリーズ」はじめ、10数枚のLPレコードを発売しています。その中で一番有名なものは、昭和54(1979)に発売された「過ぎゆく時と友だち」で、当時この種のLPレコードとしては異例の約5000枚売れたということで、日本の少年の独唱としての歌唱力を世に知らせた名盤として知られています。なお、昭和59(1984)年4月にビクター音楽産業が合唱団の運営から撤退したことで、「VBC少年合唱隊」に改称しました。さらに。合唱団は、ビクター専属から自主運営の合唱団を経て、翌年、エフエム東京開局15周年記念事業の一環として、VBC少年合唱隊のメンバーによる「FM東京少年合唱団」が発足し、その後、「TOKYO FM 少年合唱団」と改名して、現在に至っています。なお、ビクター少年合唱隊が歌った歌は、オムニバスレコード・CDの中でも使われており、新聞のCD全集のコマーシャルにその名を目にしていたので、インターネットが発達していない当時、私は、平成(1990年代)になっても、ビクター少年合唱隊が存在するものと思っていました。それでは、ビクター少年合唱隊が遺したLPレコードを年代順に列記してみましょう。

世界もうたを歌ってる    昭和47(1972)
豪華盤/おお牧場はみどり~天使のハーモニー   昭和49(1974)
てんとう虫のサンバ   ~天使のハーモニー(2)昭和50(1975)
ビューティフルサンデー ~天使のハーモニー(3)昭和51(1976)
カントリーロード    ~天使のハーモニー(4)昭和52(1977)
HEIDENROSLEIN/野ばら  ~天使のハーモニー(5)昭和53(1978)
過ぎゆく時と友だち     昭和54(1979)
日本の歌~天使のハーモニー 昭和55(1980)

  このように発売年を列記してみると、すべてのアルバムが1970年代に集中して製作されたことがわかります。(なお、「日本の歌」のみ発売が 昭和55(1980)年2月になっていますが、レコーディングやプレスは前年の8月から行われています。)
「天使のハーモニーシリーズ」と呼ばれるものは、昭和49(1974)年から昭和53(1978)年までに制作されたもので、2枚組(28曲収録)であり、あとは10数曲~20数曲を収めた1枚プレス盤です。

   
 「世界もうたを歌ってる」

A面 合唱組曲『小さな目』/ぼくらの町は川っぷち/さあ太陽を呼んで来い/世界もうたを歌ってる
B面 ずいずいずっころばし/故郷の空/わたしは主のこどもです/いつくしみふかき/春の小川/ふじ山/村まつり/きつつきとみみずく/とんび/山寺のおしょうさん

 A面のほとんどは、湯山昭作曲の合唱組曲『小さな目』が収録されています。この当時、日本の合唱界は、児童合唱だけでなく男声・女声・混声とも、「合唱組曲」が大流行で、次々と新作が発表されていました。『小さな目』は、昭和38(1963)年芸術祭合唱部門参加作品。朝日新聞投稿欄にのった1500篇の児童の詩から12篇を選んで作曲されています。このレコードでは、そのうち最初の10曲 [1] おうちの人 [2] ちゅうしゃ [3] おとうちゃん [4] ママへ [5] 手紙 [6] ふうりん  [7] べんとう [8] くも [9] えんそく [10] おかあさんの手 が演奏されていますが、作詞者がみんな違うということもありますが、この合唱組曲は、子どもの生活に根差した詩に作曲しているところが特色で、特に組曲全体が一つのドラマを形成しているわけではありません。また、当時母親を「ママ」と呼ぶ詩が目につきますが、当時の家庭において小学生の子どもが母親の呼称は、「おかあさん」「おかあちゃん」が大半(「おかん」「おふくろ」はもっと大きくなってから)であることから、そのような意味では、珍しいかもしれません。
 レコードの表題にもなっている「世界もうたを歌ってる」は、楽しい雰囲気を醸し出していますが、むしろ、「ぼくらの町は川っぷち」という西六郷少年少女合唱団によって創唱された歌や、当時若手の作家であった石原慎太郎作詞の「さあ太陽を呼んで来い」を日本の少年らしくさわやかに歌っていることが心に残ります。

 宗教曲では、当時の子どもにとって難解な多声曲ではなく、「わたしは主のこどもです」と「いつくしみふかき」(「星の世界」ではなく)という2曲の「こどもさんびか」が入っており、選曲もクリスマスソングでない曲が選曲されているところが興味深いです。唱歌では、「春の小川」をあえて戦後の教科書において改変された口語体の歌詞でなく、原作の文語体の歌詞で歌い、川は「行く」のではなく、「流(れ)る」ことを強調していることが心に残ります。また、「故郷の空」は、その数年後に歌われる原曲の「麦畑」と比べてみたら、その違いがはっきりします。さらに、「ずいずいずっころばし」や「山寺のおしょうさん」は、わらべ歌と呼ばれるものを合唱曲にすることで、その面白さを引き出しています。ビクター少年合唱隊は、このレコードを通して、日本の少年だからこそ表現できる世界があることを世に問いかけています。

 さて、このレコードは、発声においては頭声を基調としながらも、日本の少年と日本語に合った発声を強調したものであり、全体としては昭和30年代後半(1960年代)の雰囲気が濃厚で、その数年後に録音・発売される「天使のハーモニー」シリーズとは、一線を画していることは間違いありません。また、ソリストの活躍はかなりありますが、レコードジャケットの表面は高原のカラー写真で裏面には、畑中良輔と湯山昭のメッセージが書かれているものの、団員たちは名前も記載されず、歌っている姿の小さな部分写真があるだけです。

 豪華盤/おお牧場はみどり~天使のハーモニー


1-A面 おお牧場はみどり/線路はつづくよどこまでも/かあさんのうた/手のひらを太陽に/春の唄/花のまわりで/森のくまさん
1-B面 ピクニック/おおブレネリ/うるわし春よ/花/野ばら/バラが咲いた/荒城の月
2-A面 森へ行きましょう/牧場の朝/ふるさと/アヴィニヨンの橋の上で/ちいさい秋みつけた/静かな湖畔/フニクリフニクラ
2-B面 カチューシャ/ローレライ/赤とんぼ/おゝスザンナ/七つの子/ストドラパンパ(牧場の小道)/別れ(ムシデン)
 
 このビクター少年合唱隊による2枚組LPレコードシリーズがこの後5年間にわたって『天使のハーモニーシリーズ』として録音・販売し続けると考えられていたかどうかは、当時のビクターの関係者にしかわからないことですが、このシリーズが発売されていた時期の日本における児童合唱の状況は押さえておく必要があります。NHKでは、「歌はともだち」は放映されており、「みんなのうた」も児童合唱主体の番組ではありましたが、児童合唱は全盛の時期をやや越えはじめた感があったようです。しかし、「みんなのうた」や「歌はともだち」の常連であった東京放送児童合唱団・西六郷少年少女合唱団・東京少年少女合唱隊・杉並児童合唱団が盛んにレコードを吹き込んでいたのに比べると、ビクター少年合唱隊の活動は、定期演奏会や歌劇「夕鶴」の子どものパートを録音するなど比較的地味であったようです。
 プログラムから選曲を見ると、題名にもなっている「おお牧場はみどり」(「みんなのうた」の最初の曲であると同時に、現在も後進のTOKYO FM 少年合唱団の定期演奏会の冒頭を飾る曲になっている)をはじめ、「みんなのうた」を通して広まってきた曲が目につきます。中でも、「かあさんのうた」「春の唄」「うるわし春よ」「カチューシャ」等は、昭和20~30年代の色彩が強く、現在の日本でほとんど歌われることのなくなってきた歌になっており、とりわけ、ロシア民謡系の歌は、「うたごえ運動」を通して広まってきたものと言えます。しかし、それらは、当時の児童だけでなく、青年の間でよく歌われていた曲であったことは間違いありません。また、当時小学校で合唱への導入として採り入れられた輪唱曲(カノン)も、目につきます。この曲集の中では、フォークソングの「バラが咲いた」だけがかなり異質な選曲です。しかし、この曲が、今後の天使のハーモニーシリーズの方向性を示しているとも言えます。
 このLPでも、「荒城の月」は独唱であり、「カチューシャ」では二重唱が生かされ、「ピクニック」では、動物の鳴き声がリアルに採り上げられるなど、ビクター少年合唱隊らしさがあふれています。また、レコードジャケットの表面(写真左)は、牧場の景色であり、裏面は牧場でビクター少年合唱隊の頭文字であるV字型に並んで歌う制服姿の隊員たちと、私服でじゃれあっている写真とが対比的に配置されています。これは、夏季合宿で撮られたものでしょうが、ここに見られるON/OFFの差が合唱の指導において大切であることを示唆しているようです。

