プロフィール
 TOKYO FM少年合唱団は、ビクター少年合唱隊を前身とし、昭和60(1985)年4月FM東京開局15周年に誕生し、平成2(1990)年にステーションネーム変更に伴い、現在の団名になっています。
 団員は小学1年生から6年生までで、小学校卒業をもって卒団とし、ボーイ・ソプラノの響きにこだわっています。団員の組織は、入団した年は何年生でも予科生であり、2年目から本科生になれるというシステムをとって、音楽の質を高めるようにしています。毎年12月のクリスマスコンサート、3月の定期演奏会の他、内外のオペラ出演、CMソング、アニメ作品吹き替えやゲームソフトの録音等広範囲な活動をしています。また、伝統的に優れたソリストも育っていますが、それは、一人一人が確かな力をつけている証でもありましょう。
 指導者陣も、ビクター少年合唱隊時代から長年にわたって中心的に指導していた北村協一・太刀川 悦代を中心とする集団指導体制でありましたが、現在は米屋恵子を中心にして、指揮者には作曲家の佐藤宏やオペラ指揮者の須藤桂司を迎えていましたが、最近は佐藤宏が専任で、定期演奏会では自作の曲をプログラムに採り入れているようです。そのような指導者陣の変遷により、そのめざす歌声が歌にも反映して少しずつ変化しています。ヨーロッパと日本が融合したような繊細な音色から、より豊麗さを求める歌声に。団員数は、約20年間、毎年約40人台後半から60人台前半です。この数字を維持することは、現在ではなかなか難しいことです。また、オペラ『カルメン』や『ボリス・ゴドゥドノフ』等ののオペラの少年合唱にも選抜された団員が参加しています。

 

 ビクター少年合唱隊

  ビクター少年合唱隊は、昭和36(1961)年に東京都内の小学校4〜6年生の男子で構成、新しい音楽教育の要望にあった少年合唱隊をという主旨で設立されました。その後、隊員は小学校1年生から募集するようになり、最大時は120名を越える大所帯であったといいます。 
 指導者陣は少しずつ異動していますが、名指揮者北村協一を中心としており、レコード会社の附属機関であったために、これまで多くの録音を残しています。とりわけ昭和49(1974)年から53(1978)年にかけて、「天使のハーモニーシリーズ」として、毎年2枚ずつ計10枚・ 140曲の歌を残しています。これは、唱歌や従来の児童合唱曲に加え、当時流行していたフォークソングや、各国の民謡等を集大成したものです。この合唱団の発声は、純粋なクラシックの発声ではありませんが、男の子らしい生き生きとした歌声であり、全体として、爽やかな仕上がりです。この発声の理念は外国の少年合唱団の模倣ではなく、日本の少年ののどにあった発声を求めていたと考えられます。また、ソリストが大変個性的で、独唱曲も何曲かあり、合唱曲の中にも、かなり独唱部分がみられるのが、このシリーズの特徴です。名前は記載されていませんが、「荒城の月」を歌う少年の抒情的な歌唱、「カリンカ」を歌う少年の声の輝かしさ、「二人の天使」のスキャットを歌う少年の巧みさなどが心に残っています。
 さて、ビクター少年合唱隊時代の「天使のハーモニー」シリーズの5年間の中でも、変化は見られます。この「天使のハーモニー」シリーズは発売当時に買ったものですが、その後日本にこれだけの少年合唱曲集はないと言う点でも貴重なLP集です。この文を書くに当たり、通して聴くと新たな発見がありました。
 まず第1は、1974年〜1878年の5年間でも歌声が3回ぐらい変化していることです。第1集と、第2・3集と第4.5集の間には違いがあります。第1集は、爽やかな少年合唱という雰囲気、第2・3集はフォークポップスに挑戦のため活動的でややクラシックから遠ざかり、第4.5集で、ポップスにも挑みながらまたクラシックに戻りつつあるという感じです。
 第2は、日本民謡をアレンジしたものが購入した当時より好きになってきたことです。当時はむしろ1回聴いたきりだったものもあります。
 第3は以前より好きだった「みんなの歌」で取り上げられたような外国曲は、やっぱり今でも好きだという少年時代の刷り込みの影響が大きいことです。今のTOKYO FM少年合唱団のさらっとしたヨーロッパ的な清澄な響きと比べると、いかにも日本の少年らしい歌という感じがします。しかし、これにはまた格別の味わいがあります。
 漫画家の竹宮恵子がボーイ・ソプラノによるレコード「ガラスの迷路」と「過ぎゆく時と友達」を企画・制作したときに、ソリストたちをこのビクター少年合唱隊から選んだのもうなずけます。さて、昭和54(1979)年に発売された「過ぎゆく時と友達」は、竹宮恵子好みのボーイ・ソプラノの美しさを生かした12曲の独唱曲(一部バリトンの平野忠彦や少年合唱とのかけ合いもある)が収められています。このようなレコードは、それ以前にもなく、それ以後にもない点で貴重ですが、できばえの方も優れたもので、日本のボーイ・ソプラノのレベルが上がってきたことを感じさせます。歌は、歌曲、映画音楽、カンツォーネ等いろいろなジャンルの曲が含まれているので、同じ基準では評価できません。5人の少年が歌っていますが、とりわけ、河村卓也の歌い回しのうまさと、日向理の歌の気品に心をひかれました。なお、日向理は、変声後バリトンとして高校時代、毎日学生音楽コンクールの代表として全国大会に出場し、シューベルトの「春の信仰」を歌ったのをラジオで聴いたことがあります。また、東京芸術大学声楽科在学中から劇団四季からスカウトされ、卒業と同時に入団。「オペラ座の怪人」「ジョン万次郎の夢」などに出演。卒業後も、オペラからミュージカルまで幅広い音楽活動を行いました。平成13(2001)年秋、長年の夢であったうたのおにいさんのオーディションに合格。「ひなたおさむ」の芸名で、番組開始の平成14(2002)年4月から平成22(2010年3月まで8年間出演。番組終了後はポコポッテイトに出演しています。また、久世基弘は、爽やかで真っ直な歌声の持ち主ですが、「ガラスの迷路」でも歌っており、ソプラノからアルトへと変声していく過程が記録されていて興味深いものになっています。このLPは、クラシックのレコードとしては異例のベストセラーとなり、ビクター少年合唱隊の人気を高め、その当時の定期演奏会にはなかなか入場できないといった現象が起きました。しかし、急激な児童合唱のブームの衰退にともない昭和59(1984)年4月にビクター音楽産業が経営撤退。名目上のビクター少年合唱隊は解散に追い込まれました。しかし、「狼少年ケン」(東映昭和38(1963)年「サンダーバード」(朝日プロモーション/東北新社昭和41(1966))の各テレビ主題歌や「青雲」(日本香堂昭和53(1983)年のCMソングなど、同じ世代を生きた人にとって忘れられない歌声を世に送っています。
 ビクター少年合唱隊は、設立後定期演奏会はもとより、オペラ・テレビなどに活躍して、團伊玖磨のオペラ「夕鶴」の決定盤と呼ばれる昭和45(1970)年に録音した合唱の歌声は今でもCDで聴くことができます。また、当然のことながら、活動は東京が中心であり、「歌はともだち」などにも出演したそうですが、残念ながら私はテレビ出演を見ていません。あるいは見ていたのかもしれませんが、記憶にありません。なお、広島少年合唱隊は、初期において組織作り等ビクター少年合唱隊に学んでいるそうです。

    
TOKYO FM少年合唱団


 昭和59年、ビクター少年合唱隊は親会社の経営上の問題から解散を余儀なくされましたが、TOKYO FMが創立15周年の事業として、そのまま引き継ぐことになり、TOKYO FM少年合唱団として再生することになりました。
 さて、現在入手できるTOKYO FM少年合唱団のCDは、「手紙」「ずっと、ずっと」「いのちの詩〜地球讃歌」あるいは「くまのプーさん クリストファー・ロビンを探せ」などです。そこでは、合唱と同時にソリストの大塚宗一郎や白尾佳也の歌唱を聴くことができます。聴き比べると約40年前の初期の録音と比べると歌声はの歴史の中で少しずつ変わってきていることがわかります。
 今はちょうど日本とヨーロッパの少年の歌声が融合したような感じを受けます。しかし。詩情豊かな歌心はずっと変わっていません。特に人に対する思いやりがこれほど歌に感じられるとは嬉しい驚きです。
 私は平成10年12月23日に、TOKYO FM少年合唱団クリスマスコンサート以来定期演奏会と併せ何度かTOKYO FM少年合唱団のステージに接していますが、どれも日本の少年合唱としては最高水準と言ってよいほどの演奏でした。とりわけ、少年版「アマールと夜の訪問者」は、母親役の太刀川悦代以外のすべての出演者が少年合唱隊員であり、この合唱団が国内のオペラをはじめとする各種コンサートにソリストとして、あるいは合唱団として重用されているわけが分かりました。

  TOKYO FM少年合唱団は、各種オペラにも出演していますが、それらのうち『魔笛』『トゥーランドット』は、「コンサート・レポート」の「オペラ」のコーナーに移設します。

 
TOKYO FM少年合唱団  クリスマスコンサート
平成10(1998)年12月23日(水・祝) TOKYO FM ホール


 (開幕前)

 12時40分ぐらいにTFMホールに着くと、もう合唱団員は集まっていて親睦会のお母さん方やOBの方が準備をされていました。チケットを買って、近くの町をぶらぶらしましたが、今日は歩く人も少なめ。もう少し早く来たら皇居の一般参賀にも行けたのになあ・・・・・
 1時15分ごろから並んで待ちました。260の座席は満席で立見もできるほど、でも、この広さは少年の喉にはちょうどよい広さかもしれません。感心したのは来ていた就学前の子どものマナーの良いこと。特に私の斜め前の坊やは、お父さんの膝の上でおとなしく観劇していましたが、言葉がとてもきれい。こんな子どもを見るのは本当に久しぶりでした。TFBCの少年たちはこういう観客に支えられているのか!舞台は演奏者と観客によって作られることを改めて感じました。

 (「アマールと夜の訪問者」)

 このオペラの題名は知っていましたが見るのは初めてです。アマール役は村田悠典君、やや細めですが清純な声質で、貧しさの中でも美しい心を失わない少年という感じがよく出ていていました。太刀川先生演ずるお母さんとの二重唱はせっせつと心に染みる歌でした。三人の王様では特に幸道嘉貴君の芸達者が心に残ります。しぐさだけでなく、声にも演技力を感じました。白尾佳也君は変声期の最中なのに、よくがんばっているなあという真剣さが伝わってきました。田口裕也君は好きな声質ですが、目の演技がいいなあ。また、村人を演ずる少年たちの踊りがうまいのも意外な発見でした。ストーリーは解説書を読めばわかっていても、やはり、アマールの松葉杖を捧げようとするときのけなげさには、心を動かされてしまいます。ああいうのに弱いんです。おうちが何かの宗教にかかわっている子どもの中には、時々我々がタテマエと思っていることをホンネとしてやることがあるんです。アマールの行動を見ているとそういうことを思い出させます。少年たちが演ずることで、このオペラがもっている聖なる部分がより強調されたのではないでしょうか。

 (クリスマスキャロル)

 ボーイソプラノには聖歌がよく似合うことを改めて感じました。去年と同じ編曲ということですが、それだけに歌い込まれている安定感があります。しかも、つぼを押さえた北村先生の指揮は少年たちからよいものを引き出しています。特に気に入ったのは、「マリアは歩みぬ」と「ママがサンタにキッスした」。「マリアは歩みぬ」のソロを歌う鈴木雅也君の歌声は、たった一節でも心を奪われる美声!しかも、歌声を姿に表したような美少年・・・天は二物を与えたという感じです。「ママがサンタにキッスした」はリズム処理がいいのと楽しめる演出。こういう歌、もっと子どもの間で歌われないかなあなんて思いました。

 (閉幕後)

 楽しく心温まる二時間が過ぎて、しばらく残っていたら、合唱団員の解散の場面に立ち会うことができ、素顔の少年たちにも触れることができました。山口先生が、
「表舞台だけでなく、裏方があって成り立っていることを忘れないように。」
ああ、こういう教育がここでされているんだな。終わってからも何かとてもよいものを見ることができました。残っていたおかげで、太刀川先生や山内さんにもご挨拶できたし、偶然ですが、解散後も残っていた白尾君に声をかけることもできました。
「くまのプーさんのビデオ、買いましたよ。手の怪我お大事にね。」
その後もOBの青年たちは黙々と後片付けを。昨日はいろんな意味で目いっぱい楽しんできました。


 
TOKYO FM少年合唱団  クリスマスコンサート
平成11(1999)年12月19日(日)  TOKYO FM ホール


 (開幕前)

 新幹線からタクシーに乗り継いで1時ぐらいにTFMホールに着くと、親睦会のお母さん方やOBの方が準備をされていました。去年、「アマールと夜の訪問者」に出演した卒団生の姿が、ガラス越しに見えたりして、懐かしい気持ちにさせます。この日も客入りはよくて、260の座席は満席で立見もできるほど。この日の席は、招待席の前の席。去年は、アマールの家の入り口ドアの前辺りで見ましたが、この日は、ベッドの前の席で、楽器が視界に入らない超S席でした。

 (「アマールと夜の訪問者」)

 去年見て感動したので、1年間このオペラのCDを探したのですが、現在は、輸入版も廃盤でないそうです。米屋先生の司会で、ピアノの藤井隆一さんとシンセサイザーの星谷丈生さんが、卒団生で、星谷さんは在団中アマール役を演じたということが紹介されました。見るのが二回目になると、見どころ・聴きどころも分かります。また、「泣く泣くもよいほうを取る形見分け」ではありませんが、どうしても前回見たものと比較してしまうのはしかたありません。今年は誰がどの役を演じるのだろうとプログラムを見ていると、アマール役は小澤佑太君、清らかでまっすぐな声質で、何よりも歌詞の言葉がはっきりしています。この系列の声をもった少年はTFBCには必ずいるのでしょうね。演技力もなかなかのもので、自然な演技ができていました。三人の王様、おいしいところ一人占めのカスパール王は、鈴木雅也君。去年は、アマール役でしたが、きっとこの役ははまり役だったと推察します。しかし、この清純な声質の少年は、声にも演技にもくさみがありません。それが少年らしさでもあるのですが。さて、「フィガロの結婚」で女性声楽家は、デビュー当時は、ケルビーノを、次にスザンナを、年配になると伯爵夫人を演じるようになると聞きましたが、少年が1年や2年でそういうふうに成長することは至難の業です。むしろ、素材をいかに生かすかが大切だと思いました。メルヒオール王とバルタザール王を歌った秋津瑞貴君と村上賢君は、存在感のある品格のある堂々たる体格。表情や一つ一つの動きにも風格が感じられます。歌声は鍛えられているので確かなものでしたが、会話のセリフを聴くと惜しいかな、もう変声期にかかっていました。魅力あるアルトを育てるのはソプラノを育てるよりも難しいのかと思いました。従者も「泥棒!」という叫びからあとの演技はなかなか迫力がありました。きっと従者や村人の中から未来のアマールや王様が生まれるのでしょう。
「僕もあの役をやってみたい。」
そんな憧れが少年を育ててくれるのだと思いました。

 (クリスマスキャロル)

  去年とほぼ同じ編曲ということですが、「マリアは歩みぬ」にソロ部分を増やしたり、「ママがサンタにキッスした」の最初の部分をデュエットにしたりと、細かい部分の工夫が目に付きました。「お部屋をかざろよ」だけが新曲ですから、毎年のように歌い込まれていて安定感があります。北村先生も、ツボを押さえながらも、楽しめる演奏をしてくださいます。今年は、「マリアは歩みぬ」のソロを歌う鈴木雅也君の歌声がたっぷり聴けて幸せな気持ちでした。この少年の持ち味はこのような曲にこそ最大に発揮されます。・・・血に染み白鳥というところなどぞくぞくしました。心に残ったことを挙げてみますと、村田悠典君のソロも、やわらかで清純でよかったですが、「きよしこの夜」を歌った高橋理顕君のオブリガートがなかなかのものでした。

 (閉幕後)

 この日は、翌日があるということで、諸連絡だけで解散でした。オペラ「アマールと夜の訪問者」を少年達は真剣に演じていましたが、全体的に昨年よりやや薄味でした。それでも、何度見ても、結末がわかっていても心惹かれるのは、貧しい中でも、美しい心を失わないアマールに神の恵みがあるというストーリーに夢があるからでしょう。クリスマスキャロルは、歌い込まれることによって、ますます磨きがかかっているという感じがしました。


 
TOKYO FM少年合唱団第16回定期演奏会
平成12(2000)年3月12日(日) きゅりあん大ホール

                                                                                            
 前日から泊まりがけで、東京見物を兼ねてTOKYO−FM少年合唱団第16回定期演奏会に行って来ました。定期演奏会に行くのは初めてなので、クリスマスコンサートでは見られないものを一つでも多く発見しようという想いでした。また、今回はKiyoshiさんと一緒に鑑賞しようということになりました。こういう人間関係が生まれるのも、インターネットのもつ可能性です。
 JR大井町駅前にあるきゅりあん大ホールはデパートの8階という珍しい場所にありました。大阪でいえば近鉄劇場というところでしょうか。プログラムを見ると、演目は第1部「ぼくらのレパートリー」第2部が「11ぴきのネコ」という2部構成。毎月のようにあるオペラやCM出演等の合間に定期演奏会の練習するのですから、それをやりこなす少年たちは大したものだと感心します。この日はKiyoshiさんと並んで、前から2列目のソプラノパートの前あたりで鑑賞しました。この位置だと、ドラムの長谷陽介さんはピアノの陰で見えませんが、少年たちの表情は実によくわかります。舞台の下では小さい少年でも、舞台に立つと大きく見えるのが不思議です。また、少年達の名前と顔と声が一致することで、鑑賞する楽しみは倍増します。何度か通うことで、そういうことも可能になってきました。

   「ボーイ・ソプラノの図鑑」

 幕が開いて、「おお、牧場はみどり」が始まると、TFMのマークの入った緑のトレーナーに紺の半ズボン、白いハイソックスの少年たちが全員3段に並んでいるではありませんか。人数がついに50人を割ったこともあるのかもしれませんが、予科や本科1年が段の下というこれまでの扱いとは違うものが見えました。そのせいか、小さい少年たちもみんなすごく張り切っているということが伝わってきます。最初の挨拶や曲目の解説は卒団する6年生。中には既に変声期を迎え、透明度の高い声を失っている少年もいましたが、きちんとした態度で挨拶します。そういう姿を見ると「最後までご苦労様」と声をかけてあげたくなります。変声期に入っても歌う喜びを失わないということはなんとすばらしいことでしょう。また、そういう指導をされていることに感銘を受けました。それにしても、この合唱団は、合唱だけでなく個性あるソリストをうまく育てています。素材を生かすということになるのでしょうが、それが最高によく現れたのが「さとうきび畑」です。今、ボーイ・ソプラノのピークに上り詰めようとしている村田悠典君は、声の清純さと歌心にますます磨きがかかってきました。和田浩智君は、ややマスクのかかったような声。しかし、この声が、歌に秘められた悲しみを確実に伝えてくれます。高橋理顕君のよく伸びる声でのオブリガードも、ひときわ光っていました。「ボーイ・ソプラノの図鑑」という表現は至言です。鈴木雅也君の気品あるソプラノを聴けるのもこれが最後かもしれません。まだ2年ぐらいこの声で歌えそうなので残念ではあるのですが。
 第1部のメインとなる金子みすゞの詩による童謡歌曲集5曲は、短くても美しいものでした。しかし、そのわりに印象が希薄なのはどうしてでしょう。まだ、聴き込み方が足りないということかもしれません。第1部の最後は「一千億の夢」。これは、少年合唱の醍醐味を味わえる名曲で、この合唱団が好んで取り上げている理由がわかります。ときにはたおやかでありながらも、夢を捨ててしまわないように…というところから大きな盛り上がりを見せ、情熱の火を燃やすのだ!と激しく歌われるこの歌の命を少年たちは過不足なく表現していました。

   めちゃくちゃおもろいやんか!

 第2部の「11ぴきのネコ」は再演です。再演されるということは、以前好評だったからに他なりません。ところで、このような劇は、あまり学芸会では取り上げられないでしょう。なぜなら、11ぴきのネコといっても、主演のニャン太郎は知恵と勇気をもっている圧倒的なリーダーで、あとの10ぴきは個性があるといっても、全員合わせてもニャン太郎1ぴきに及ばないという設定です。こういう設定は、横並び平等思想の日本の学校ではまずいのかもしれません。だから、どの子にもみんなせりふを与え、主人公があってないような劇としてはいささか面白くないものが学芸会で取り上げられることが多いのです。
 さてこの劇は、キャット君とフード君が狂言回しをやり、コテコテの大阪弁の漫才で人物紹介や進行役を務めていきます。二人の体格の差、もっている雰囲気の差ががオール・阪神、巨人という感じでいい味出していました。
 まあ、大阪に住んどるもんからすると「ちょっとアクセントちゃうなあ。」というとこもおましたけど、短い間によう勉強しはったんちゃいまっか。ぼけとつっこみの掛け合いおもろおましたで。わても、思わずわろてもうたがな。
 えっ、ニャン太郎役の村上賢君って、こんなにハンサムだったの?最初出てきたときの第一印象です。これまで、顔の半分ぐらいある大きなめがねをかけた姿や、黒塗りのバルタザール王役しか見ていなかったので驚きました。いや、主役にはこういう華がなくてはいけません。舞台に立った瞬間から、体格的にも優れたニャン太郎はこのネコ集団の圧倒的なリーダーであることがわかります。セリフの声からすると、もう変声期にかかっているようでしたが、歌は確かなものを聴かせてくれました。また、このリーダーに絡んでいく秋津瑞貴君演じるネコの不良っぽさも秀逸でした。ただ11ぴきもいると、それぞれの個性を一度見ただけですべて掴むことはできませんでした。また、歌部分とセリフ部分に分けてみると、歌部分はよく磨かれていましたが、セリフ部分では欲しい食べ物を列挙していくところなど、さらにたたみかけるようなつながりが欲しかったです。
 この曲、音楽的には、いろんな要素のごった煮で「猩々寺の狸囃子」「東京音頭(薩摩の小原節が下地にありそう)」軍歌に多く用いられる「ぴょんこ節」や「子守歌」までの15曲が一つの統一性をもっていますし、何より演劇的な面白さがあります。衣装もネコ耳としっぽをつけ、いろんな模様のTシャツを着ていましたが、これは簡素でありながらよい効果を表していました。
 
   終演後

 教会音楽に源流を発する少年合唱はともすると生真面目な音楽という印象をもたれがちですが、「11匹のネコ」のような面白いものに挑むことも、その可能性を広げるという意味でよいことだと思います。ただ、こういう催しがいわゆる関係者以外にほとんど知られていないところが残念です。マスコミは少年合唱といえば外来のものばかり取り上げ、日本にもこんなよいものがあるのに知らせようとしないことが残念です。マスコミは流行づくりとしてではなく、こういう世界を取り上げて欲しいものだと思いました。 


 
TOKYO FM少年合唱団第17回定期演奏会
平成13年(2001)3月4日
(日 きゅりあん大ホール


 今年も、昨年に続いて前日から泊まりがけで、東京見物を兼ねてTOKYO FM少年合唱団第17回定期演奏会に行って来ました。定期演奏会を鑑賞するのは、ビデオを入れると3回目になります。そうなると、どうしても比較ということをしてしまいます。古い川柳に「泣く泣くもよい方をとる形見分け」というのがありますが、まさにそのような見方をするようになります。そのようなわけで、少し辛口になるとは思いますが、TOKYO−FM少年合唱団は、日本の少年合唱界の横綱であるが故に、課題を含めた評を書いていきたいと思います。また、昨年はプログラムを追った評をしましたが、今回は、ちょっと違う角度からアプローチしましょう。

  プログラム構成

 よいコンサートは3つの要素(よい曲とよい演奏者とよい観客)によって成り立っています。この3つが揃った場合、すばらしいコンサートになります。確かに、今回のプログラムの曲を少年たちは好演しました。しかし、曲の構成に盛り上がりが乏しかったことは否めません。第1ステージの愛唱歌、第2ステージ金子みすゞの詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」、第3ステージ勇敢な少年のための音楽劇「ぞっとする話」という構成のうち、第3ステージを活かそうとするなら、第2ステージの扱いに工夫の余地が残ります。「陽」と「陰」の組み合わせとそのバランスこそが大切ではないでしょうか。
 第1ステージは、いわゆるTOKYO−FM少年合唱団の愛唱歌といった選曲で、「それゆけ3組」の爽やかな演奏に始まって、大阪弁を駆使した「お疲れさん」や、手話を取り入れた「Believe」など多様で少年らしさを強調した選曲がよかったと思います。山口先生のはつらつとした指揮も好感がもてました。日本の少年合唱団は、ヨーロッパの聖歌隊やアメリカのショーアップされた少年合唱団のまねをするのではなく、独自の道を探る必要があると思いますが、第1ステージには、それが感じられました。
  第2ステージの金子みすゞの詩による童謡歌曲集は、今回は昨年度の5曲から8曲へと増えました。どれも小さいながら美しい曲です。しかし、ソロやデュエットやオブリガードを前面に立てるなど演奏形態に工夫をしているわりに1曲1曲の印象が希薄なのはどうしてでしょう。昨年の5曲はビデオで繰り返し見ましたが、印象が希薄であるという初発の印象は変わりませんでした。中田喜直の追悼と銘打つならば、「夏の思い出」「小さい秋見つけた」「雪の降る街を」といった代表作をメドレーで歌った方が、もっと盛り上がったのではないでしょうか。知られざる名曲を掘り起こすことにも意義がありますが、それは、他の曲とのバランスにおいてこそ生きてきます。
 第3ステージの音楽劇「ぞっとする話」は、再演ということですが、有名というにはほど遠い曲ですから、簡単なあらすじをプログラムに入れておくことが必要かと思います。それによって、見どころもわかってきます。昨年の「11ぴきのねこ」と比べて、暗い作品ですので、終わったあと、大きな盛り上がりを見せる「一千億の夢」を入れて気分転換を図ったのはよかったと思います。

  舞台衣装とマナー

 幕が上がって、「おお牧場はみどり」の伴奏が始まると、出てきた団員は、舞台に向かって左の予科生が緑のトレーナーに紺の半ズボンに白いハイソックス。右の本科生がダブルのブレザーに長ズボンというスタイル。この衣装は、第2ステージの終わりまで変わりませんでした。ところで、この二つの衣装は、補完関係にあるとも言えましょう。前者は元気なかわいらしさを、後者はりりしさと気品を表しています。この二つの側面は日本の少年合唱になくてはならない要素でしょう。それならば、多少更衣に時間がかかっても第1ステージは、全員半ズボンで登場した方が、曲想とも合っていたのではないでしょうか。そうすることによって、第2ステージとの対比も生きてきたように思います。
 また、第3ステージの衣装は主役級を除けば、不気味なマスクと「アマールと夜の訪問者」の衣装の転用です。主役級の少年を除けば、無個性、無表情にしておく必要があったのかもしれませんが、不気味なマスクは、公共広告機構の「やめよういじめ」を連想させ、陰鬱さが漂っていました。また、「アマールと夜の訪問者」の衣装の転用は、この劇の場合はそれなりの効果を出していました。ただ、この衣装の多用には、問題を感じます。(ビデオで見た一昨年の「わらべうた」では、緑のトレーナーの上から、この衣装を羽織っており、白いハイソックスと不気味なミスマッチをしていました。このような歌を歌う場合には浴衣でも着せたらよかったと思います。)
 といったわけで、各ステージの雰囲気と衣装には密接な関係があると思います。舞台衣装は、少年達を夢の国の王子様にしてくれるものであってほしいものです。ここ数年、男子のシャツ出しのハーフパンツ、女子のルーズソックスといっただらしないダボダボ系の服装が、子どもまでを汚染しています。(古い感性とか過激なセリフと言われてもあえてこの言葉を使いたい。)子どもの頃に身に付いた美意識は一生を支配します。そんな意味で、少年合唱団の制服は、世間の浅薄な流行に媚びず、夢や憧れをもたせるものを守り続けてほしいと願っています。
 服装と同時に、マナーも大切です。特に舞台の上と下のマナーの差が大きいとたとえ演奏が優れていても興ざめです。そういう意味においては、TOKYO−FM少年合唱団はマナーが実に優れていると思います。それでも、10年前、15年前と比べたら・・・ビクター少年合唱隊の頃と比べたら・・・ということも聞きますが、今の日本で、これだけきちんとできる少年の集団は、ちょっとないですよ。きれいな声で歌さえうまく歌えばいいのではありません。少年合唱ファンには、そういう部分を大切にしたいという人が私を含めています。