 てんとう虫のサンバ ~天使のハーモニー(2)


1-A面 てんとう虫のサンバ/若者たち/四季の歌/一人の手/みんなでつくろう/ドナドナ/漕げよマイケル
1-B面 花のメルヘン/涙君さようなら/銀色の道/グリーングリーン/君の故郷(ふるさと)は/君について行こう/今日の日はさようなら
2-A面 ドレミの歌/禁じられた遊び/パパはママが好き/エーデルワイス/遠くへ行きたい/麦畑/赤い河の谷間
2-B面 一週間/サンタルチア/草競馬/菩提樹/すずらん/モルゲンローテ/泉のほとり

 この「てんとう虫のサンバ~天使のハーモニー(2)」は、昨年度のアルバムとは選曲において一線を画しています。前作が昭和20~30年代の色彩が強いことは前述しましたが、やはり当時の少年(児童)合唱は、童謡・唱歌がそのレパートリーの中心でありました。しかし、このアルバムでは、表題に「てんとう虫のサンバ」を掲げ、団員たちよりむしろ5~10年年上の若者の間で流行していたフォークソングを大胆に採り入れていったことが大きな特徴です。1-A面の7曲は、すべてそのような曲と言えます。このような曲をレパートリーにする傾向は、当時他の児童合唱団でも見られたようです。1-B面や2-B面になると、ダークダックスやデュークエイセスのような男声四重唱団によって創唱された曲が中心になってきます。さて、昭和40年代のフォークソングの中には、アメリカやヨーロッパ各国においてもそうであったように、ベトナム戦争反対や左翼学生運動を後押しするような歌を歌ったものがかなり見られますが、ここでは、そういうラジカルで左翼的な政治色の強いものは選ばれていません。むしろ、ザ・シャデラックス(関西学院大学グリークラブのメンバーによって結成されたグループ)が創唱した「君について行こう」などは、平岡精二の歌詞を読むとその真逆のものを感じたりします。また、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」等の映画音楽の主題曲に歌詞をつけたものなども新傾向の曲として登場し、これは今につながっています。ここでも、戦後の一時期合唱界を席巻したロシア民謡は「一週間」「すずらん」「泉のほとり」と登場していますが、ソビエト連邦の戦時歌謡の「泉のほとり」が、あえて日本の少年たちの友情の歌に変換された「ともだちの歌」でないところがかえって特徴的です。今、「泉のほとり」をキーワードにして動画を検索すると、かつて(今もか)歌声喫茶で歌っていた若者が、今ではおじいちゃんやおばあちゃんたちになっても歌っているところが、かえって「時代」というものを感じます。また、「世界もうたを歌ってる」では、唱歌の「故郷の空」の歌詞で歌ったものを、原曲のちょっとエッチな「麦畑」で歌っているところも面白いです。これは、当時、荒井注がいた頃のザ・ドリフターズが歌ったこととも関係しているかもしれません。
 さて、もともとは若者やもう少し年上の世代向きに作られた歌を小学生(3~6年生)のビクター少年合唱隊に歌わせるに際して、隊員たちは指導されるままに歌っていたでしょうが、指導者側は、そこにしたたかな計算をしていたと思われます。とりわけ、ソリストの選定においては、どの曲のどの部分でどういう声質の隊員を起用すると効果的かということを考えていたでしょう。「花のメルヘン」の冒頭の語りでは、幼く可愛く聞こえる声の少年を配置し、歌に入ると清純な声のソリストをというふうに、「漕げよマイケル」では、まっすぐな声のソリストとオブリガードのファルセットの高音が美しいソリストを、「君の故郷(ふるさと)は」のソロにおいては、よく伸びる清純な声質の少年を「草競馬」では、声の高低差のある二人のソリストの少年を、というように。そのようなソリストの起用という点においても、この~天使のハーモニー(2)~は、これまでとは違った新たな道を歩み始めた感がします。
  さて、1枚の写真は、もの言わずとも雄弁に語ってくれることがあります。児童(少年)合唱団のレコードジャケットは、制服を着て整列して写っているのが写真の定石なのに、キャンプ場の薪が積んであるような小高い丘に夏用の半ズボン制服にテンガロンハットやキャップをかぶって整列した中に一人だけ、ジーンズの長ズボンをはいて斜めに構えた上級生隊員がいるという不思議な構図になっています。ところで、この隊員が、普段の少年合唱隊生活の中で、半ズボン制服を嫌ったりするなど、指導者に反抗的な態度をとっているなどとは考えにくいです。これは、想像にすぎませんが、このレコードにおいて、歌における部分ソロが浮き上がっていることを象徴しているのではないでしょうか。なお、裏面は、合宿の練習や生活場面の写真で、この合宿の直後に録音が行われたことをほのめかしています。

 ビューティフルサンデー ~天使のハーモニー(3)
 
1-A面 ビューティフル・サンデー/オー・マリヤーナ/オールド・ブラック・ジョー/ゆかいな行進(アメリカン・パトロール)/大脱走のマーチ/マイ・ボニー/聖者の行進
1-B面 山口さんちのツトム君/ともだち/おぼろ月夜/砂山/いい湯だな/上を向いて歩こう(スキヤキ)/クラリネットをこわしちゃった
2-A面 雪山讃歌/アルプス一万尺/ユー・アー・マイ・サンシャイン/ビビディ・バビディ・ブー/トム・ピリピ/ポーリュシカ・ポーレ/トロイカ
2-B面 花と小父さん/遥かな友に/夢の中へ/ママごめんなさい/われは海の子/海のマーチ/アロハ・オエ

 「ビューティフル・サンデー」が、約40年前から全く違うジャンルの盆踊りの曲に編曲されて、その発祥地である兵庫県の伊丹市では、地域の公園で太鼓の伴奏で歌い踊られていることや、最近では田中星児が伊丹市で行われた盆踊りに来訪しているということに隔世の感がしています。「ビューティフル・サンデー」は、世界的には1972年にイギリス人歌手のダニエル・ブーンで、日本では1976年に田中星児の歌でヒットした歌で、さらに翌年春開催された「第49回選抜高等学校野球大会」の入場行進曲に採用され、田中が開会式にゲスト出演しています。ところがこの曲が、 ビューティフルサンデー ~天使のハーモニー(3)として、早速その年内に少年合唱曲として発売されていたいう先見性にも驚きを感じます。つまり、伝統的な聖歌隊が宗教曲をメインにし、日本の児童(少年)合唱団が、童謡・唱歌やNHKの歌番組「みんなのうた」の人気曲をレパートリーにしているのに対して、ビクター少年合唱隊は、前年の「てんとう虫のサンバ」で拓かれた路線が一層はっきりと前面に出たと言えるでしょう。ちなみに、「オー・マリヤーナ」は、「ビューティフル・サンデー」のB面の曲ですし「いい湯だな」は、デューク・エイセスによって創唱され、ザ・ドリフターズによって笑いと共に全国的に広がった曲です。「花と小父さん」は、ダークダックスの「花のメルヘン」路線の新曲であり、「夢の中へ」は、現在も現役として活躍中の井上陽水のフォークソングのヒット曲であり、後年いろいろな歌手によってカバーされている曲です。また、『みんなのうた』で同年に放送された「山口さんちのツトム君」が早速登場していることも、先取り精神を感じます。なお、「山口さんちのツトム君」は、『みんなのうた』では、東京放送児童合唱団の川橋啓史によって創唱されていますが、斎藤こずえや吉岡ひでたかや岡浩也など、いろいろな歌い手によって歌われることで、広がったという側面があるでしょう。これは、6年前の1970年に大阪でで開かれた「万国博覧会」のテーマ曲「世界の国からこんにちは」が各社競作でレコーディングされ、広がっていったことにもつながります。ビクター少年合唱隊においては、この歌は、その後合唱隊のリーダーに育っていく河村卓也によって歌われています。
 このように、当時流行していた曲を積極的に採り入れて、新しさを前面に出しながらも、当時の音楽教科書にも掲載されている唱歌やフォスターの歌曲、『みんなのうた』の人気曲、マーチ曲やロシア民謡も多く採り上げられるだけでなく、ライバルと見られることもある、フレーベル少年合唱団の指導者の磯部俶の名曲「遥かな友に」まで、フレーベル少年合唱団に先駆けてレコーディングしているところが、面白いです。もう、ここまでくると、少年の声によって歌われるといい感じになるな、少年の声によって歌われると面白いのではないかと思われる曲が、何でも採り上げられているのではないかということを感じます。
 さて、このレコードジャケットは、夏の合宿の写真ということで、隊員たちの夏の普段着の集合写真や練習風景などで、ジャケット写真から新たに訴えるものは感じません。

 カントリーロード ~天使のハーモニー(4)

1-A面 カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)/世界一周/草原のマーチ/コンドルは飛んでゆく/花まつり/ちびっこカウボーイ/わんぱくマーチ
1-B面 山の人気者/久しき昔/もみの木/ホルディリ・ディア/汝が友/カリンカ/バルカンの星の下に
2-A面 青い地球はだれのもの(NHKテレビ「70年代われらの世界」テーマ)/二人の天使(スキャット)/思い出そう(トライ・トゥ/リメンバー)/川で歌おう(ラサ・サヤン)/北風小僧の寒太郎/シャシャブとグイミ/大漁唄いこみ
2-B面 春の海(スキャット)/五ツ木の子守唄/ほたるこい/冬の夜/通りゃんせ/柴の折戸の(江戸子守唄)/螢の光

 「カントリーロード」は、令和元(2019)年に日本各地を会場に行われれた“ラグビーワールドカップ2019”の時には、ラグビー日本代表がチームの結束のために替え歌「ビクトリーロード」を用いたために話題となりました。 このアメリカンポップスをメイン曲にした天使のハーモニー(4)は、これまでに積み上げてきた路線を継承しながらも、新たなことにも挑戦しています。その一つは、「二人の天使」(スキャット)を採り入れたことです。この曲が流行したのは、1970年頃ですが、まさか少年がこの歌を日本の少年たちがスキャットで歌うとは、誰も考えていなかったでしょう。ソロ部分は、「小形君」であると、指導者の北村協一先生は、隊員の名前を伏せていた当時、レコードの解説にあえて姓を挙げていますが、それだけ傑出した出来栄えになっています。なお、小形君は、NHKの「歌はともだち」で、「ビューティフル・サンデー」のソロを歌っていますので、当時高価だったビデオレコーダーをもっていた人が番組を録画しているかもしれません。
 また、「春の海(スキャット)」は、琴による器楽曲をスキャット風の声楽曲に編曲したもので、これまで、児童合唱でこのような曲を採り上げたことはあまりなかったのではないでしょうか。これは、同レコードにも採り上げられている「二人の天使」の延長線上にある編曲ではないかとも思います。また、「五ツ木の子守唄」のような日本民謡や「通りゃんせ」のような日本のわらべ歌を合唱曲化したものは、当時民族に根差した音楽を志向するバルトークやコダーイの影響を受けているのではないかとも感じさせます。なお、「五ツ木の子守唄」は、大塚食品のボンカレーのテレビCMで品川隆二が口ずさんだ「ボンは早うできて、早う食える」という替え唄が使用されました。このCMで「五ツ木の子守唄」が有名になったことと、この選曲に関係があるかどうかは不明です。しかし、日本の民謡を合唱曲にするという傾向は、天使のハーモニー(5)で、さらにはっきりとした形で現れてきます。
 こんなマニアックなエピソードばかり述べていると、「思い出そう(トライ・トゥ/リメンバー)」のさわやかな合唱や、その後、“子供向け演歌”として、「みんなのうた」で長く歌い継がれている「北風小僧の寒太郎」の歌とセリフのコントラストというこの天使のハーモニー(4)の本質的なことが忘れられてしまいます。
 このように、「みんなのうた」で採り上げられた曲を歌うだけでなく、世界と日本の曲を、独唱を含む少年合唱にアレンジしたことが、このアルバムの特色であると言えましょう。ソリストを育てるという理念は、このレコードでも明白です。「カリンカ」のソロの鮮やかさは、今、このようなソロを歌える少年が日本にいるのだろうかとさえ思います。

 HEIDENRÖSLEIN/野ばら ~天使のハーモニー(5)

1-A面 チム・チム・チェリー/アクエリアス/さらばジャマイカ/ディキシー/オーラ・リー/黄色いリボン/峠のわが家
1-B面 翼をください/竹田の子守唄/もしも僕の背中に羽が生えてたら/赤いサラファン/ペチカ/待ちぼうけ/叱られて
2-A面 野ばら(シューベルト)/グリーンスリーヴズ/オー・シャンゼリゼ/ウィンター・ワンダーランド/君、恋し君(わが心の花)/マッティナータ/アヴェ・マリア(グノー)
2-B面 越後獅子/お江戸日本橋/こんぴらふねふね/木曽節/ソーラン節/椰子の実/子守唄(團伊玖磨)

 「HEIDENRÖSLEIN/野ばら」と題されたこのLPレコードのジャケットの帯には、『完結編』という言葉が記されています。5年間をかけて140曲を収めたこのシリーズの『完結編』は、決して落穂拾い的な選曲ではなく、積極的に新たなことにも挑んでいます。一旦フォークソング路線が強調された時期もありましたが、ここでは、ミュージカル、映画音楽、和製フォークソング、世界の民謡、日本と世界の歌曲に加え、2-B面のうち6曲は、日本民謡を合唱曲に編曲したものです。正調の日本民謡(例えば、「木曽節」や「そうらん節」は、「へえ、これが正調なのか。」と思うほど、一般に流布している曲と違うこともありますが、長い年月の間に流動し伝播し、各地に現存するもののなかでも、もはやかつてあった形を失ってしまったものが多いと言えます。勿論合唱曲に編曲された民謡ですから、民謡をどう編曲しているかを楽しむという観点で鑑賞することが大切です。また、「オー・シャンゼリゼ」は、たいへんおしゃれな編曲で、「マッティナータ」のように重厚な合唱曲に編曲がされているものは、独唱曲として作られた原曲と違った味わいがあり、独唱曲とは違った楽しみ方をすることができます。このアルバムでは、「ペチカ」「待ちぼうけ」「叱られて」のような日本の歌曲が合唱曲として新たな魅力を感じさせてくれます。「ウィンター・ワンダーランド」は、今でも後進のTOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートで今も歌い継がれています。
 さて、「天使のハーモニーシリーズ」の(1)とはあえて表記されていないLP集には、ウェルナーの「野ばら」が収録されていますが、天使のハーモニー(5)では、シューベルトの「野ばら」がメイン曲になっています。なにしろ、ゲーテの「野ばら」に作曲された曲は30年前の時点で世界に88曲ありましたから、今ではさらに増えているかもしれません。しかし、独唱曲の代表は、シューベルト作曲であり、合唱曲の代表は、ウェルナー作曲(独唱されることもありますが)です。まさに「野ばら」に始まり「野ばら」に終わるという壮大なドラマを感じます。さらに、グノーの「アヴェ・マリア」の独唱をはじめ、部分的な独唱は、全体にちりばめられ、ソリストを育てるというビクター少年合唱隊の理念は、ここにも生かされています。團伊玖磨の「子守唄」が、このシリーズの最後を飾っていることも特筆できます。温厚な作風の團伊玖磨の作品の中でも、この子守唄は、母子の対話という従来の「子守唄」にはないものが描かれています。改めて、この歌のよさに気付きました。