   心に残る少年たち


 最初の挨拶をしたのはこの春で卒団する村上賢君と若林利通君。二人が並ぶと昨年の「11ぴきのねこ」のキャット君とフード君を思い出しましたが、もう青年紳士という雰囲気の村上君と、もう2年ぐらいここでこのまま歌わせたい若林君が並んでいると、この時期の少年の個人差って大きいなと改めて感じます。村上君は今回の劇では体格を活かした大男の役でしたが、声が落ち着いたら、きっといい歌を歌ってくれると思います。若林君は、きれいな声という言葉が、ぴったりしています。村田悠典君は、金子みすゞの童謡歌曲のソロと音楽劇の主役ジョバンニで登場しましたが、少しかすれたようなところがあったのは風邪気味だったのかそれとも変声期に入りかけていたせいかな。でも、セリフ部分は張りのある美声を聴くことができました。村田君の少年としての声が最も清純で美しい時期におつきあいできたのは幸せでした。野田竜仁君は地味ながら安定した歌を聴かせてくれました。 
 その他、注目したのは、小成貴臣君の繊細な歌声、高橋理顕君のよく響く声、河田智弥君のひたむきな歌い方などです。

 日本の少年合唱団を応援するのは、自分が日本人であるというだけでなく、少年達の成長を見ることができるからです。外国の少年合唱団の場合、少年達とは最初で最後の出会いになることがほとんどです。確かに技術的には外国の方が上であっても、日本の少年合唱団を応援することによって、その声援が届いて団員の少年達が成長してくれたら・・・そんな願いもあるんですね。今、日本にはたった9つしか少年合唱団は残っていません。しかも、人数的な面ではどこも苦しい運営を強いられています。ひとたびつぶれてしまったら、再生は不可能に近いです。しかも、今の日本の社会は個性とわがままの区別すらできず、みんなと揃って協調することを罪悪のように考えているようなところがあります。TOKYO−FM少年合唱団は日本の少年合唱界のトップランナーとして、どうかそのような逆風を跳ね返してがんばってほしいと願っています。 

  
TOKYO FM少年合唱団  クリスマスコンサート
平成13(2001)年12月16日(日)  TOKYO FM ホール

 16日は1時間前から並んだおかげで、ソプラノソロの位置から、約2メートルという超特等席で鑑賞することができました。こういう席で鑑賞すると、少年たちの口のあけ方から息づかい、また微妙な表情の変化までがわかります。

   4部構成に変わって

 今年のTOKYO FM少年合唱団のクリスマスコンサートは、昨年度まで3年間連続やってきた第1部オペラ「アマールと夜の訪問者」第2部クリスマスキャロルという構成ではなく、第1部と第4部をクリスマスキャロルとし、第2部は、ハープ独奏、第3部はブリテンの『キャロルの祭典』よりという4部構成になっていました。さて、第2部のハープ独奏は、第3部のハープの伴奏の伏線となっており、『キャロルの祭典』は、ハープの伴奏によってこそ真に生きるということも知らされました。プログラムを見ると、クリスマスキャロルは9割方例年どおりの歌でしたが、それだけによく歌い込まれているということができます。この歌を今年は誰が歌ってくれるのだろうという期待が高まります。また、ソロが多いということはそれだけ、一人一人の団員が歌唱力をつけているということの証でもありましょう。そして、実際この日の演奏は質が高く期待を裏切らない素晴らしいものでした。

   絶妙のハーモニー

 第1部は例年どおり「もろびとこぞりて」で始まりましたが、透明度の高い八尾君のソプラノに、存在感のある河田君のアルトが絡むとたちまち会場は聖なる雰囲気に包まれます。第1部は賛美歌を中心にした選曲でしたが、とりわけよかったのは、「エサイの根より」と「マリアの子守唄」でした。どちらも3部に分かれ各声部3〜4人というソリストを立てるという構成でしたが、各声部の響きが絶妙のハーモニーを形作っていました。しかも、その中の一人一人の声も聞こえてくるのです。TOKYO−FM少年合唱団の歌声は「ボーイ・ソプラノの図鑑」に例えることができますが、それが、ここでは最良の姿を見せてくれました。特に山崎君の声の響きは、輝くばかりでした。山口先生の指揮は、はつらつとしていると同時に、包容力のようなものまで感じさせてくれました。

   「キャロルの祭典」はハープ伴奏が似合う

 第2部は、伊藤元子さんのハープの独奏。これまで、ハープだけのコンサートを聴く機会はなかったので、そういう意味での興味もありました。最初に伊藤さんよりハープとその演奏法の歴史についての話がありましたが、短時間の中によくまとまった内容でした。「グリーンスリーブス」をはじめとする4曲は、それぞれの時代を代表するハープの独奏曲や管弦楽曲の一部でしたが、聴きなれない曲を聴く前に聴く構えのようなものができていたことがよかったと思います。アルペジオに代表されるような流麗さだけでなく、この楽器が紡ぎ出す深みのある音色や多様な演奏技法を楽しむことができました。
 第3部は、北村先生指揮、伊藤さんのハープ伴奏による『キャロルの祭典』抜粋。北村先生の雄渾で風格のある指揮をこんなに間近で拝見できたことに感激しました。抜粋とはいえ入場曲から退場曲までが、有機性をもっていることがわかり、また、ブリテンはボーイ・ソプラノの魅力を知り尽くしているので、ピアノやオルガンの伴奏ではなくハープ伴奏でこそ、この曲は生きるということを計算して作ったのではないかとさえ感じました。少年たちは、時には激しく時にはたおやかにこのキャロルを歌い上げてくれました。なお、この曲は3月の定期演奏会では全曲が歌われるそうです。

   楽しさと気品の両立

 第4部は、ポピュラーなクリスマスソングを中心にした選曲でしたが、ここでは、楽しませるという要素を大切にしていました。TOKYO−FM少年合唱団は、プロの音楽家の先生方が指導者ですから、楽しませ方のつぼも心得ておられて、しかも卑俗に陥ることのない演出をされます。その一例は、毎年観客席から微笑みの声さえ出る人気曲の「ママがサンタにキッスした」でしょう。前歌のソロを歌う小成(貴)君は、実に気品のある歌を歌ってくれます。それが、驚きやキッスの面白い擬音と対峙して曲全体を盛り上げてくれるのです。これまで、前歌は少し頼りなさそうなというイメージで捉えていたのですが、小成(貴)君の気品のある歌いぶりは、その認識を一変してくれました。前半は楽しい歌を連ねていましたが、中でも「サンタクロースがやってくる」の小成(一)君と村上君のデュエットは、聴かせる演奏でした。そして、「鐘のカロル」では、合唱だからこそできる表現を楽しみました。最後は「オー ホーリー ナイト」で一気に聖夜の雰囲気に引き戻し、「きよしこの夜」へとつないでいくというプログラミングはいつものことながらすばらしいものです。「きよしこの夜」はオブリガードソロを高橋(理)君がよく鳴り響く声で締めくくってくれました。この曲は毎年「皆さんもご一緒に」と言われるのですが、そう言われても、少年たちの美しい声を消したくないという心理が働くので、歌うことなく聴き惚れてしまいます。
 TOKYO−FM少年合唱団のクリスマスコンサートは、また新たな道を歩み始めたことを実感させるこの日の演奏でした。

TOKYO FM少年合唱団クリスマスコンサート
平成14(2002)年12月15日(日)  TOKYO FM ホール


   歌舞伎やオペラを楽しむように

 雪の中をサンタクロースを乗せたそりが走る模様をちりばめた赤系の薄い紙を通して白い紙に描かれた冬木立が見えるという洒落たプログラムを手にしながら、団員の登場を眺めていると、3列に並んだ団員で舞台が狭くなったように感じます。数えてみると54人。今春13人が卒団し、そのあとが心配されたのですが、何と20人の新入団員があったそうで、久しぶりに50人台を回復しました。しかも、1年目からソロ(といっても複数で歌う)が与えられる予科生がいるなど、即戦力の実力派の団員もいるようです。全体としては、声質が明るく、また声量も大きくなったように感じました。そういう変化は、当然のことながら演奏にも影響を与えます。
 TOKYO FM少年合唱団のクリスマスコンサートは、毎年繰り返し演奏される曲と、新しく挑戦する曲とで構成されています。ただ、毎年繰り返し演奏される曲も、少しずつ歌う人数や趣向を変えたりして、新味を出しています。そういう意味では、この歌を今年は誰がどのように歌うだろうかということを楽しむこともできます。それは、歌舞伎ファンが「十一代目市川團十郎は、勧進帳を読み上げる場面をこう演じた。」とか、イタリアオペラファンが「マリオ・デル・モナコは、アンドレア・シェニエのアリアをこのように歌った。」と言うのと同じ楽しみ方とも言えましょう。そうなると、過去によいものを耳にしていると、好演でありながらあのときの方がよかったといった感想になることも否めません。

   力強さと繊細さと

 今回のクリスマスキャロルでは、ソロが数人という構成の歌が目につきました。そうすることで、多くの団員に光を当てようという意図もあるでしょう。こういう構成は歌に力強さを感じる一方、一人一人のソロを楽しむという点では、やや物足りなさもあります。元気のよい明るい歌ではそれもよいのですが、「マリアは歩みぬ」のような陰影のある曲では、繊細な声の絡み合いを聴く楽しみは減少します。
 いつも開始で歌われる「もろびとこぞりて」は、今年はソプラノとアルトが3人ずつという構成でしたが、綺麗な声質の3人の息が合うと実に快い響きになることを発見しました。クリスマスキャロル前半の中での好演は「エサイの根より」が挙げられましょう。少年の歌声でありながらシックな響きが実に美しく、映画「独立少年合唱団」で月に照らされた群青の夜空の色を思い出しながら聴いていました。また、後半では、人気曲の「ママがサンタにキッスした」が楽しめました。この歌の最初のソロは、一昨年以来気品のある歌声の少年を起用するようになってきたのでしょうか。村上諄君のビロードのような声はもとより、中村健君の驚きを表わす声も決して野卑に陥ることなくこの曲の生命を生き生きと表現していました。ただ、今年のプログラムの後半は「オー、ホーリーナイト」がなかったために楽しい曲から静かで聖なる世界に戻ることなくいきなり「きよしこの夜」に突入しました。これは、全体の流れとしてはやや惜しまれます。「きよしこの夜」では、橘君と小成貴臣君のオブリガードがよく鳴り響き、絶頂期のボーイソプラノの魅力を楽しむことができました。それだけに、橘君と小成貴臣君の一人ずつのソロを聴きたかったという想いも残ります。ボーイ・ソプラノソロが聴けるというのは、TOKYO−FM少年合唱団を楽しむ最大の要因の一つなのですから。

   新たな挑戦

 今回は、第1部の後半がベティ・ローの「A CYCLE OF ELEMENTS(構成要素の周期)」という現代曲、第2部の前半がグノーのミサ曲という新しい曲にも挑戦しました。特に、「A CYCLE OF ELEMENTS」は、プロローグに続き、古代エジプト人が世界を構成する4要素として挙げた「大地」「空気」「火」「水」が組曲のようになっている神秘的な響きの曲です。プロローグではいきなり、従来のボーイ・ソプラノの響きとは異質な音色が現れたり、空気のプシューという擬音が採り入れられたりと、たいへん思いがけない展開が見られました。まだ、歌い込まれていないところもありましたが、新鮮な印象があります。こういう新しい試みにTOKYO−FM少年合唱団の意気込みを感じました。ただ、この曲がボーイ・ソプラノの持ち味をよく生かしている曲であるかといえば、必ずしもそうでないというのが私の正直な感想です。3月の定期演奏会では、さらにどのような演出を加えて聴かせてくれるのでしょうか。
 モーツァルトの「アレルヤ」は、コロラトゥーラ・ソプラノをメインに合唱部を担当するという展開でした。音楽的には正しいと思いますが、挑戦するならボーイ・ソプラノソロとか、少年合唱曲としてアレンジするという大胆さもあってよいと思いました。既に桃太郎少年合唱団はこういう試みに挑戦しているので、TOKYO−FM少年合唱団もやってやれないはずはないと思います。たとえ、幼い歌であっても少年合唱ファンはきっとそのチャレンジ精神に感動することでしょう。
 また、グノーのミサ曲は、全体としては穏やかな中にも精神の高揚と安らぎが繰り返され、北村先生の引き締まった指揮によって一つの生命体に統合されていました。この曲は、ボーイ・ソプラノによってこそ生かされる曲であることを再認識しました。
 今回は、山口先生のはつらつとした指揮と北村先生の雄渾な指揮のそれぞれのよさが生きる曲があることも同時に感じました。

TOKYO FM少年合唱団第19回定期演奏会 
平成15(2003)年3月16日(日) 第一生命ホール

  TOKYO FM少年合唱団第19回定期演奏会は、勝鬨橋に近い第一生命ビルで行われました。かつては港に近く倉庫が並んでいたであろうこの付近も、近代的なビルが立ち並ぶ一帯となっています。さて、会場のホールは4階にある客席500人ほどのもので、少年の喉にはよい広さだと思います。