 『ガラスの迷路』 ~竹宮恵子ファンタジックワールド~

 このLPは、 昭和53(1978)年にリリースされた、竹宮恵子が、『風と木の詩』や『地球へ…』を出版したころ、自らのマンガの世界を音楽によって表現したイメージアルバムです。変声前の少年(久世もとひろ)と変声後の少年(鈴木昇治)、少女(夏水りせ・高島淳子・丹羽たか子)の歌声を中心にしながらも、インストゥルメンタル、2人の少年の会話や詩の朗読などから構成されています。
   久世もとひろは、ここでは名前がひらがなで書かれていますが、その翌年にリリースされたLP『過ぎゆく時と友だち』で、主要な歌を歌った久世基弘のことで、この2枚のLPを聴き比べると、本来「ぼくのピアノ」で聴くことのできるようなよく響く抒情的なソプラノであったのが、1年あまりの間に次第に変声してしっとりした味わいのアルトになっていていることがわかるという点でも、一人の少年の歌声を変化を知ることのできる貴重なLPでもあります。
 「ぼくのピアノ」は、ピアノを愛する孤独な少年の内面を描いた作品で、独白から始まって次第に高まる歌で、「翠星のように飛びこんでくる新しい発見」と歌い上げるところで、ボーイ・ソプラノの魅力を最大限に味わい、また独白に戻るという独特の構成の作品です。「会話」は、秋のギムナジウムを舞台に枯葉を踏みしめる音や遠くから少年たちの合唱練習が聞こえるという設定ですが、これは、おそらく映画『悲しみの天使』(後年『寄宿舎』と改題して再上映)の年上の少年(ジョルジュ)と年下の少年(アレクサンドル)が温室で密会する場面をモチーフにして作られたものと考えられます。特に、久世もとひろ演じる年下の少年の感情の起伏の激しさと、鈴木昇治の知的で冷静な態度が歌声によって描き分けられています。合唱練習は、ビクター少年合唱隊の歌声が流れています。また、少女の歌声であっても、特に夏水りせの声は、少年を感じさせるような中性的な声質です。また、「宇宙(そら)」という竹宮恵子と久世もとひろの対話を聴くと、話し声と歌声の関連を味わうことができます。
 なお、ライナー・ノーツには、歌詞の他、「透明な絵筆-Keiからみなさまへ」というメッセージが掲載されています。ここから、竹宮恵子の美意識を伺い知ることができます。ジャケットおよび裏ジャケットも、このLPのための竹宮恵子の描き下ろしで、少年・ガラス玉・青薔薇・宇宙・樹木などを組み合わせた幻想的なデザインですが、裏ジャケットのうつむいた少年の方が、評判がよかったそうです。

 「過ぎゆく時と友だち」

    漫画家の竹宮恵子先生が、ブレインの増山法恵先生と共にボーイ・ソプラノによるレコード「ガラスの迷路」と「過ぎゆく時と友だち」を企画・制作したことは、この分野の愛好者にはよく知られているところです。特に「過ぎゆく時と友だち」には、12曲の独唱曲(一部バリトンの平野忠彦や少年合唱とのかけ合いもある)が収められています。この当時の日本のボーイ・ソプラノの歌唱力の水準を知る上でも貴重なLPですが、昭和54(1979)年に発売されて以来、40年たった今でも今も未だCDに復刻されていません。このレコードのCD化をすすめる運動を展開したいものです。
 と、言っていたら、竹宮漫画ファンのSIXさんと更紗さんが、平成18(2006)年2月、このLPのCD化運動を展開しはじめ、ホームページを立ち上げることに発展しました。 このホームページには、制作者の増山法恵先生が、このLP作成にかかわる秘話を書き込まれ、竹宮恵子先生もこの運動に協賛の意を示す文をご自身のホームページに書かれました。私も及ばずながら、この運動に協賛し、ホームページを通して、このレコードの日本のボーイ・ソプラノ史における位置づけを明らかにし、この運動を推進しようとと考えました。しかし、まだ実現していないというのが現状です。
 イギリスには、聖歌隊のトップソリスト(トレブル)の歌声を録音して残す伝統があります。それらを集めたCDも存在します。しかし、EPの1~2曲ならともかく、日本のボーイ・ソプラノをまとまって聴けるCD(LPレコード)は、極めて少ないと言わざるをえません。古いものでは、山田耕筰の薫陶を受けた金子一雄による歌曲をSPから復刻したものがありますが、この30年間のいろんなジャンルを入れても、坂本秀明、岡浩也、玉元晃、村上友一、KOUJI、ウィリアム W. スピアマンIV、上野琴久、栗原一朗ぐらいしかありません。しかも、これらは、芸能界に入って人気を得た少年俳優や少年歌手を除けば、保護者の熱意によって息子のボーイ・ソプラノの想い出にと自費制作したものしかありません。
 その中で燦然と輝くのが昭和54(1979)年に発売された「過ぎゆく時と友だち」です。当時、竹宮恵子先生の「空がすき!」「ファラオの墓」「風と木の詩」と続く一連の漫画は、一世を風靡していました。一方、ウィーン少年合唱団員を主人公にした「アンドレア」や架空のまちを舞台にした「ヴィレンツ物語」などクラシック音楽系の作品も独自の美的センスで人気を集めていました。そこには、増山法恵先生の強い影響を見ることができます。しかし、増山先生は黒衣となって表面には出ず、あくまでも「竹宮恵子の世界」ということで、このLPは世に出ました。選曲は、「ちびっこのどじまん」ではなく、「竹宮恵子好み」の歌の中から、12曲が選ばれました。歌い手の少年は、当時毎年LP「天使のハーモニーシリーズ」を発売し、ソロにも力を入れていたビクター少年合唱隊員から、歌声のイメージに合致した少年がオーディションで選ばれました。そして、数ヶ月のレッスンの後レコーディングが行われましたが、その間に変声期を迎えた少年があったりして、予定通りには行かなかったこともあったようです。しかし、これまで、日本の少年によって歌われることがほとんどなかったこれらの歌は、高い完成度で1枚のLPに刻まれました。このような企画はそれまでにもなく、その後もありません。
  しかも、このレコードのCD化には新たな意義が加わってきました。平成18(2006)年3月13日、このレコードの合唱編曲と指揮を担当されたビクター少年合唱隊(TOKYO FM 少年合唱団の前身)の中心的指導者であった北村協一先生がご逝去されました。19日に行われたTOKYO FM 少年合唱団の第22回定期演奏会で、太刀川悦代先生はこの定期演奏会を北村先生の追悼演奏会と位置づけました。そして、それにふさわしい名演奏が繰り広げられました。このCD化運動も、北村先生の追悼という新たな意義が加わってきました。残念ながら、この企画は実現に至りませんでしたが、このレコードの価値は不変です。また、1960年代初頭一世を風靡したイタリアの少年歌手 ロベルティーノの歌がこのLPに大きな影響を与えていることもわかってきました。