   子どもの生活感情に合致した歌を

 今回のプログラムは、「おお牧場はみどり」で始まる第1ステージに表題はついていませんでした。強いて言えば、「この1年に歌った歌」というようなものでしたが、子どもの生活感情に合った歌が多く含まれていて、それが最大の魅力でした。また、昨年末のクリスマスコンサートで声が明るくなったように感じましたが、それが一層はっきりしてきました。「テトペッテンソン」は、いかにもフランス風のなかなか洒落た作品で、1960年代の「みんなの歌」のなつかしい雰囲気を感じました。この日最高のできばえだったのは、「大きな古時計」。TOKYO−FM少年合唱団は、昨年の9月に平井堅と共演したそうですが、私は立川澄人の端正な歌を最初に聴いて育ったので、平井堅の独特のあくの強い歌(平井堅の好きな人はそれを魅力と感じると思いますが)がどうしても好きになれませんでした。しかし、こういう共演の企画は、日本の少年合唱に目を向けさせるためには必要なことだと思います。しっとりとして気品のあるアルトの村上諄君のソロや「綺麗」という漢語が似つかわしい小成貴臣君と杉原悠里君のデュエットを中心に据えたこの日のアレンジは、この歌のもつ根源的な美しさを紡ぎ出していました。「ブ−アの森へ」は、環境保全のメッセージ性の強い歌ですが、やや薄味な歌に聞こえました。そういう意味では、Ya-Ya-yahの「世界が一つになるまで」は、今、学校でも歌われているとのことですが、何よりも少年の感性に合致していました。編曲の関係で主旋律が沈みがちなところは気になりましたが、「世界がひとつになるまで」を何度も繰り返すたびに濃密な情熱が次第に高まって大きな盛り上がりを見せ、よい仕上がりでした。ウィーン少年合唱団と共演した「Due pupille amabili」と「COME YE SONS OF ART」は、清澄な響きが快く、このステージに奥行きを与えていました。さて、「ドラえもんのうた」をウィーン少年合唱団に歌わせるというのは、日本の観客サービス以外の何物でもないので好きになれません。しかし、日本の少年合唱団はこの歌をもっと歌えばよいと思っています。鉄腕アトムやドラえもんのおかげで、日本の子ども達はロボットは人間を助けてくれることを幼児期より刷り込まれ、それが科学立国の精神的な下支えとなっているのです。この日の歌は、素朴でありながら明るい元気さを前面に出した歌で、このステージの最後を締めくくるのにふさわしい出来ばえでした。

        北村先生の背中は語る

 「東北のおもちゃうた」は、昭和41年度芸術祭参加作品と言いますから、もう40年近く前の歌になります。当時まだ、日本の原風景が残っていた東北6県の郷土玩具や祭りとそこで生活している子どもたちの心のふれあいを歌ったこの合唱組曲を現代の東京の子ども達がどう自分のものとして掴んで歌うかというところが聴きどころです。当然のことながら、最初は掴みづらかったようで、団員のおばあさんがそのおもちゃの実物を持ってきてくれたところから少しずつ歌の心が掴めてきたとのことです。一つずつのおもちゃや祭りを子どもがどう受け止め、かかわり合っているかというところが、曲想にも反映していて、「ベこべこ赤べこ」「ねぶた流れろ」「馬っ子祭リ」「いづめこの子守唄」「なまはげ来るぞ」「こけしどこの子」という順序が必然性をもっているように感じました。そこには、たとえ小宇宙であっても合唱曲の醍醐味を味わう喜びがありました。
 また、解説の少年たちの声が一人ずつたいへん個性的なのに、歌になると統一性をもつところに合唱のすばらしさを感じたり、客席から見たら後姿しか見えない北村先生の背中が雄弁に語っていることが心に残りました。それにしても、北村先生の背中は美しい。たとえ前は化粧でごまかせても、後姿はごまかしがききません。

   総合舞台芸術として

 クリスマスコンサートで初登場したベティ・ローの「A CYCLE OF ELEMENTS」は、今回音楽よりも舞台芸術としてどう創られているかということに焦点を当てて観ました。ピラミッドを象徴するような三角の隊形に並んだ黒装束の隊員たちが、歌に合わせて隊形変換しながら「大地」「空気」「火」「水」を表現していく様子を楽しく観ることができました。動きを主に見ると歌が従になってしまいそうでしたが、歌としての魅力も見つけようと想いながら見ました。火は赤い布をひらめかせながらその雰囲気を出すなど工夫のあとがみられました。この曲は山口先生の好みの曲なのでしょうが、ボーイ・ソプラノの持ち味をよく生かしている曲かなあという想いは今回も残りました。しかし、新しい挑戦がなければ、衰退があるだけです。オペラにも出演しているTOKYO−FM少年合唱団ですから、こういう経験をまた生かしてくれるものと思っています。少年合唱は生真面目で動きのないものという固定概念を払拭することが、大切だと思っています。

   来た道、行く道

 今回も締めくくりは「一千億の夢」。この合唱団のよさが一番現れる曲です。今回、ビクター少年合唱隊の時代に挑んだ「東北のおもちゃうた」と新しい試みの「A CYCLE OF ELEMENTS」が同時上演されたことは、象徴的なことです。少年合唱の王道を追求しながらも、新しい時代のさきがけとなるというポリシーを今回の定期演奏会から感じました。私のような古い人間はビクター少年合唱隊の伝統を引き継いで欲しいという願いを持っていますが、このコンサートを聴かれた皆さんはどう感じられたでしょうか。


名のない音楽会

  9月28日(日)「題名のない音楽会」で、ソプラニスタ(男声ソプラノ)として最近話題の岡本知高さんとTOKYO−FM少年合唱団が共演した模様が放映されるというので、録画して見ました。(当日は仕事がありましたので)
 この長寿番組は、黛敏郎さんが司会をしていた頃は、企画もユニークで一本筋が通った番組になっていましたが、その死後、武田鉄矢さん、羽田健太郎さんと司会が代わって、つまらなくなってきました。ただ、話題の音楽家の紹介や異色の音楽家を共演させるだけの番組になっていたからです。
 この日も、岡本知高さんが、森山直太朗の「さくら」を歌い、そのバックコーラスをTOKYO−FM少年合唱団がつとめるという平板なスタートでした。続いて、前回の岡本さんの出演は女声ソプラノとの競演ということでしたが、今回はボーイ・ソプラノとの競演ということで期待は高まりました。TOKYO−FM少年合唱団を代表して中村健太郎君と小成一臣君が登場して「頑張ります。」と宣言。やがて、「ハイホー」が始まりましたが、ただ一緒に張り合うように歌っているだけで、何か競ったり、比べたりするところがあるのかなと期待していましたが、結局一緒に歌っているだけで終わってしまいました。
 ボーイ・ソプラノと、ソプラニスタの声域や音質の比較があるわけでもなく、企画としては、もう一工夫必要です。この二つの声の最大の違いは、色気の有無だと思いますが。
 後半、テナーの中鉢聡との競演も、ビジュアル系という共通性だけが前面に出て、ソプラノとテナーのデュエットという面が沈んでしまいがちでした。ということで、TOKYO−FM少年合唱団の魅力を知るというところには到りませんでした。せっかくの面白いネタを生かすことができなかったのは、出演者の責任ではなく、企画の責任だと思います。

TOKYO FM少年合唱団クリスマスコンサート
平成15(2003)年12月14日(日)  TOKYO FM ホール

   指揮者が変わると

  プログラムに北村先生・山口先生の名前がない!今年のクリスマスコンサートは、どう変わるんだろう?そんな期待と不安の入り交じったコンサートは、一言で言えば集中力のある充実した演奏でした。
 太刀川先生の指揮を見るのは初めてですが、(太刀川先生のお話でも、指揮は久しぶりとのこと)躍動的な指揮で曲全体を大きくつかんでいました。また、これまで歌劇「トゥーランドット」等で指導を受けていた佐藤宏先生を指揮者に迎えたステージでは、指揮者の身体全体が示すメッセージを少年たちがどう感じ取って表現するかという視点で演奏を聴くことができました。やや早めのテンポながら、繊細な表現において優れたものを感じることができました。
 また、変わったと言えば、聖衣も、これまでの厚ぼったいものから、色調は同じながらレース飾りのついた明るいものに新調されました。グロリア少年合唱団のように虚飾を排した白一色のいかにも「侍者服」というストイックなものもよいのですが、赤と白のコントラストとレースの飾りというおしゃれな服は少年たちの可愛らしさをより引き立たせてくれます。

   今年は中低音部が充実していた

 昨年50人台を回復した団員は、今年はさらに増えて57人。団員確保が大きな課題となっている日本の少年合唱団の中でTOKYO FM少年合唱団が例外的に増加に転じているわけを考えると、内外の演奏家や団体と共演して、マスコミに登場することが多いこともその一因ではないでしょうか。それだけに、演奏水準の高さも求められます。
 今年のクリスマスキャロルでも、昨年同様ソロが数人という構成の歌が目立ちました。こういう構成は元気のよい明るい歌では力強さを感じてよかったと思います。特に今年は全体的にメッツォ・ソプラノとアルトのパートが層も厚くなり充実していました。大場君、白鳥君などに注目しました。また、昨年のコンサート評で指摘した「マリアは歩みぬ」は、デュエットに戻したため、繊細な声の絡み合いを楽しむことができました。1番の竹田君・村上君、2番の中村(協)君・長濱君、どちらの組合わせも好演でした。ただ、ソリストの名前はプログラムに列挙してあるものの、団員の名前と顔が一致しないことがかなりあり残念でした。かつては、定期演奏会のプログラムに顔写真が掲載されていましたが、それもここ2年ほどはなくなったので、顔と名前が一致しないことが多くなってきました。ソリストを育てることが得意なこの合唱団としては、そのあたり再考を願いたいものです。第1部のクリスマスキャロルのパート1は、おなじみの曲を安定した演奏で聴くことができました。
 さて、第1部のクリスマスキャロルのパート2、注目の佐藤先生が指揮台に登場すると、ぴりっとした緊張した空気が漂いました。新曲もありましたが、これまでにも歌われた曲もこれまでとアレンジが違っているものもあり、それが新たな魅力を創り出していました。佐藤先生の指先と少年たちの顔を見ながら聴いていますと、少年たちが特に繊細な部分を感知して歌ってることに気付きます。「エサイの根より」や「マリアの子守歌」にそのよさはよく現れていました。また、「鐘のカロル」のテンポの取り方は絶妙でした。最後のロイド・ウェッパーの「ピエ・イエズ」は、おそらく初めての演奏です。高塚君、眼龍君、中村(協)君(ソプラノ)、村上君、大場君(アルト)の輝きのある響きは、歌が終わった後も耳の底に残っていました。

   まだ、全貌はわかりませんが

 第2部は、佐藤先生作曲の「少年合唱のためのミサ曲」と太刀川亞希さんの 葉っぱのフレディ『いのちの旅』の朗読をはさんでクリスマスキャロルのパート3という構成でした。「少年合唱のためのミサ曲」は、来春のTOKYO FM少年合唱団第20回記念定期演奏会のために作られた曲で、この日は、その一部が演奏されました。まだ、全貌はわかりませんが、どちらかというと、ミサ曲という形をとった現代音楽というイメージがありました。また、少年の声を意識して作られたと感じる部分もありました。太刀川亞希さんの朗読は、聴く者を静寂な時の流れの中に置き、落ち着いた気持ちにさせてくれましたが、このコンサート全体の中での位置づけは何だったのだろうという想いがあります。曲の説明をするとかいう形で少年たちと共演させるような試みもあってもよいのではないかと思いました。クリスマスキャロルのパート3は、おなじみの楽しい曲が並んでいましたが、4曲と少なかったし、演奏もやや薄味だったので、あっさりと終わってしまったという感がしました。
 6年前初めて聴いたときはただひたすら感動だったのに、「泣く泣くも良い方を取る形見分け」という川柳ではありませんが、この歌はいつの方がよかったとか、ここがこうだったらという想いも生まれてくるんですね。ぜいたくだなあ。はっきり言って、この日の演奏とてもすてきでした。だから、きっとこの日初めてTOKYO FM少年合唱団を聴いた人は、とても感動したと思います。


TOKYO FM 少年合唱団 第20回定期演奏会 
平成16(2004)年3月14日
(日) 第一生命ホール

   横綱は横綱相撲をとってこそ

 TOKYO FM 少年合唱団の定期演奏会は、日本の心ある少年合唱ファンの耳目を集めるコンサートになっていると思います。「少年合唱の発展途上国」である日本において、TOKYO FM 少年合唱団の定期演奏会は、日本の少年でもここまで歌えるという感動と民族の誇りを共有できるひとときでもあります。
 前頭5枚目の力士が横綱を倒して金星を挙げると喝采を浴びます。しかし、横綱は勝っても負けても、その地位にふさわしい相撲が求められます。今、朝青龍が土俵の上でだけでなく、私生活においてもその品格が問われているのもその現れです。
 TOKYO FM 少年合唱団は、団員の少年達にプロであることを求めるそうです。たるみきった昨今の日本の風潮の中でそれはたいへん価値ある教育だと思います。しかし、その道は厳しく、少年達もときには並の少年合唱団員であったらと思うことでしょう。しかし、その道を選んだ以上、常に感動のステージを提供する責務があります。ところで、感動は、等身大の演奏をしてくれるときにも感じますし、自分の壁を乗り越えようとしているときにも感じます。

   等身大の演奏が好きだ

 このコンサートは、第1ステージが一番よかったと思います。歌と振り付けが絶妙のアレンジでした。振り付けは、時として演奏を陳腐なものにします。しかし、「さかさま」の振り付けはおみごとでした。また、「翼をください」の前歌部分をゴスペル調にというアレンジも、秀逸でした。「世界に一つだけの花」に到っては、いくつかの合唱にアレンジした曲を聴いてきましたが、初めて少年合唱らしいこの歌を聴いたという気持ちになりました。
 ということで、「ぼくたちのレパートリー」と題した第1ステージは、TOKYO FM 少年合唱団の持ち味がよく発揮されたステージでした。

   ミサ曲はこんなんだっけ?