  それでは、このレコードで歌われた1曲1曲がどのように優れたものであったのかを、このホームページを通してお伝えしましょう。

収容曲:
① サマータイム(歌劇『ポギーとベス』より)         
② 虹の彼方に(映画『オズの魔法使い』より)        
③ マンマ                        
④ バンビーノ(ガリオーネ)              
⑤ シューベルトのセレナーデ             
⑥ マルセリーノの歌(映画『汚れなき悪戯』」より) 
⑦ ピノキオへの手紙
⑧ なんでもやるさ(ミュージカル『オリバー!』より)
⑨ グリーン・グリーン
⑩ 君、恋し君(わが心の花)
⑪ 逃げた小鳥
⑫ グリーンスリーヴズ

 私が最初にこの文を書いたのは、ホームページを開設した21世紀の初頭の頃でした。当時は、レコードを聴いた感想とその曲の背景を文章化したものでしたが、平成17(2005)年にYouTubeが始まり、数年後の2010年頃から、これまで聴くことのできなかった録音・録画を聴くことができるようになりました。このレコードの歌声は、海外のYouTubeに2曲公開されている(2024.1.1時点)だけですが、これらの歌の原曲や海外のボーイ・ソプラノをはじめとする歌い手によって歌われているものを加筆しながら、これらの曲を掘り下げていこうと考えています。

 ① サマータイム

 ジャズのスタンダード・ナンバーの1つになっている「サマータイム」は、1935年にロシア系移民のガーシュインが、オペラ『ポーギー&ベス』のために書いたアリアです。このオペラは、アメリカの貧民街を舞台に、ほとんど全部の登場人物が黒人という異色の作品ですが、「サマータイム」は、冒頭シーンで、漁師ジェイクの妻クララが赤ちゃんを寝かしつけるための子守歌です。
 歌っている古賀潤の声はハスキーで細く、どの曲にも合うというわけではありませんが、この曲にはかえってその持ち味が生かされてよい雰囲気を出しています。ただ、少年が歌うために母性的なものはあまり感じません。

   サマータイム
サマータイム 夏が来たなら 
暮らしも豊かになる
夏の日を 夢に見ながら
坊や 泣かずに お休み

あのころは お前もきっと
よちよちと 歩き出すさ
パパとママは 幸せだろう
坊や お前を 見つめて

 メトロポリタンオペラで、ゴルダ・シュルツ(Golda Schultz)は最終リハーサルでクララの第1幕のこのアリアを歌います。 製作:ジェームズ・ロビンソン。 指揮:デヴィッド・ロバートソン。 2019-20シーズン。https://www.youtube.com/watch?v=NghjBMn6ZJM
 マックス・エマニュエル・ツェンチッチ(Max Emanuel Cencic) https://www.youtube.com/watch?v=JuyXM0_CxFI
 セバスチャン キャリントン(Sebastian Carrington)BBCソング・オブ・プレイズのファイナリスト、2020年のヤング・コリスター・オブ・ザ・イヤー。現在は、ピアニスト、オルガニスト、カウンターテナー、作曲家、音楽監督代理です。https://www.youtube.com/watch?v=1J1b_dTztsQ
 ピーター・キーウラ(Peter Kiewra)が録音されたピアノで「サマータイム」を歌っています。 https://www.youtube.com/watch?v=dBcgERL9mJ0

        ② 虹の彼方に

  「虹の彼方に」(原題: Over the Rainbow)は、1939年のミュージカル映画『オズの魔法使』の冒頭で、当時14歳の主人公のジュディ・ガーランド演ずる少女ドロシーによって歌われる劇中歌(エドガー・イップ・ハーバーグ Yip Harburg 作詞、ハロルド・アーレン Harold Arlen作曲)で、「虹の彼方に子守歌で聞いた夢の国がある。虹の彼方の青い空で、あなたの夢が本当になる。いつの日か私は星に願う。・・・」といった歌詞も旋律もロマンティックなもので、映画公開当時大ヒットし、1939年のアカデミー歌曲賞を受賞しています。映画公開後のヒット以来、現在に至るスタンダード・ナンバーとして世界的に広く親しまれ、多くのカバーの対象となってきました。日本人も男女を問わす多くの人に歌われています。2001年に全米レコード協会等の主催で投票により選定された「20世紀の名曲」(Songs of the Century)では第1位に選ばれています。

 もともと少女の歌ですが、このレコードでは、中2の久世基弘によって原語で歌われます。日本語にすると、雰囲気が異なるためにそうしたということです。開始早々いきなり1オクターブ飛ぶような難しいところもありますが、久世基弘はそつなく歌っています。ジャズ風の洒脱な伴奏と生真面目な久世基弘の歌の対比もなかなか面白いものです。 

 ここでは、創唱者のジュディ・ガーランドを除いては、各年代のボーイ・ソプラノのソロでお聴きください。
 
(創唱者) ジュディ・ガーランド(Judy Garland) https://www.youtube.com/watch?v=PSZxmZmBfnU
ダニエル・ファーロング(Daniel Furlong) https://www.youtube.com/watch?v=_LLnUWnXrdM
テイラー・ロシュ(Taylor Roche) https://www.youtube.com/watch?v=Ei8ZyHzjxq0
トロイ・シヴァン(Troye Sivan) https://www.youtube.com/watch?v=8p1Gmk_iDjg
マイキー・ロビンソン(Mikey Robinson) https://www.youtube.com/watch?v=gEgZvBLgRI4

③ 「マンマ」

 この歌との出会いは、テレビ番組で五十嵐喜芳が歌っていたのを聴いたのが最初です。もう半世紀以上前です。ところが、この歌の創唱者は何と、名テナーのベニアミーノ・ジーリです。この歌を歌って戦地を慰問したそうです。そのためか、ジーリは戦後一時期ファシストの協力者として不遇でした。しかし、この歌は親子の愛情を歌った普遍的なものだと思います。ほの暗い短調から始まって長調に変わり、「マンマ」と大きく歌い上げるところが魅力です。日向理は、この歌を真っ直ぐな愛の歌として歌いきっています。

 イタリア語では「マンマ」というふうに発音しますが、これはもちろん「ママ」(おかあさん)のことです。「夜のヴァイオリン」「マリウ、愛の言葉を」など、かずかずの名曲を世に送ったイタリアきってのポピュラー作曲家ツェザーレ・アンドレア・ビクシオの作品で、作詞も「夜のヴァイオリン」と同じくケルビーニ。1943年に楽譜が出版されました。第二次大戦中に作られ・戦地にある兵士たちは、故郷の母を思いながらこの歌を愛唱していたということです。素朴な美しいメロディーの中に、母に対する愛情がみちあふれ、聞く人の心を暖かく包みます。なお、これは1941年の同名映画『マンマ』の主題歌でもあり、スクリーンでは当時の名テナーのべ二アミーノ・ジーリが歌った。第二次対戦中、ラジオ歌謡として歌われ、母を思う兵士たちの間で大流行しました。1960年には、コ二一・フランシスが歌ってアメリカでも大ヒットした。日本では、五十嵐喜芳のほかにも、ぺギー葉山が昭和39(1964)年に、イタリアから持ち帰って日本に紹介して以来、多くの人によって、よく演奏会にも採り上げられ歌われています。

“ママ,私はこんなにしあわせです。
あなたのもとへ帰ってゆくのですから・・・。
私の歌はあなたに告げます、私にとって、今こそ最もすばらしい日・・・と。
どうして、遠く離れて暮せましょう。
ママ、私の歌は、あなたの方へ飛んでゆきます。
ママ、あなたは私といっしょに暮すでしょう。
あなたはもう、ひとりぼっちじゃなくなるのです。
私はとてもあなたを愛しているのですから‥‥‥。
私の心があなたにささやくこの愛の言葉は、
おそらくもう流行おくれかも知れませんが、
ママ、けれど私の一番突しい歌は、あなたなのです。
あなたは私のいのちです。いのちのかぎり、もう決して私は、
あなたを放っておいたり致しません。”

 この歌は、英語やドイツ語に訳されレコードとしても、ルチアーノ・タヨ-リ、クラウデイオ・ヴィルラ、ロベルティーノ、コニー・フランシスというふうに、多くの歌手によっていたわれています。ところが、私の持っているジーリのCDでは、録音が1940年と記載されています。1943年の楽譜出版との間の3年というのが謎です。これだけの大ヒットなのに・・・また、ロベルティーノは、前半の語りがとにかくうまい。ちょっとハスキーな声で静かに語りかけるような歌い方は説得力があります。これが少年の歌とは。日向理の真っ直ぐな歌い方とは対照的です。また、ハインチェもドイツ語訳の歌を歌っており、それを主題歌にして、映画「Zum Teufel mit der Penne(ペンネで地獄へ)」(1968)を作成しています。

 さて、邦訳はいくつかありますが、私が好きなのは五十嵐喜芳訳のものです。原作に忠実で、しかも日本語としても美しいからです。

マンマ 僕はしあわせ
ふるさとへ帰る
今日の喜びをたからかに歌う
マンマ 僕はしあわせ
別れたのはなぜ
マンマ 僕の歌はあなたのもの
マンマ これからはいつもふたり
大好きなマンマ
ひとりつぶやいたこの愛の言葉も
今日かぎり
マンマ 僕の歌より美しい
僕の命もう離れないいつまでも

 それと比べると、「過ぎゆく時と友だち」における荒川ひろし、竹宮恵子共訳は、むしろ少年のための「作詞」と言えましょう。

マンマ ぼくが大人になっても      
マンマ そのほほえみ いつまても
幼い日のぼくの あこがれのマドンナ
やさしいしくさと黒い瞳と          
マンマ 変れらぬ愛の心を
美しくうたってあくれ いつまても
マンマ どうぞうたって
あの子もり唄を        
昔の佳き日のやさしい声て       
マンマぼくのたいせつな 
思い出の日を   
マンマほくが大人になっても     
マンマ そのほほえみ いつまても       
幼い日のぼくの あこガれのマドンナ      
やさしいぐさと黒い瞳と       
マンマ 変わらぬ愛の心を
美しく歌っておくれ
いつまても               
マンマ マイピュ

 ジーリ以来、少年歌手を含む多くの歌手によって「マンマ」は歌い継がれてきました。
ベニャミーノ・ジーリ Beniamino Gigli - Mamma - 1940 https://www.youtube.com/watch?v=wHqP5FFoyf0
五十嵐喜芳  https://www.youtube.com/watch?v=MoxMrlnhocI
ロベルティーノ ロレッティ  Robertino Loretti    https://www.youtube.com/watch?v=zoJTZCwRNg8
ハインチェ Heintje Mama (映画『Zum Teufel mit der Penne』より) https://www.youtube.com/watch?v=uQjqno_agys
エリック・ル・ロシニョール Eric le rossignol (10 ans) Mamma https://www.youtube.com/watch?v=1m_NwYuE1Lk

  ④ 「ガリオーネ」

 「過ぎゆく時と友だち」シリーズ第3弾は、「ガリオーネ」。実はこの曲を初めて聴いたのが「過ぎゆく時と友だち」でした。やんちゃで、洒脱な歌詞なのに、歌っている久世基弘君は、とてもまじめに歌っていて、すれっからしではないところがかえって可愛いかったです。

 ところで、世界の名曲とレコード」シャンソン・カンツォーネ編(永田文夫著 S、42 誠文堂新光社)には、次のように紹介されています。 
                             
「ガリオーネ」とは「腕白小僧」を意味するナポリ語です。エーザ作詞、ファンチウリ作曲のこの歌は、1956年のナポリ・カンツォーネ・フエスティヴァルで優勝の栄冠をかち得ました。これはピェディグロッタの歌祭りを再現しようとして、戦後1953年からはじめられたフエスティヴァルで、’56年はその第4回目にあたります。この歌はフランスに入ってジャック・ラリュのフランス語歌詞がつき、「バンビーノ」という題のシャンソンになり、ダリダがうたって大ヒットさせました。さらにアメリカでは「リトル・ボーイ」の題で流行し、映画「一万人の寝室」の中にも使われました。

“おまえはいつもここにいる。道のまん中に立ちどまって、
食べもせず、眠りもせず、なんてゆううつそうなんだ。
子どものくせに、やきもちをやいてるのかい? 
おまえは悩みたがり、死にたがってる。
いったい誰のせいなんだ。
ママの腕に走っておゆき。坊や、馬鹿なことをするんじゃないよ。
本当のことをみんなお話し。そうすりゃママが教えてくれるよ。
 このバルコニーの下を行ったり来たりしてみても、
おまえはまだほんの子ども。女のことなどわかりゃしない。
まだこんなに若いんだ。おまえはほんの子どもだよ。
いったい何を考えてるの。ポール遊びでもしにおゆき。
その涙はどういうわけ。おゆき、笑わせないでおくれ。”……
といったぐあいに,マセた少年をユーモラスに皮肉った内容です。
 
 レコード ファウスト・チリアーノ、ダリダ。

   ⑤ シューベルトのセレナーデ

 シューベルトの歌曲の中でも最もよく知られ単独で歌われることも多い「セレナーデ」は、歌曲集「白鳥の歌」の第4曲であり、レルシュターブの詩による7曲のうちの1曲です。セレナーデは、恋人のいる窓辺でギターを奏でながら歌う歌なのですが、シューベルトのこの歌は伴奏がギターの感じを出しています。
 竹宮恵子は、本当はシューベルトの歌曲では「いずこへ」や「楽の音に寄す」の方が好きだそうですが、あえてこの曲を選んだ理由は、聴きやすさだそうです。
 ビクター少年合唱隊のコーラスをバックに日向理は、この歌を気品のある歌声で端正に歌い上げています。ただ、いわゆる2番を省略したのはなぜでしょうか。よいできばえだけに、それが惜しまれます。
 訳詞は、「音楽の泉」の解説で有名な堀内敬三。文語体の上質な恋の歌は、あからさまでなく秘めた情熱がすてきです。

秘めやかに 闇をぬう 我が調べ
静けさは 果てもなし 来よや君
ささやく木の間を もる月影 もる月影
ひとめもとどかじ たゆたいそ たゆたいそ

君聞くや 音にむせぶ夜の鳥
我が胸の秘め事を そは歌いつ
鳴く音に込めつや 愛の悩み 愛の悩み
わりなき思いの かの一節 かの一節   (省略されている)

深き心をば 君や知る
我が心 騒げり
待てる我に 出で来よ君
出で来よ

 ⑥ マルセーリーノの歌

 映画『汚れなき悪戯』のテーマ曲でもあるこの歌は今では小学校の教科書にも登場しています。このスペイン映画は、カトリシズムに貫かれたものですが、キリスト教徒でない私が何度見ても涙の止まらない映画でした。原曲の映画のサウンドトラック盤では、男声のソロと、マルセリーノ役のパブリート・カルボ少年と神父のセリフからなっていましたが、このレコードでは、ソロを河村卓也のボーイ・ソプラノと神父役のバリトンの平野忠彦というアレンジです。河村卓也は作為のない素朴な歌い方で6歳の少年の純粋さを表現しています。また、神父役の平野忠彦の歌の慈愛に満ちた表現はどうでしょう。少年と男声の掛け合いという歌はこのレコードでは、「グリーングリーン」でもみられましたが、実によくマッチしていると思います。なお、作詞はPablo Sorozabal とJose Maria Sanchez、Silva で、作曲はPablo Sorozabal の親子です。

   マルセリーノの歌
おはよう マルセリーノ おめめをさませ
お日様 野原で笑って見てる
マルセリーノ マルセリーノ 
可愛い天使
一日おもてで仔馬のように
マルセリーノ マルセリーノ
走っておいで

おたべよたんと
お行儀よく おあがり
オムレツ このパンも

よく鳴る鐘だ この鐘は
鐘つき坊さんお手伝い
ティリン タラン ティリン タラン

2と2はいくつ? 4つ
4と4は? 8つ
8と8は? 20!!
ばかなことを!