 ところが、第2ステージの佐藤宏作曲「少年合唱のためのミサ曲」は、私にはかなりせっかちな曲に聞こえました。精神の昂揚と安らぎが繰り返す中で次第に深まって行くのがミサ曲の特色と思っていましたが、みんな総じてアップテンポのちゃかちゃかした雰囲気でした。クリスマスコンサートのときには、まだ一部だから全体としては、心の慰めや安らぎがあるのだろうと思っていましたが、最後まで「Libera me」の雰囲気で深まることなく終わりました。部分的には美しいところもありましたが、もっと天国的なゆったりとした響きがあってほしいと思いました。

   正統な合唱曲が聴きたかった

 第3ステージは「おぺら・オペラ・OPERA」。曲の紹介をする狂言廻しの部分は、ユーモアセンスもあってよかったと思いますが、やはり、曲そのものが刺身のつまの寄せ集めという感じでした。なぜ、「トスカ」の羊飼いの少年の独唱はないのだろう。「魔笛」の3童子は、何組かやらせたらよいのにという想いがしました。もう少し、工夫すれば、もっと楽しいステージにできたんじゃないかな。演劇・演芸大好きの私は、そんなことを感じました。近代音楽において、特にオペラにおいて、ボーイ・ソプラノや少年合唱の地位は低いのです。「星は光りぬ」や「誰も寝てはならぬ」をやれとは言いませんが、どうせなら、むしろ合唱そのものの魅力を聴かせる「青きドナウ」や「流浪の民」といった合唱の名曲や「城下町の子ども」のような合唱組曲の大曲をを正面からやればいいのに。しかし、このような嘆息は団員の責任ではなく、企画の責任です。
 それに、プログラムが薄っぺらで、団員の名前と顔が一致しないのも残念です。団員の名前をほとんど知らないので、よい演奏があっても個人名を挙げて誉めにくいですね。かつては、プログラムの顔写真と名前を対比しながら楽しむことができましたが、それもできなくなりました。したがって、知っている団員の名前を挙げて誉めることも今回はあえて遠慮します。よい演奏をしながら名前を挙げられない団員のことを思うと、それはできません。

   今が曲がり角
 ビクター時代を含めこの合唱団の大黒柱であった北村先生、はつらつとした指揮で北村先生の後継者と思われていた山口先生が同時に去られた今、もう1度この少年合唱団の魅力の根源は何であるのかを掘り下げてみる必要があります。もちろん新味を出すことも必要ですが。TOKYO FM 少年合唱団は、今曲がり角です。伝統を生かしつつ、新しい道を探ってほしいと念願しています。日本の少年合唱発展のためにも!


TOKYO FM少年合唱団 第22回定期演奏会
 
平成18(2006)年3月19日(日) 第一生命ホール


 心の癒しを求めて、日帰りでTOKYO FM少年合唱団第22回定期演奏会に行って来ました。定期演奏会に行くのは2年ぶりです。顔と名前の一致する団員はほとんどいなくなってしまいました。1時頃から並んでいると、前後に団員のお母さんらしい人が並んで、「ボエーム」や「森の歌」に出演したことなどいろいろとお話をしていました。そこでは、小澤君の歌声がききものであるという情報を得ました。

   歌詞と歌声が一つになって

 ホールに幕はありませんが、入場してきた50人の団員たち TFMのマークの入った緑のトレーナーに紺の半ズボン、白いハイソックスの少年たちは、ひな壇の自分の立ち位置に一度でぴたっと立つことができます。もう、これだけでも、嬉しくなってきます。テーマソングの「おお、牧場はみどり」の第一声を聴いたとき、今年の歌声は可愛いという印象を受けました。その第一印象はこのコンサート全体を貫いていました。太刀川先生が指揮台を降りて、
「この定期演奏会をこの13日に亡くなられた北村協一先生に捧げます。」
と、追悼の言葉を述べられると、会場にはこの定期演奏会を最高のものに創り上げていこうという雰囲気が漂いました。
続いて歌われた「ビリーブ」も、ここ何年かいろんなアレンジで歌い続けられてきましたが、1.2番とも2人ずつのソリストによって、前歌の部分がせっせつと歌われると、歌詞の内容と清純な歌声が一つになって背筋がぞくっとするのを感じました。こんな感情をもったのは久しぶりです。

   歌の宝石箱

 小学唱歌のメドレー「ふるさとの四季」を少年合唱で聴くのはこれで3回目です。栃木少年合唱団の繊細な歌、広島少年合唱隊の混声による力強さの加わった歌それぞれに、その持ち味がよく出ていましたが、こういう曲は、みんなが知っている曲だけに、一つ一つの歌を浮き上がらせながらも全体としてまとまったものとして歌うことが難しいとも言えます。
 ところが、TOKYO FM少年合唱団は、一つ一つの歌から抒情性をうまく引き出して、まるで「歌の宝石箱」を開けるような演奏を流麗に繰り広げていきました。もう、どの歌がどう歌われていたのかということを超えて、歌全体として日本の原風景の季節による移り変わりを克明に描きあげていたと言った方がよいでしょう。

   指揮者と団員が一体に

 TOKYO FM少年合唱団は、最近では、定期演奏会に客演の指揮者を呼んでいるようです。この日は、声楽家でもある誉田昭宏先生。放送で流れたメッセージから、少年の心をもった人だということは伺えましたが、実際に指揮する姿などを見ても、団員と一体になろうという心が伝わってきました。この日の演目はフランクの「ミサ ヘ長調」。この作曲家は、「天使のパン」が有名ですが、私にとってはあまり身近な作曲家ではなく、進んで聴いてみようとしたことのない人でした。この日の「ミサ ヘ長調」は、初めて聴く曲でしたが、曲想にも緩急の変化があり、演奏も合唱、重唱、独唱を巧みに交えながら進められ、少年たちからよいものを引き出していました。

   エンターテインメントができる少年合唱団 

 TOKYO FM少年合唱団は、指導者がプロの音楽家で、観客を楽しませるということも考えていますから、真面目な教育関係者が指導者ではできないようなエンターテインメントの演出が可能です。その成果は、6年前の「11ぴきのネコ」で遺憾なく発揮されていました。この日の少年少女のための合唱組曲「くいしん坊の世界旅行」の中の何曲かは京都少年合唱団が歌っていたので知っていましたが、全曲を聴くのは初めてです。どこまでが楽譜に描かれているもので、どこまでが演出なのかよくわかりませんでしたが、とにかく楽しめました。歌そのものは、それぞれの国の民謡などよく知られている曲と食べ物をアレンジしたものですが、セリフの歯切れのよさや、挿入歌がこの曲にアクセントを与え、噂の小澤君の「オー・ソレ・ミオ」など、「いよっ!待ってました。」と言う声がかかりそうな雰囲気を創り出していました。これは、他の日本の少年合唱団ではなかなか見られないことです。

 この日の朝、テレビでは「題名のない音楽会」で、クワイアーボーイズが特集されていました。この10年、ボーイズ・エア・クワイア、リベラとイギリスの聖歌隊を母体にしたボーカルグループの来日によって、ボーイ・ソプラノに光が当たることも多くなってきましたが、日本の少年合唱団がマスコミに採り上げられることは希です。TOKYO FM少年合唱団のこの日の定期演奏会を3週に分けて「題名のない音楽会」で採り上げたら、状勢はまた変わるのではないかと想いながら帰途につきました。


TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
 平成19(2007)年12月16日(日) TOKYO FM ホール 

   型をふまえつつ型を破る
  4年ぶりに見るTOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートは、従来の型を踏襲しながらも、いくつかの新味を出した選曲と舞台づくりでした。それでは、どこが変わったかというと、次のようです。もしかしたら、その変化は今年が初めてではなく、私が行かなかった3年の間に徐々になされたのかもしれませんが、私にはとても新鮮に感じられました。
@ 第1部のクリスマスキャロルでは、ドイツ語で歌われる歌があった。
A 「きよしこの夜」でしっとりと終わらず、「We wish You A Merry Chiristmas」で明るく終わった。
B 歌の紹介が作曲者と共にされた。
 また、歌声は、団員は変わってもTOKYO FMトーンという名前がふさわしいようなヨーロッパと日本が融合したような響きで、これは、もう聞き始めた頃からあまり変わっていないように思いました。ただ、4年前頃から、Soliの人数を増やしたため、一人ひとりの個性的な歌声を聴くというTOKYO FM 少年合唱団ならではの楽しみというのは、減少してきました。ソリストをうまく育てるというのが、前身のビクター少年合唱隊以来のTOKYO FM 少年合唱団のよさであるが故に、名前と顔が一致する団員が少なくなったというのは惜しまれます。

   マリンバの豊かな響き
 この日のゲストは、マリンバ奏者の加藤恭子でしたが、1ステージの中でマリンバという楽器が実に豊かな音色をしているということを証明していきました。「おもちゃの兵隊行進曲」「剣の舞」「星に願いを」「この道」「くるみ割り人形」から数曲というプログラムの組み立ては実に変化に富んだもので、この楽器の可能性のようなものを聴かせてくれました。

   みんな実力者
 それでは、この日の演奏の満足度はと言えば、私は、充分満足して帰途につきました。それは、選曲や舞台の演出だけでなく、TOKYO FM 少年合唱団は、一人ひとりの団員がしっかりとした歌を歌い、一部のソリストやキーマンに引っ張られて歌っているという感じがしないことにもよります。みんな実力者なんです。今時、日本で選抜をして団員をとっている少年合唱団は、あまりないでしょう。
 さて、第1部と第3部のクリスマスキャロルでは、第1部よりも第3部の方に親しみやすい曲を多く入れていましたが、第3部にも「エサイの根より」や「マリアの子守唄」ロイド・ウェッパの「ピエ・イエズ」のようなボーイ・ソプラノの魅力を聴かせる曲をちりばめているところがすばらしいところです。また、このコンサートでも、4歳ぐらいの幼児はいますが、実に鑑賞態度がよかったことが特筆できます。TOKYO FM 少年合唱団や暁星小学校聖歌隊のコンサートに行くたびに、少年合唱がどのような人たちによって支えられているのかということを考えます。


TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
平成20(2008)年12月14日(日)       TOKYO FM ホール 

   毎年同質のの演奏を

  「TOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートには外れがない」というのが、この10年間の想いです。もちろん、その間指導者の変遷はあり、「アマールと夜の訪問者」がなくなった代わりに、ゲストの演奏家を入れるようになったなどの変化はありますが、音楽の質的な水準や聴いて家路につくときのの満足度はほとんど変わりません。このこと自体が、たいへんすばらしいことだと思います。それは、ほぼ同じ曲を同じ編曲で毎年繰り返しているからという消極的な意味ではなく、歌声のトーンが、先輩から後輩へと引き継がれているからだと思います。この日、舞台監督(ご本人曰く「裏方」)を勤めたのは、往年の名ボーイ・アルトの村上賢・村上諄兄弟で、「裏方によって舞台は支えられていることを忘れないように。」という山口先生の10年前の教えはここにも生きていました。
  以前は、プログラムを見ながら団員の名前と顔を一致させようと必死になっていた私は、そういう聴き方はやめて、ただひたすら少年たちの歌声の響きを楽しんでいました。

   フルートの多様な響き

 この日のゲストは、フルート奏者の西下由美でしたが、これまでフルートというと繊細な響きを想像していましたが、むしろ力強い響きが印象に残る演奏でした。それは、採り上げたメインの曲がタファネル作曲の「ミニョン」の主題によるグランドファンタジーという壮麗な曲であったためでもあるでしょう。原曲のオペラの「君よ知るや南の国」「私はティタニア」「さらばミニョン」といったアリアしか知らない私にとっては、フルートが奏でる壮大なドラマをひたすら耳で追いかけていました。かえって、プログラムに記載されていなかったフォーレの「シチリアーヌ」や「アメージング・グレイス」の方が、これまで知っていたフルートの響きであり、フルートという楽器の奥深さを感じました。

   楽しませるつぼを心得た演奏

 第3部は、前半が本科生で質の高い演奏をじっくりと聴かせ、後半は予科生も入れて親しみやすい曲で盛り上げるという構成でした。その中でも、メンデルスゾーンの「おおひばり」は、クリスマスソングとは言えませんが、この合唱団の演奏の質の高さを示す上では、よい選曲であったと思います。次々と繰り広げられるおなじみの曲は耳に快いだけでなく、楽しませるつぼを心得ています。たとえば、「ママがサンタにキッスした」では、気の弱そうな少年のソロに始まり、驚きを表すセリフを駆使して、最後はサンタの正体を種明かしをするというドラマを演出してくれます。そして、それは決していやみにならないのです。こういうアレンジは、日本の他の少年合唱団ではやらないでしょう。真面目にきちんと聖歌を歌ってはくれますが・・・。だから、TOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートは、毎年聴いても飽きないのです。

TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
 平成22(2010)年12月25日(土)  TOKYO FM ホール

      おなじみの編曲がなぜかうれしい

 2年ぶりにTOKYO FM少年合唱団のクリスマスコンサートに行くことができました。いつ行っても同じ質の高さの歌を聴かせてくれることや、定番曲のおなじみの編曲が、今年はなぜかとてもうれしく感じるのです。同じ質の高さの歌を聴かせることは、当たり前のことのようであって、非常に難しいことだと痛感しています。これは、一人一人の声質の違いを活かしながらも、合唱において歌声のトーンをそろえる指導が徹底されているからでもありますが、団員を小学生に限定しているからこそできることかもしれません。TOKYO FM少年合唱団には、ビクター少年合唱隊の時代以来、高齢化問題は存在しません。小学生で変声期を迎える団員はいるでしょうが、これからもボーイ・ソプラノにこだわった合唱団であることを願っています。

       よく考えられたステージ構成

 基本的には、2年前と同じ基本方針で行われていましたが、第1ステージを短く、第2ステージでは指導者のピアニストの先生方の連弾を入れ、第3ステージをたっぷり聴かせるという構成でした。第1ステージのクリスマスキャロルは5曲と少なめでしたが、ドイツ語を交えて歌われ、これがよい効果を生んでいました。頼田先生と小林先生のピアノデュオ演奏は、ハチャトリアン作曲の「仮面舞踏会」のワルツ、ラフマニノフ作曲の「ピアノ協奏曲第2番」の第1楽章、チャイコフスキー作曲の「くるみ割り人形」より4曲が演奏されました。「仮面舞踏会」のワルツは、フィギュアスケートのバックミュージックにも使われることもある躍動的な曲で、この曲に始まって、憂愁さと華麗さとが混じり合ったチャイコフスキーの「花のワルツ」を最後にもっていくところが、このステージの選曲の面白さです。第3ステージは、本科だけの前半では、3部合唱をじっくり聴かせ、予科も入れた後半では、楽器を入れたりして楽しませることに主眼を置いたステージづくりでした。全体として以前のように、ソロを聴く機会は少なかったのですが、ソプラノでは、清楚な木城君と豊麗な阿部君、アルトではしっとりした小林君が印象に残りました。