祈れ祈れ マルセリーノ
よい子はお祈りするのだよ

野原にゆうべぼ鐘がわたると
お空を見上げて母さんを呼ぶ
マルセリーノ マルセリーノ
まつ毛がぬれた
おやすみ マルセリーノ
夢をみながら

 ⑦ 「ピノキオヘの手紙」

 「カリシモ ピノキオ」って何だろう?この歌の冒頭を飾るこの言葉は、イタリア語に疎い私には十年近く謎でした。その後、どうもフォルテの最上級がフォルテッシモだから、可愛いを表すカーラやカーロの最上級のカリッシモではないかと推察するようになりました。合っているでしょうか?

 さて、この曲について、「世界の名曲とレコード」シャンソン・カンツォーネ編に(永田文夫著 S、42 誠文堂新光社)に載っていましたので、ご紹介します。
                     
 有名なサン・レモ・フエスティヴァルやナポリ・カンツォーネフェスティヴァルのほかにイタリアには数多くの歌祭りがあります。その中でも異色的なのが、ゼッキーノ・ドーロという催しで、これは1959年からはじめられた童謡コンクールです。北イタリアのボローニャでおこなわれ、歌い手は12歳以下の子どもにかぎられています。作品は専門の作詞・作曲家でなくても・素人でも応募することができ予選を通過した子ども向きのカンツォーネを、全国から選ばれたのど自慢の少年少女が,1か月の養成を受けて歌います。そして、審査員グループの採点と、会場の子どもたちの反応とによって第1位がきめられ,優勝曲を歌ったかわいい歌い手には、金貨のメダルがプレゼントされます。それゆえ、この催しは、金貨という意味の「ゼッキーノ・ドーロ」という名で呼ばれているわけです。
 「ピノキオヘの手紙」は、ゼッキーノ・ドーロの入賞曲の一つで、ジョニイ・ドレルリが歌ってヒットさせ、今日ではスタンダード・ナンバーとして愛唱されています。題にあるピノキオは,申すまでもなくコロッディ作の童話の主人公。木で作ったあやつり人形の名まえです。ディズニーの漫画などでもおなじみですね。このカンツォーネには,ピノキオと遊んだころの思い出が、やさしくつづられています。作詞・作曲はサン・レモ・フエスティヴァルの「夢みる想い」や「黒い瞳に青い空」などの歌詞を書いているマリオ・パンゼリ。

“かわいいかわいいピノキオ。楽しかった日々のお友だち。
ぽくの秘密のすべてを,ぽくはきみに打ちあけた。思いだすかい、
ぼくが赤ちゃんだった頃を‥‥。
白い小さなぼくのベッドで、ぼくはきみの服をぬがせ、
きみと話し、きみを夢みたものだった。きみはどこにいるの? 
きみに会いたいよ。きみの世界を知りたいよ。
多分ジェペットおじさんがきみといっしょにいるんだろうね。
それから、きみをだました猫はどこにいるの?
きみに話をした善良なこおろぎはどこにいるの?                                         
かわいいかわいいピノキオ。楽しかった日々のお友だち。
ぽくの秘密を、みんな知っている。あのころと同じように、
今でもぼくの心の中にいておくれ。”

レコード モノヨニィ・ドレルリ、ジェニィ・ルナ、ロベルティーノ

 ということで、あのロベルティーノも歌っているんですね。それにしても、荒川ひろしと竹宮恵子の訳はなかなか名訳です。もちろん、変声期に入りかけの久世基弘の名唱も忘れられません。

 ⑧ なんでもやるさ(ミュージカル『「オリバー!』より)

 ミュージカル『オリバー!』は、イギリスの文豪 チャールズ・ディッケンズの名作『オリバー・ツイスト』をもとにしたミュージカルで、ライオネル・バートの作詞・作曲により1960年にロンドンで初演されて以来、日本でも1968年のイギリスからの招聘公演(英語上演)、1980年の劇団四季が日生劇場で行った初の日本語上演、1990年の東宝による日本語上演、2021年のキャメロン・マッキントッシュの新演出による日本語上演と4度上演されています。このミュージカルナンバーは、原曲とは違った歌詞をつけて、早くも1960年代にNHKの「みんなのうた」で紹介され、「オリバーのマーチ“Consider Yourself”」「ウンパッパ“Oom-Pah-Pah” 」「なんでもやるさ“I'd do anything”」の3曲のナンバーは、子どもたちの人気曲になりました。この「なんでもやるさ“I'd do anything”」は、本来は、スリの誓いの歌なのですが、峯陽によって新たに作詞されたため、上質の友情の歌に生まれ変わり、「みんなのうた」でとり上げられて以来、今でも歌い継がれています。
 レコードでは加藤恵夫君と河村卓也君が一番ずつ歌っています。作為のない加藤恵夫君の歌と、器用で流麗な河村卓也君の歌が対照的です。

なんでもやるさ 君のために それが友達さ
どこへでも行くさ 君のために どんなところでも
つらいことだって、我慢してみせる
僕たちが二人力合わせてやれば、何でもできる
くじけないで、君と僕は友だちさ

なんでもやるさ 君のために それが望みなら
どこへでも行くさ 君のために 空の果てまでも
いじわるな雲が じゃまをしていても 
そのうちにきっと晴れるときがくるさ
何でもできる くじけないで
君と僕は友だちさ。

 ⑨ グリーングリーン

 この歌を最初に聴いたのは「みんなの歌」でした。晴れ渡る青空の下広い野原を駆け回る子ども達を背景にして歌われていたので、曲想も明るく爽やかな歌だなあというのが最初の感想でした。しかし、それは浅い聴き方でした。父子の会話からなる7番まである歌詞をよく読んでみると相当哲学的で重いものです。この世に生きる喜びや悲しみについて語り合える父子っていいなあ。しかも、息子は父の死を覚悟しています。
 そのとき、私の脳裏に浮かんだのは、幼い頃父がよく歌ってくれた楠木正成と正行父子の別れを歌った「桜井の訣別」とつながっているということでした。この歌は長調で描かれているのに、父が歌ってくれた歌は短調のように聞こえました。全くつながりのないこの二つの歌がつながりのある歌に感じられたのです。また、「小さな木の実」ともつながっているように感じます。
 この曲は、B.Mcguite Rspark作曲で片岡輝の作詞ですが、訳詞というより作詞と言ったほうがよいでしょう。
原曲では、「パパ」は登場せず、「ママ」が登場するのです。
http://www.sound.jp/childrensongworld/greengreen.htm(参照)
 なお、この曲は映画「哀しい気分でジョーク」の主題歌としても使われています。息子を失う喜劇俳優の父親役をビートたけしが好演していました。
 レコードでは、歌はバリトンの平野忠彦の父親とボーイ・ソプラノの河村卓也の息子の掛け合いという形で進められます。この掛け合いが実に美しいのです。

   グリーングリーン

1 ある日
  パパとふたりで 語り合ったさ
  この世に生きる喜び
  そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン
  青空には 小鳥が歌い
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がもえる

2 その時
  パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
  つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと              
  グリーン グリーン
  青空には そよ風ふいて
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がゆれる

3 ある朝
  ぼくは目覚めて そして 知ったさ
  この世に つらい悲しいことがあるってことを
  グリーン グリーン
  青空には 雲が走り
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がさわぐ

4 あの時
  パパと 約束したことを守った
  こぶしをかため 胸をはり
  ラララ ぼくは立っていた
  グリーン グリーン
  まぶたには なみだがあふれ
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がぬれる

5 その朝
  パパは出かけた 遠い旅路へ
  二度と 帰って来ないと
  ラララ ぼくにもわかった
  グリーン グリーン
  青空には 虹がかかり
  グリーン グリーン 
  丘の上には ララ 緑がはえる