TOKYO FM少年合唱団 第29回定期演奏会
平成25(2013)年3月20日(祝・水) 第一生命ホール


   定番曲は安心して聴ける

  第一生命ホールの舞台に団員が登場したとき、二つのことに気付きました。一つ目は制服が変わっていること 本科生は、薄茶色のベストにエンジ色のネクタイ、紺の半ズボンに黒いハイソックスというかなりシックな制服になっていました。二つ目は卒団前の6年生2名はは長ズボンでした。いつからこの制服になっているのでしょうか。なお、予科生は、TFMのマークの入った緑のトレーナーに紺の半ズボン、白いハイソックスというお馴染みのスタイルでした。人数も55名と関東地方の3団体は人数的には維持できているようです。
 オープニングテーマの「おお、牧場はみどり」が始まった時、制服は変わっても、歌声のトーンは変わらないことを再確認しました。「ぼくらのレパートリー」と題された第1部は、「どじょっこふなっこ」や「ほたるこい」のようなわらべうたも素朴さが売りではなく、むしろ合唱だからこそ表現できる聴かせどころをもったTOKYO FM少年合唱団らしい選曲でした。また、「世界がひとつになるまで」や「世界にひとつだけの花」は、味わい深い歌にまで練り上がられていました。10年ぐらい毎年歌い継がれている「ビリーブ」は、曲の紹介の中でも「その年の合唱団の実力がわかる曲」と言われていましたが、1.2番とも2人ずつのソリストによって歌われ、後半が全員合唱という組み立てになっています。今回は、2番を歌った2人のSoliが秀逸でした。8曲通して言えることは、定番曲は安心して聴けるということです。それだけ、指導が徹底しているこいうことです。

   これがオリジナル

 第2部は、同声合唱組曲「ぼくだけの歌」で、TOKYO FM少年合唱団によって創唱され、とりわけ最終曲の「一千億の夢」は、定期演奏会の最後から三曲目ぐらいに何度か聴いてきました。一曲だけ聴くのと合唱組曲として聴くのではかなり違いがあります。そこで、この日は、なぜこの順番に並んでいるのかを考えながら聴きました。1 あいつ 2 ぼくのおうえんか 3 なにかいいことありそうな 4 一千億の夢の四曲はは、やはり見事に起承転結を形作っていました。とりわけ、「一千億の夢」は、歌い込むことによって壮大な曲になることを実感しました。

   流麗な日本の唱歌

 小学唱歌のメドレー「ふるさとの四季」をTOKYO FM少年合唱団の少年合唱で聴くのはこれで2回目です。こういう曲は、観客の方は、みんなが知っている曲だけに、一つ一つの歌を浮き上がらせながらも全体としてまとまったものとして歌うことが難しいとも言えます。また、最近の子どもにとって、文語体によって書かれた百年前の歌は、歌詞の意味を掴み、何を伝えようとしているのかを十分理解して歌わないと、感動の薄い単調な歌になります。しかし、日本の少年がこれらの歌を歌い継がずして、誰が歌い継ぐのでしょうか。TOKYO FM少年合唱団は、源田俊一郎が編曲したこの12曲を流麗につないでいきました。最後の「ふるさと」は、あえてア・カペラで歌い少年たちの歌声を前面に打ち出していました。
 アンコールステージは、OBも加わって東日本大震災からの復興を願って作られた「花は咲く」の合唱でしたが、OBは低音部を歌うというよりも、現役の歌声を全面に立てて、自らは慎ましやかに支えるという姿勢で歌っていました。

TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
平成25(2013)年12月22日
(日) TOKYO FM ホール


  指揮者が変わると

 3年ぶりにTOKYO FM少年合唱団のクリスマスコンサートに行くことができました。今年度は、これまで指導の中心で主席指揮者でもあった太刀川悦代先生が、個人発声指導という表に登場しないポジションに移られ、藤原歌劇団や新国立劇場で指揮者として活躍されている須藤桂司先生を指揮者に迎えて公演をしているようです。指揮者の交代は、その指揮者が求める音楽が違えば、演奏の違いとなって現れます。TOKYO FM少年合唱団でも、以前、北村協一先生のご逝去と同時期に山口浩史先生が指導陣から去られ、どうなるのか不安に感じたこともありました。しかし、この時は、指揮は久しぶりという太刀川先生が底力を発揮され、躍動的な指揮で曲全体を大きくつかんだ演奏を聞かせてくれました。今回は、どうだろうと思いながら鑑賞していましたが、須藤先生率いる演奏は、一言で言えば、表情豊かでボリューム感のあるものでした。団員の人数も62人と例年の約1.2倍でしたが、声量はさらに1.5倍に増幅されたという感じがしました。きっと、最近は「トスカ」「カルメン」などオペラ出演なども多く、その指導方針の影響がこのようなところにも現れているのだろうかとも感じました。
 定番のクリスマスキャロルやクリスマスソングは、同じ編曲でしたが、同じ質の高さの歌を聴かせてくれました。また、「生けるもののすべて」は、久しぶりの復活ですし、「クリスマスの朝に」や「喜びの時は来たり」など、初めて聴く曲もありましたが、よく歌い込まれていました。今回は、第2部にアンドレ・カプレ作曲の「三声のミサ」よりキリエとグローリアを入れるなど、本格的な宗教曲にも挑み、特にグローリアでは、豊麗な歌声の響きが会場いっぱいに満ち溢れ、会場は、聖堂のような雰囲気になりました。この辺りは、須藤先生の持ち味でしょう。また、第3部では、ミュージックベルを入れたア・カペラにしてよく考えられたステージ構成となっていました。

   元気よさと繊細さと

 最近のTOKYO FM少年合唱団のクリスマスコンサートでは、ソロよりもソリを前面に立てているため、以前のように、ソロを聴く機会は少なかったのですが、ソロも、しっかり歌い込まれているという感を強く受けました。例えば、定番の「ママがサンタにキッスした」は、これまではどちらかというと頼りなさげな歌い方が、独特のかわいらしさを醸し出していたのですが、今回はしっかりと歌っているという印象を受けました。その時に気付いたのですが、指揮の須藤先生は、横を向いてソリストに向かって口を空けて指揮をされているではありませんか。それは、しっかり歌おうという無言のメッセージとも受け取れました。指揮者の背中しか見えない客席に座っている観客にはわからないことですが、他の歌でもそうなのでしょうか。いずれにせよ、須藤先生の指揮する手は、非常に表情的で多くのメッセージを伝えてくれました。少年たちは、それを読み取りながら歌っているのでしょう。
 ところで、少年合唱の魅力は、元気よさと繊細さが2本の柱のように思います。元気よさや豊麗さを求める曲ではきっと、須藤先生の指揮は最高に生かされるでしょう。さらに、ボーイ・ソプラノだけが表現できるけなげな繊細さが生かされたらと感じるのは贅沢な願いでしょうか。

TOKYO FM少年合唱団 第30回定期演奏会
平成26(2014)年3月22日(土) 第一生命ホール


   活力こそ、須藤先生の持ち味

 昨年12月のクリスマスコンサートを鑑賞することで、指揮者が須藤桂司先生に代わることによって、TOKYO FM少年合唱団の歌声が、繊細さよりもエネルギッシュなものの希求するものに変わってきたことを痛感しました。これは、主体である指導者が求める歌声が客体である団員に反映するという当然の事実です。それがよく生かされる歌とそうでない歌があるのではないかということを感じておりました。須藤桂司先生は、卒団生に向けて贈るメッセージの中で、次のように書いておられます。
「皆さんにとっての合唱団最後の年は、僕にとっては最初の年となりました。ゼロから始まる僕との人間関係や、何度も演奏し、馴れ親しんだ曲の扱い方の違い等、昨年まで存在しなかった変化に困惑する事も多々あったと思います。」
須藤先生は、そのようなことを理解した上で、団員に接してこられたことがよく伝わってきます。
 この日、第1部で〈ぼくらのレパートリー〉で採り上げた8曲の歌のうちで、須藤先生指揮の持ち味が最もよく生かされたものは、「おお牧場はみどり」と「ちゃん。さん。くん。」と「シーラカンスをとりにいこう」の3曲です。「おお牧場はみどり」ははつらつで、活力を引き出していました。とりわけ、第1部のフィナーレの「シーラカンスをとりにいこう」は、シーラカンス、ステゴザウルス、プテラノドン等の古生物をとりに行くという壮大なストーリーが歌われますが、この歌が活力のある声で歌われるとき、この歌のもつエネルギーの大きな発露となり、須藤先生起用のよさとして伝わってきました。一方、「赤いやねの家」や「BELIEVE」には、もっと繊細で情愛が伝わってくるようなものがあってもよいのではないかと感じました。歌声のボリュームを求めると、そういうものは伝わりにくくなるのではないでしょうか。この辺りは好みの問題ということになるでしょう。また、昨年は2人の卒団生だけ長ズボンという不統一性があってもそれほど目立ちませんでしたが、今年は、卒団生が12人もいるので、本科生と予科生で制服を分けたのは、統一感があって視覚的にはよかったと思います。なお、このステージは、少年たちの等身大の歌を聴くことができました。

   「少年合唱のためのミサ曲」再演

 続く、第2ステージの佐藤宏作曲「少年合唱のためのミサ曲」の作曲者の佐藤宏先生による10年ぶりの再演は、最後の2曲を混声合唱曲にすることでやや重厚に改善されたものを感じると共に、曲そのものは不変ですから、10年前と同じものを感じたというのが正直な感想です。また、聖衣を身にまとった50人程の本科生に加え、10年前の現役時代に歌ったOB会員8名が男声として再演に登場したこと自体価値があります。ソロ部分などを含め部分的には美しいところもありましたが、曲の中にもっと天国的なゆったりとした響きのある曲があってほしいと思いました。例えば、短かった「イン パラディズム」をもっと長くするともっと全体として緩急の違いが明瞭な曲となり、全体の構成がもっとよくなるのではないかと思います。全体の中でフィナーレに近いところに最も時間的に長くてせわしない「リベラ メ」があると、その印象が強すぎて、その印象の強さが全体を支配してしまうのです。

   不統一による統一

 今回、12人の6年生が卒団を迎えました。全体でも62人という近年最高の団員数は、人数不足に悩む地方の少年合唱団にはうらやましい限りだと思います。その12人がシャツ出しで長ズボンの私服に着替えて、この1年の報告をしました。
「きちんとシャツをズボンの中に入れなさい。」
と、両親からしつけられ、子どもたちにも
「えりのあるシャツはきちんとズボンの中に入れなさい。」
と教えてきた私にとっては、規律正しいTOKYO FM少年合唱団もついにここまで来たのかという軽い失意もあったのですが、卒団生が話し出すと、1年間の活動報告のそこはかとない面白さは、それを忘れさせてくれました。考えてみれば、このタイプのシャツは、外に出すことを前提に作られており、これも、ステージ衣装の一つと思えば、違和感はありません。むしろ、いろいろな色のシャツ出しでも集合体として見たらそれなりに統一感があるではないかとだんだん気持ちが変化してきました。62人揃うと、余計にその感を強くします。不統一による統一という感がしました。

   「こころのてんきよほう」

 「心」という言葉の語源は、二通りあって、「こりこり」→凝り固まって変わらない部分と、「ころころ」→転がる・変わるという変わる部分があるというのが真理です。変わらない心があるから人は信頼を得、心が変わるからこそ人は成長していくのです。同声合唱のための組曲「こころのてんきよほう」には、心の種々相や、心のありかや、心の遍歴などこころの変わる部分を謎解きのように流麗に紡ぎあげていきます。ところどころ、与えられるソロは、その人物の心や想いを克明に描き、最終曲の「こころの旅」は、本科生だけでなく予科生も加わって「自分探しの旅」という揺らぎ迷いながらも求めていく人の姿をよく描いていました。この指揮の佐藤宏先生は、この曲に求められるものを過不足なく団員たちから引き出していました。そのような意味でこのステージは、合唱組曲の楽しさを満喫することができました。

 第1ステージでは活力を、第3ステージでは繊細さを。そのような意味でも、このコンサートは、全体的に満足度の高いコンサートでした。なお、終演後、2階席から退席されるときになって初めてこのコンサートは、皇太子殿下御一家も鑑賞されていることを知りました。


 TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
平成26(2014)年12月20日(土) TOKYO FM ホール


 TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートに通い始めたころ、第1部は「アマールと夜の訪問者」、第2部は「クリスマスキャロル」という構成でした。それが、いろいろな変遷を経てこの構成に戻りました。TOKYO FM 少年合唱団は、ビクター少年合唱隊の時代から合唱だけでなくソリストを育ててきた少年合唱団です。ところで、このオペラを上演するにはアマール役ができる団員だけでなく、脇役にもかなり歌唱力のある団員がいることが求められます。

 この日のアマール役は小野颯介君、明るく輝かしい声質で、歌詞が非常にはっきりと聞き取れます。これまでもその声の輝きには注目していたのですが、名前と顔が一致しませんでした。小野君は、貧しさの中でも美しい心を失わないというアマール役に求められるものを身体全体でよく表現していました。寄高琉甫君演じるカスパール王は、高音が繊細で美しく耳が本当に聞こえているのか聞こえていないのかわからない微妙なところを好演していました。メルヒオール王を歌った根津大雅君とバルタザール王を歌った高村敬信君はしっとりとした声でよいアンサンブルを創っていました。15年前と違ったのは、従者が2人ずつ計6人になったことで、「泥棒!」とアマールの母を押さえつけるところでは特に効果を表していました。アマールの母役の伊藤邦恵先生は、リリコ・レジェーロで若い娘役の方が似合う声質ですが、アマールとの二重唱などでは、清純な響きを快く感じました。また、指揮の佐藤宏先生は、全体として聖なる繊細な音楽を形作っていました。
  
 第2部の指揮は、須藤桂司先生に代わって、クリスマスキャロルやクリスマスソングが、ミュージックベルや鈴などの楽器も加え計13曲歌われました。最近の傾向としてソリで歌われることが多かったのですが、団員も須藤先生の指導や理念にも慣れ、去年よりも息があってきたという印象を受けました。須藤先生の指揮は、非常に表情的で多くのメッセージを伝えてくれました。

 TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
平成27(2015)年12月19日(土) TOKYO FM ホール


      新たな発見を求めて

 TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートでは、今年も、歌劇「アマールと夜の訪問者」が再演されました。考えてみると、「アマールと夜の訪問者」がクリスマスコンサートで上演されていた15年ぐらい前から継続してTOKYO FM 少年合唱団の指導をされているのは米谷恵子先生だけではないでしょうか。指導者は変わっても、指導のバトンをつないでいくことは大切なことです。さて、舞台づくりについては、以前の理念を継承しながらも、少しずつ演出に変化が見られます。15年の時を経て、このステージを通算4回ほど鑑賞すると、これまで気付かなかった新たな発見もあります。