6 やがて
  月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
  パパの言ってた
  ラララ 言葉の意味を
  グリーン グリーン
  青空には 太陽がわらい
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑があざやか

7 いつか
  ぼくも 子供と 語り合うだろう
  この世に生きる喜び
  そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン
  青空には かすみたなびき
  グリーン グリーン
  丘の上には ララ 緑がひろがる
   桜井の訣別

1 青葉茂れる桜井の
  里のわたりの夕まぐれ
  木の下陰に駒とめて
  世の行く末をつくづくと
  忍ぶ鎧の袖の上に
  散るは涙かはた露か

2 正成涙を打ち払い
  我子正行呼び寄せて
  父は兵庫へ赴かん
  彼方の浦にて討死せん
  いましはここまで来れども
  とくとく帰れ故郷へ

3 父上いかにのたもうも
  見捨てまつりてわれ一人
  いかで帰らん帰られん
  この正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に
  御供仕えん死出の旅

4 いましをここより帰さんは
  わが私の為ならず
  己れ討死為さんには
  世は尊氏の儘ならん
  早く生い立ち大君に
  仕えまつれよ国の為

5 この一刀は往し年
  君の賜いし物なるぞ
  この世の別れの形見にと
  いましにこれを贈りてん
  行けよ正行故郷へ
  老いたる母の待ちまさん

6 共に見送り見返りて
  別れを惜む折りからに
  復も降り来る五月雨の
  空に聞こゆる時鳥
  誰れか哀と聞かざらん
  あわれ血に泣くその声を





















 ⑩ 君、恋し君

 「ドイツ民謡」と解説書には書いてありますが、どちらかというとドイツ学生歌に分類した方がよさそうな歌です。日本でも慶応大学ワグネルソサエティー男声合唱団などの持ち歌になっています。俗っぽく言えば、大学生たちのコンパで歌われる歌ですが、アルコールが入る場面で歌われていても品格のある歌です。なぜなら、この歌が誕生した当時のドイツでは、大学で学ぶことのできる者は、超エリートであり、それだけに自らに誇りをもっていたに違いありません。その辺りの事情は、ウィルヘルム・マイアー=フェルスターが脚本化した『アルト・ハイデルベルグ』や、それをロンバーグがミュージカル化した『学生王子』を参照すればよいでしょう。今からすれば大時代的でさえある「学生王子のセレナード」や「我が心君に深く」も、プライドのある歌です。
 日本語訳にあたっても文語体のため、恋の歌でありながら禁欲的にさえ聞こえます。そのため、ナポリ民謡の系列にあるディ・カプア作曲の「マリア・マリ」のようなあからさまな恋の歌よりも、秘めたる情熱を感じます。レコードでは、日向理のまっすぐな透明感のある歌が、よい効果を現しています。

   君、恋し君(我が心の花)
君恋しつつ、我慕うも
君つれなくも 心見せぬよ
ラララ ヤアヤアヤアヤア
心見せぬよ

離れていても、胸燃やしつつt
君胸燃やしつつ 幸の日を待つ
ラララ ヤアヤアヤアヤア
幸の日を待つ

 ⑪ 逃げた小鳥

 この憂いに満ちた曲を最初に聴いたのも「みんなの歌」でした。1960年代の「みんなの歌」は、外国の曲に日本の歌詞をつけるという曲が多くあり、原曲から離れた歌詞でありながら、その曲の持ち味を引き出したものが多くあります。「逃げた小鳥」の原曲は、ポーランド民謡と表記されているものもありますが、正確には 薩摩忠作詞,. シゲチンスキー作曲,ということです。番組で歌っていたのは「西六郷少年合唱団」ということですが、番組で、あえて「少年少女合唱団」と表記していなかったのは、少年だけによって歌われていたのではないかと思います。竹宮恵子は、「小鳥」とは、かけがえのない友人や恋人ではないかと注釈を入れていますが、果たしてこの歌の原曲の歌詞は、「小鳥」だったのでしょうか。
 さて、歌では「に・げ・た」というテンポの微妙な美しさはシャンソン風です。また、「からのかごをかかえながら僕は探しまわる」という山場の部分には、胸をかきむしられます。レコードでは、変声期に入った中2の久世基弘が「僕は探しまわる」「探すよ」と一人二重唱を聴かせてくれます。レコードだからこそできる高等技術ですが、この効果が活かされて大きな盛り上がりを作っています。

   逃げた小鳥
ぼくの小鳥 雪のような 白い鳥が逃げた
こちらの屋根 あちらの木々 どこにもいない
からのかごをかかえながら ぼくは探しまわる(探すよ)
 ぼくの小鳥 逃げた小鳥
 おまえはどこにいる

ぼくの小鳥 笛のように 歌う鳥が逃げた
小鳥だって せまいかごは 嫌いだろうが
窓の外は 嵐も吹く 恐い鷹もいるよ(いるんだ)
 ぼくの小鳥 逃げた小鳥
 おまえはどこにいる

⑫ グリーンスリーヴス

 イングランドの最も古い民謡で、エリザベス朝時代(16世紀後半頃)によく歌われていたそうです。この詩は、ヘンリー8世が1530年ごろ、アン・ブーリンに求婚したときに書いたという説もあります。この歌は、シェイクスピアの劇の中でも言及され、1962年のアメリカ映画「西部開拓史」の挿入歌となり、”What child is this?”という歌詞でクリスマスキャロルとして歌われています。また、映画「青きドナウ」の中でも練習でトニーが独唱します。と言うよりも、この歌はウィーン少年合唱団の十八番です。さらに、ビートルズが「愛こそはすべて」のエンディングで使用してみたりと、多くの人々に長く愛されてきた名曲です。
 ゆっくりしたテンポの曲のため、肺活量の少ない少年にとっては息継ぎが難しい曲です。日本のボーイ・ソプラノとしてはたっぷりした声量の日向理によって歌われていますが、息継ぎには苦労したと制作ノートに記されています。

   グリーンスリーヴス
緑の並木に そよ風吹く頃
僕の心も 緑にもえる
君と共に 語る日近いと
ばら色の雲が 呼びかけて 過ぎていった
 
緑の並木に そよ風吹く頃
僕の心も 緑にもえる
君と共に 楽しく語れと
そよ風は今日も ささやいて 過ぎていった     

 日本の歌~天使のハーモニー

 A面 荒城の月/夕やけこやけ/もみじ/ふるさと/冬げしき/ふじ山/春の小川/さくらさくら/うみ
  B面 おぼろ月夜/日のまる/夏の思い出/赤とんぼ/浜辺の歌/子もり歌/椰子の実/花/春がきた

「日本の歌~天使のハーモニー」は、ビクター少年合唱隊が発表した最後のアルバム【昭和54(1979)年録音・昭和55(1980)年発売】です。このアルバムの吹き込みの直前に、先の『過ぎ行く時と友達』のレコーディングが入ったために、従来のような2枚組のCDではなく、「日本の童謡・唱歌・歌曲」に特化したものとなったようです。これまでにも、「天使のハーモニー」シリーズの中で、童謡・唱歌・歌曲は採り上げられてきました。例えば、「われは海の子」は、2回目のレコーディングになります。レコードジャケットの表面は当時発売されていた日本の童謡・唱歌の記念切手がちりばめられ、裏面は、レコーディングに参加した隊員の名前の一覧が記載されています。これはこれまでになかったことで、よく読んでいくと『過ぎ行く時と友達』で活躍したソリストの名前が並んでいます。ただ、「荒城の月」のような独唱曲は別として、合唱曲は、これまでの童謡・唱歌としてレコーディングされたものと違って、編曲のせいもあるのかもしれませんが、かなりポップスの影響を受けている感じがします。
なお、この傾向は、40年後のソプラノ♪7ボーイズの編曲によって、一層はっきりしてきました。

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