      声と歌と芝居と

 さて、今年のアマール役の宮下大輝君は、やわらかな美声で、夢見がちなアマールの性格をよく表していました。この辺り、昨年聴いた小野颯介君の明るく輝かしい声によって表現されるものとはまた違ったものを感じました。TOKYO FM 少年合唱団の前身であるビクター少年合唱隊の時代(1970年代初頭)から、この合唱団はアマール役のトップソリストの少年を世に送ってきましたが、このようなことが可能であったのも、ソリストの育成に力を入れてきた伝統が今に伝えられてきたからでしょう。今年は、アマールがガスパール王に、そっと、「僕の足は治りませんか。」と聞くこの歌劇の伏線になる部分に心を惹かれました。栗橋優輔君演じるカスパール王は、繊細な高音が美しく、しかも芸達者で自分に都合のよいところだけ耳が聞こえているのではないかと感じさせるほどでした。メルヒオール王を歌った山本江龍君は、中庸な良識を感じる歌で、しっとりとしたバルタザール王を歌った高井麻飛君と共に調和的なアンサンブルを形成していました。それぞれの王の従者が2人ずつ計6人になったことで、「泥棒!」とアマールの母を押さえつけるところでは強い圧力を感じさせました。また、舞台裏からの少年たちの歌声も初めて聴くような気がします。今年の伊藤邦恵先生のアマールの母役は、昨年度よりもさらに人間の弱さを感じさせる歌と芝居でした。また、指揮の佐藤宏先生は、トライアングルなどの楽器も演奏しながらの指揮でしたが、繊細で深みのある音楽を形作っていました。
  
  垣間見た濃密な情念の世界

 第2部の指揮は、須藤桂司先生に代わって、クリスマスキャロルやクリスマスソングが、ミュージックベルや鈴などの楽器も加え計13曲歌われました。最近の傾向としてソロではなくソリで歌われることが多かったのですが、毎年おなじみの曲に加え、歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より、「間奏曲〜アヴェ・マリア」が歌われました。嵐の前の静けさのような間奏曲にアヴェ・マリアが加わることで、須藤先生の濃密な情念の世界が現れるというところに、新鮮さを感じました。

 TOKYO FM少年合唱団 第32回定期演奏会
平成28(2016)年3月20日
(日) 第一生命ホール


   浸透してきた須藤先生の理念

 昨年度は、暁星小学校聖歌隊のコンサートとバッティングしたため、2年ぶりのTOKYO FM少年合唱団の定期演奏会鑑賞となりました。第1部の“ぼくらのレパートリー”は、まさに愛唱歌集で、定番曲の「おお牧場はみどり」と「BELIEVE」は、その年の水準を伺うことができます。団員は、人数的には昨年度より2割減なのですが、「おお牧場はみどり」からエンジン全開で、活力のある歌声は健在です。それに続く「COSMOS」は、対照的にゆったりとしたテンポで、3人ずつのソプラノとアルトのSoliがバランスのよい響きを聴かせてくれます。ところが、今年の「BELIEVE」は、おなじみのせっせつとしたデュエットがなく、全体が手話入りの合唱曲。歌そのものは基本的には変わらないのです。芯の強さを感じる演奏でしたが「泣き」の部分がやや弱く感じました。4曲目の「モーツァルトの子守唄」は、天上からの繊細なオブリガードよりも、日本語とドイツ語で歌い分けるところが「ミソ」でした。歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲 「アヴェ・マリア」は、クリスマスコンサートを飾る1曲でしたが、3か月後の歌は、表面的には清澄でありながら、内面的には一層濃密な情念の世界が展開していました。この1曲を聴くことで須藤先生の理念が団員に浸透してきたことを感じました。第1部の最終曲「シーラカンスをとりにいこう」は、変拍子が聴きどころなのか!曲の解説を聞いて、この歌を聴く構えが変わって来ました。なるほど、そういうところを意識して聴くと、これまでと違ったものが聴こえてくるではありませんか。この世ではありえないような歌詞が元気よく歌われるだけでないものが伝わってきました。

   清澄な祈りの小宇宙   

 フォーレの「小ミサ曲」は、題名が示すように短く2〜3分ぐらいの4曲(4楽章)からなる小規模な作品でありながら、清澄な祈りが聴く人の心を洗って穏やかにしてくれます。団員がオルガンを半円状に囲むようにして並んで歌うことで、声部ごとの響きがよく伝わり、ハーモニーが美しく聴こえます。とりわけ、「Benedictus」では、12月にアマールを歌った宮下大輝君のやわらかで穏やかな歌声が生かされていました。第2部では、第1部ではあまり感じられなかった繊細さを感じることができました。

   12年間で大きく進化した"おぺら・オペラ・OPERA"

 "おぺら・オペラ・OPERA"は、今回Part5を迎えます。12年前のPart1を鑑賞した私は、その後のPart2〜4を鑑賞していないので、その間どのように変容・進化してきたのかわかりませんが、今回この"おぺら・オペラ・OPERA"に対する印象は大きく変わりました。(第20回定期演奏会のPart1のレビューと読み比べしてください。)採り上げた曲そのものはほとんど変わっていません。しかし、オペラ全体の中ではハイライトでも採り上げられないような曲でも、演出によってこれほど面白く変わり、満足度の高いステージが創られるというのは、嬉しい驚きでした。例えば、「トスカ」の聖歌隊の少年たちがふざけて堂守がそれを注意する場面など、スカルピアの怖さを盛り立てるために創られたシーンでしょうが、その場面がこんなに面白いとは。また、女スカルピアには、「いい加減目覚めなさい!」と叱りつけられそうな雰囲気がありました。これは、これまで積み重ねてきた米谷恵子先生の演出の力によるところが大きいですし、初演以来指揮者としてこのステージを指導されてきた佐藤宏先生や、3年間でボリュームのある歌声を育んできた須藤桂司先生の指導によるところもあるでしょう。
 さて、今回何がよかったのかを分析してみると、@ 狂言回しや「落ち」の面白さ A 切れ目のない舞台展開 B 衣装の早変わり C アマールと母親のデュエットでの栗橋優輔君の輝かしい歌声 D フィナーレの「誰も寝てはならぬ」の合唱での大きな盛り上がり等が挙げられます。

 去年6年生が大挙卒団したので、その「穴」ができるのではないかという不安は杞憂に終わりました。TOKYO FM少年合唱団は、常に次を担う団員を育てています。指導者のバトンパスによって、選曲や歌声は変化しますが、少年合唱の魅力を伝えるという本質的なことにおいては、不易であるということを強く感じました。

TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
平成28(2016)年12月24日(土) TOKYO FM ホール


   初めて生演奏を聴いた『キャロルの典礼』全曲

 第1部は、須藤桂司先生指揮、宮原真弓さんのハープ伴奏による『キャロルの典礼』全曲。15年前に北村協一先生の雄渾で風格のある指揮で抜粋を鑑賞したことはあるのですが、全曲を生演奏で鑑賞するのは初めてです。今回あえて『祭典』でなく、『典礼』としたところに、指導者のこの曲に対する解釈があったのだと思います。入堂の「この日キリストはお生まれになりました」は、よくTOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートの入場曲として使われて耳になじみがありますが、現役の団員達も全曲を歌うのは初めてなのではないでしょうか。ベンジャミン・ブリテンは、第二次世界大戦中にこの曲をウェストミンスター大聖堂少年合唱団のために作曲したようですが、そこには、平和への祈りがあったことでしょう。入堂と退堂にグレゴリオ聖歌を使い、その間の9曲は英語と言っても古語(中英語)といってもよい歌詞をどのような指導によって身につけさせたのかはわかりませんが、全体として起伏がありながらも品格のある演奏になっていました。11曲の中には舞い上がるような曲や勇壮な曲もあれば、牧歌的な曲やたおやかな曲もあり、その組み合わせがこの『キャロルの典礼』の魅力でもあります。4曲にソロやソリが使われていますが、「その幼な子」のソロにアルトの中川健太郎君を起用したのは、そのビロードのようなたおやかで気品のある歌声を生かすためであると思いました。入堂の歌は、これまでも舞台の後ろからステージまで歩みながら歌うという演出がありましたが、今年度は、壁の両端に立って高音部と低音部の違いとそれが両耳に聞こえてくることを浮き上がらせる演出が秀逸でした。昨年公開された映画『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』にも、勇壮な「この小さなみどり児は」が使われていましたが、今回のTOKYO FM 少年合唱団の演奏は、それを超えているのではないかとさえ思いました。

   同じ役割を果たす後輩を育成するシステム

 第2部の指揮は、引き続き須藤先生の指揮で、クリスマスキャロルやクリスマスソングが、ミュージックベルや鈴などの楽器も加え計12曲歌われました。毎年聴くたびに息が合ってきていることを感じました。伝統的に歌い継がれている曲は、安心して聴くことができます。また、今年の新曲は何だろうという興味も湧いてきました。バッヘンベルのカノンをもとにした「遠い日の歌」は、もともとが器楽曲であるために、むしろ器楽的な表現を面白く感じました。また、「アメイジンググレイス」は、初めて聴くこと自体が不思議なぐらいですが、ソリを生かした編曲で心が解放される感じが浮き彫りにされる歌に仕上がっていました。クリスマスコンサートに行くことで、TOKYO FM 少年合唱団では、先輩が卒団してもその後同じ役割を果たす後輩を育成するシステムが出来上がっており、それがこの合唱団の伝統をつくっていると感じました。

TOKYO FM少年合唱団 第33回定期演奏会
平成29(2017)年3月19日
(日) 第一生命ホール


   手話を前面に立てたステージ

 第1部の“ぼくらのレパートリー”は、例年愛唱歌集ですが、今回のプログラムからは<手話付き>という副題が目につきました。最初の「おお牧場はみどり」には手話はありませんでした。「しあわせになあれ」「こころ天気になあれ」と願いの歌が2曲続きました。「しあわせになあれ」全体的に柔らかい歌でありながら、次第に高まっていく曲想を活かす仕上がりになっていました。「こころ天気になあれ」は、Soliを交えながら、子どもが失意の状態から次第に立ち直っていく様子が浮かび上がっていました。「いのちの歌」は、言葉一つ一つを大切にした歌唱によって、それまで当たり前で気づいていなかった命の大切さに改めて気付かされるような仕上がりになっていました。続く、「COSMOS」は、昨年も歌われましたが、ソプラノとアルトのSoliの人数を昨年より増やして、歌詞を前面に出すとともに、手話係を特設していました。手話が一番生きていたのは、「BELIEVE」でした。毎年繰り返して演奏することによって、聴かせどころもしっかり押さえられていましたが、手話に表情を感じさせる団員がいてこれには驚きました。この歌では、ソプラノとアルトのデュエットで始まるバージョンが一番好きです。今回は手話を前面に立てたステージでしたが、どんな歌でも手話があればよいのかと言えば、必ずしもそうではないというのが率直な感想です。

   団員の詩に佐藤宏先生が作曲

 団員の作詞による委嘱シリーズ『僕の歌が歌声に』は、きっとこれまでにも、定期演奏会で作曲者の佐藤宏先生の指揮で積み重ねられてきたものでしょう。この日演奏されたのは、全部で7曲。そのうち2曲が現役団員による本日初演の新曲として紹介されました。子どもの詩は、プロの詩人の作品ほど練られたものではありませんが、素朴な中にもキラリと光るものがあります。「きょうりゅう」など、演出の力もあって、面白い仕上がりになっていましたが、続けて聞くことで印象が薄くなってしまうところもあります。それよりも、この歌たちは、TOKYO FM少年合唱団のコンサート会場でしか聴くことができないのではないのかというところが残念です。日本中の教室で歌われるといいのになと思わせる歌でした。 

   よく歌いこまれていた「キャロルの典礼」
 
 第3部は、須藤桂司先生指揮、宮原真弓さんのハープ伴奏による「キャロルの典礼」全曲。昨年12月のクリスマスコンサートでも歌われましたが、それから3か月間でどこまで歌いこまれているかということと、会場の違いが演奏にどんな影響をもたらすかが聴きどころです。入堂の歌は、クリスマスコンサートでは、壁の両端に立って高音部と低音部の違いとそれが両耳に聞こえてくることを浮き上がらせる演出でしたが、今回は、舞台の上で横に並んで歌うという演出でした。クリスマスコンサートのような意外性はありませんでしたが、歌そのものは、安定感のあるものでした。アルト・ソロの中川健太郎君は、ビロードのようなたおやかで気品のある歌声にさらに磨きがかかり、声量もアップしたように感じました。「アメイジンググレイス」でも、それを感じました。

 この定期演奏会は、全体としてアルトに光を当てるような演出で、地味と思われがちなアルトの魅力に改めて気づいた人も多かったのではないでしょうか。一方、昨年度ソプラノのトップソリストであった団員が変声期が近づいてアルトに回ったり、ソリストから外れている姿に接して、ボーイ・ソプラノ(アルト)の儚さを感じることもあります。一方、その役割を引き継ぐような下学年の団員を育てているところに、TOKYO FM少年合唱団の指導者の力量を感じました。

TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
平成29(2017)年12月24日
(日) TOKYO FM ホール


      2年の時を経て

 TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートでは、2年ぶりに、歌劇「アマールと夜の訪問者」が再演されました。多くの団員がこの舞台に参加していることもあって、役づくりや舞台上でのそれぞれの人物の動きに自然さが感じられました。今年のアマール役の村上祥都君は、温かみのある歌声で技巧よりもむしろ素朴な感じがするアマールで、それが実際の牧童のアマールもこんな感じではなかったのかなあと思わせました。野澤海藍君演じるカスパール王は、次第に声の輝きを増してきて、箱に入った宝物の紹介をするところの名調子は、なかなか聴かせてくれました。また、このカスパール王は本当に耳が不自由なのかなあと感じさせる演技でした。メルヒオール王を歌った渋谷晴人君は、よく聴き取れる明瞭な歌声で、ゆったりとした安定感のあるバルタザール王の中川健太郎君と共に調和的なアンサンブルを形成していました。最近はそれぞれの王の従者が2人ずつ計6人になったことで、「泥棒!」とアマールの母を押さえつけるところでは強い圧力を感じさせました。さて、TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートだけでも6回、定期演奏会も入れるとそれ以上歌うことになる伊藤邦恵先生のアマールの母役は、ツボを押さえた歌唱と芝居で、少年たちを浮かび上がらせながらも、人間のもっているよさと弱さ、また母性を体現していました。また、指揮の佐藤宏先生は、歌のない部分でも情景が浮かんでくるような繊細で深みのある音楽を形作っていました。
  
   今年の新曲は何だろうという楽しみ

 第2部の指揮は、須藤桂司先生に代わって、クリスマスキャロルやクリスマスソングが、ミュージックベルや鈴などの楽器も加え計13曲歌われました。須藤先生の指揮になってから5年目になりますので、団員ももうすっかり須藤先生の指導になじんで安心感をもって歌っていることが伝わってきます。最近の傾向としてソロではなくソリで歌われることが多かったのですが、今年は、メルヒオール王を歌った渋谷晴人君が「もみの木」で、ソロを歌い、メルヒオール王の時に感じたことを再確認しました。毎年おなじみの曲に加え、今年は、映画「太陽の帝国」の中で冒頭に歌われる「スオ・ガン」がソリと合唱で歌われました。毎年1曲ずつでもこのような新曲があると、それが期待感につながります。「きよしこの夜」のオブリガードも、長谷部瑛寿君と西康介君によって引き継がれ、先輩が卒団してもその後同じ役割を果たす後輩を育成するシステムが出来上がっており、それがこの合唱団の伝統をつくっていると感じました。

TOKYO FM少年合唱団 第34回定期演奏会
平成30(2018)年3月17日(土) 第一生命ホール


   目立ったユニゾンからコーラスへの曲

 「おお牧場はみどり」で始まる第1部は、活力を感じさせるものでした。「おお牧場はみどり」そのものが、活力に満ちた曲なのですが、それに続く「ふるさと」は、嵐が最初に歌ったバージョンではなく、第80回NHK全国学校音楽コンクールで使われた編曲によって、Soliを生かすだけでなく、「ふるさと」がもっている根源的な力が浮き彫りになるような歌になっていました。これまで気付かないまま聞いていましたが、この歌が、震災の被災地東北や熊本の応援ソングとして使われた意味がわかったような気がします。続く「勇気のうた」は、歌い出しの部分がユニゾンで、あるところから2声あるいは3声に分かれて、みんながいるから僕たちは前に進めると力強く歌い上げるところが魅力的でした。「会えない時も」も同じような曲想で、後半に大きな盛り上がりをもたらすような曲でした。「しあわせになあれ」全体的には柔らかい歌でありながら、次第に高まっていく曲想を活かす仕上がりになっていました。そのような意味では、「勇気のうた」「会えない時も」「しあわせになあれ」の3曲に共通するものを感じました。おなじみの「BELIEVE」は、昨年同様手話を前面に立てたステージでしたが、毎年繰り返す中で、手話に表情を感じるようになってきました。

   中・低音部が充実していた「聖レオポルトのミサ」より

 第2部の「聖レオポルトのミサ」の作曲者であるヨハン・ミヒャエル・ハイドン (Johann Michael Haydn 1737 - 1806)は、フランツ・ヨセフ・ハイドンの5歳年下の弟で、ザルツブルクで活躍し、モーツァルトとも親交があった音楽家です。しかし、これまでその曲を聴くことはありませんでした。「聖レオポルドのミサ」よりと書いてあることから、その一部分であると思って調べてみたら、キリエ:グローリア:クレド:サンクツゥス:ベネディクツゥス:アニュスディの6曲からなるミサ曲であることがわかり、この日は、その前半の3曲を演奏したことになります。どの曲もSoliを前面に立て、これらの曲の本質を感じさせるようなミサ曲の構成の妙を楽しむことができました。特に、メゾソプラノ、アルトのパートが充実しており、しかもラテン語の発音に深みがあって、これは、TOKYO FM少年合唱団だからこそ可能なことかと思いました。

   三善晃の変拍子や多声部をこなした団員たち

 もう35年ほど前になるでしょうか。第51回NHK全国学校音楽コンクールの課題曲に三善晃作曲の「わりばしいっぽん」が採り上げられ、合唱そのものよりもそのピアノ伴奏のリズムのユニークさに驚いたことがあります。ところが、谷川俊太郎作詞の「わらべうた」と名付けられた昭和の子どもたちの日常生活を描いた詩につけられた変拍子の作曲は、ピアノ伴奏が変拍子であるだけでなく、4声にも5声にも分かれるところもある難曲です。しかし、団員たちは、指揮の佐藤宏先生の手や指の微妙な動きを見ながらそれを立派に歌いこなしていました。ただ、この曲が音楽の教科書に掲載されることは、これまでもなかったし、これからもないでしょう。それは、1番の「わるくちうた」の歌詞のためだけではなく、この曲を指導できる教師がほとんどいないからです。かえってアンコール曲の「気球に乗ってどこまでも」や「今日の日はさようなら」でほっとしたというのも実感です。どこの学級にも何人かいる歌の好きな少年たちが、ぼくもあのように歌いたいと思わせ、会場に足を運ばせることも大切です。今回の定期演奏会は、TOKYO FM少年合唱団は、質の高い少年合唱団であることを強く感じると同時に、少年合唱の魅力を日本中に広げることも忘れないでほしいと感じました。また、それが観客増にもつながると思います。

TOKYO FM 少年合唱団 第35回定期演奏会
平成31(2019)3月17日(日) 第一生命ホール


       充実していた"ぼくらのレパートリー"

 「おお、牧場はみどり」で始まるTOKYO FM 少年合唱団の定期演奏会に、これまで二けた接してきました。そこで、定期演奏会の冒頭を飾るこの曲の定期演奏会の中での位置づけを考えてみました。この曲に最初に接したのは、昭和36(1961)年4月、「みんなのうた」が始まった時です。この長寿番組で採り上げられる「うた」も、今ではすっかり変わってしまいました。「歌は世につれ、世は歌につれ」ですから、それは受け容れなければならないことなのでしょうが、それまで、子どもの歌として「童謡・唱歌」しか与えられなかった世代の子どもにとって、それは、新しい音楽の世界の到来でした。2ヵ月間毎日流れるこの歌のバックに流れる映像は、人力で水車を回して田に水を入れる日本の原風景でありながら、この曲はこれまでに接することのできなかった新しい時代の到来を予感させました。この曲は当初は、チェコ・スロバキア民謡と紹介され、やがてソ連の侵攻や、その崩壊によって、チェコ・スロバキア独立し、さらにチェコとスロバキアが分離・独立する中で、「この曲の歌詞のもとの意味は、違うものなんだよ。」といった諸説が飛び交いましたが、少年時代に初めてこの曲に接して、その印象を持ち続けている日本の元少年には、新しい音楽の夜明けを告げる歌であり続けたのです。この日も、活力のあるこの歌は、その頃抱いた新鮮な想いを甦えらせてくれました。

 第1部の「しあわせになあれ」「心の翼 君が広げたら」は、比較的新しい歌で、今のTOKYO FM 少年合唱団のもっているよさを体現した演奏になっていました。続く「バッハ=グノーのAve Maria 」「シューベルトのセレナーデ」「菩提樹」「遠い日の歌 〜パッヘルベルのカノンによる〜」の4曲は、曲ごとに聴いた想いが違います。「バッハ=グノーのAve Maria 」「シューベルトのセレナーデ」は、本来独唱曲として歌われることが多い曲です。しかし、この日の合唱による演奏はかなり声量的にボリュームのある演奏になっており、少年合唱ならば、もっと清澄な響きがほしかったという想いもあります。一方、ハンドベルを採り入れたあとの2曲は、歌と伴奏のバランスがよくなっていました。「BELIEVE」も、TOKYO FM 少年合唱団の定番曲になっていますが、10年近く以前聴いたソロ・デュエット・合唱と広がっていく演奏を聴いた後では、手話を交えたよい演奏でありながら、そこまでの感動の高みに達しませんでした。これは、「繊細さ」というボーイ・ソプラノの魅力をどう生かすかにかかってくると思います。
 今年は、コンサートの中で、「卒団ミュージックセレモニー」として、佐藤宏先生作詞・作曲の「ありがとう」が、初演されました。この曲は、素朴な中にも感謝の心が籠った曲です。指導者から、3人の卒団生に卒団証書と花束が贈られ、そのような意味では、卒団式を兼ねた感動を伴うひとときでした。

       解説が示す見どころ・聴きどころ

 第2部"おぺら・オペラ・OPERA" は、Part.6を迎えます。平成16(2004)年のPart.1〜平成28(2016)年のPart.5の変容は、その間の3回の鑑賞していなかったこともあって、極めて顕著でした。それから、3年。今回は、団員による見せどころ、聞かせどころの解説というところが面白かったです。これは、日本声楽界の大御所でもあった五十嵐喜芳が藤原歌劇団の総監督の時に行われたオペラの見どころに対する事前解説という新たな試みにも通じるところがあります。オペラは、演目によって出演できる人数や求められる声のパートが違うという団員にとっての悩みのようなものが、自然に会話の中に盛り込まれており、それが観客の心に迫ってきます。また、4〜5人の団員の掛け合いのような解説は、この日は、「オテロ」、「カルメン」、「アマールと夜の訪問者」、「トスカ」、「トゥーランドット」の劇中歌が演じられましたが、「アマールと夜の訪問者」以外は、オペラ全体の中で少年(たち)の活躍する場面は、いわば「刺身のつま」のようなものです。以前、LPレコードが中心であった時代、「ハイライト」では、このような場面は省略されてきました。しかし、この日のステージは、その場面の中にどのようなものを盛り込み、工夫しているのかということが、明らかになってきました。「オテロ」には本来、少年合唱や児童合唱はありませんが、村人として登場して、この場面の魅力を浮き彫りにしていました。「アマールと夜の訪問者」のアマール役の前川陽光君は、あと1〜2年後が期待されるソリストですが、精一杯の努力が感じられました。「トスカ」の堂守と聖歌隊の少年たちの絡み合いは、ただふざけていればよいのではなく、歌や舞台上の動きにも計算されたものがあることは新たな発見でした。「トゥーランドット」のクライマックスは、何度聴いても爽快です。ところで、今年度は、卒団生3人に対して、予科生が13人と多く、予科生の制服も洗練されたものとなっていました。そのような意味でも、今年度も満足度の高い演奏でしたが、来年度は、さらに人数的な面で期待できそうです。卒団して数年のOBは、スタッフに演奏に活躍して舞台を盛り上げていましたが、更に観客としてビクター少年合唱隊のOBはじめ、TOKYO FM 少年合唱団の成人のOBが、家族づれで来てくれるようになり、親子孫3代の観客になると、会場も満席になるのではないかと思いました。

 TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサート
令和元(2019)年12月22日
(日) TOKYO FM ホール


   前半と後半で交代するアマール     

 今年のTOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートでは、歌劇「アマールと夜の訪問者」が再上演されました。多くの団員がこの舞台に下学年の時に村人役等で参加していることもあって、役づくりや舞台上でのそれぞれの人物の動きに自然さが感じられました。ところが、どのような理由があったのかはわかりませんが、今年のアマール役は、前半(尾島怜君)と、後半(堺究武君)で交代するところがこれまで鑑賞したものとと違うところです。21日の1日目も前半(尾島怜君)と、後半(前川陽光君)と、前半と後半で交代しています。記録によると、20年近く前にもそのようなケースはあったようですが、私はそのステージには接していません。交代は、アマールが村人を呼びに行くところで行われたこともあって、それほど不自然さを感じませんでした。さて、尾島君のアマールは、次第に調子を上げてきて、母との二重唱はなかなか聴かせる歌を歌っていました。また、堺究武君のアマールは、声の響きそのものがたいへん美しく、足が治った喜びをよく演じていました。さて、この日の3人の王様の中では、メルヒオール王を歌った東航平君が、よく聴き取れる明瞭な歌声で非常に存在感のある演技をしていました。また、カスパール王(山田知寛君)バルタザール王(寺島昇君)を含む3人の王様のアンサンブルもなかなかよくできていました。村人役のダンスも、よく見ると男役と女役では違いがあり、その違いも観ていて面白いものです。ところで、この日何よりも心に残ったのは、アマールの母役の伊藤邦恵先生の演技で、虚言癖のあるアマールに対して屈折した感情をもったり、貧しさに負けて王様の宝に目がくらんでしまうような人間の弱さを演じていたところです。この歌劇を何度も観ることによって、これまで見逃していた細かいところを観ることができたように思います。
  
   今年の新曲は?という楽しみ   

 第2部の指揮は、引き続き佐藤宏先生で、クリスマスキャロルやクリスマスソングが、ミュージックベルや鈴などの楽器も加え計12曲(プログラムに書かれているのは11曲)歌われました。最近の傾向としてソロではなく6人〜8人のソリで歌われることが多かったのですが、今年は、アマールの後半を演じた堺究武君が、「ママがサンタにキッスした」でソロを歌いました。この歌は、北村協一先生が指揮をされていたころは、どちらかというと気の弱そうな感じのソロで始まっていたのですが、堺究武君は、むしろしっかりした感じの美声を聞かせてくれました。毎年おなじみの曲に加え、今年は、モーツァルトの「ラウダーテ ドミヌム(主をほめたたえよ)」がソリと合唱で歌われました。これは、陰影のあるよい演奏でした。このように毎年1曲ずつでもこのような新曲があると、それが期待感につながります。毎年同じ編曲の歌ではあるのですが、同じような声質の少年を常に育てて後継者を育成しているというシステムができているという印象を強く持ちました。

 今年も、TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートのプログラム上の最後の曲は、「きよしこの夜」でしたが、某新聞によると、カトリックとプロテスタントで同じ曲の歌詞が違うことや、古い訳詞のため、意味がわからない人が多くなってきたことから、新しい訳詞にする動きもあるとか。それなら、聖歌・讃美歌だけでなく歌曲や合唱曲でも文語体の歌詞はいよいよ追い込まれていくのではないでしょうか。これは、国語の破壊・世代の断絶につながるのではないかと思います。(TOKYO FM 少年合唱団 クリスマスコンサートとは、直接関係ありませんが、気になることです。) 


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